戦禍のカガリ
平和な時間が、ゆっくりと流れていった。
そして今日、それも終わる。
「いよいよだな」
「ヴィレアス攻略……ですね」
「カガリ? どうした?」
ひとり浮かない顔をしている俺を、ふたりは心配した。心配かけないようにしようとは思っていたのだが……不安は募るばかりであった。
(このふたりを戦場に行かせてはいけない)
俺と共に行動するよう命じられた、心優しきこのふたりを、奴の思い通りにさせたくはなかった。今日、自分の傍にいる者には、何かしらの不幸が降りかかる。今までの経験上、それは間違いなかった。
(みんなの目を盗んで、何とかして俺だけ遠くに離れないと……)
これ以上自分のせいで人が不幸になるのは、耐えられなかった。
「ソウシ。ギル……」
俺はこわばった声で、ふたりの名前を呼んだ。
「絶対に死ぬな」
ギルは意外だというような感じで、きょとんとしていた。
「死にませんよ」
ソウシは……すべてを悟っているかのように、笑っていた。
「行こう」
俺は頷いた。
「準備はいいですか。私たちは今から、ヴィレアスを攻め落とします。配置は前回示した通りです。各自、各班のリーダーの指示にここからは従って動きなさい。敵前逃亡は許しません」
Sクラスリーダーのユイス隊長が、士気を高める。そして俺達は、作戦通りに散らばった。
「カガリ。結構早足で行かないと、開戦に間に合わないんじゃないか?」
「そうかもしれないな。だが、俺たちは敵に見つからなければそれでよい。たとえ指示された場所に着けなくてもな」
ギルは心配そうに、辺りをキョロキョロと見回していた。周りは緑の木々が生い茂っている。俺たちは、そんな緑の中に身を隠すようにしながら、目的地に向けて駆け出していた。
「でもよ、敵がどこに潜んでいるかなんて、わからないじゃないか。絶対に見つからないって保障……ないんだよな」
「確かにな」
普通は……と、胸中で付け加えた。俺には気配を読み取るチカラがあったからだ。木の上に隠れようが、森の中に潜もうが、敵の存在を感じられるのだ。
「……動き出した」
敵の動きを感じた。そしてそれは、予想以上の早さだった。
「敵ですか?」
「あぁ。もう敵に気づかれた。これでは奇襲の意味があまりない」
そのとき、嫌な予感が脳裏をよぎった。
(まさか……情報が漏れていた?)
この戦いは、もしかしたら俺が考えていた以上に、危険なものだったのかもしれない。だが、戦場に来てから思ったところで、今さらどうにもできないことであった。
「カガリ。俺達はどうする? 隊長たちに加勢するか?」
「いや、俺たち三人が戻ったところで、戦況は変わらない。先を急ごう」
しかし正直なところ、気にはなった。先ほどから、この辺りにはまったくひとの気配がないのだ。まだ森を抜けてはいない。しかも、城を少し越したところに居るのだ。ユイス隊長がいる地点より、ずっと城に近くにいるのは俺達のはずだ。それなのに、敵兵がまるで居ないというのは、不自然だ。
(なぜ敵の気配が全く無い?)
本来の予定では、城で陣を組んでいるヴィレアスに対して奇襲攻撃を仕掛け、城から兵士を遠ざけた後に、最終的には俺たちの班が護りの手薄になった城へ斬りこむ手はずだった。しかしこれでは、はじめから城の護りは手薄だ。入手していた情報とは異なっている。
嫌な予感がしてならない。胸騒ぎもおさまらない。俺は胸をつかみ、必死に祈った。誰も死ぬな……と。敵も味方も関係ない。もう、誰かが死ぬのを見たくはなかった。
「カガリ」
不安の渦に飲み込まれそうになった俺を呼び戻したのは、凛としたソウシの声だった。
「大丈夫ですよ」
「あ、あぁ……」
ソウシ……彼は本当に、不思議な空気を持つ男であった。
「そろそろ目標地点に着くか?」
「どうですか? カガリ」
俺は渡されていた地図と方位磁石を取り出し、足を止めた。辺りを見渡したところ、どうやらここであっているようだ。小さな滝が目印である。
「あぁ、ここで良いようだ」
「じゃぁ、のろしがあがるまでゆっくりと待つか」
ギルは落ち着いていた。場慣れしているのだろうか。さっさと横になり、あくびをしていた。ソウシは城の方を黙って見つめている。特に緊迫した様子もないが、気を緩めているという感じもない。ただ、戦場を知っている……そんな感じがした。確か、戦場に出るのはこれが初めてであったはずなのだが……。
「なぁ、ソウシ。お前、師匠とかいるのか?」
唐突に話題を切り出したのはギルであった。その質問に、ソウシは耳を傾けるが、注意はやはり城に向けている感じだ。
「師匠ですか? それは……武芸の、ということでしょうか?」
「そうそう。ほら、お前さ。一度も戦場に出たことが無いのになんか……強いだろ? 足なんて、とても追いつけないほど、すっげぇ速いしさ」
「ギルは、私が戦っているところを見たことがないはずですが?」
「ないぜ? でも、絶対強いだろ? 今も否定しなかったし……第一、弱い奴はSクラスには入れないって」
「まぁ、そうですね。ですが、私は本当に武芸が苦手ですよ。師匠もいませんし……」
その答えには俺も驚いた。確かに一見、体術などは苦手そうだ。だが、普段の身のこなしから、かなりの運動能力をもっているような感じはしていた。それも、誰かに身のこなしを叩き込まれたかのような、美しい動きであったからだ。ソウシの動きには、いつも無駄がないのだ。
「師匠がいない!? そんなバカな!」
驚き、そして笑いながら起き上がり、ギルは胡坐をかいて座りなおした。すると、城のほうを気にしてみていたソウシも、ギルに向かい合う形で腰を下ろした。
「いませんよ。本当です」
「……天才って奴?」
「天才ではないでしょう」
ソウシの視線が、俺に移ったことを感じた。
「カガリ……あなたは誰から、武芸を習ったのですか?」
「俺? 俺は……」
師匠の顔が目の前に広がった。しかし、口には出せない。もともと、秘密の関係であったし……それに今はもう、師弟の縁を切られてしまったのだから……。
「手の届かない方だ」
「えっ? なんかすげぇ気になるな。その言い方」
俺は黙ったまま視線をそらした。それを見て気まずさを覚えたのか、ギルは再び話題をソウシの方にと変えた。
「えぇと……それで、お前はどうしてこんなに強いんだ?」
