不確定な未来
「……あ、あれ……?」
涙ながらに眠っていた神人は急速に意識が覚醒したことに違和感を覚えつつ目を開けた。そこには暗所に慣れている神人には見ることすら困難な少女が浮いており、神人は思わず狂喜した。
「アヒャヒャヒャヒャ!」
「……話にならないからその廃人と化した頭、治すわね。」
神人を見て不快そうに顔を顰めた彼女はそう言って手を翳し、笑い続ける神人に何かの術式を行使した。瞬間、神人の意識は完全に覚醒する。
「~っ! っは……」
「……さて、あなたに興味はないし、あの方以外との会話をしたいとは思わないから用件だけ端的に言わせてもらうわ。【神武撲殺杖】のお代にあなたをここから逃がしてあげる。」
「待、「黙りなさい。」……」
先程までの廃人状態が現実だったのに今は完治しているというギャップ、目が慣れてきて彼女を直視したことで覚えた強烈な畏怖などから混乱している神人の声を断罪するかのように遮断する小さな彼女。しかし彼女の威圧感はそんな小さな体躯など物ともしないかのように神人を押さえつけていた。
「それと、伝言を預かってるからその紹介ね。長いから端折るわ。」
そんな彼女は自らが威圧などしていないかのような態度で神人を睨みながら告げる。
「『甘えるな。』だそうよ。」
「何だよそれ……!」
こんなキツイ目に遭っているのに誰かから告げられた言葉は冷たい物だった。思わず呻くように苦り切った顔で歯を食いしばりながらそう漏らした神人を彼女は見下したまま続ける。
「『答えを求めるのはいい。ただ、何も考えずに思考停止して答えを移すだけの君に神々の英知は無用の長物だ。管理システムの方から見限らせてもらった。』」
「何だよ……勝手にそんなこと言って……俺だって頑張って……! 大体、逃げる道の答えをくれれば俺がこんな目に遭うことだって!」
「ふぅ……本当にそう言うのね。端折った部分も言わなきゃダメかしら? 『問いの立て方が悪い。自分の意図を伝えるつもりのない問いから自分が求める答えを何でも与えられると思うな。それから伝えるなら正しい語句を用いろ。例えば逃げる道は逃げ切れる道ではない。……安易な方向に流れたのは他でもないあなた。』」
冷たく切り捨てられ、神人は細かいことへの突っ込みや自分の非を棚に上げたような言い分に怒りを覚えながらもそれを発言するほどの勇気もなくやりきれなさに涙を滲ませる。
「俺が何したって言うんだよ……!」
「何もしてないみたいね。それが問題。」
もはや何を言っても揚げ足取りのような状態だ。そんな彼に小さな彼女は告げた。
「君、そもそもか弱い人間は生きるってことだけで大変なんだよ? 豊かな社会で暮らしていると忘れるみたいだけど。」
「そんなことわかってる!」
「分かってるならその理解の内容を行動に移しなさい。」
怒りの炎を遮断する絶対零度の声音に神人の意気も消沈してしまった。彼は泣きそうになりながら蹲ってつっかえながら呟く。
「どうしろって言うんだよ……杖はもう手放したし、信じてた相手には裏切られ、持っていた物は全部取られたっていうのに……」
「……甘えるなって伝言はしたはずだけど?」
「甘えるなって……」
その後の声は言葉として不明瞭で聞き取れないものだった。そんな彼を見てその場に浮いていた彼女は溜息をついて黒い結晶体を宙に作り出した。
「……また、与えられるのを期待する目。さっき言ったばかりなのに……確かにこれは嫌になるわね。」
「しょうがないだろ……俺にはもう何も残ってないんだから……」
「人間は考える葦なんでしょう? もっと頑張りなさいよ。」
その言葉を聞いて神人は目の前で浮いている存在がこの世界の存在ではないんだなぁと的外れな感想を抱いた。そんな彼を救えないもののように見た彼女は更に溜息をついて結晶体を彼の前に差し出す。
「これは……?」
「お父様の【神武撲殺杖】の表面、あなたが汚らわしい手でべたべた触り、魔素を通した部分を削ぎ落として作った【確率演算式】よ……シュレディンガーを知ってるのだから当然シュレディンガー方程式くらいは知ってるでしょう?」
「猫しか知らないよ……」
「……これを入れたら式くらいは勝手に思い浮かぶからあとは自分で計算しなさい。」
