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        第二ラウンド

 

 山南敬やまなみたかしは、上空10mほどの位置からそれを見下ろしていた。

 

 それ、とは自分の銃から撃ち出した『弾丸』である『車』である。

 それが、漆黒に染められた地面に命中した瞬間に起きた劇的な変化を、敬は見ていた。

 最初は、波が起きたのかと思った。

 ざわり。

 車が地面に物凄い勢いで叩きつけられたにも関わらず、その形状がまるで破壊されない状態で、地面にくっ付けられた奇妙なオブジェのように停止したのだ。

 しかも、激突の際に衝撃の音も響かなかった。

 その勢い全てを、まるでクッションのように地面の黒が吸収してしまったかのようだった。

 次の瞬間、周囲の景色の黒が一気に動き出していた。

 その速度は、敬の落下速度よりも遥かに早く、その中心には敬の撃ち出した『車』が有った。

 その一点に集まる為だけに存在していたように、一気に黒が押し寄せていた。

 例えるならば、街全体を覆い尽くそうとしていた薄いゴムが、その限界まで引き伸ばされて、その反動で一気に戻っていく――そのように見えた。

 街全体に広がりつつあった黒が、一斉にその動きを止め、その方向を変換し、『車』を目指していた。

 それは壮観とも言えた。

 日常生活では、まず眼にすることの無い光景。

 強いていうならば、街単位の巨大な食虫植物が、その口にハエが止まった瞬間に閉じるように、一気にめくれ上がったのだ。

 何かの変化が起こるかも、という予想で敬は『弾丸』を撃ち込んだのだが、まさか、ここまでの変化が起こるとは予想していなかった。

 異常な光景。

 それを言うならば、街の全てが停止しているこの光景全てが異常なのだが、それすらもこの光景と比べたら、取るに足らない可愛い物のようにしか思えない。

 一気に、押し寄せてきた黒は、『車』を取り囲むようにして包み、さながらそれは漆黒の牢獄のように、『車』を完全に外界と遮断するように動いていた。

 もし仮に、自分があの黒に捕まっていたら……、そう考えるとさすがに敬も、頬に冷たい汗の流れを感じていた。

 『捕獲用』

 その言葉通りだった。

 こんな物に捕まったら、相手が止めを刺そうとして近寄ってきた隙を突く、などという行為がどれほど甘い考えで有るのか、それが理解できる。


 まだ『車』自体に一切の破壊は加えられていない。

 むしろ、黒い揺り篭に載せられた純白の赤子のように、それは世界の全てから保護されているようにすら見えた。

 実際にそうだ。

 完全な保護というのは、ありとあらゆる物を通さないと言う事、その黒い揺り篭にすら見える物は、実は純然たる牢獄である。

 奇妙な形の多角形の漆黒の牢獄がそこに誕生していた。

 恐らく、『殺害用』と言った攻撃以外の全てを通さないのが、あの檻なのだろう。

 もちろん、それに囚われてしまっていたら、敬は必死に知恵を絞り、どうにかしてそこから抜け出すように四苦八苦していただろうが、それから逃れ傍から見ていると、そこに捕まってしまっていたら、もう戦いが終わっていただろうとしか思えない。

 戦いが終わる。

 と言う事は、つまり自分が死んでいたという事に他ならない。

 いきなりの、最初の一手でこれほどの攻撃を仕掛けてくるのか。

 あるいは、これが相手の『捕獲用』の攻撃の中で、もっとも効果的で大規模な物なのかもしれない、最初から全力を尽くして、相手の命を取りに来たのかもしれない。

 だが、もしそうでないとしたら――

 これからの戦いは、敬の想像を遥かに超える死闘になるのは、間違いないだろう。

 敬は、既に元の色に戻った地面に、着地と同時に敵であるあの男――白鳥雅彦しらとりまさひこの気配を探った。

 着地の衝撃は、想像以上に足腰に堪えたが、下半身を強化しており、また上空で銃を使用した反動で落下の速度が減速していた為、骨折はもちろん動きが鈍るようなダメージは残らなかった。

