友達のカガリ
「……どう思う?」
やわらかな茶色の髪を肩まで伸ばし、瞳は青く輝いている少年カガリ。子どもっぽさと大人っぽさが交じり合っているという感じもする。
『カガリ』
Sクラスにいきなり入ってきた異端児。俺も、カガリと接したことなど、これまで一度もなかった。
「カガリかい? 可愛い子だね。まだまだ子どもって感じがします」
俺はソウシと二人で中庭を歩いていた。Sクラス専用の食堂で昼飯をとるためだ。色々とあって俺たち二人とも、朝飯すらたべていなかったことに気がついた。身体を動かすにはある程度食べてないと、正直辛い。五日後の決戦までは、Sクラスには今のところ任務は課されていない。だから、自由に時間を過ごせる。
「子どもには違いないぜ? 馬鹿がつくほどの正直者だし。でも、なんというか……」
「謎が多い?」
「そうそう……」
言葉遣いを妙に気にしていること。急にSクラスに編入してきたこと。自分を、害になる存在だと決め込んでいること。
そういえば、ここに来る前にはザレス国王直属の兵士だったという噂も聞いている。しかし、本当のことかどうか、真偽は確かではない。
朝、集会のあった場所では、あいつ……急に泣き出した。今まで一体どんな人生を送ってきたんだろうか。しかしそんなことは、カガリが話してくれない限り、知ることはできない。
「でも、無理に聞き出すのは良くないだろ? 話してくれないってことは、それだけあいつにとって、言いにくいことなんだろうからさ」
「それに私たちはまだ、出会ったばかりですからね」
「そうだな。そういえば、お前にも聞きたいことがあるんだよ。いいか?」
「なんでしょう?」
俺はソウシの顔色を伺うようにして、質問した。
「お前、今まで戦場に出たことがないって噂、本当か?」
ソウシは不思議な笑みをもって応えた。
「本当ですよ」
「そんな馬鹿な……」
何のためらいもなく即答するソウシ。だが、それは普通ではあり得ないことだった。
ここラバースには、DクラスからSクラスまでのクラスがあるが、まずは当然、一番下のランクであるDクラスから始める。カガリのような例外もあるみたいだけど、そんなことは滅多にない。いや、前例は無かったはずだ。そして、戦場に出て実績を残すと、次のクラスにと昇格してもらえるんだ。逆に言うと、戦場に出ないとSクラスにはあがれないはずなんだ。
「それでどうしてソウシは、Sクラスにいるんだ?」
「天のお導き……とでも、言っておきましょうか」
答えをはぐらかし、ソウシはそのまま歩いていった。
(……あんたも謎が多いみたいだな)
胸中でそっと呟いた。誰にでも、言えないことはある。これ以上聞き出すのも悪いと思い、俺はソウシの後を追った。
「今日の定食は何かねぇ」
「いい天気だな。カガリ」
「はい。師匠」
「お前は今日でいくつになったんだ?」
「はい。十一になりました」
「十一か……。まだまだ幼いな」
師匠は中肉中背で、髪が長く、顔立ちも整っている。一見、どこかの皇子のようにも見えた。瞳は青く、深い輝きを灯している。
私はまだ、師匠の腰辺りまでの背しかないので、空を見上げるようにしないと師匠の顔を見ることはできなかった。
「幼くなんかないです! 私はもう、あと四年で元服でしょう?」
師匠は優しく笑った。そして、俺の頭を軽く撫でた。
「元服とはまた、お前はいつの時代の話をしているんだ? 今は二十歳で成人だ」
「分かっています。しかし、私は昔が好きなんです。古代が……」
「古代……か。今と古代とでは、何が違うのであろうな」
古代と言っても幅広い。紀元後から考えても、すでに約七千百年のときが経っているのだから。
古代文明の話は、師匠から借りた書物で知った。師匠は強いだけではなく、かなりの博識なんだ。そんな師匠のようになれたらと、いつも思っていた。
それだけじゃない。師匠は魔術だって使える。王国フロートの持つ軍隊には、傭兵部隊である「ラバース」と、白魔術と黒魔術、両方の力を持つ通称神子と呼ばれるものから成る「レイアス」というものがあるが、師匠はその後者に属していた。
「私にも、いつかは師匠のようになれる日が来るのでしょうか」
魔術とは、生まれ持っての能力だったから、今さらなれるものではないことは知っている。けれども、師匠のような温かくて強い人間性を持つことならば、俺の努力次第でなれる可能性があると信じていた。
