能面
白鳥雅彦は、瓦礫の山の前に立っていた。
何か悲惨な事故が起こった直後のような、そんな光景だった。
あるいは、何か創作的で凡人には理解不能な芸術彫刻のように、それは存在していた。
そこにある物を説明すると、車が3台、まるで子供が玩具を無造作に積み上げたように、それらは重なり合っている。
車の種類は、普通乗用車が1台で、後の2台はトラックだった。
他にはどこかの工事現場から拝借してきたのか、太い鉄骨の柱と、後は大量の土砂である。
その5つが雅彦の放った『弾丸』の全てである。
しかも、それらを上空に放ち、ちょうど地面に這い蹲るようにしている山南敬に直撃する瞬間、敬が上空の攻撃に気を取られている隙を突くように、鎖の効果を持つ『捕獲用』と対になっている『殺害用』の矢も、駄目押しとばかりに放っている。
その矢を避けられると、鎖の効果が消え、四肢が自由になり逃げられる恐れもあるのだが、かなり絶妙のタイミングでそれは放たれた、もしもその矢に反応してどうにか矢そのものからは逃れられたとしても、上空から飛来してくる5つの物体からは逃れられない、そんなタイミングだった。
先ほど、敬に仕掛けられたガソリンとライターと銃の連携攻撃、それをやり返したのだ。
どちらを選んでも被害は免れないような、そんな攻撃を。
常識的に考えれば、もう助かりようが無いと思える状況だ。
肉も骨も、全てがミンチ状になり、人であるのか、それとも別の生き物なのか、それすらも区別が出来なくなるほどの破壊が、山南敬を襲っているはずだ。
だが、万が一生き延びて、しかもそこから反撃に転ずるような状況になれば――
それは雅彦の想像の範疇を超えた出来事、そういう状況こそを雅彦は待ち望んでいるのだ。
そこからの闘いは、雅彦が渇望している、自分自身の存在意義に大きく関係してくるはずなのだ。
(さあ、どうした……。死んでないんだろう? もし、死んでしまっているのなら、この世界に何らかの変化があるはず、それが無いと言う事はまだ終わっていないと言う事だ、違うのか?)
雅彦は、期待している劇の始まりを待つように、この男にしては珍しく胸を高鳴らせその瞬間を待っている。
だが、客観的に見て、助かりようの無い状況である。
敬の能力に肉体強化があるが、いくらなんでも上空から落下してくる数t単位の物体から身を護れるほどの力は無いはずだ。
今の敬は、生きているとするならば四肢の自由は取り戻しているはずだが、それでもこの瓦礫から脱出できるだけの余力が残っているのか、それすらも不明である。
落下の状況としては、まず鉄骨が降ってきた。
敬は、それを辛うじて避けたが、その瞬間にはもう雅彦が放った『殺害用』の矢が敬に向かって襲い掛かっていた。
それに敬は反応したように見えた。
雅彦がそれを視認する途中で、上空から車の一台、トラックが敬に向かって落下していた。
更にもう一台の車、普通乗用車が落下し、その隙間を埋めるように土砂が降り注ぎ、トドメと言わんばかりにその上から更にトラックが降ってきたのだ。
その中にいる人間にかかった総重量は、想像を超える。
だが、雅彦の想像通り、敬が死んでいるのならばこの闘いが終わったという合図のような物があるはず、それが無いと言う事はやはり敬が生きていると言う事ではないのだろうか。
最初に降ってきた鉄骨も、別に垂直に立てるように降ってきたわけではなく、やや斜めの状態で落下していた。
だから、それの近くに隠れていても、鉄骨が支えになって他の落下物を防げると言う物でもない、実際に今その鉄骨の太い柱は、戦車の砲塔のように雅彦の方向を向くように捻じ曲がっている、それに土砂により隙間にも重量が敷き詰められているはずだ、逃げ場などどこにあるのだろうか。
だが、まだ生きているはずだ。
もしかしたら、辛うじて虫の息の状態で、死をただ待っているだけかもしれない。
しかし、そうではないかもしれない。
ならば、どうやって生き延びる事が出来るのかを考えるべきだった。
雅彦は、敬があの状況で出来る可能性を模索した。