 それでも、足の下の土の地面が、陥没していたのだから、アルファルトに着地をしていたら、危なかったかもしれない。


 あの『捕獲用』の大規模な効果は、もし仮に捕獲を失敗しても、相手がその周辺にいることが分かる効果も有る。

 広がった黒が収縮するように向かう場所に、必ず相手がいるのだ、相手が捕らえられていなくても、相手が何かをしたから黒が反応したのは間違いないからだ。

 ならば―― 

 迎え撃つ事が可能かもしれない。 

 可能性は薄い。

 あの白鳥雅彦が、『良し! 相手が見事に捕まった!』と喜び勇んで全力で駆け寄ってくるような迂闊なタイプには見えなかったが、それでも向かってくるのは間違いないだろう、ならば僅かだが可能性はある。

 待ち伏せの機会だ。

 敬がそう思った時。

 何かを、敬は感じ取っていた。

 背後からの何かだ。

 言うなれば、それは殺気。

 思わず、全身が竦み上がるような、そんな刺すような気配だった。

 敬は、咄嗟に横に飛び退いていた。

 思考よりも先に体が反応していた。

 敬が飛び退いた瞬間、さっきまで敬が存在していた空間を何かが通過していた。

 避けなければ、間違いなく体のどこかには命中していただろう。

 それは、常人離れした敬だから目で追えたが、『矢』のように見えた。

 つまり――


「ああ、外したか……。大した物だね」


 まったく落胆していないような口調で、まるで縁日でただの子供の付き添いか何かで仕方なく射的でもして、別に欲しくも無い物を狙って、それが外れたような口調だった、とても命をかけた闘いの貴重な一手をしくじった直後の声とは思えなかった。

 声には、落胆よりも、今の攻撃を避けられた敬に対する賛辞の方が遥かに込められているようだった。

 敬が振り向くと、そこには白鳥雅彦が立っていた。

 既に来ていたのだ。

 確かにそれだけの間は有った。

 だが、広がった黒が、一気に集まっていく速度を追って来たのにしては早すぎる。

 敬が空中で放った銃声を聞きつけたのか。

 あるいは、敬が屋上から跳んだ際の音を聞きつけたのか分からない。

 そうだとしても、途中で待ち伏せを警戒して、登場がもう少し遅れるのが普通なのだが、この男はそのような恐れを一切抱かずに、真っ直ぐにここに向かってきた事になる。

 怖くないのか。

 敬が、あるいは死が。

 

 敬と、雅彦の距離は凡そ20m。

 今の攻撃で、『つい』になっていると言っていた、『捕獲用』と恐らく今敬を襲った『殺害用』の一対が撃ち終わった事になる。

 ならば、次はこちらの番だ。

 敬は、迷わなかった。

 声を掛けようとも思わなかった。

 一気に間合いを詰めて接近戦をしようとも思わなかった。

 また、物陰にその身を隠そうとも思わなかった。

 現状で、この距離を恐れていては、今後の闘いで勝ち目など有るわけが無い。

 最善を尽くすとは、身の安全ばかりを追う事ではない。

 攻撃こそ最大の防御なのだから。

「喰らえ!」

 敬を視界に入れながら、それでも手に持ったクロスボウの射線を下に向けている雅彦は、格好の的だった。

 銃口を向けられていながら、雅彦の視線は、静かなままである。

 まるで、これらの流れ全てを読んでいるように見えた。

 だが、仮に全てを読まれていても、逃げられないような攻撃を仕掛ければ言いだけの話だ、少なくともこれまでの四回の闘いで敬は、自分の銃の効果的な使い方を熟知していた。

 あるいは、この攻撃で闘いが終わる――

 そういう事も有り得る攻撃を、敬は仕掛けようとしていた。

 その横で、『捕獲用』の効果が切れたのか、敬が『弾丸』として地面に向かって撃ち、そして捕獲されていた白い乗用車が、激しい音を立てて破壊された。

 先ほど漆黒の地面が吸収したはずの衝撃を、今になってその身に襲っているのだろう。

 それがまるで、闘いの次のラウンドを告げるゴングのように響いていた。


                          ・

 