師匠はまた、優しく微笑んだ。そして、空を見あげながら答えてくれた。
「なれるよ、お前になら。必ず」
「本当ですか!?」
「本当だよ。直に才能は開花する。お前はこれから、自分でも信じられないほど強くなる」
俺の心は弾んだ。強くなることだけが、今の自分にとって、生き甲斐になっていたからだ。誰にも負けない強さが欲しかった。もう誰も、傷つかなくてもいいように……。
「師匠よりも強くなれるかな?」
「それも、お前次第だな」
「俺、絶対に強くなる!」
「カガリ」
師匠はそっと俺の口に人差し指を乗せた。言葉をさえぎるためだ。なぜさえぎられたかは分かっている、俺の言葉遣いだ。
「カガリ、言葉遣いには気をつけるようにと、言ってあるだろう?」
「はい……すみません」
肩を落とす俺を前に、師匠はその場に腰を下ろした。俺も師匠に向かい合うように座る。そして、静かに言葉を待った。
「言葉はひとを表す。私は、お前には礼儀正しい子に育ってもらいたいと思っている。それに、落ち着いた言葉遣いはひとに好感を与えるだけではなく、自分にも冷静さを与えてくれるものだ。ほら、戦場で早死にする者がいるだろう? たいていそういう者は、相手の挑発に乗り逆上して行動してしまったというケースが多い」
師匠には、こうやって何度も言葉遣いのことを注意されてきた。師匠はあまり同じ事を繰り返したりしないひとだが、そんなひとがこれだけ注意深く言うってことは、このことがそれだけ大切――少なくとも、師匠の考えでは――だと、いうことだ。それなのに俺はなかなか言葉遣いが直らない。もともとそれほど汚い言葉遣いではないと思うのだが、師匠に言わせればまだまだ甘いらしい。
「難しいです……師匠」
「それは、お前がまだ子どもだということだよ。もう少し心が成長すれば、言葉遣いというものは、自然と身につく」
俺は、疑うような眼差しで師匠の目を見た。
「自然と?」
言葉を繰り返す俺に、師匠は頷いた。力強い眼差しで……。
「そうだよ。お前が自然と自分のことを私といえるようになったその時には、きっと素晴らしい剣士になっていることであろう」
「私……かぁ。努力します」
その日以来、俺は本当に言葉遣いには気を遣ってきた。一日でも早く師匠に認めてもらえるような、立派な剣士になれるように。でも、やっぱりそう簡単にはいかないんだ。ついついカッとしてしまうと、言葉遣いが戻ってしまう。だから師匠に、子どもだって言われてしまうんだ。剣をはじめ、ありとあらゆる武器の使い方をマスターしてきたけれども、師匠の言葉を借りれば心がまだ、未熟なんだと思う。
「師匠……」
また、いつもとは違う夢をみた。今の俺にとってそれは、懐かしさと寂しさとを混ぜ合わせた夢であった。
大好きで、心から尊敬している師匠。そんな師匠に今日、別れを告げられてしまった。
(師匠にとって、俺はどういう存在だったのですか?)
少なくとも、俺の前ではいつも優しかった。その笑顔も温かく、嫌われてはいないと思っていた。でも……俺がラバースに赴任されると、それっきりだった。もちろん、師匠が俺に逢いに来るなんて事は、立場上無理だってことは分かっている。けれども、それならそれで、なんらかの方法で接触してきてくれても良いのでは……という気もする。
(そういう考えが、子どもだってことなのか?)
師匠にとっての俺は、ただの出来損ないの哀れな子どもだったのかもしれない。
城に来たばかりの頃の俺は、言葉は話せるものの、文字の読み書きはできなかった。一般常識もなければ、教養も無い。そんな俺を見るに見かねて、師匠は俺に、色々なことを教えてくれたのかもしれない。城に住む者として、ふさわしい人間になれるように。ただの哀れみで、俺の傍に居たのかもしれない。
そう考えていくと心は沈み、気分も悪くなってきた。熱のせいもあるかもしれないが、とにかく不安が押し寄せてきた。さらに今までの罪の意識から、あの男、王への強い憎しみ。様々な思いが一気に膨れ上がり、胸が苦しく、身体が震えだした。このままでは自分が狂う。目からは涙があふれていた。
「あ、ぁ……」
声を絞り出す。呼吸までもがしづらくなってきたため、無理やり呼吸をしようとしたんだ。
(苦しい……)
そう思えば思うほど、どんどん呼吸が困難となっていった。
(……死ぬ?)