ソウシはソウシでどこか気まずそうだったが、俺に話が戻ってきても困るし、正直俺も知りたいことだったから……あえて助け舟は、出さなかった。
「まぁ、ある人物の見よう見真似……とだけ、言っておきましょうか」
「ある人物?」
興味がわいたが、ここが戦場だということを思い出し、俺は咳払いをして自制した。それなのに対するギルはもう、ここが戦場だということを、すっかり忘れてしまっているような感じであった。俺は、気付かれないくらい小さく……笑った。
「そうです。とても気品のある、素晴らしいお方ですよ」
「強いのか? やっぱ……」
ギルは、とても嬉しそうに目を輝かせながら、ソウシの話を聞いていた。
「もちろんです。私が知る限り、その方は最強ですね」
「そんなこと……」
思わず声が出てしまった。最強は、俺の師匠だと言いたくなったからだ。言い切れずに終わった言葉をどう処理していいかも分からず、俺はただ、気まずそうに口を瞑った。するとソウシはまた、いつものように笑った。
「あなたの師匠が一番ですよ」
そして、俺の頭を撫でた。
「なっ!?」
思わず動揺して、俺は後ろに飛び退いた。ソウシが撫でた部分を、くしゃくしゃとかき乱し、ソウシをにらんだ。
「また俺を子ども扱いしたな!?」
「すみません。あなたがあまりにも可愛いので……つい」
そう言ってまた立ち上がり、城のほうに目を移した。俺は、必死に冷静さを取り戻そうと呼吸を元に戻すが、顔の熱がなかなか下がらない。そのことが恥ずかしかったため、そのことでまた顔が赤くなってしまう。なんだか悪循環だった。
「どうした? ソウシ。なんか見えるのか? さっきから、そっちばかり気にしているみたいだけど」
「いえ、何も……ただ、戦況が気になりましてね」
ソウシはせわしない……とまではいかないが、随分と戦況を気にしている様子だった。俺たちは最終手段。いや、囮。前線が城側にまで押さえ込んだところで飛び出す、ただの駒だ。
「大丈夫だろう?」
一見能天気にも見えるギルの対応に対し、ソウシはくすりと微笑を浮かべるだけであり、何も追及しようとはしなかった。ただ、ふと思い出したかのように、言葉をつむいだ。
「そういえば……あなたは誰から師事を受けたのですか?」
「あぁ……俺?」
ギルはふと、いつもは見せないような大人の顔で、森のほうを向いて言った。
「ユイス隊長だよ」
「ユイス隊長?」
ギルは嬉しそうに話を始めた。ユイス隊長のことを心から慕っている様子が、手に取るように分かる。
「そうそう。実は俺、ユイス隊長と同じ街の出身なんだよ。俺の街ではユイス隊長って昔から有名でさ。俺もずっと憧れているんだ」
「同じ街……」
少し羨ましいというような気持ちがした。同じ街の者が生きている……そして傍に居る。それはもう、俺にはいくら望んだところで、叶うはずの無いことだったからだ。
「俺さ、まだラバースに入る前。街にいるときにに、思いきってユイス隊長に声をかけたんだ。俺を弟子にしてください……ってな」
「それで、弟子に?」
ギルはかぶりを振った。そして笑いながら後を続けた。
「いや……一回目のアタックでは、まるで相手にしてもらえなかったんだ。でも俺、諦められなくてさ。何度も様子を見て頼んだら、一緒に修行しようって言ってくれたんだ」
ユイス隊長の年は知らないが、見た感じでは俺達とそう、変わらない感じがする。それなのに師匠と呼ばれるほどの力を持つとは……。少なからず興味がわいた。もしも手合わせすることができたのならば、俺は隊長に、勝てるのだろうか。
「それほどまでにも、お強いのですか?」
ソウシも興味がわいたらしく、俺と同じような気持ちを持っているようだった。ただの、俺の気のせいかもしれないが。ソウシは、俺のように剣の腕を磨いているようには見えなかったし、それほど力にこだわっている様にも、今までの感じでは、考えにくかったからだ。
「そりゃあそうさ。なんたって、あの若さでSクラスのリーダーだぜ?」
「確か、年は十七でしたか?」
「十七!?」
静かにこれまで事の次第を見守っていた俺だが、思わず声をあげてしまった。確かに年は近いだろうと思っていたが、まさかたったの一つ違いだったとは……。
一つの歳の違いでなぜ俺と、こんなにも違うのだろう。彼は容姿こそ幼さを感じるものの、受け答えなど普段の身の振る舞い方はとにかく大人で、落ち着いている。おまけに強いときた。背丈だって……俺よりも高い。仲間も多いように思われるし、人望も厚いようだ。俺にはないものを、彼はすべて持っていた。
「そうだぜ? カガリ。すごいだろ?」
「……不公平な世の中だ」
「えっ? 何だって?」
誰にも聞き取れないほどの小さな声で、俺は悪態をついた。ギルが俺のつぶやきを聞きたがっていたけれども、繰り返すつもりはなかった。
そのときだった。嫌な風が吹くと同時に、急に胸騒ぎがしたのだ。動悸が治まらない。俺は、どんどん血の気が引いていくのを自覚した。
「カガリ……どうしましたか?」
「分からない……なんだ?」
俺は森のほうに目を向けた。そして、いつも以上に神経を研ぎ澄ます。どんなに小さな物音も、聞き逃すことの無いように……。
(爆発音だ……)
ここからは遠い。だが俺の耳には、はっきりと聞こえてきた。そして、風によって血の臭いまでもが、運ばれてきた。ラバースが圧されている……そう確信した俺は、小高い丘を駆け下りた。
「ふたりはここにいろ! 決して動くな!」
「カガリ!?」
俺はふたりの返事を待たずして、森の中へと姿を消していった。嫌な予感しかしない。俺は全速力で、森の中を駆けていった。
ヴィレアス城を越えた。ここまでで遭遇した敵の数はゼロだ。前線に兵士を配置するのは当たり前のことだが、裏の警備をここまでおろそかにしてもよいのであろうか。いや、いいはずがない。万一前線突破された場合の砦がなければ、簡単に城は落とされてしまうのだから。このとき俺の頭の中には、この戦が何者かによって仕組まれていたのではという考えで、いっぱいになっていた。
何者か……。
もしも本当に、これが仕組まれていた戦であったのならば、その首謀者は、「奴」しか思い浮かばなかった。
(ザレス……またしてもお前は、俺を苦しめるのか!)