思いつくことがあるとすれば、地下に逃げる事だ。
地面は土だったか、それともアスファルトだったか、おそらくアスファルトだったろう。
その地面を掘って逃げる事、そんな事は可能だろうか。
いや、違う。
マンホールか。
近くにマンホールが有れば、咄嗟にそこに逃げ込む事が可能かもしれない。
だが、そんな余裕が有っただろうか。
マンホールに飛び込む為には、蓋を持ち上げる必要が有る。
いや、持ち上げなくても良い、単純に破壊しても良い。
だが、それだけの作業をする為の時間を考えれば、マンホールを無視して思いっきり横っ飛びに上空からの飛来物を避けた方が良いのではないだろうか。
しかし、雅彦の追撃を逃れる事を考えれば、マンホールから地下へと逃れるというのは、効果的かもしれないが、命がかかっている状況でそこまで気をまわす余裕があるだろうか。
いや。
この山南敬ならば、命の危険を顧みず、後の戦いに有利な事をしてくる可能性は充分にある。
雅彦は、敬を過大評価していない、そして過小評価もしていない、一切の感情を排除したただ純粋な山南敬という人間の能力・個性を見極めて、その上で思考している。
あの男ならやりかねない、と。
だが、雅彦の想像は的を外れていた。
そんな、状況で華麗な脱出など出来ない。
ましてや、先を見越しての地下への逃走など不可能だった。
もっとシンプルな、そして過酷な方法で敬は生き延びていたのだった。
動いた。
その変化は激しかった。
そして余りにも唐突だった。
僅かに動いたと雅彦が思った瞬間に、弾丸が放たれるように一気に動いていた。
動いたのは鉄骨である。
戦車の砲塔のように、雅彦に向いていた鉄骨が急に意思を持って雅彦に襲い掛かるように、激しい勢いを持って吹っ飛んできたのだ。
強烈な量感が雅彦に迫っていた。
「何!」
さすがの雅彦もそれには驚いた。
驚きはしたが判断と行動そのものは冷静だった。
普通ならば直撃を食らうような軌道であり、その瞬間に思考が停止してしまうはずだが、雅彦は極めて当たり前のように動いていた。
それにしても、と思う。
一体、どういう事があの瓦礫の中で起きているのか。
雅彦は横に跳びながら、クロスボウを構えた。
だが、その後の反応は無い。
ただ、土砂に埋もれた車数台の光景があるだけだ。
今の攻撃を取っ掛かりにして、一気に攻撃を仕掛けてくると雅彦は思っていたのだが、それが無い。
しかし、今のを攻撃と考えるならば、間違いなく敬は健在でありそしてまだ戦闘が可能なだけの、体力と精神力を残しているという事になる。
雅彦は心中で動揺よりも遥かに大きい期待に胸を膨らませていた。
左手に持つ銃の弾倉は空だ、これも新たに『弾丸』を補充する必要が有るかもしれない。
雅彦はそう考えて、視線を瓦礫の山に向けながら、しゃがみ込み足元に転がっている小石を数個拾って、それを弾倉の位置にある黒い球体に吸い込ませるように落とした。
小石だろうと、そこから放たれれば実際の銃と寸分違わない威力がある、とりあえず今のところはこれで充分だろう。
相手は何も持っていない、素手である。
だが先ほど、鎖に囚われていた時、こちらを襲おうとしていたのを雅彦はしっかりと覚えている、恐らく敬は肉体を強化する類の能力も持っていると雅彦は考えている。
だが、それでも銃とそしてまだ『捕獲用』と『殺害用』の能力を持つ矢を一本ずつ持っている、有利なのはどう考えても雅彦である。
それでも、不気味としかいえない緊張がその場を占めていた。
あれだけの動作をしておきながら、まだあの中にいるのだろうか。
かり。
そういう音がした。
瓦礫の中からではない、雅彦の右の方向からだ。
砂が地面に落ちる音だった。
はっと、雅彦は弾かれるようにそちらに視線を向けた。
冷静極まる雅彦のその頬に、一滴の汗が流れた。
驚愕していた。
そこには、何と山南敬が立っていた。
10mほどの位置の距離にだ。
だが、今までとどこか雰囲気が違う。
先ほどまで雅彦と向かい合っていた山南敬とは、どこが違うのか分からないがはっきりと違う。
雰囲気?