脳裏にその言葉がよぎると、なんだか急に、意識が遠のいていった。別に、それならそれでよかった。俺の寿命は、村のみんなが死んだあの日、尽きるはずだったのだから……。
(ハルナ……)
「あぁ~……食った食った」
俺は満足そうに腹を撫で下ろした。そんな俺を、興味ありげにソウシは見ていた。
「よくぞまぁ、これほど食べられますね」
「お前が少食なだけじゃないか?」
「そうですか?」
ソウシは俺とは違って、女が食べるくらいの量――いや、それ以下か?――しか、食べなかった。
「だからそんなにも細いんだな。お前、どっからどう見ても女だぜ?」
ソウシは少しばかり苦笑した。カガリは自分の背丈にコンプレックスがあるようだったが、ソウシにとってはこの事がそうであるらしい。そこでふと、俺のコンプレックスとは何だろうかと考えてみたが……すぐには思い浮かばなかった。
(俺って、平和だなぁ)
しみじみとそう思った。けれどもまぁ、本当になんの悩みも持たない人間なんて、いないんだろうけどな。俺にだってあるはずだ。何かひとつくらい……。
「そんな程度の悩みなんて、たいした事ないんだろうな」
ひとりで満足して、笑いながらソウシに話しかける。ソウシは当然の事ながら、謎めいた顔をしていたが、すぐにいつもの顔に戻った。そして、俺のほうを向いて笑って言った。
「あなたの悩み……ですか?」
俺は口をぽかんと開けて、呆然とした。
「よく分かったなぁ。すげぇよ。前の会話とあんまり繋がってないのにさ」
「えぇ。初めは私の悩みの事かとも思いましたよ。けれども、それにしては次の言葉まで、間がありましたからね。これは自分のことを思い出して話しているのではと、思ったんですよ」
俺は感心した。カガリなら絶対にムッとしていただろう。この男、かなり頭が切れる。優男で戦場では役に立たないような気がしていたが、その場での判断力がずば抜けてよさそうだ。これは五日後の決戦が楽しみになってきた。
「お前、すごい奴だなぁ。俺、びっくりしたよ」
「そうですか?」
ソウシは何事もなかったかのような、涼しい顔をして答えた。俺を馬鹿にしている訳ではない。少し照れたかのような含み笑いを残して背を向けたソウシが、可愛くも見えた。
カガリもソウシも、優しそうなひとたちで安心した。俺は後ろから、俺よりいくらか背の高いソウシに飛びついた。ソウシは少しよろめきながらバランスをとった。
「これからよろしく頼むな! 俺、ソウシの事、尊敬しっちゃった」
「尊敬……ですか?」
ソウシは笑いながら言った。
「それならもっと素晴らしい子がいますよ」
「素晴らしい子?」
頭に浮かぶのは、カガリだった。
「……カガリ?」
ソウシはそのままの笑みで頷いた。そしてカガリのいる医務室のある方を見ながら言葉を続けた。
「カガリはとても、強いですよ」
ソウシはそう言うと、武道場に向かっていた足を止め、医務室のほうにと向けた。なにやら少し、慌てているような様子である。
「なんだ? どうした? 今から身体を動かしに行くんじゃなかったのか?」
そのつもりで先に食事を済ませたはずだったのだが……。ソウシは、それどころではないというような感じで、そのまま歩いていった。俺は軽く嘆息すると、降参だよ、という感じで手をひらひらと振った。
「はいはい、分かりましたよ。行けばいいんでしょう? 本当にお前も謎が多いよな」
聞いているのかいないのか。それすら定かにならないような笑みを、ソウシはふと見せるだけであった。
その瞬間、偶然であろうが風が舞い上がった。
その風を受けた俺は、なぜか寂しさを感じるのであった。
(一体なんだったんだ?)
