表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/60

        君は死ぬ

 

 白鳥雅彦しらとりまさひこは、標本台にピンセットで止められているように、地面に這いつくばっている山南敬やまなみたかしを冷ややかな視線で見下ろしていた。


 山南敬の自由は奪われている。

 右手首と、そして両足首には、強化した敬の腕力でも引き千切れない鎖が巻きつき、動きを封じられているのだ。

 その状態から攻撃する事は、敬の武器である銃を手に持っていればあるいは可能だったかもしれないが、その銃は今は敬の手には無い。

 銃は今、敵である白鳥雅彦の手の中に有る。

 動けない敬を尻目に、雅彦は敬の落とした銃を拾って、それを左手に握っているのだ。

 どれだけ前向きに物事を考えられる人間だろうと、この状況は最悪としか言えないはずだ。

 敬の眼にも、さすがに涙こそ浮かばないが、悔しさのような物が浮かんでいるように見える。

 いくら敬が諦める事を諦めたと言っても、この状況は余りにも――

「鎖……か、人は産声を上げた瞬間から色々な物に縛られている、そう思わないか?」

 雅彦は呟くように言った。

 敬がどう動いても、その肉体を傷つける事のできない位置にいるから発せられる余裕のような物とは違う、何か気の抜けたような、いや魂の抜けたような口調だった。

「産まれてすぐに、人はとりあえず三つの物に縛られる、時間・重力・寿命……。そのどれからも逃げられずに、それこそ死ぬまで囚われ続けるんだ、そこから人間関係だの、地位だの、金だの、感情のあれこれなど……、ややこしい物が絡んでくると、もう手に負えない……。いっその事全てから自由になりたい、そう考えたくなる気持ちも私は分かるよ」

 雅彦は、一人で淡々と言葉を続けている。

 敬は、ただそれを聞くだけだ。

 いや、頭はフル回転させている、ここから逃げ出すどういう手が有るのか、それを模索しているのだ。

 だが、これだけの窮地から抜け出すような方法、そんな物が本当にこの世のどこかに存在していると言えるのだろうか。

 しかし、探さなければならない、生きたいのならば探すしかないのだ。

 まるで『悪魔の証明』のようだった、この世にそんな物は存在しないという事を証明するのが『悪魔の証明』といわれている、例えるならばネス湖のネッシー、ヒマラヤの雪男……それらがこの世には絶対に存在しないと、それを証明する事がどれだけ至難なことなのか想像に難くない。

 無い事を証明する。それが『悪魔の証明』であるから、今の状況を考えれば、逃げ出す方法つまり生き延びる方法を見つければいいというこの現状の方が、楽と言えば楽だ、しかしそれは、手榴弾は核爆弾よりも破壊力が少ないが、充分人一人を殺すには足りる、そのような話になってしまう。

 いや。

 混乱しているな。

 混乱するなとは言わない、脳の中で色々な考えが浮かんでいるから、それがこんがらがって混乱しているのだ、アイデアが浮かんでは消えているから混乱しているのだ、悪い事ではない。

 こういう場合に一番恐ろしいのは、頭の中が真っ白になってしまうことだ。

 それだけは避けなければならない、と敬は考えている。 

 