いや、そう言う物よりももっと根本的なものが違うような気配がする。
体中は傷だらけに見える、左手の手首から先の怪我は雅彦が放った岩の弾丸の影響だと分かるが、他の場所も泥に塗れ、少なく見積もっても骨折している箇所は数箇所は間違いなくある。
重傷だ。
日常生活で考えれば全治は半年以上にはなりそうなほどの重傷である。
だが、生きている。
あれだけの状況に追い込まれながら、その身一つで生き延びたのだ。
偶然?
幸運?
いや、それだけではない、それだけで生き延びられる事もあるだろうが、それだけでは無いだろう。
それ以外の何かが、あの男を生かしたのだ。
そして、今、あの瓦礫の中から鉄骨で攻撃した隙を突いて、あの中から脱出し、雅彦に気取られないように右に回ったのだろう。
雅彦は、自分が言った事を覚えている。
『試練を与え、そこを潜り抜けたら殺し合いをしよう』
そう言った。
そしてこうも言った。
『今度は躊躇わずに殺す』
雅彦は、再会の言葉を言うつもりは無かった。
真剣勝負の殺し合いに言葉は不要だった。
左手に握った銃を、そのボロボロの敬に向けて、そして向けると同時に引金を引いていた。
驚いた事に、敬はそれを見ていた。
動かずにただ見ていた。
本来は、雅彦の手が動くと同時に逃げなければ、命の危険がある状況なのにである。
もちろん、最後までジッとしていた訳ではない。
敬は、雅彦が引金を引くのと同時に動いていた、それも思いっきり横に跳ぶとか、そういう激しい動きではなく、ほんの少し一歩だけ横に散歩するように歩いた。
それだけだった。
ただそれだけの動きで、雅彦の放った『弾丸』である小石は空を切っていた。
何かが違う。
雅彦はそれを感じていた。
敬は、無造作に雅彦に近寄ってくる。
その敬に向けて、引金を今度は3連続で引いた。
その全てを、敬はまるで達人がするように、紙一重で全てを避けていた。
一気に間合いを詰められた。
決して、常人離れをした瞬発力で迫ってきた訳ではない、あくまで常識の範囲の中で、しかし常識にはありえない事に銃を避けながら敬は近寄ってきたのだ。
気が付けば、いつの間にか雅彦の目の前にまで迫っていた。
本来ならばもっと早く手を打つべきだったのに、どうしてこんなにまで接近を許してしまったのか。
もっと早ければ自然に反応できた、もっと遅ければ銃で殺せていた、その微妙な中間を重さの無い鳥がひらりと飛ぶように近寄ってきたのだ。
(『捕獲用』いや――『殺害用』を放つ!)