なんとなくだが、俺は今、特別な人生を送っているような気がした。
……いつからだろう。生きていることが辛くなったのは。
昔は幸せだった。家族がいて、友達がいて、大好きな長老や村の人がいて……。毎日、飽きるほど遊んで、飽きるほど寝て、飽きるほど食べて、飽きるほど……笑っていた。一日が終わるのなんて、本当にあっという間だった。それだけ、毎日が楽しかった。それだけ、幸せだった。
俺は、この生活が消えてなくなってしまうなんて、想像もしていなかった。どうしてこんなことになってしまったんだ。村の人が何をした? 俺が何をした? こんなの……理不尽だ。
(あいつのせいだ……)
憎い。あいつさえいなければ、俺はこんな思いをしなずにすんだのに。みんなが死ぬこともなかったのに。あいつさえいなければ……国王さえ、いなければ。
「おい、ソウシ! そんなに急いでどうしたんだよ」
医務室のある建物に入ってから、ソウシが急に足を速めた……というより、走っている。廊下を全力疾走中だ。先ほどまでは、まだ涼しい顔をしていたソウシであったが、今は焦りの顔しかない。
「……カガリが心配なんです」
それだけ言うと、さらに足を速めた。俺とソウシとの間は、みるみると離されていく。
(嘘だろ!?)
足の速さには自信があった俺だが、ソウシの足にはついていくことさえ、出来なかった。
(なんなんだよ、一体……)
これほどまでの強靭な脚力を持つソウシが、自信を持って強いと言い切った相手、カガリ。
(あんなにもちびっこいカガリが、そんなにも強いのか?)
カガリと握手を交わしたときのことを思い出した。確かに手のひらは、よく剣を握っているような感じがしていた。しかし、ソウシと同様、細くて女のような腕をしている。
(それほど筋肉質という感じも、しなかったけどなぁ)
あれこれ考えているうちに、ソウシの姿は見えなくなってしまった。適当に速度を落としていき、ついには歩くようになった。
……なぜって?
疲れたからだよ。俺にとってソウシのペースはオーバーペースだった。息はそれほど乱れていないが、汗が流れてくる。
(隊長。なんとなく分かってきましたよ)
俺がカガリの班に選ばれたわけが……。俺は軽く息を付いた。なんだか本当にこれからの生活が楽しみになってきた。
(間に合ってください……カガリ)
私はカガリの傍を離れたことを後悔しました。本当に辛そうだったので、ひとりでそっと寝かせておいてあげようと思ったのですが、それが大きな間違いでした。彼を独りにはさせてはいけない。その為に私が、カガリの班に選ばれたというのに……。
(先ほどの風、手遅れになっていなければよいのですが……)
私は祈るような気持ちで医務室のドアを開けました。
「カガリ?」
ゆっくりとカガリのベッドに歩み寄る。そして小柄な彼の姿を覗き込みました。
「カガリ!?」
微動だにしないカガリを見て、血の気が引いていくのを自覚しました。呼吸をしている様子もありません。あまりにも静寂しきっていました。医務室といってもここには、常時看病をしてくださる医師はいません。処置を施すには自分達でするしかないのです。私はまず、カガリの気道を確保しようと、顎のラインを持ち上げました。
「……えっ?」
胸が上下していました。微かではありますが、息をする音も聞こえました。
「呼吸をしている?」
どうやら私の気が動転していたようです。落ち着いてみると、ちゃんと息をしているではありませんか。
「カガリ……」
汗もかいていると思いましたが、どうやら違いました。一筋の涙が、頬を伝っているのです。
「……父上」
涙を流しながら、カガリは言葉を発しました。どんな夢を見ているのでしょうか……。私はそっとカガリのベッドに乗り、カガリを抱き寄せました。自分と同い年のカガリ。しかし、身体は小さく、細く、とても十六の少年の姿には見えませんでした。それに、身体だけではなく、心もまだ幼いように思われます。
「大丈夫ですよ、カガリ。これからは私が傍にいます。貴方がラバースにいる間は……ずっと」
カガリの頭を撫でてあげました。起きていたならば、怒られたかもしれません。ただ、今は静かに眠っていました。そのとき、ドアが静かに開く音がしました。私は音を立てないようにベッドから降りると、乱れた布団をカガリにかけました。
「どうだった? カガリの様子」
案の定ギルでした。私がここに入って来てからの時間の差を考えると、どうやら彼はゆっくりと歩いてきたようです。もっとも、彼との距離を広げたくて走ってきたのだから、これでよかったんですけれどね。
「はい、問題ありませんでした」
身体には……と、胸中で付け加えます。どうやら先ほどの風の知らせは、身体の危機を知らせるものではなく、心の傷の信号であったようです。現に頭をなでてあげてからは、表情も落ち着いたようでした。
「なんだぁ? あれほど血相変えて走っていったのに。ま、なんともなくてよかったけどな」
そう言ってギルはカガリの顔を覗き込んでいました。そして、軽く額に手を乗せます。
「おっ、熱が引いてきたみたいだぜ。よかったな」
