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      ヒーローの任務

 ヒーロー、小山田正義おやまだまさよしは、最初の戦闘を終えても、またいつもの日常を続けていた。


 正義にとっての、いつもの日常とは、部屋に閉じこもり、パソコンかテレビに没頭する事だが、いつもと違う事があった。

 それは、どこかそれら全てに対して、いつもよりも二の次というか、何かの時間潰しをしているように見えるのだ。

 どこか落ち着かず、そわそわしているように見える。

 自分の出番が間近に迫った新人の舞台役者が、舞台袖で緊張しているような光景を思わせる姿だった。

 だが、緊張してはいるが、それが来なければ良いとは決して思っていないようだった、心底待ち焦がれて、辛抱できないという風に見える。

(次の……、次の戦いはまだか……)

 正義は、これまで二回の戦いを経験していた。

 一回目の時は楽勝だった。

 正義の体は、想像の中のヒーローの動きそのままに、いや、それ以上に軽やかに、そして力強く躍動する事が出来た、相手は抵抗してきたが、超人化した正義にしてみればそれは抵抗の部類に入らない、子供に指でつままれたアリが、その指に噛み付くよりも遥かに微々たる反撃だった。

 常人からすれば物凄い速度での攻撃だったのだが、正義にしてみればスローモーションに見えた。

 時間にして一分もせずに決着を向かえる事となったほどだ。

 だが、二回目の戦いはそれなりに死闘だった。

 正義にしてみれば、一回目の敵は所詮はただの戦闘員、雑魚キャラだと思っている。

 どういうヒーロー物でも、大抵は最初に出てくるのは弱い敵と相場が決まっている、時に異様に強い敵に主人公がやられる場合ももちろんあり、そういう敵は最後の方のボスキャラ扱いになったりもするのだが、比率的に考えると、主人公であるヒーローの強さの引き立て役になる場合がほとんどだ。

 二回目の戦いには、それまで無かった武器が新たに追加されていた。

 それは剣である。

 テレビでクリムゾン・ジョーが使用している剣とそっくりな紅い長剣だった、それがコスチュームと一緒に置かれていた。

 もちろん躊躇う事も無く、それを装備した。


 試し切りをしたら、その切れ味には感嘆すらした。

 正義はその剣を手に取った時、うっかりと手を滑らせて、足元に剣を落としてしまったのだが、刃が下を向いて落ちた時、一息に根元まで深々と突き刺さった、それをみるだけでどれほどの切れ味を秘めているのかが分かる。

 自分の身体能力と、この剣さえあれば、敵がどういう相手だろうと問題にはならないのではないか。

 そう思ったのだが、やはり敵はそれなりに手強かった。

 部屋の外に出て、辺りを警戒していた正義に向かって、いきなり襲い掛かってきたのは、手に包丁を持つ鬼のような女であった。

 まるで気配も音も無く近寄ってきたので、さすがに正義も動揺したのだが、すぐさま、それに対して攻撃を仕掛けた。

 しかし――正義の攻撃はまるで霧に対して行ったように素通りし、その女の持つ包丁で避ける暇なく貫かれてしまった。

 驚愕する正義だったが、それよりも更に驚愕する状況が襲い掛かっていた。

 いきなり、正義は椅子に座っていた。

 身動きはまるで取れない。

 辺りは真っ暗だった、目隠しをされている訳ではなく、辺りの全てが黒く塗り潰されているようだった、その中で見えるのは自分の体だけである。

 両手両足が縛り付けられて、更にはヘルメット型の物が頭に装着されていた。

 これは一体どうしたのだろうか。

 正義はその超人的な腕力でそれから逃れようとしたのだが、無理だった、というよりもいつの間にかコスチュームではなく、普通の格好をしていたのだ。

 それは、突然訪れた。

 体のどの部分からだかはっきりとは分からない、しかしそれは小さな虫が這うように、どこかから現れて全身を駆け巡っていた。

 くすぐったいような、気持ち悪いような、そういう感触だった。

 悪寒が物凄くゆっくりと走るように、それらが盛んに動いているのだ。

 その速度は、恐ろしく緩慢なのだが、確実に全身に広がりつつあった。

 しばらくして、正義の鼻に嫌な臭いが漂ってきた。

 思わず、鼻を塞ぎたくなるような、肉の焦げる臭いだった、それも生物を皮ごと焼いた時の臭いである。

 何か?

