八 大泥棒フレイア
八
私とアルトは、それぞれの両腕を荒縄で、後ろからがんじがらめに繋がれて、さらに、視界を遮るために、目隠しをされて、最終的に、じっとりと、湿った空気の場所に、連れて行かれた。そして、ようやく、騎士に目隠しを取ってもらって、私の向こう正面には、牢屋があった。
…………。
私は、息を飲んだ。
いかにも、堅牢な、牢屋である。鉄格子の至るどころが、錆びて腐食している。そして、その肝心な、牢屋の中には、トイレといった、排泄をする場所が全くなく、そのためだろうか、酷く、いやな臭いがした。また、薄暗く、ゆえに、すぐには気づかなかったけれども、若い女性が、部屋の隅っこに、牢屋の壁に同化するかのごとく、ちょこんと座っていた。
いつまでも、牢屋を正面にして立ち止まっていると、私をここまで連れてきた騎士が、しびれを切らして、私の腰を、手のひらで、どんと押した。
しぶしぶ、私は、牢屋に入る。
私が、ちゃんと牢屋の中に入ったことを確認すると、私をここまで連れてきた騎士は、まるで目の敵のように、鉄格子の入り口を、がしゃんと閉めて、鍵をした。
とりあえず、私は、状況の把握に努めた。
今、私が閉じこめられている牢屋にいる人間は、私と、部屋の端の、角の隙間にうずくまっている、歳の若そうな、女性だけである。アルトが同室ではないことを考えると、おそらく、彼は、この部屋とは、別の牢屋に閉じこめられているのだろうと予想が立てられるけれども、私の視界に入る限りでは、真正面と、その左右のものだけで、それ以外の牢屋は、まるで確認することが出来ないので、私の推測が正しいものなのか、証明することは不可能である。
ひょっとすると、今、アルトは、私が原因の傷害罪のせいで、十三階段を上っているかもしれない。
まあ──
それはないか──
さすがに、アルトは、私と同じ刑罰であるはずなのに、死刑ということはないにしても、私と同じか、あるいは、同等なものだと考えられる。
一度、私は、監獄にくまなくに響き渡るような声で、
「アルト、いるか──」
と呼んで、アルトの返事を期待した。
…………。
………………。
「これ、ねーちゃんの声?」
しばらくして、おそらく、アルトと思われる、まるで探るような声が、監獄の壁に反響して聞こえた。
「うるさいんだけど──」
いきなり、後ろから喋りかけられて、私は少し驚いた。後ろを振り返ると、壁にもたれるようにしていた若い女性は、私を鋭い双眸でにらめつけていた。
「誰を呼んでいるのかは知らないけど、別に、知りたくもないけど、お前、うるさいよ。そんなにやかましいと、うざったい騎士たちが、なにかと駆けつけて、面倒なことになってしまうじゃないか」
「それは、すまない」
「ええ──なに、すまないだって? ふん、すまない、ね。まあ、いいだろう。あんたは、ここの新人だからな。ここのルールを知らなくて当然だから、この私が教えてあげるわ」
「ここの、ルール?」
「そう、規律と言ってもいいかしら、とにかく、その一つは、先に牢屋に入っていた先輩──つまり、この場合は、私。そう、私には、絶対服従なわけなの、いいかしら?」
「よく、意味が分からないのだけど──」
話の始終、壁に背中を預けていた、若い女性は、ゆっくりと上体を起こし、立ち上がった。そして、私の方に近づいてきて、私の頬を撫でるように触り、そして、私の顔を、まるで、舐めまわすように、観覧した。
「しかし、あんた、いい女じゃないか」
「そうですか、ありがとうございます」
「なんだよ、つれないなあ。褒めてるのにさあ。それとも、なに、あんたにとっては、褒められることが、いつものことなのかしら?」
「別に、そういうわけではないけど」
「だったら、あんたは潔白すぎる、美しいすぎるわ。それとも、ただ、あんたの心が冷めているからか──まるで、その、心の全く通っていない、あんたの、その目。普通の目ではないわ。あんた、私に言われたことしか、言うつもりないでしょ?」