「今の君の姿……、皮肉と言えるな。鎖に縛られた状態、そして死を待つだけの存在……、そしてそこから抜け出る事は叶わない……」

 そう言いながら雅彦は、銃口を敬に向けた。

 クロスボウではなく、左手に握った敬の銃をである。

「一つ聞かせてくれないか」

 敬は口の中に詰まっていた小石を、雅彦にぶつけるような尖った口調でそう言った。

 少しでも時間を稼ぎたい、その様相が見て取れる、ただ時間稼ぎのみが目的の質問だった。

 だが、雅彦は。

「何かな?」

 と、街中で道を聞かれたように、ほがらかに応えた。

「この鎖は……、一体いつ仕込んだんだ?」

 時間稼ぎが念頭に有ったが、それが気になっているのは間違いないことだった。

 どういう作用でこの鎖が、今自分に巻きついたのか、それを知らずに死ぬのは耐えられない、そういう思いも有る。

「ああ、簡単な事だ。私の『捕獲用』の三番目の矢を使っただけさ」

「三番目?」

 この鎖の現象が、『捕獲用』の効果だというのは分かるが、一体いつそれを使用したのか、それが分からない。

「ちょっと考えれば分かる事だ、倒れていた君を襲った矢、あれがそうだよ」

「あれが!?」

 思わず敬は声をあげた。

 先ほど、『殺害用』を放ってきたと思っていたのだが、あの矢が実は『捕獲用』だったと言う事だ。

 効果を推測するならば、矢が刺さった周囲の地面に触れると、この鎖が巻きつくとか、そう言う物に違いない。

「君の思い込みだね、『捕獲用』と『殺害用』は、ついになっているとは言ったけど、『捕獲用』を連続で使用できないと言った覚えは無い」 

 盲点だった。

 いや、単純に迂闊だっただけだ。

 完全に相手が上手だったのだ。


「ついでに、面白い事を教えてあげよう」

 雅彦は、透き通るような声でそう言った。

 まるで教壇に立つベテランの人気講師のような口調だが、何故か奇妙に寒気を感じる声だった。

「2本目の矢の効果の事だ、正確に測ったわけではないが、あれは刺さった場所から約半径3km四方に広がる効果を持つ、それを止める為には、条件が二つ、一つは私が獲物を捕らえたと判断し、指示を出すと対象のみを残して他の物体に対する干渉を止める……、もう一つの方法は『殺害用』を使用した場合だ、私の矢は基本的に対になっている『殺害用』を使用すると『捕獲用』の効果が切れる事になっているからね」

 雅彦は商品説明をするようにそう言った。

 だが、今更そんな事を言ってどうするというのだろうか。

 いや、良い。

 好きに喋ってくれれば良い。

 その間時間を稼げば、どうにかする方法を思いつくかもしれない。

 あるいは、この鎖の効果が切れるという可能性も充分に考えられる。

 永遠に効果を発揮している訳では無いだろう、これがどれだけの持続力を持つのか、それはこの白鳥雅彦だろうと正確には把握していないはずだ、時間稼ぎしか方法が無いというのは情けないが、生き延びる為にはどれほど情けなくともやるしかないのだ。

 だが、この時、敬の考えは既に間違っていた。

 敬が気が付かなくても無理は無い、事態は時間稼ぎがどうとかいうレベルの話では無くなっているのだった。

「右を向いてみるといい」

 雅彦はそう言った。

 敬は、そう言われたが、言葉通りに視線を雅彦から外して、右を向いたりはしなかった。

 視線を逸らした瞬間に撃たれる可能性は充分に有る、両足と右手の自由が利かなくとも、最悪でも視線を向けてさえいれば、攻撃を致命傷から免れるように体を動かす事が出来るからだ。