 それはすぐに分かった。

 分かると同時に、吐き気を催していた。

 その臭いの正体は、自分の肉が焦げていく臭いだったのだから。


 その時に、正義は全てを理解していた。

 これは……電気椅子だ、と。

 今では、アメリカでしか行われていないというが、死刑の際に囚人をそこに座らさして、固定し、電気を流すという単純な死刑器具だ。

 それに今自分が座らされていると言う事を正義は理解していたが、理解した所でどうしようもない、逃れる術などは無かった。

 喉から声とは言えない、ただ喉が痙攣して息が漏れている音が響いていた。

 手足の指先が突っ張り、口からは唾液が流れ出ていた。

 先ほど、どこかから現れた小さな虫というのは、電流だったのだ。

 それが今や、体中を余す所無く満たしていた、その小さな虫は心臓にも這いずり回り、脳にも達している。

 不思議と痛みは無かったが、不快感と、心臓が鷲掴みにされているという恐怖が、正義を支配していた。

 ヒーローは恐怖を感じない!

 それが、正義の中のヒーロー像だったが、その恐怖は人の心を蝕むには充分過ぎた。

 悲鳴が漏れ、そして股間からは液体が流れ出ていく感触を、太股が感じ取っていた。

 失禁である。

 それだけではなく、生温かい感触が尻の方からも伝わってくる、脱糞まで正義はしてしまっていた。

 それは無理も無い。

 それほどまでに死の恐怖は人の精神にダメージを与えるのだった。

 正義が意識を取り戻した時、その心の中は怒りに満ちていた、今の攻撃に対する屈辱の怒りと、それに悲鳴を上げた自分に対する恥辱の怒りの炎である。

 自分が、実は死んでいないという事実よりも、遥かにその怒りの方が大きくて、思わず目の前が真っ白になるほどの憤怒に包まれていた。

 正義は叫んでいた。

 もう一度あの攻撃を喰らう訳には行かない、そういう思いだけは明確に浮かんでいる。

 叫びながら、腰に下げていた剣を手に持った、その剣は正義の意思に応じてその長さを変える事が出来るというのを、その時初めて知った。

 ほとんど本能的な勘だけで、正義はその武器の特性をこの状況で最大限に利用する方法を考え付いていた。

 そして、その剣を目一杯伸ばした、最大で約20mもの超長剣である、しかし敵がまだ見えないのに剣を伸ばしたところでどうしようと言うのか。

 正義の動きは単純だった。

 その伸ばした剣を腰の辺りの位置に保ち、そして剣を水平にしながら、そのままぐるりと360度回転したのだった。

 

 恐ろしく切れる剣なのは確認済みだが、これほどまでに切れるとは想像を超えていた。

 その剣は、電柱も、家の外壁も、止まっている車も、何もかもを切り裂いた。

 まるで豆腐に刃を入れるように、まるで何の抵抗も無かった。

 敵が半径20m以内に潜んでいるのならば、今の攻撃で何らかのリアクションが有るはずだった。

 防御する手段があるとは思えないが、もし有るとすれば剣の手応えで分かるし、傷を負うなり、避けるなりすればその音を察知する事が出来るだろう、もしも何も無ければ、逆に近くにはいないという証明にもなり得る。

 さっき襲ってきた鬼のような女、あれは実体の無い存在のように思えた、あれを操っている奴がどこかに隠れている可能性が高い、そう思っての今の攻撃である。

 だが、万が一、あの霧のような奴と戦わないといけないのならば、物理攻撃は捨てなければならないだろう、これはかなり苦戦の予感を感じさせる。

 正義が、また先ほどの死の恐怖を喰らわないように、周囲に警戒をしていた時。

 ――実は、その時には既に勝敗は決していた。

 正義の超人化した聴覚が、どこかの物陰から女の悲鳴のような音を捉えていた。

 その声の主の姿を確認する間も無く、気が付くと、正義は自分の部屋に戻っていた。

 どうやら意外と呆気無く勝利を得たらしいが、それがヒーローらしいかと言うとさすがに言葉に詰まる。

 だから、次に、怪人と戦う時には、絶対に格好悪い所は見せない、正義はそう心に強く誓ったのだった。

 