 予想通りだ。

 今の『捕獲用』の矢。

 あの矢の特性は既に充分に理解している。

 桁違いに広範囲に広がり、そして対戦相手か、あるいは動く物に触れるとそれを捕らえるだけの物だ。

 もしも地面を走って逃げるような相手ならば、捕らえるのは容易いが、弱点ももちろん有る。

 仮に、その走って逃げる相手の靴が、走りながら脱げてしまって、それが地面を這う黒に触れてしまえば、それだけであの『捕獲用』は、それを捕獲してしまうという致命的な欠点がある。

 だが、それを除けばかなり優秀な武器であると自覚している。

 それを避けたあの山南敬という青年の能力を、この眼で確かに確認する事が出来た。

 彼は強い。

 掛け値無しに本物だ。

 慎重でそれでいて、弱腰ではない。 

 あの、自分を今、見詰めている視線はどうだ。

 ゾクゾクするじゃないか。

 これは恐怖?

 これは歓喜?

 それともそれに似ただけの、何か別の感情?

 少なくとも、他の誰に対してもこのような感情は滅多に感じない、それを今感じているというだけでも、この闘いの意味がそこには有る。

 『捕獲用』の矢が外れた時に、それと対になっている『殺害用』で狙っても外れる事は分かっていた。

 それでも、相手が油断をしていれば十分に殺す事の出来る、一切の遠慮無しの攻撃を仕掛けたつもりである。

 それを避けられた。

 やろうと思えば、次の『捕獲用』の矢で攻撃を仕掛ける事も可能だったが、そういう気が起きなかった。

 相手の攻撃を待つ。

 常識で考えれば、有り得ない事なのだが、この白鳥雅彦に常識などは当てはまらない。

 

 敬の銃口から『弾丸』が撃ち出されていた。

 その『弾丸』は、丸々一本の『電柱』だった。

(なるほど……、これがさっき言っていた『武器』か、『弾は何でも使用出来る』というのはこういう意味か……)  

 凄い勢いで放たれた電柱が、まるで巨大な矢のように雅彦に向かって突っ込んでいた。

(距離感が分かり難いな、中世で騎士が馬上でランスを相手に向ける際、相手に直線的に映るようにして、距離感を狂わせたというが……、確かにこれは効果的だな)

 そのような感想を雅彦は抱いていた。

 冷静な、といえば聞こえは良いが、その攻撃が命中したら致命傷は避けられないというのに、呑気のんきとも言えるような思考だった。

(だが、銃では直線上の攻撃しか出来ない、それが欠点だな) 

 雅彦は、その電柱の攻撃を避けながら、そう分析していた。

 銃口の位置にさえ、気をつけていれば、それを避けるのは造作も無い、そう見切っているようだった。

 後、1,2秒行動が遅かったら、それだけで死んでいたというのに、その中で相手の武器に関しての分析も怠らない、それが雅彦の怖いところであった。

 雅彦は、その電柱を避けた時、その瞬間に気が付いていた。

 既に次の攻撃が仕掛けられているという事に。

 何かが迫ってきているのだ、上空から。

 上を見上げている余裕は無い、先ほどの電柱は言わば囮、この次が本命の攻撃といった所なのだろうか。

(上から!? 上空に跳んでそこから射撃をした気配は無い、現にまだ視界にあの男はいる)

 確かに、敬の姿は、雅彦の位置から見える。

 どうやって、上から攻撃を?