怒りで理性が吹っ飛びそうだった。そんな俺を、ギリギリのところで制しているのは、この、おびただしい量の血の臭いであった。
「……っ!?」
ふと気配を感じた俺は、咄嗟に木の上に身を隠し、その気配の主を探した。
(……どこだ!)
目を凝らす。すると、三時の方向に敵の姿を確認することができた。その敵の周りには、ラバースの兵士はいないようであった。
(ここら辺には、何人かのラバース兵が配置されていたはずだけれども……)
見えないラバース兵に、見える敵の姿。そして爆発音に血の臭い。このキーワードから導き出されること、それはひとつ……ラバースの敗北。それだけであった。
「まさか……全滅……」
そう呟くと同時、俺は後ろから口を塞がれた。敵かとも思ったが、殺気を感じなかった為、そうではないと判断した。
「こっちです」
そう言うと、声の主は俺を抱き寄せ木を飛び降り、茂みに身を潜めた。その刹那、今までいた木の上に、魔術によって生み出された炎が放たれた。俺は、目を見開いてその光景を見ていた。
「危なかったですね。とりあえずここを離れましょうか」
声の主は、ラバースSクラスリーダー、ユイス隊長であった。
「ユイス隊長……」
「カガリ、話は後だ」
そう言って、ユイス隊長は俺の手を引いて走り出した。普通では考えられない、城に近づく方角へと向かって……。
その間も、魔術による爆音が鳴り響いていた。
(まだ、戦いは終わっていないんだ……)
それがよいことなのか、悪いことなのか。
今の俺には、判断できなかった。
「ここなら大丈夫かな」
そこはちょっとした洞窟であった。あまり深くはないが、一時的に身を隠すには、ちょうどいい大きさだ。
「隊長。一体、どうなっているのですか? 敵は、私達が今日攻めてくることを知っていたのですか? それも……戦闘配置まで把握しているかのような戦況ではないですか」
ユイス隊長はうつむき、唇をかみ締めながら答えた。
「……お前の言うとおりだ、カガリ。敵に情報が漏れていたらしい。私達がそれぞれの配置場所に移ったときにはもうすでに、敵の手の中だった。徐々に私達は一箇所にと誘導される形で追い詰められ、ついには逃げ場をなくしてしまった」
それがさっき、俺がいた場所周辺であったのだろう。今まで敵の姿はおろか、人影ひとつなかったのが、あの場所には人の臭いであふれていた。それも、嫌な臭いだ。人はそれをこう呼ぶ。
殺気。
「それでどうなったんだ。ラバースのみんなは!? 無事なのか!?」
「半分はすでにやられた。私達は袋の中のねずみだった。魔術士に狙い撃ちにされた私達に、逃げる術はなかった……」
「それで……撤退命令は下したのですか!? このままでは全滅でしょう!?」
ユイス隊長は恐ろしく厳しい目をした。そして、森の入り口……つまり、俺たちにとっては退路となる方向を睨んだ。
「撤退させたかった……。させることができたならば、これほどまでの犠牲を出さずにすんだはずだ」
「どういうことですか」
「……」
木々がざわめいた。ユイス隊長の細い声は、洞窟の中に反響した風の音によって阻まれたが、彼の口の動きから、発せられた言葉を読み取ることができた。唇の動きを読むということを学んでいた訳ではなかったが、自分の頭の中にすでに、その言葉が浮かんでいたため、理解が早かったのだ。
「国王が……」
憎しみを込めてその言葉を言った。やはり奴の仕業であったのだ。
「敵前逃亡は許さない……そうは言ったが、私はプライドよりも、仲間の命のほうが大切だと思っている。もちろんすぐに撤退しようとした。しかし、いざ後退しようとすると退路はすでに、レイアスによって塞がれていたんだ。そして……これを渡されたよ」
俺は彼から一通の短い書簡を手渡された。それは、もちろん奴の手書きなどではない。奴の秘書の筆跡。しかしその内容は、まさにあいつらしいものであった。
「ラバースSクラスの者に告ぐ。レイアスのために、捨て駒となれ……だと!?」
俺は怒りを堪えきれなくなった。この書簡を破り捨てると、拳を地面に叩きつけた。
「捨て駒……っ、ふざけるな!」
その言葉ですべてが見えた。
今回の戦いの仕組みが、すべて……。
国王、ザレスは初めから、俺たちラバースを切り捨てるつもりで、このヴィレアス攻略に当たらせていたんだ。
俺が城にいたときに、こんな話を聞いたことがあった。国王は、ラバースを……それも、Sクラスの存在を、あまり快いとは思っていないと。もともと、ラバースという傭兵組織を作り出したのは、先代国王の時代だと聞いている。ザレスが作ったものではないのだ。
俺は別だが、ラバースの兵士達は国王に忠実な傭兵ばかりだ。しかし、貴族でもない、魔術士でもないただの平民の集まりである。そんな俺たちが国に貢献するということが、あまり気に入らないらしい。全くもって勝手な話だ。自分で募集して組織した部隊なのに……。気に入らないのなら、自分が国王に即位した時点で、廃止すればよかったのだ。それをしなかったのは、雑務程度の任務になら使えるとでも、思っていたからなのだろう。