「…………」
「やっぱりそうね。私、あんたのこと、気に入ったわ。最初はちょっとあれかなあ思ったけど、間違いはなかったようね、でも、そんな些細なことは、どうでもいいわ。それにしても、あんたは綺麗すぎる」
「綺麗すぎるとは、どういうことですか?」
「どういうことも、それは、あんた自身のことだよ、あんた、緊張感がないっていうか、緊迫感がないっていうか、牢屋にぶち込まれたのに、そんなに落ち着いていられて、無関心だねえ、白白しいというか、とにかく、あんたは落ち着きすぎている」
「…………」
たしかに、私は、さっきからずっと、私をじろじろと見ている、若い女性の言う通りに、特に牢屋に入れられてから、まるで一喜一憂していない。おそらく、彼女は、そのことを言いたいのだろう。そして、彼女は、私の心中を見透かしたように、続ける。
「まあ、そうねえ、あんたのその綺麗さは……、うーん、綺麗さというよりは、繊細さというのかなあ。とにかく、あんたの、その透明さは、この先、生きて行くのに、ちょっと、不便なんじゃないかしら?」
「……別に、不便と感じたことは、ありませんが──」
「あんたはそうかもしれないけど──じゃあね、私がその透明さを、汚してあげる」
「!」
私は、まばたきの暇さえ与えられなかった。
若い女性は、彼女の双方の腕を、私の両肩にするりと回して、その手をぎゅっと折り曲げて、私の全てを取り込もうするように、彼女は私の身体を抱いた。彼女の顔面が、目と鼻の先にある。もし、私と彼女が、恋人同士であるならば、接吻してしまいそうな距離である。というか、彼女は私にキスをする。
ちょっと──
ええっ──
艶めかしい笑みを浮かべた、若い女性は、私の唇に、彼女の唇を、押しつけた。そして、なすすべのない私が、次に私を抱きしめている彼女の両手を、私が振り解こうとしても、離さないほどに強引に、がっちりとロックした。私は、彼女から距離を取ろうと、必死に抵抗したけれども、鎖で、がんじがらめに固定したような、二つの腕の締め付けは、決して、緩められることはない。さらに、彼女は、私が反抗することを諦めたことを確認すると、女の私でも、妖艶と感じるような微笑を、うっすらと私に見せつけて、彼女の舌を、私の口内に、ねじ込んだ。
たっぷりと、粘りのある、若い女性の唾が、私の口の中を、蹂躙するように、私の唾液と、溶けて混ざる。しばらく、されるがままにされていた私は、身体が麻痺するような感覚に襲われた。そのために、私は彼女に行為に抗うことを忘れて、完全に放棄してしまった。彼女は、その隙を、見逃さない。彼女は、一端、私の舌を舐めまわすことを止めて、口を少し開けて、私の唇を、まるで、蜂蜜でもしゃぶるかのように、ずるずると、啜り始めた。
苦しい──
息が、吸えない──
すでに、私は限界に達していた。
「おいしかった。ひさしぶりに、堪能できちゃったわ。やっぱりね、監獄の中だと、かなり性欲が溜まるのよ」
お互い涎で、頬をべたべたにした、若い女性は、汚れてしまった部分を、服の袖で拭わず、下品に、ぺろりと口元を舌で舐めまわした。ようやく、私は、彼女から解放されたのだ。私は、それすら気づかないほどに、精神的にも体力的にも、疲弊していた。
「あなた、なにをするのですか──」
「なにって、キスよキス。ひょっとして、分からないの、初めて?」
「そんなわけ、ありません」
「ふうん、そうかしら、そのわりには、初初しかったじゃない。まあでも、あなたもこれで、結構、人間っぽくなったじゃない」
「私は、人間です──」
「本当かしら、私には、そうは思えないわ」
「…………」
「まあ、いいわ。そういえば、自己紹介していなかったわね。私は、大泥棒のフレイアよ、よろしく」