私もほっとしました。カガリに何かあっては、「我が主君」に申し訳が立ちませんし、私自身、彼には以前から興味がありましたから。ようやくこうして、まともに話をすることができるようになったのだから、この時間を大切にしたいと思っていました。
(自分勝手な言い分でしょうか……。優しくないですね)
私には、まともに「友」と呼べるものがひとりもいませんでした。いえ、ひとりだけいる……のでしょうか。とにかく、今まで極力ひとと付き合うという生活を送ってはこなかったので、仕方のないことなんですけれど。
ただ、私は好きで孤独に生きてきたわけではありませんでした。私には生まれながらにして使命がありましたから、友情だの恋だのということに、かまう余裕などなかったのです。
それでも私は、自分の人生を不幸だと思ったことは一度たりともありません。私は自分の使命に誇りを持っていますし、この世界を支えるものに触れていられることを、心から幸せだと思っていますから。
「どうする? まだ起きそうにないけど……」
カガリは私とは違い、孤独をひどく怖がり、それなのに人を避けたがるという難しい心を持っていました。これ以上彼の心を不安定にしてしまっては、廃人にもなりかねません。
「私はここにいます。カガリの様子が、どうも気になるので……」
「じゃぁ、俺もいようかなぁ」
そういうと、一番近くにあった椅子を引き、腰を下ろした。
「あぁ~……でもなんか俺、食べたら眠くなってきちゃったなぁ」
目をこすり、あくびをした彼は、腕組をしながら目を閉じました。もう眠ってしまっているようです。気持ちがよさそうな寝息をたてていました。
「寝つきがいいですね」
笑う私自身もまた、眠くなってきていることを自覚していました。あまりにも風が気持ちよい。カガリの起こしている風なのか、それとも……。
何はともあれ、風が落ち着いている。それは、平和である証拠でした。風のない世界などない。この風が穏やかなのは、今が落ち着いているということを表していました。
「私も少し、ここで寝ましょうか」
椅子に座ろうとも思いましたが、床に座るほうが落ち着ける気がして、私はカガリのベッドにもたれるような形で、腰を下ろしました。
ある初夏の、安らぎある午後の風景。
部屋は緊迫していた。もうすぐ、この国にとって大きな戦いが控えているからか……それもあるかもしれないが、基本的にここはいつも緊迫した空気を張り詰めていた。
なぜならば、この男がいるからだ。
「もうすぐだな」
低く暗い声が響く。これはこの城の主の声。私が仕える者の声。ザレス=フロート。この世で最も恐れられている、権力者。
この部屋には今、二十名ほどの兵士が集められている。ただの兵士ではない。ラバース兵のような動きやすい隊服を着るものは少なく、それぞれが自分の好きな服を着ているのだが、大抵の者が白を基調としたローブを身にまとっている。
そう、私たちは魔術士。「神子」という魔術士の中でも最高の力を持つものである。この神子によって編成される王国フロート最強部隊、「レイアス」がここに集結しているのだ。
「五日後だ。ラバースとヴィレアスがぶつかるのは」
ヴィレアスにもフロートよりは小規模だが、魔術士部隊があることは周知のことだ。彼らと魔術を持たないラバースが戦えば、フロート側に大きな犠牲が出ることは、目に見えて分かりきっていた。例え戦力を分散させて、数人を相手にするような状況にもっていけたとしても、やはり魔力を持たない一般の兵士は、魔術士の相手ではないのだ。魔術士が一言呪文を唱えるだけで、辺りを火の海へと変えることも出来るのだから。
「楽しみだな。ラバースの者め、せいぜい策を練るがよい。どうあがいても、お前達はみな、捨て駒にしかならないのだよ」
この男はラバースの最強部隊Sクラスを捨て駒とし、はじめからレイアスを用いてヴィレアスを攻め落とすつもりなのだ。
「ここ最近。どうもラバースは図に乗っているからな。ここらで真の兵士の差というものを、見せつけてやるがよい。レイアスの諸君よ」
一人の男が前に出た。長身の男……名はジンレート。レイアスの隊長だ。年は、二十歳前後といったところだ。
「あいつはどうするのですか?」
「あいつ?」
「カガリです。最近まで我々と同じようにこの城で兵をしていた子どもですよ。今回、ラバース側で作戦に当たらせたのではなかったですか?」
国王は不気味な笑みを浮かべた。
「あぁ、あの仔犬か。あやつは死なせないさ。まだまだ使えるからな。今回ばかりは、あいつの班に配置された者は、あいつに感謝をしなければならないな」
私は、嫌な予感を覚えた。
(無事に事が済むと良いのだが……)
そう願わずにはいられなかった。愛する弟子……カガリのために。
風が気持ちいい。先ほどまでの痛みも苦しみもない。ただ、ゆったりと時が流れているようだ。
「……俺、死んだ?」
ぼんやりとする頭の中で、死という言葉だけがはっきりと浮かび上がっていた。俺はゆっくりと寝返りをうった。徐々に感覚が戻ってくる。涼しげなシーツの感触が有る。
(……ベッド?)