そして、レイアスだ。彼らもまた、なんの力も持たない俺たちが、レイアスに並んでこの国を担うというのが気に入らなかったらしい。彼らは自らを選ばれた人種だと思っているからだ。
最近、Sクラスのレベルは着実に上がっていた。それを目障りだと感じたのかもしれない。あまりにも力を持った者は危険だと考えているのだ。今は忠実な部下でも、数年後には、自分の命を狙う刺客にもなりかねないからだ。特に、ラバースの兵士達は……。
レイアスの兵士の方が、個人の持つ攻撃力というものは、ラバースの兵士個人が持つ力よりも、断然高い。しかし、それでも国王が安心して彼らを自分の手元に置いているということには、訳があった。
金だ。
彼らには、莫大な金額が払われていると聞く。それも、国民から巻き上げた金から支払われているのだ。レイアスの者は、金の提供者を殺しはしない。危険を冒してまで、権力を手に入れようとはしないのだ。
それに比べてラバースの兵士には、傭兵とは名ばかりで、ほとんど金など払われていない。貧しい村の出が多いラバース兵は、レイアスとは違い、謀反の意志持つ可能性があると考えられている。
そして今回、力を持ちすぎた部隊の排除にと切り出されたのだ。俺たちを真っ向から敵軍にぶつけ、大打撃を与えさせる。勿論俺たちの方が圧倒的に犠牲者を出すであろうが、敵側にも、多少なりと犠牲はでる。俺たちは、魔術こそ使えないが、戦いのエリートなのだから……。
こうして、戦力の削りあいが展開される。退路を塞がれている俺たちは、戦うしかないし、後ろでレイアスに監視されている以上、勝手な真似――例えば敵側になるとか、降参とかそういうことだ――はできない。
おそらく、俺たちが全滅した……あるいはその寸でのところでレイアスは戦場に出てくるのであろう。そういう目算なのだ。敵数もある程度減り、邪魔な存在である俺たちも消せ、ザレスたちにとってはまさに一石二鳥だ。手柄はすべて彼らのものになるのだから……。ヴィレアスが例え魔術士部隊を持っていたとしても、所詮はレイアスの敵ではないのだ。
レイアスはただの魔術士部隊ではない。
選ばれた魔術士たちなのだから……。
ここで、ふと疑問が浮かんだ。戦線から外された、俺とギルとソウシの三人だ。あそこにいては、火の粉は全くかかってこない。ヴィレアスの兵士が襲ってくるか、ラバースの前線が城側まで押し寄せて来たときぐらいしか発動する機会のない、安全な場所だ。
Sクラスの殲滅が目的ならば、国王の権力を以って、俺たちを他のラバース兵の配置された戦線に無理やりにでも配置したはずだ。それなのに、なぜ俺たちはあそこにいることができたんだ?
いや、あそこにいるように仕組まれていたと考えるべきなのか?
(俺を……生かすため?)
そう思うと、急に吐き気がしてきた。俺はそれを必死に堪えながら、ユイス隊長の方を向いた。隊長は、厳しい表情を続けていた。多くの信頼する仲間を目の前で失ってきたのだ。心苦しそうな一面もある。しかし今は、そんな隊長の心情を察している余裕が、俺にはなかった。自分のこの疑問を解決することに必死で、頭もこころもいっぱいだった。
「隊長……私は本当に、切り札として城の裏側の、森から外れたところに配置されていたのでしょうか」
隊長はしばらく黙っていた。しかし、半分悟っている俺の目を見ると、その重い口をあけてくれた。
「君の配置は、国王からの命令であった。そのほかの配置は、私が考えたものだけれどもね」
隊長は悲しそうに、うっすらと笑みを浮かべた。隊長は、自分のせいで仲間を死なせたと思っているんだ。自分自身を責めているのが、見て分かった。
違うのに……悪いのは俺なのに。
これはまた、俺への嫌がらせも含めているのだろう。奴は俺を苦しめるのが、本当に好きらしい。俺のこころを縛りつけ、俺の力がどうしても欲しいようだ。
たったそれだけのために……そんな、くだらないことのために。
奴は、俺の周りの人間を殺していく。
「カガリ?」
涙が止まらなかった。堪えようとすればするほど、涙はあふれてきた。
「俺のせいだ。俺が……」
泣き伏せる俺に、彼は自分が携帯していた水の入った竹筒を差し出し、飲ませてきた。ただの水ではないらしく、ほのかに甘い味がした。
「ソウシから、君の事は聞いていた。本当に、優しい子だね。カガリ……ソウシもギルもいい子だよ。きっと君の力になってくれる」
「えっ?」
そういえば、以前もソウシから俺のことを聞いていたと言っていた。疑問に思い、彼のほうに顔を向けた……が、どうも身体がだるく感じ、再び視線を地面に落とした。涙はまだ止まらない。
彼はゆっくりと立ち上がると、洞窟の外に出た。この雰囲気……彼はひとりで戦場に戻るような感じであった。
「……!?」
呼び止めようとした。しかし、声がでなかった。それだけではない。意識が朦朧としてきて、身体の力が抜け始めてきたのだ。
(さっきの水か!?)