                                ・


 そして、現在に至る。

 『現在』とは三回目の戦いの事だ。

 もう既に始まっている。

 新たな武器は支給されていないが、それで充分だった、以前の汚名を返上する為にも、過剰な装備はむしろ邪魔である、そう正義は考えている。

 いつものように、家を飛び出すと、やはり全てが停止している世界の中で、正義は敵を探した。

 どこにいるのか。

 前回の戦いは、明らかに迂闊だったと反省している。

 自分の力を過信しすぎるな、という一つの良い教訓になった。 

 ああいう、精神攻撃をしてくる怪人もいるのだ、最初の時のような雑魚戦闘員とは勝手がまるで違う事を肝に銘じなければならない。

 だから、油断無く周囲に意識を張り巡らせているのである。

 そして、そのお陰で既に気が付いている。

 背後の物陰に、何かが潜み、それが自分に向かって視線を向けているという事に。

 あえて、それに気が付かないフリをしている。

 ヒーローは相手の行動を逆手に取る行動を取る、相手は自分が気づいているとまるで思っていないに違いない、その動揺の淵で感じる絶望こそが悪党には相応しい、そう正義は思っている。

 ある意味では、他の戦いの参加者の誰よりも、この世界に順応しているのがこの小山田正義であった。

 しかし、別の意味ではこの戦いの本質にはまるで触れていないとも言える、どこかゲームのようなリアリティの薄い世界を楽しんでいるようにすら見える、この世界を楽しむでもなく、悲観するでもなく、義務とする訳でもなく、仕方なくするのでもなく、本気でこの世の為と称し純粋に敵を倒そうとしているのは正義ただ一人だけだろう。

 だが、それが正しい事なのかどうか、誰にも判断する事は出来ない、完全に思い込んでいるだけだが、これほどまでに世界の為に何かをやっている人間は他にそうはいないのではないだろうかと思えてしまう。


 正義は、腰の剣をいつでも抜けるように準備している、背後の敵が襲いかかってきたら、カウンターで斬り捨ててやるつもりだった。

 呆気無い結末になるかもしれないが、実力差が有るのであれば仕方が無い、前回の戦いも時間的にはそれほどかかっていないが、あれは苦戦の部類に入ってしまうと思えるので、あっさりと勝つ時も有っても良いと正義は考えている。

 神経を集中させている。

 しかし、気が付かないフリも続けて、町を歩いている。

 その時だった。

 背後から何かが飛び出す音が聞こえた。

 

(今だッ!) 

 

 正義は、絶好のカウンター気味に剣を振ったが、それは見事に避けられていた。

「何ぃ!?」

 標的が人間であれば、今の速度で充分に間に合う攻撃だった、仮に避けられたとしても体のどこかを傷つけるはずの剣の軌道である。

 それが避けられたのは、単純に狙った相手の体の面積が、正義の想像以上に小さかったのが原因である。

 正義の剣を掻い潜ったのは人ではなかった。

 犬。

 いや、それを犬と呼んで良い物なのか分からない。

 土佐犬というグレート・デーンやらブル・テリアなどの様々な犬種を交配させて、闘犬用に作られた猛犬がいる。

 成犬ともなれば、その大きさはかなりの物になるが、今正義が見ているそれは、その大きさと同程度だろうが、体のあちこちが奇妙だった。

 ただの犬にしては、体の部分部分が不自然なのだ、右肩の部分は異常に筋肉が張っており、まるでゴリラのようである、体にはワニの持つ鱗のような物が見えるし、尻尾も犬の物というよりもそこに長い蛇が生えているように見える。

 獰猛さも、犬などより遥かにこちらの方が上のように見える、牙は唇を突き破り、唾液を常に地面に垂れ流し続けている、両眼から放たれている眼光は病的なまでな色を灯している、まるで紅い球体を二個詰め込んだだけのような眼だった。

 犬よりも肉食の何かもっと獰猛な存在のように見える。

 口から発せられる唸り声は、この世の物ではなく冥府の使いが発する呪詛のように禍々しい、それを聞いただけで数日間は安眠する事は出来なくなるだろうと思える声だった。

 こんな生き物とは、街中でも、山中でも、どこでも出来る事ならば、生涯決して遭遇したくなかった。

 だが、その生き物を前にして、正義の口には笑みが浮かんでいた。

「面白い! 今度は動物型の怪人か!」 

 正義は決して虚勢ではなく、素直にその怪物を前に喜んでいた。

 

 戦いが始まろうとしていた。

 



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