結局、力は貰えたと少し明るい気分になった神人。その瞬間、彼は壁に叩き付けられていた。
「かひゅっ……!」
「……その貰って当然みたいな態度……気に入らないわね。与えられた物をただ享受するだけの家畜なの? 出荷されたいのかしら?」
「あ、ありがどうございばず……」
「何? 痛めつけられて喜んでるの? この変態……」
「ち、ちが……!」
「口で礼を言えばいいって問題じゃないのよ!」
壁に減り込むほどの威力で押し付けられた神人は意識を朦朧とさせながらも謝罪する。相手は様子を見ているようだったが少しして溜息をついて下ろした。
「……救えないわね。もういいわ……地上に戻すから。」
「ごめんなさい……ごめんなさい……ありがとうございます……」
彼女がその言葉から何を感じ取ったのかはわからないが神人は気付けば深緑に包まれた場所に少女と共に立っていた。
「あ、あはは……アハハハハ!」
「うるさい。」
解放感から自然と湧き上がってきた笑みを封じられる神人。少女は本当に気分悪そうに彼に告げた。
「あなたを一番想う彼女の下へ連れてきてあげたわ。」
「え……? つまり、ここは……日本……?」
「……あたしはお父様の影響でそういう鈍感な奴が大っ嫌いでね。単刀直入に言うとシズネとかいう白鳥人種の家の近くだよ。」
それを聞いて神人は混乱する。シズネは神人を裏切って影に通告した存在だったはずだ。そう考えたのが顔に出ていたのか彼女から蹴りが入れられる。
「……あんた、信じてた人って言う割には薄情だねぇ……遭って間もない敵の言うことは信じられてそれなりに連れ添った味方やたった今助け出した相手の言うことも聞けないのか?」
「だ、だって。」
「いい加減殺すぞ? あんたが死んでもお父様が別に何も思わないことは知ってるんだからな?」
とんでもない殺気を当てられて神人は思わず震え上がる。その時だった。
「【アイシクル】!」
涼やかな声音と共に少女が立っている地面が凍り付き、少女の足を封じる。即座に鋭い声が飛んだ。
「ご主人様! こちらです!」
「え? あ、え?」
「行けよクズ……」
混乱している神人にだけ聞こえるように少女はドスの利いた声を発す。神人は言われるがまま不思議そうにその場を去って声の下に合流する。そこには変わらない、白い肉まんのようなお面をつけた少女がいて神人を見るなり手を引いてどこかに連れて行こうとする。それを神人は振り払った。
「ご主人様、何を……? あの程度の拘束では防げないと思います。逃げないと……!」
「そうやって……」
「逃げながらでもお話は出来ます、早く逃げましょう!」
「そうやって俺を騙そうって?」
突然告げられた言葉に仮面の少女は困惑しながら立ち止まる。
「ご主人様……?」
「その呼び方やめろよ……」
神人は相手を睨もうとして仮面を見て、そして自嘲するように笑った。
「はっ……そうだよな。大体こんな仮面なんてつけてるのに、疑わないなんて確かに俺は馬鹿だよ。」
「どうされたんですか……?」
「来るな! 【不確定な玩具箱】!」
感情が昂ることで不意に浮かんだその言葉を拒絶の意味で叫ぶと瞬時に神人の視界のあらゆるものにエネルギー量の情報が付与される。^Hで記されたそれは絶えず変動しており、その中でも後ろの爆発的な変動にわけもわからず恐怖を覚えた神人はその場からシズネを突き飛ばすようにそれを躱す。
「おぉ、一応使えるんですね。おめでとうございます。失敗した場合は殺そうと思ってましたが。」
爆音とともに現れたのは先程足を凍らされていた少女だ。彼女は紫電を纏いながらその場にいるだけで大気を揺るがしている。
「ご主人様、逃げてください……私が囮に……」
その脅威を目の当たりにしたシズネは神人にそう小さく耳打ちすると脚を震わせながら額の角を少々大きくさせている少女の前に立つ。
「クスクス……あなたに用はないです、が。そこの男を差し出せばご褒美をあげましょう。」
「……お断りします。」
「あなたが私に立ち向かっても一瞬で殺されるのに、どうしてですか?」
「どうしてもです! 【コキュートス】!」
会話中に練り上げていた魔力で先制攻撃を放つシズネ。氷系で独学における最強の呪文は周囲の木々すらをも凍らせる。しかし、それが持つエネルギーを観測している神人にはその力が絶望的に足りていないことを知っていた。