雅彦が、そう思った時には、敬の手首から先が原形を留めていない左手が、そっと恋人の手に添えるように、クロスボウを押さえていた。
そして敬の右手は雅彦の銃を押さえ、銃口の向きを自分から逸らしていた。
雅彦は信じられなかった。
こんなにまで、敵の接近を許したことは無い。
雅彦は死を思った。
これだけ接近されてしまったら、もう完全に手遅れだった。
クロスボウの能力は、『捕獲用』はあくまで中距離から遠距離向きであり、矢によっては短距離にも効果を持つ、『殺害用』は短距離から中距離向けの武器だ、だがここまでの超至近距離では、互いに効果を発揮出来ない、仮に今『捕獲用』を放っても何の解決にもならないのだ。
左手に握られた銃も同じような物だ、小石しか弾倉に込められていない以上、銃口を明後日の方向に向けられていては普通の銃と変わりなく殺傷能力を発揮出来ない。
それに鉄骨をあの勢いで吹っ飛ばせる人間の腕力、それを持ってすればこの距離に入った瞬間に勝負は決するはずだ。
雅彦が初めて。
恐らくこの世に生を受けて初めて、自分の明確な死に付いて思った時。
敬は、雅彦の耳元に口をやり、囁くように。
「帰ってきましたよ、白鳥さん」
まるで旧知の友に言うような口調で、敬は雅彦にそう言った。
何故か、雅彦は自分自身の声を聞いたような気分を味わっていた。
感情が篭っているように”聞こえるだけ”の声。
偽りの温かさの下に潜む、凍結された刃が、雅彦にははっきりとその質感までも理解できる
ああ――
と、思った。
この男も、自分と同類なのだ。
同類に今なったのか、それとも最初からそうで今ようやく気が付いたのか、あるいはまったく違う思い違いなのか。
この男に自分は殺されるのか。
死は怖くない。
だが、
だが……
何かの言葉を雅彦は紡ごうとした。
頭の中に転がっているパズルのピースを探すように必死に。
その言葉を捜していたのだ。
その言葉が持つ意味、それを探していたのだ。
これが見つかるのならば、死んでもいい、そう思っていたのだ。
それにようやく爪の先が引っ掛かったのだ。
そんな雅彦の思いを打ち砕くような声が響いた。
「これで貸し借りは……無しですよ」
敬はそう言うと、雅彦の胸倉を右手で掴むと、そのまま持ち上げて雅彦を軽々と放り投げていた。
殺す為に地面に叩きつけた訳ではない。
もちろんやろうと思えばそう出来ただろう。
いや、そんな面倒な手間をかけずに、拳を一撃、蹴りを一撃、強化した敬の打撃がたった一撃決まるだけで恐らく雅彦は絶命していたはずだ。
それなのに、多少は背を打つ衝撃が雅彦を襲ったが、命にはまるで別状が無い投げを敬は披露していた。
逆に間合いが発生して、雅彦に有利な射程になっている。
一体どういう意図が有るのだろうか。
「……何のつもりだ?」
雅彦は、叩きつけられた衝撃に、呼吸すらままならない状態でありながら、それを聞かずにはいられなかった。
屈辱と怒り。
それが雅彦の顔には浮かんでいた。
本来、そのような感情を求める事が雅彦の目的だったような部分も有るのに、本人はそれを忘れたように鋭い視線を敬にぶつけるように睨み付けていた。
それはそうだろう。
生涯を終える覚悟を、それも自分が捜し求めていた何かを今掴みかけたのだ、それなのにこのように、雅彦にとってはまるでありがたくもない『不毛な生』を与えられる事は、耐え難い屈辱なのだろう。
「言葉通りですよ、白鳥さん。貸し借りは一切無し。これからまた始めましょう、真っ当な殺し合いをね」
「……君は選択を間違えた、余裕のつもりか、あるいは奇麗事を言いたいのか分からないが、唯一の勝機をたった今逃したぞ」
「それは違いますよ、あなたはもう俺には勝てない」
「まだ『捕獲用』と『殺害用』の矢が残っているのに?」
「そうです」
「君の銃もまだ持っているのに?」
「そうです」
「……面白い、試してみたいな」
先ほどまでの恥辱の表情が、綺麗に拭い去ったように雅彦の顔から消えていた。
能面のような無表情がそこにある。
他人の前で雅彦が絶対に見せない”素”の表情だった。
独りでいる時でさえ、それが絶対に他人の視線の入らない個室などでしか見せない、本当の表情。
人前でこれをするのは、この闘いが終わった直後の失望感を味わっている時くらいの物だ、それですらすぐに消えてしまう、隠し続けてきた表情なのだ。
他人に対して、どんな感情も抱かない、白鳥雅彦の精神そのものが具現化したような表情がそこに有った。
「試しましょう、ただ試す時はあなたの死ぬ時だ」
敬は、その雅彦の素顔を見詰めながら、そう言い切っていた。