何かが入れられていたらしい。俺は身体を支えるので精一杯になってきた。
「これは、私のミスだ。国王が何かを仕掛けてくるということは分かっていた。それなのに、何の手を打つこともできなかった。国王の思惑通りに、多くの仲間を死なせてしまった」
顔は見えない。だが、彼も泣いているのかもしれない。
「この責任は私が取る。君は、何も心配しなくてもいいよ」
彼はまた一歩、俺から遠ざかった。
「大丈夫。このままレイアスや国王の思い通りには、させないから……」
そう言って、彼は走り去って行ってしまった。
「くそっ……」
瞼までもが重くなってきた。けれども、ここで気を失ったら、昔と何も変わらない。何もできずに村の人たちを殺された、あの時の自分と同じだ。あんな思いはもう二度としたくないから、俺は強くなろうと決めたんだ。
俺は下唇を強く噛みしめた。痛みで意識や感覚が戻ってくる。少し動くようになった左手で、携帯していたダガーを抜くと、足の指に突き立てた。更なる痛みに、眠気は一気に飛んで消えた。
「これ以上……死なせてなるものか!」
俺は先ほどの場所を目指して駆け出した。その途中、いくつもの屍が目に入った。それらを見るたびに、涙がこみ上げてくる。けれども、今は泣いているときではない。もう、一刻の猶予も無いんだ。早く、ユイス隊長の元へ……。
彼は、死のうとしている。責任をとる……そう、言っていた。俺は、心の中で悲鳴をあげていた。
(イヤだ……死なせたくない!)
視界に敵の姿が見えてきた。同時に彼らも俺の存在に気づいた。俺は剣を抜く。師匠からもらった、大切な剣。魔術にも対抗できる、魔法剣というものだった。
「ラバースSクラス、カガリ=ヴァイエルだ! ヴィレアス、これ以上仲間を殺させはしない!」
俺は敵陣の中に突っ込んだ。もちろん相手は魔術を放とうとしてきた。しかし俺は、向こうが魔術を撃ってくるそれよりも早く、剣を振り下ろしていた。魔術は呪文を唱えないと放出されない。だから、唱えられる前に相手を斬ればよいのだ。
「何者だ!? この速さ、尋常ではない!」
敵は明らかに焦りを感じていた。俺の速さに……。
俺は魔術士ではない。だが、俺には生まれつき「風の力」が宿っていた。この風の力を借りれば、普通では考えられないほどの走りができるのだ。
どうしてこのような力が使えるのかは分からないし、俺はこのことを師匠から教わるまで、知りもしなかった。
もしかしたら国王は、俺のこの「風の能力」を手に入れようとしているのかもしれない。そんな考えが、不意に頭をよぎった。
もっとも、この力を持続できる時間は、それほど長くはないのだが……。
「もう誰も、失いたくないんだ!」
何人斬ったであろう。ここに集まっていた、兵士の半分は斬り捨てた。もちろん、殺してはいない。急所はすべて外してある。
(こんな所で、足止めをくらっている場合じゃないんだ!)
俺は強引に相手を地面に倒すと、そのまま前に駆け出した。後ろから呪文が聞こえる。だが、振り返るわずかな時間も俺は惜しみ、そのまま走った。風の流れで攻撃を読む。しかし、すべては交わしきれなかった。複数の魔術によって風がかき乱され、正確な位置を見誤らせられたんだ。
右足に痛みが走った。だが今は、それに気をとられるだけの余裕がなかった。
「隊長!」
目の前に、敵に囲まれたユイス隊長や、他の生き残っていたラバース兵たちの姿を確認したからだ。彼の周りには、ヴィレアスの兵士が何人も倒れていた。
「カガリ!?」
ユイス隊長は驚きの表情で俺を見た。その刹那、魔術が隊長達にと放たれた。
「隊長! 風よ……彼らを守ってくれ!」
俺の声に反応して、突風が吹いた。その風は、放たれた炎をかき消してくれた。
「なんだ……今のは魔術なのか!?」
驚いているのは、ヴィレアスの兵士というよりは、ラバースの兵士の方であった。彼らは俺を、複雑そうな顔で見ていた。
「隊長、ここは俺に任せてください。隊長は、生き残ったひとを連れて今すぐに、この森を出てください!」
当然のことながら、ユイス隊長は首を横に振った。
「先ほども言ったように、退路はレイアスによって塞がれている。それに、私は仲間を残して逃げる気などない」
「だから、仲間を連れてと……」
彼は視線を、すでに物言わなくなった仲間にと向けた。
「彼らはここに眠った。私の判断ミスのために……。私はここに残る。私にはその責任がある。だから、お前がみんなを連れて逃げてくれ」
「イヤだ!」
俺は敵のほうを睨んだ。そして、剣を構えなおす。
「ユイス隊長。あなたはすでに傷ついている。このままここにいても、相手にただ殺されるだけだ! 俺がここを引き受けるから……だから、だからあんたは逃げてくれ!」
俺は彼に背を向けると、敵の中にと斬りこんだ。しかしもう、風の力はほとんど使えない。今ので力を消耗しすぎてしまったようだ。
「カガリ、よすんだ!」
隊長の声が聞こえた……ような気がした。
「……お前達は逃げなさい。おそらく城の裏側の警備はないに等しいはずです。レイアスも待機していないとみえる。だから……そこから逃げろ! 向こうには、ギルフォードとソウシが待機しているはず。彼らに力を借りて、何としてでも生き延びるんだ!」
「しかし隊長、あなたは……」
「私はここに残ると言ったであろう? いいから早く行け。そして……今回のこの一件を、ラバースに戻って皆に伝えろ。これは……命令だ」
きっと、最期の命令になるだろうと、胸中で呟いた。
「隊長……。分かりました。どうか、ご武運を……」
怪我した者を庇いあいながら、仲間は退路に着きはじめた。ゆっくりではあるが、戦線から離れ始めている。
ここにはもう、敵と私、そして……傷ついたカガリだけであった。
「私が命を懸けるお人は、別の方を想像していたんですけどね……ルシエル様」
誰にも聞こえない程の声でそう呟くと、私はゆっくりと立ち上がった。どうもカガリの様子がおかしいように感じられる。明らかに敵に圧されていた。先ほどまでの勢いが感じられない。今あるのは、気迫だけだ。気迫でどうにかなるほど、今の戦況は甘いものではなかった。
「守ります……君を。命に代えてでも」
ルシエル様が大切にされている君を、目の前で死なせるわけにはいかない。
「くっ……」
先ほどやられた右足の痛みが激しくなってきた。足が動かない。庇うように左足に重心をかけるものの、やはりうまく敵の攻撃をかわせずにいた。
「ファイヤー」
咄嗟に剣を前に出し、炎から身を守ろうとした。しかし、敵はその者だけではない。前からの攻撃は防いだが、後ろからの攻撃に反応できなかった。背中から異臭がしてくる。かなりの火傷を負ったようだ。
「手こずらせてくれたなぁ、小僧!」
敵のリーダーらしき人物が、俺の胸座をぐいっとつかみ上げた。しかし俺は、まだ諦めてなどいない。
「あんた達に恨みはない。悪いのはみんな、あいつ(・・・)だ……」
俺は剣を握る手に、力を込めた。そして、念じる。
風よ、巻き起これ……と。
すると、風は応えてくれた。俺を中心として、風が起こった。でも、やっぱり失血と力の消耗が影響して、すべての敵を吹き飛ばすことはできなかった……らしい。ここからはもう、意識があまりなかったから、断片的にしか、憶えていない……。
「カガリ!」
風が巻き起こり、カガリを取り囲んでいた敵が、何人か倒れた。しかし、カガリより少し離れていた場所にいた者は、倒れずにカガリにと向かっていっていた。カガリは完全に脱力し、地面に倒れこんでしまっている。
(まずい……殺される!)