「逃げてください!」
シズネもそれをわかっているようだ。それでもなお、彼女は神人を庇って少女の前に立ちはだかる。神人は後頭部をバールのようなもので殴られた気分になった。
(俺は……なんて馬鹿なんだ……)
どれだけ言われても心のどこかで否定していたその言葉を今なら素直に受け取ることが出来る。仮面越しでも必死だとわかるほど頑張って自分のことを逃がそうとしている彼女が自分を裏切ったわけがない。いや、たとえ裏切っていたとしても今の彼女を信じないなど愚物の極まりでもしないだろう。
「……ごめん、本当の俺は馬鹿で無力なんだ……見栄張ってたけど……」
「そんなことは良いので早く逃げてください!」
「でも、馬鹿でもやれることはある!」
今まさに評決していた場所から迫りくるエネルギーとシズネの間に神人は割り込んでカウンターとしてその拳を振るう。しかし、カウンターどころか相手を止めるにも至らずに神人の腕は一瞬で消失。肩から伝わる激痛に反射的に涙が出るが、あの牢獄で過ごした日々からすれば何でもない。
「……何の真似かな?」
「っく、はぁ……俺が、馬鹿でした……この出血で、俺は死にますから、どうかシズネは……」
「ククク……」
片手で土下座した神人を見て少女は嗤う。シズネが駆け寄って神人の治療に当たるが無くなった腕は戻らない上、神人自身が治療を拒んでおり怪我は一向に良くならない。
「その気持ち、絶対に忘れないでね。」
だが、目の前の少女が威圧を解いて普通の声音でそう告げたと思った時には本人すら気付かない内に神人の腕は既に元通りになっていた。
「はぁ……最後の伝言『馬鹿であるなら自覚して改善するように心しなさい。一生懸命頑張るなら、ついて来てくれる人も多いでしょう。楽に生きようとせずに地味に地味にひたすら地味に、直向に頑張れば新たな未来は開けるのだから。』……私相手に言うなんて散々からかわれるのを承知で伝えられた台詞よ。」
混乱している二人に少女は特に説明もせずに空に舞い上がった。
「じゃ。私はお父様の名づけ通りに人の恋路を邪魔して悦に浸ってる馬鹿を蹴り倒してくるから。しばらくはここの神も手出しできないでしょう。ただ、本気で戦って殺していられるほど暇じゃないのよね。」
少女はその小さな手のひらを広げて宣言した。
「5年。修復が終わって様子見を終えた時期は多分そこでしょうね。5年経ったらここの邪神は全力で復讐に来ると思うわ。それまでに準備しておきなさい。……それと。」
広げていた手を払い下げ、彼女は続ける。
「仮面、いい加減に外しておきなさい。可愛いんだから。」
「み、醜い私の顔なんて……」
「あなたが美人過ぎるから水浴びの時に覗き見られて、その男が神に縁結びを依頼したのがそこの人間の運の尽きになったのよ? もっと自信を持ちなさい。」
そう言い残して彼女は去っていった。残された二人は緊張が切れたことからかその場にへたり込んで言葉を交わす。
「……巻き込んでごめん。聞いた通りだから、きちんと解放する……」
「待ってください! 話を聞く限りでは私がご迷惑をおかけしたんです!」
「……あれ、いや、待って……」
曲がり何も神という相手と敵対することで少々忘れていたが、神人は重大なことに気付いた。
「人の恋路を邪魔……って……」
「ぁぅ……」
それ以上は訊くまでもない反応だった。神人はそれを聞いて色々考え、悩み、そして告げる。
「……俺、もう強くないんだ。あの時の魔術みたいなものも、知識も、身体能力もない。」
「そうなんですか……」
「でも、それでもシズネが……」
そこで神人は言葉を切った。そして息を一つつくと拳を握り、自らの頬を思いっきり殴り、口内を歯で切りつつもはっきりと言う。
「情けない男ですが、シズネのことが好きです。迷惑をかけるけど、一緒に居てください!」
「……はいっ!」
このタイミングで、消えた少女が手を払った意味が分かる。シズネの仮面が何の前触れもなく落ちたのだ。その下から出てきたのは泣き顔で笑うとても魅力的な少女だった。
神に抗う二人の旅の始まりは斯くあった。
これにて一部完とさせていただきます。ここからが本来のタグに対応した内容になるんですがね……