少し目線を下げると、金髪の長い髪が目に入ってきた。さらに奥を見ると、椅子に腰掛けている男もいる。ふたりとも、俺の知っている者だ。
「ソウシ……ギル」
小さくつぶやいた俺の言葉に、眠っている二人は気づいて起きた。
「カガリ!」
そして俺の顔を覗き込み、頭をなでた。
「よかった……もう、大丈夫ですね」
「心配かけさせやがって……」
ギルは俺を強く抱きしめた。温かい。目を覚ましたときに、誰かがそばにいたことなんて、何年ぶりだろう。村を焼かれて以来……なかった。
「……ずっと、ここに?」
「食事をとってからな」
「食事……」
そういえば俺も、腹が減った。最近、まともな食事もしていなかったから。いろいろと考えることがあって、のどに物が通らなかったんだ。
「食べに行くか?」
「でも……ふたりはもう食べてきたんだろ?」
「あぁ。でも、デザートを食うの、忘れたからさ!」
俺に合わせてくれている。そのことが……嬉しかった。
「では、行きましょうか」
手を差し出すソウシを前に、ひとつ、聞きたいことがあった。少しだけ、聞くのが怖い質問だった……。
「……なぁ」
視線を落として切り出した。
「俺は……私は、ふたりにとってどういう存在なんだ?」
ふたりはお互いに顔を見合わせ、微笑んだ。
「友達だぜ」
「友達……」
口からこぼれたその言葉は、胸中で何度も何度も繰り返された。ずっと……欲しかったもの。もう、手に入れることは無理だと諦めていたもの。もう二度と、耳にすることはないと思っていた言葉。それだけに、胸が熱くなった。
「私を、友と呼んでくれるのか?」
「あったりまえだろ? なぁ、ソウシ」
「えぇ。もちろんですよ」
俺はふたりに飛びついた。そして、彼らの胸に頭をうずめた。そんな俺の背中を、ふたりは優しく撫でた。
「行きましょうか。あまり遅くなると、夕飯が食べられなくなりますよ」
「そうだな。行くぞ、カガリ」
俺はゆっくりと彼らから離れると、そっと顔をあげた。目には、ふたりの優しい笑顔が映った。今まで閉ざされていた自分の心が、少しずつではあるが、解放されていく……そんな気がした。
「あぁ……」
そして、俺たち三人は食堂へと向かっていった。三人仲良く、並んで歩いて……。
それから任務のある日までの五日間、俺達はずっと一緒にいた。寝るときも……個室の無い俺を、ギルが部屋に呼んでくれて、三人で川の字になって寝た。ソウシには個室もあったのに、せっかくだからと一緒に眠った。食事も、いつもひとりでとっていたのに、ふたりは必ず俺の隣で食べるようになっていた。
もちろん、あのミーティング以来俺の立場はますます悪くなり、他のラバース兵からは痛い視線を送られていた。それは、自分が悪いと分かっているし、そうしたくて行動したことだから、後悔はない。それに、大勢に好かれたいとは今更思ってはいなかった。このふたりが、こうして同行してくれている。そのことだけで、俺は十分に幸せだった。
この幸せが、いつまでも続けば良いのに……と、切に思った。