「良いね、用心深くて……素晴らしい事だ。実際に今君が何の疑いも無く右を向いていたら、それだけで私は『殺害用』を放っていた所だ」

 雅彦は、言葉に僅かに賞賛を込めながら、恐ろしい事を言ってのけた。

「向く必要は無い、私が言葉で説明しようか……」 

 雅彦が何を言いたいのか、それは敬には分からない。

 だが、先ほどから背筋に強烈な悪寒を感じていた。

 これまでの闘いの時も、窮地や危険を感じるとそのような感覚が働く。

 死に対する直感力。

 危機に対する反射能力とでも言うのだろうか。 

 そのセンサーがビンビンに働いているのだ。

 もちろん、雅彦に銃口とそしてクロスボウの矢を向けられているので、危険は危険なのだが、それとはまた別の危険を感じているのだ。

 これ以上何が襲ってくると言うのか。

 だが、この白鳥雅彦が何かを言おうとしていると言う事は、ハッタリや虚言の類ではないはずだ。


「君はもうすぐ死ぬ」

 雅彦は、唐突にそう言った。

 さすがに敬も言葉を失っていた。

「私が手を下さなくてもね」 

 付け加えるように、雅彦は言った。

 しかし、手を下さなくても死ぬというのはどういう意味なのだろうか。

「さっきの反重力空間を作り出す矢の効果はまだ切れていない、そこまで言えば君なら分かるはずだ、これから何が起こるのかが」

 一瞬、敬の思考が停止し、そしてその言葉を脳内で何度も反芻はんすうするように繰り返した。

 右を向け、という言葉と。

 矢の効果はまだ切れていないという言葉。

 その二つが敬の頭で混ざり合った時、一つの答えが出た。

 一瞬、背筋が凍りつくような感覚を敬は感じていた。

 強烈な悪寒だ。

 つまり、あの反重力空間が、敬の右側、つまり先ほど闘いをしていた場所の方向から迫ってきているというのだ。

 それに巻き込まれるだけなら、本来ならば死ぬ事は無い。

 ただ、それによって自由を奪われ、その後の攻撃で命の危険があるだけだ。

 だが、今の敬の状況は違う。

 体を地面から出る鎖によって縛られている、この状況であの空間が迫ってくるとどうなるのか。

 先ほど危惧したように、酸素も何もかもが周りから上空へと舞い上がり、地表に敬だけ取り残されたら、それで人は死ぬ。

 いくら体を強化しようと、周りから酸素が消えたら絶命は免れない。

 何もしない。

 それだけで敬は死んでしまうというのは、雅彦の言った事にまるで嘘も誇張も無かった。

 最悪の状況に、更に悪い条件が加えられた事になる。

「時間にすると、後1分も無いよ」

 最後通告のように、雅彦はその絶望的な数字を口にしていた。

「……良いのか?」 

 敬は搾り出すようにそう言った。

 声が掠れていた。

「良い、とは?」

「あんた、それで満足なのか?」 

「満足か、どうか……。そういう意味では決して満足では無いよ、だからと言って君を生かすつもりも無いけどね」

「チャンスをやろうという気も無い?」

「チャンスね……、それはどういう意味かな? 命乞いの類なら聞きたくないな」

「命乞いじゃない、俺を殺すなら、あんたがその手で直接やったらどうなのかって言っているのさ」

 挑戦的な視線で、敬はそう言った。

 その視線を平然と受けながら、雅彦は。

「なるほど……、私がクロスボウで『殺害用』を放てば、どちらかの効果が消える、反重力ドームが消えればとりあえずの命の危険が消え、鎖の効果が消えれば逃げる事も可能になる、しかしこの距離から避けられるかな?」 

 もっともな事を言った。

 だが、敬にとっては、雅彦が『殺害用』を放つ事にのみ生き残る道が示されている。

 それに、まだ左手は自由だ、あまりにも相手が近付きすぎたら、それを掴んで攻撃も可能だし、その手が届かない範囲からの矢ならば、不意打ちでもない限りはどうにかして防ぐ事が可能かもしれない。

 重要なのは、雅彦が矢を放つかどうかだ。


「面白い……、この状況でも諦めないというその姿勢、それこそが私に近づける道と言う物。ただ、死を待つだけというのもつまらないからね、その挑発に乗ってあげようじゃないか」

