苦い毒のような狂気を
リクエスト企画作品です。『その蜜は愛のような狂気』の弟視点なので、そちらを先に見ないとわけがわからないと思います。
いつもいつも苦しいのは僕だけ。
だから僕は姉さんのことが嫌いだった。
いいや、むしろ憎んですらいた。
──全部、幼い頃の話。
姉さんは僕を受け入れてくれた。
化け物に変わった僕を見ても拒絶しなかった。
母さんですら僕を閉じ込めて見ないフリをしたっていうのに!
だから今の僕は、姉さんがいなくちゃ生きていけない。
例えそれが世界を敵に回すことだとしても。
「姉さん、あーん」
「ん、んむっ」
「折角僕が剥いた林檎なんですから、食べて?」
従順に唇を開く姉さんは、可愛らしい。
嗚呼、獣の血が騒ぐ。
欲しいなら奪えばいい、邪魔ならば殺せばいい。
──でも、人を殺したら姉さんと一緒にいられなくなってしまう。
その想いだけが僕を人間でいさせてくれる。
もう二度と失敗はしない。
「……何ですか?」
つつかれていたのに反応が遅れた。
姉さんはモゴモゴと林檎を咀嚼しながら何かを僕に伝えようとしている。
林檎を指差して、それから僕を指差す。
「林檎……僕? あ、本当に僕が剥いたのかってこと……?」
僕の言葉を否定するように首を横に振る。
違うみたいだ。
姉さんは不意に、林檎を指でつまみ上げて──僕の唇に押し当てた。
「んむ、食べろってことですか?」
姉さんは頷く。
シャク、音を立てて林檎を噛み砕く。
甘酸っぱい味が口内に広がった。
もしも姉さんとキスしたら、こんな風に甘酸っぱいのだろうか。
それとももっと甘いのか──伸ばした指先は不自然さを感じない程度に避けられた。
意識されているのか、それとも、本能?
「……そろそろ学校に行く時間ですよね」
焦りは見せたくなかった。
焦って、姉さんに嫌われてしまったら……姉さんだけは壊したくない。
「うん、そうね」
でもね、姉さん。
僕はもうとっくに気付いているんです。
姉さんはもう僕以外を愛せない。
その日の放課後──僕たちは世界を越えた。
放たれた光が当たれば、無事では済まないと本能的に悟った。
だから、僕は獣の血に身を委ねた。
初めて人間を殺した。
初めて、人間を殺してしまった。
姉さんを馬鹿にした。
姉さんを傷付けようとした。
僕はその喉笛に牙を食い込ませ、溢れ出した血潮で喉を潤した。
ぎゃあぎゃあと喚く奴等は爪で引き裂いた。
「ぁ、あぁあああぁあ!」
ボタボタと落ちる赤い色を見て、ふと我に返った。
今の僕は本物の化け物だった。
理性なんて何の役にも立たなかった!
姉さんに嫌われてしまう。
人間を殺した事実よりもそれが恐ろしい。
「ね、えさ、ん?」
虚ろな瞳。
そこにあるのは恐怖でも拒絶でもなかった。
安堵した。けれど姉さんはまだ何が起こったのかわかっていないだけで、このまま正気に戻った姉さんは僕に怯えてしまうんじゃないだろうか。
だったらいっそ──。
「晶季?」
「姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん、ほら、こうすればもっと綺麗ですよ」
鮮血に塗れた唇で、僕は姉さんにキスをした。
鉄のような味。血の、味だった。それなのに不思議と、甘かった。
微かに開いた唇を割って舌を絡ませる。
唇を染め上げる赤い色に、鼓動が速くなった。
「ん、ふ……ぁやめ、っ」
「ふふ、姉さん、どうしてかここに来てからはひどく獣の血が騒ぐんです。殺して、しまった。僕が……っ、一人一人、喉笛を咬み千切って……!!」
嘘に真実を交えて僕は姉さんにすがり付いた。
獣の血が騒ぐのは今日が初めてではないし、喉笛を咬み千切ったのは姉さんに光を放った一人にだけ。
後は鋭い爪で引き裂いたのだから。
──この涙は、本物なんだろうか、僕にすらわからない。
「ここにいたら、きっと誰かに見つかってしまうから。どこか別の場所に行きましょう?」
姉さんはまた、受け入れてくれた。
こんなにも血に塗れた僕を見ても、姉さんは姉さんのままだった。
「姉さんのことは、僕が守りますから」
「ええ、ありがとう」
苦い苦い毒のような狂気を受け入れて、姉さんは堕ちてくれた──僕の、ところへ。
「愛しています。ずっと、ずっと、これからも」
世界が変われば、常識だって変わる。
異常だった執着も、禁忌だった殺意も、ここでは誰も咎めはしない。
「ええ、私も……」
僕は、気付かないフリをした。
姉さんは僕を“愛して”くれている。
でも僕に“恋して”はいない。
じっくりと獲物をいたぶる獣のように、僕は姉さんを追い詰めるだろう。
壊したのは壊されたのは一体どちらなのか。
「姉さん、手、繋ぎましょう」
何にせよ今は、この温もりだけが確かな真実だった。