 だが、上空から何かが迫ってきているのは間違いが無く、そしてそれが自分に接触してしまったら、それでおしまいと言う事だけは感覚で分かる。


 そうか――

 ほとんど、そこまで考えて、瞬間的に敬がどのような攻撃を仕掛けてきたのか、それを雅彦は理解していた。

 上空に向けて、何かを撃ち出したのだろう、それが重力に従って落下してきているに違いない。

 撃ったのは恐らく電柱を撃った直後だ、僅かに自分が敬から眼を逸らした隙を狙ってやったのだろう、と雅彦は思った、実際にその通りだった。

 上空から降って来る物――何かはまだ分からないが、それはかなりの質量を持つ物だ。

 今の常人離れした腕力でも、受け止める事の出来ない大きさを持つ物だろう、そうでなくては攻撃の意味が無い。

 街中にある物で、そのような質量を誇る物、それは数が限られている。

 いや、ここですべきなのは、それが何かを考える事ではない、どうやって避けるかだけだ。

 どうやっても何も無い、ただ全力で跳ぶだけだ。

 どこへ?

 今、右から左へと跳び、電柱を避けたばかりだ、ならばこのまま体の向きを変える事無く、その方向に飛べば良い。

 いや、分かっている。

 分かってはいるんだ。

 これらの一連の流れが、あの山南敬の目論見だという事を。

 最初の電柱での攻撃に気を向けさせ、次の上空からの攻撃で更に意表を付く、ただ意表を突くだけではなく、こちらの行動までかなり制限させる方法で攻撃を仕掛けてきている。

 この流れのまま逃げると言う事は、相手の仕掛けた策に自ら突っ込むような物だ、そこまで分かっていながら、なおかつそれ以外の道を選択できない巧妙さが仕組まれている。

 中々考えられた攻撃と言える。

 あえて、その策の通りに雅彦は動いている、こういう場合に躊躇うと、今度は逆にそこを突かれる可能性も有るからだ。

 ならば、あえて相手の考え通りに動いてやれば良い、相手の考えに気づかないフリをして、そこにあえて突っ込む、そこにこそ勝機が見出せるのだ。

 

 雅彦が飛び退いた直後。

 上空からの攻撃は、地面に激突していた。

 上空から落ちてきた物。

 それは、大量の薬品や、飲料水等を運搬するのに使う、タンクローリーであった、かなりの重量が有りそうな代物である。

 それが激しい激突音と共に、落下してその激しい振動が足の裏から伝わってくる。

 震度にして3〜4程度の振動を雅彦は味わっていた。

 こんな物に巻き込まれていたら、体中が骨も肉も関係無く、グシャグシャになってしまっていただろう。

 破片の一部が勢い良く飛んできて、雅彦の体を掠めるが、眼球にこそ当れば失明もするかもしれないが、両手でそれらを防いでいる、体に出来た傷は、どれも深い傷ではない、せいぜいが僅かに出血する程度である。

 本格的なダメージは避けられた、今度は、次に来る攻撃に備えなければならない。

 雅彦がそう思い、敬の挙動に意識を向けた時、雅彦は自分の考え違いに気が付いていた。

 ――いや、違う。

 まだ、終わっていない。

 終わってなどいないのだ。

 タンクローリーは、からではなかったのだ。

 そこに積まれていた物、それが辺りに撒き散らされて、それがかなり近くの位置にいる、雅彦にもその中に詰まれていた『液体』が浴びせられていた。

 強烈に鼻を衝く臭い……

 思わずむせ返りそうになる液体。

 それはガソリンであった。

 敬にとっては、その攻撃は二回目以降は、必ずと言って良いほど使用している御馴染みの手であった。

 ガソリンや、他の可燃物を撃ち出して、そしてその炎を利用した攻撃、これが二回目以降の闘いではかなり有効な戦略であった。

 一瞬、溺れそうなほどの量のガソリンを体に浴びた雅彦は、それでも常人ならばその勢いに押されて転げてしまっていた所を、踏ん張って耐えていた。

 その視線は、空中に浮かぶ物を捉えていた。

 雅彦はそれを見詰めた。

 それが何なのか、分からない訳ではない。

 あまりにも鮮やかで、そして見事なタイミングでそれは雅彦の3,4m手前の宙を舞っていた。


 それは火の付いたライターであった。


 

 

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