このまま走っていては間に合わないと思い、私はダガーを抜き、敵に向かって投げつけた。注意をこちらにひきつけるためだ。
「お前達の相手は私だ!」
すぐさま抜刀し、斬りこんだ。相手の魔術をギリギリの所で交わし、最小限の動きで攻撃する。あまり体力が残されていないからだ。敵の数はあと六人。どうにもできない数ではない。誰から倒すべきかを見誤らなければ、勝てる人数だ。カガリがひとりで、ずいぶんと頑張ってくれた。
魔術士の力にも、限界がある。放出すればするほど、その力は消耗されていく。今の段階で、すでに彼らも限界に達しつつあることは目に見えて分かった。ラバースSクラスの、粘りの証だった。相方の副官フウォンも……殺されてしまった。
「許しません」
まずは一番の大男に狙いを定めた。柄を短く持ち、間合いを縮め、私は彼の懐にともぐりこんだ。この至近距離では魔術を放てないのだ。この距離で魔術を放てば、自らもただではすまなくなるからだ。私はそのまま彼の腹を斬った。
彼が倒れると同時、いっせいに私のほうに目掛けて魔術が放たれてきた。私は後ろに飛び退きそれを交わすが、攻撃は止まない。
私は横に転がるようにして次の攻撃をかわすと、今度はそのまま前に走った。体当たりをして男を倒し、その男の首もとに刃を突きつけた。少なからず敵に動揺の色が浮かんだ。この男は、この中でリーダーだと思われる男であったからだ。
「動くな! さもないと、この男の首をはねる!」
脅しに出た。あれ以上狙い撃ちにされては、体力が持たないと判断した。そしてこれでこの場は収まると思った。しかし……そう上手く、事は運ばなかった。
「お前こそ……その剣を捨てることだな」
先ほどまで倒れていて、ノーマークだった男が立ち上がり、意識がほとんどないカガリを人質にとっていたのだ。
「カガリ……」
「さぁ、動くな! 剣を捨てろ!」
私は観念し、剣を捨てた。その瞬間、拘束していた男によって吹っ飛ばされる。しかし、悲劇はそれだけでは終わらなかった。
「カガリ……っ!」
カガリに魔術が向けられていた。
私は……。
「師匠っ!」
反射的に、私はカガリの前に立っていた。
「師匠! ユイス師匠!」
「ギル、気を乱さないでください。まだ、敵がいるんですよ」
「でも!」
声が聞こえた。敵の声ではない。愛弟子ギルフォードと、昔からの顔馴染みである、ソウシの声。
「ラバースの者か!? まだ生き残りがいたとはな!」
ふたりは抜刀した。そして、ヴィレアス兵と対峙している。もう、身体は動かなかったから、目だけを動かして状況を把握した。
「なぜ……ここに?」
「遅くなってすみません。後退してきた仲間から、あなたとカガリのことを耳にし、駆けつけしました」
「……馬鹿なことを」
ソウシは敵を相手にしながら、笑みを浮かべて話していた。
「ユイス様。後は引き受けます」
「……カガリは?」
ソウシは大きく頷いた。
「大丈夫です」
私は満足した。そして……そのまま眠りについた。
「……う」
目をうっすらと開けると、そこは先ほどまでの状況とは変わっていた。まず、敵の姿が減っている。そして、先ほど別れた仲間の姿があった。
「……ソ……シ。ギ、ル……」
少し身体を動かすだけで、激痛が走った。それほど外傷を受けた憶えはなかったのだが……。
それでも俺は、なんとか身体を起こした。すると、自分の隣に横たわる男の姿が目に入ってきた。やわらかな茶色の髪に、色白の肌。それは、ユイス隊長であった。
「隊……長?」
恐る恐る手を伸ばした。身体が冷たいことに、血の気が引いた。息をしている様子もなく、静かに横たわる彼の身体は、ずたずたに引き裂かれていた。
少しずつ、記憶が戻ってきた。うつろな意識であったため、はっきりとはわからない。だが、これだけははっきりとしていた。
(ユイス隊長が、俺を助けてくれた……)
でも、なぜ? 俺とは初対面に近いほど交流も無かった。任務報告で顔は合わせていたけれども、特にそれ以上の会話をした覚えもない。他のラバース兵のように、「仲間」と呼んでもらえるようなことは、何ひとつとしていないのだ。それなのに……。
「どうして、だよ! 隊長っ!」
俺は彼の上にうなだれた。
その時だった。目の前に閃光が走った。そしてその炎の中からは、刃が見えた。
(殺られる!)