 乗ってきた。

 思わず、敬は歓声をあげたくなった。

 意識を集中させる、矢が放たれた瞬間に即座に反応して、それを回避しなければならない。

 時間は限られている。

 この男が矢を撃つと言った以上、それは嘘では無いはずだ。 

 だとすると、1分以内に矢が放たれるはず。

 その1分間は瞬き一つせずに、意識をあのクロスボウに集中させるのだ。

 全神経をそこに集中させ、その瞬間を見極めれば、避ける事も可能なはずだ。

 雅彦との距離は1m50cmほど。

 かなり近い。

 だが、泣き言を言っている場合でもない。

 助かる為にはこの窮地を乗り越えねばならないのだ。

 敬の人生の中で、最も時間が経つのが遅い60秒が既にその針を進めていた。

 重い空気が空間を満たしている。

 だが、それを感じているのは敬だけだろう。

 雅彦にしてみれば、撃つのに緊張はいらない。

 それに気が変わったというだけで、矢を放たなければ、それでこの闘いは終わるのだ。

 敬が逆の立場ならば、少し離れた場所で、相手が絶命するのを待つ、それが普通の考えだ。

 一瞬一瞬が重く圧し掛かっていく。

 もう30秒過ぎたのでは無いか。

 あるいは、まだ5秒も経っていないのか。

 時間の感覚が分からない。

 いや、時間はどうでもいい、今はただ集中するだけだ。

 そして――

 その瞬間は、訪れたのだ。

 唐突に。


 放たれていた。

 だが、敬はそれに反応できなかった。

 何故なら、放たれたのはクロスボウの『矢』ではなく、雅彦が左手に握っている敬の銃の『弾丸』だったからだ。

 さすがに虚を突かれた。

 放たれた『弾丸』は、先ほどのライターの時に雅彦を襲ったのと同程度の、石の塊であった。

 その『弾丸』に関して、それを込めた敬には良く分かっている、だが雅彦には何が込められているのか分からなかったはずだ、だが何が込められているにしても銃が空ではないという予測と、そして相手の隙を誘うには充分すぎる役割を持つ。

 実際に、敬はその『弾丸』に気を取られていた。

 また、それに対しても反応しなければ、命が危うい、それだけの威力が込められているのを知っている。

 敬は、自由な左手でその弾丸を弾くように動いていた。

 敬は瞬時に左手を強化し、熊の手のように頑強に変貌した手で、その弾丸に対応していた。

「うおおおっ!」 

 左手がいくら強化されていても、急に放たれたその岩の『弾丸』は、無傷で防げるような代物ではなかった。

 左拳でその『弾丸』を迎え撃つようにしたが、壊れたのはもちろん敬の左拳であった。

 ごり。

 めき。

「ぐうぅっ」 

 そういう音が、自分の拳から響いてくる音を聞くのは決して気分の良い物じゃない、さすがに呻き声が敬の口から零れた。

 その骨が砕け、肉を裂く振動が、左手から脳髄まで届くと、その激痛は半端な物ではなかった。

 だが、防ぐ事は出来た、左拳は犠牲になったが、その『弾丸』の岩も砕けていた。

 その瞬間、敬は。

 はっ、とした

 いけない。

 完全に意識が、『弾丸』に向けられていた。

 それは仕方が無い、あれだけ張り詰めた緊張の中に、いきなり攻撃が、それも命に関わる攻撃が襲ってきたのだ、そちらに意識を集中するのは無理も無い。

 矢は既に放たれていた。

 悪魔的なタイミングだった。

 唯一自由な左手は破壊されている。

 拳はグチャグチャで、動かすだけで激痛が走る、そんな状況ではとてもじゃないがその矢に対して反応できる物じゃない。

 だが、防がないと直撃は間違いない軌道である。

 

 ならば――

 

 咄嗟に、敬は右手を動かしていた。

 自由の利かない右手である、それで何をしようと言うのか。

 仮に、右手が動いたとしても、矢を素手で弾くだけでどういう効果が起こるか分からない、それほどの危険性を秘めた矢である。

 敬の反応は神がかり的だった。

 一つの奇跡といっても過言では無いだろう。

 敬が行ったのは、右手の自由を奪っている鎖を、盾として使用するということである。

 破壊不能の鎖ならば、盾としては充分な役割を果たすだろう。

 その反射神経は、敬の常人離れした能力の限界に近い反応であった。

 矢は――

 弾かれていた。

 だが、油断は出来ない。

 この相手に関して、毛ほども油断は出来ない。

 連続で矢を放ってくる可能性も充分に考えられる。

 矢を放つと言っておきながら、銃を撃ってくるような相手を信用しちゃいけない。

 いや、その考えも間違っている。

 雅彦は何も間違ってはいないのだ。

 どちらかと言えば、雅彦はサービス精神が旺盛な男、気前の良い男だ。

 本当ならば死を待つだけの敬に対して、このようなチャンスをくれたのだ、本来ならば感謝で涙こそ流すべきであり、いきなり銃を撃ってきたから非難するような事を言う立場ではない。

 今の矢は恐らくあの反重力を生み出す『捕獲用』の対になっている『殺害用』だろう、何故ならまだ鎖が敬の自由を奪っているからだ。

 雅彦の言葉を信じるならば、今の矢が外れた事で反重力による死の危険が免れた事になる。

 

「まだだよ、安心するのは早い……。これからだ」


 雅彦は、今の一連の闘いのやり取りですら、まだ序章に過ぎないとそう言った。

 そして、それは決して嘘では無かった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