しかし、俺にその刃が突き刺さることはなかった。代わりに、ねっとりとした滴が、顔に飛びついてきた。俺は……その光景を前に、硬直して動くことが出来なかった。
「ギル!」
第二波は、仲間の名を呼ぶソウシによって防がれた。ソウシは剣を振り上げるようにして、相手の剣を遠くへと振り払った。
その様子を俺はただ、呆然と見ていた。意識がはっきりとするまでは……。
「ギ……ル……」
ようやく言葉を発するまでにいたった。しかし、声は震え、かすれていた。ギルは地に膝をついていた。そして、左手で目の部分をおさえている。その手の間からは、血が激しく滴れていた。
「ギル、ギル……」
俺は震える身体を、無理やり動かして、ギルに歩み寄ろうとした。すると、ギルはそれを手で制した。
「動かないほうがいい。お前の出血は、マジで酷いからなぁ」
そういって……笑っていた。
「どうして……」
一気に意識が回復した。血の臭いで現実世界に引き戻された感じである。
「どうして俺なんかのために!」
俺はギルに飛びついて、思いっきり身体を揺さぶった。そんな俺をなだめるように、ギルは優しく俺の頭を撫でた。
「お前だから……だよ。友達だって、言ったじゃないか」
ギルは俺を通り越した先に、視線を移した。そこには、横たわったユイス隊長の姿があった。ギルは、計り知れないほどの悲みを抱いた目で、彼を見ていた。
「それに、師匠が守ろうとしたお前を、死なせるわけには……」
「ギル!?」
今まで普通に言葉を発していたギルは、急に倒れこみ、そのまま意識を失った。いや……急ではなかったのかもしれない。よく見ると、傷は顔だけではなく全身に広がっていた。刃を受ける前に放たれた閃光……。あれからも俺を、守ってくれていたことを知った。
「俺の、所為で……」
ソウシもまた、追い込まれてきている。このままでは、本当にすべてを失ってしまう。そんなのは……嫌だ。
絶対に嫌だ。
「うぁぁぁ……っ!」
叫ぶと同時に、身体の中で何かがはじける音を聞いた。そして、身体の中が熱くなっていく。何故だか分からないが、目もよく見え、身体の全感覚が恐ろしいほどまで研ぎ澄まされた。自分でも、自分の身に何が起きたのかが全くわからない。
俺は地面に落としていた自分の剣を拾い上げると、すぐさま走り出した。敵はもう、残り三人であった。俺はまず、一番近くにいた者の懐に入り込むと、勢いよく拳を相手の鳩尾にねじ込んだ。呼吸困難に陥った敵を足払いで地面に倒すと、標的を変える。今度は、ソウシが対峙していた敵に向かって、左手を突き出した。そのとき、背後から残りの敵の気配を感じ、剣を持っている右手は、その敵の方にと向けた。
「邪魔だ!」
言葉と同時に、左手からは突風が生み出され、敵を吹き飛ばした。背後にいた敵から放たれた魔術は、右手で持たれている魔法剣の力によってかき消される。
「残りはあんただけだ」
鋭い目つきで相手を睨むと、敵は戦意を喪失した。これで、ヴィレアスの兵士で戦えるものは居ない。だが……。
「カガリ?」
まだ、終わっていない。背後に、何人かの気配を感じていた。
「何のようだ。レイアス」
俺は怒りを押し殺し、声を絞り出した。そして、剣を両手に持ち替えた。
今にも飛び掛りそうな俺の肩を、ソウシはそっと掴んでいた。俺を静かに、制するように……。
「全部やっちまったって訳か……カガリ」
そこには男が立っていた。髪を上に立たせ、ブラウンの瞳をぎらつかせている。年は俺よりひとつかふたつ上であったと思う。その男は、俺を見下すかのような眼差しで睨んでいた。そして、俺との距離があと三メートルといったところまで歩いてくると、足を止めた。
「去れ! ライオン頭!」
俺は城にいたときから、この男が嫌いだった。ザレスの次に嫌いな男。汚い戦いの進め方をするところが、あいつによく似ていて好きにはなれなかったのだ。それに、あいつもまた俺のことを好きではないから、顔をあわせればいつでも険悪なムードにとなっていた。
しかし、今の状況は城にいたときのいがみ合いとは訳が違った。俺は、ここにいるレイアス兵すべての者に、抑えることが出来ないほどの殺気を抱いていた。
「ライオン頭……か。ふっ……相変わらず言葉が悪いな、カガリ!」
それが呪文だったとは俺も気づけず、不意を付かれて放たれた魔術に吹っ飛ばされた。
「カガリ! 何をするのですか!? ジンレート様!」
それがこの男の名前だった。ジンレート。その若さで、この世界でもっとも強いとされている軍隊、レイアスのリーダーを務めている男だ。
「お前もラバースの者か? あぁ、カガリの班の者だな? よかったなぁ、死なずにすんで。疫病神のカガリだが、今回ばかりは感謝しないとなぁ?」
俺の胸はその言葉によって締め付けられた。殴りかかってやろうと思っていたのだが、その気力が削がれてしまった。何も……言い返せなかったからだ。
「今の言葉、撤回してください。彼は、疫病神などではありません」
「なんだと?」
ジンレートの視線は俺からはずされ、俺の前に立つソウシへと向けられた。俺は、傷ついた腕を押さえながらなんとか立ち上がると、ソウシの背中にしがみついた。今度はソウシがあいつに飛び掛りそうな感じがしたから……。ソウシ達をこれ以上、巻き込みたくはなかった。
「ソウシ……いいから。退こう」
自分でも自覚がなかったが、声が震えていた。俺は……泣いてたんだ。ひとがたくさん死んだこと、ひとがたくさん傷ついたこと、俺が何もできなかったこと……。いろいろなことが悲しくて、俺は泣いた。そんな俺を背中で感じていたソウシは、俺を振り払って前に出た。
「ソウシ!」
すぐに手を伸ばした。だが、その手は空を切るだけで、ソウシを捉えることは出来なかった。俺はバランスを崩して、そのまま地面に倒れこんだ。本当は、もう、立ってはいられないほどの傷を負っていたんだ……。視界までもが揺らいでくる。俺は、必死に瞼を閉じまいと抵抗した。
「やるっていうのか? 俺達……レイアスと?」
にやりと笑う陣レートのその言葉にもひるまず、ソウシは剣を抜いていた。
「今なら、ヴィレアス兵によって殺されたということに出来るしなぁ。邪魔なSクラスを消し去るいいチャンスだ。かかって来いよ」
(駄目だ! ソウシ……手を出すな!)
それはもう、声にはならなかった。声を出す力までもがなくなってしまったらしい。傷の重度を意識したとたんに、痛覚が敏感になってしまったようだ。さっきまでは、あれほどまでも動けたというのに、急に身体の機能が止まってしまった……。
「カガリに謝りなさい」
ソウシは最強の魔術士軍隊を前にしても、決して恐れを抱かなかった。むしろ、今まで見せたことのないほどの光を、瞳に宿していた。いつもの優しい顔は、どこにもなかった。
「何を謝るのだ? 私は本当のことを言っているだけであろう? カガリが戦いに参加したと同時にラバース最強チームは崩壊。これを疫病神と言わずしてなんと言う?」
俺はさらに脱力した。身体の震えがとまらなかった。ふと顔をあげると、いくつもの人間だったものが無造作に転がっていた……。
「黙れ」
気が狂いそうだった。
「知っているか? 今回のこの一件は、カガリのために国王陛下が自らお考えになられたものなのだ。そう、こいつさえいなければ、お前達は誰ひとりとして、死なずにすんだのにな?」
ジンレートの言葉ひとつひとつが、俺の心を壊していった。
「黙れと言っている! これはカガリのせいではない。誰もカガリを責めたりなどしない」
ソウシはふと、俺の顔を見た。とても、穏やかな顔で……。
「なぜならば……私達はカガリのことが、好きだからだ」
普段では考えられないほどの強い口調で反抗すると、ソウシは、身をかがめて四つんばいになっている俺の顔に、目線を合わせた。そして、俺と目があったことを確認すると、優しく微笑んだ。
「帰りましょう、カガリ」
そう言って、脱力しきった俺をそっと抱き上げると、横たわるギルに近づいた。
「ギル、歩けますか?」
返事はなかった。嫌な予感がして、俺は一気に凍りついた。それを察して、ソウシはまた俺にむかって微笑んだ。
「生きていますよ。大丈夫です」
そして、じっと俺を見た。
「走れませんか? 私達が待機していたところまで」
俺は、ソウシが何をしたいのかが分かったから、何も言わずに頷いた。
「約束ですよ。あそこまで走ってください。その後は、保障します」
その言葉の意味は分からなかったけれど、もう俺は、落ちるとこまで落ちたと思ったから……先がどうとか保障とか、ソウシには悪いけど……どうでもよかった。
ソウシは俺をおろしてギルを背負うと、そのままジンレートに背を向けた。
「おい。まさか逃げるつもりではないだろうな?」
声は無論、ジンレートであった。彼の後ろには他のレイアス兵が待機しているが、口を挟むものはいなかった。
「逃げますよ? 本当は、一発くらい殴ってやりたかったのですが、カガリを休ませるほうが大事なようですからね」
「私を殴る? ふっ……愚かな人間がいたものだ」
「ソ……シ!」
かすれた声ながらも、俺は必死に叫んだ。ジンレートから殺気を感じ取ったからだ。魔術を放たれる……そう、直感した。ソウシもおそらく感じているはずだ。だが俺とは違って、いたって冷静だった。
「カガリ、約束ですよ。あの丘まで走りきりなさい。あそこまで行けばもう、安心ですから。そこであなたを待つひとがいます。あのお方は、あれ以上この森には……」
次の瞬間、言葉は途切れた。魔術によってかき消されたのだ。俺は力を感じた瞬間に身体をひねって横に飛び交わした。そして煙の中、ソウシの後姿を確認した。ソウシはもう、先ほどの丘を目指して走り出していたのだ。俺もその後に続いた。
「逃がすか! 追え! カガリ以外は殺してもかまわん!」
ジンレートの怒声が響いた。
俺は、力の限り走った。先ほどまで生気もなく、死にたいと心底思っていたのに……。この生への執着が、恥ずかしくてたまらなかった。俺のせいで今日、多くの人の命が奪われたのに……。それなのに俺は今、生きようとしている。
(駄目だ!)
そんなことは許されない。そう思った瞬間、俺は足を止めた。それを叱るソウシも、今近くにはいない。幸いなのかなんなのか……。
世界は俺の死を望んでいるのかもしれない。
そんな気がしてならなかった。
いくつもの足音が近づいてくる。
さぁ……どうしようか。
もう、戦う気力もなくなってしまっていた。
でも、ただやられるということは、悔しいと思ったから……。
だから……もう一度。
剣を抜いた。
「おやおや、疲れてしまったのかい?」
「……あんたを、倒すことにした」
「へぇ……」
自分でも馬鹿みたいなことを言ったと思っている。でも、なんかもう、どうでもよくなったから。これで死んでもいいと、思ったから……。
「どうにでもなれ……」
悪態をついて、俺はそのままジンレートに向かっていった。
でも……そこで俺の記憶は途切れている。おそらく、一撃でやられたんだと思う。怪我もなく万全な状態であっても、勝つことが難しい魔術士ジンレートを前に、今の俺にできることは何もなかったのだから……。
俺は、負けたんだ。
またしても、国王に……。