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Battle 6 小山田正義

 人には人生で何度か主役になれる瞬間がある。

 

 少なくともその機会は訪れるはずだが、大抵の人はそれに付属する様々な責任やら何やらが絡んでいて、自らその役目を辞退してしまう場合が多い。

 その役がもたらす重圧に耐え切れ無いのだ、あるいは恥ずかしさもある、自分はその役には向いていないと自分で勝手に判断してしまうのだ。

 それか、それが訪れる前にこの世を去るか、どちらかだろう。

 小山田正義おやまだまさよしにとって、それは間違いなく小学生の時に訪れていた。

 それは、間違い無く、正義にとってはもっとも輝いていた時代であった。


 小学生の低学年の時から正義感の強い少年だった。

 クラスにいじめっ子がいて、何人もの同級生がそいつに泣かされても、正義は何度も注意をして、その度に殴られたり嫌がらせをされたりしながらも、それでも自分自身が正しいと思っているから、決して退かなかった。

 だが、それでも相手は同級生なのに、一回り体格が大きく、いつも正義は負かされていた。

 その頃、正しい事をするにしても、力が必要であるという事を正義は学んだ。

 だから、親に頼み込んで、小学校二年生になると同時に、近所の空手道場に通う事となったのだ。

 寸止めの伝統派空手ではない。

 直接打撃を当てる流派の空手だった。

 正義は、学校が終わると週に三回、その道場に通った。

 そして道場に通わない日でも肉体の鍛錬を怠らなかった。

 道場では柔軟体操をやり、基礎練習をやり、組み手をやった。

 最初の頃は、体のあちこちが痛くて仕方が無かった。

 それは筋肉痛でもあり、また打撲でもあるのだ。

 組み手をやる際に、その道場では大人も子供も関係なく全員でやる、その時に相手が大人の場合、小学校低学年を相手に本気で打撃を打ち込んでくることはまず有り得ない。

 問題なのは、同じ程度の年齢の場合だ。

 子供同士なので、大人のようにそれなりのやり取りが出来ない。

 出来たとしても、徐々に熱くなれば、練習とはいえかなり強烈な一撃が入る。

 正義も、小学校低学年から始めているので、早いほうとはいえ、親が空手をやっていると幼稚園くらいの頃から習っている同年代の子供もいて、あるいは小学校高学年の手加減を知らない相手には、かなりボコボコにされていた。


 プロテクターを装備していて、そして顔面無しのルールとはいえ、直接的な打撃の威力はかなり恐ろしい物がある。

 前蹴りを防御をせずにまともに喰らえば、そのダメージは大きい。

 顔面ならば歯か鼻骨が折れる、胴体ならば肋骨を痛める。

 拳もグローブを着用しているのだが、まだ小さい正義にとってはそれは巨大な物だ、大人だけでなく、小学校高学年の相手の左の軽いジャブで、体が動かされてしまうほどの威力がある。

 そういう環境で体を鍛えた結果。

 正義は、学校でいじめっ子に対しても強い態度で対峙する事が出来るようになった。

 喧嘩で勝ったというのとは違う。

 実は、そのいじめっ子も同じ道場に通っていて、いつの間にか仲が良くなってしまったのだ。

 もちろん途中では何度も組み手で周りが止めるほどの激しいやり合いをしたのだが、それも逆に親交を深めるの一役買った結果となった。

 運動だけでなく、正義は勉強に対しても真面目に取り組み、成績は常にトップクラスだった。

 文武両道を絵に描いたような少年、それが小山田正義であった。

 もちろん、女子にも人気があり、バレンタインデーはいつもかなりの量のチョコを貰っていた。

 学校で受け渡しが禁止になってからは、家のポストに名前だけ書いて放り込まれていた事が何回か有った、同級生だけでなく下級生や、時には上級生からもそういうプレゼントがあるほどだった。

 それだけでも学校の人気者として、その地位を確立していたのに、正義は更にその立場を強める機会に巡り合ったのだった。

 

 それは、正義が小学校六年生の話だ。 

 未だに空手を続けており、その体格は中学生にも見劣りしないほどになった正義は、それでも無駄に暴力を振るう事無く、温厚でそれでいて力強い生徒を続けていた。

 学校では生徒会長を任されるほどだった。

 そんな中、正義の住む地域で、変質者が多発するようになった。

 いわゆる露出狂という奴で、女児の前に現れては、陰部を露出して逃げるという、割とポピュラーなタイプの変態だった。

 ニュースで見たら特に目新しく、また恐怖心を書き立てられる訳でもないが、それが地元となると話は違う。

 被害者の話を聞くと、どうやら同一人物のようだが、いつも証拠を残さずに、相手一人の時にだけ現れて、すぐに逃げるという、そして顔は巧妙に隠されていて判別が出来ないのだ。

 正義は、その事件に憤慨ふんがいしながらも、漫画のようにそいつを捕まえてやろうとは考えなかった、それは警察の仕事であり、自分のような子供が首を突っ込んで捜査を邪魔してはいけない、そう考えていた。

 それは紛れも無く正論だった。

 だが、運命という物が有るのならば、それは間違いなく正義を導いていた。

 正義が塾の帰り道、ちょっと自習に時間をかけすぎて、帰りが遅くなってしまった時だった。

 時間は夜の十時近く。

 一応、中学は私立の少し難しい所を狙っているので、その位の時間まで勉強しているのは正義にとっては日常だった。

 その帰り道で、突然悲鳴を耳にしたのだ。

 女の声で有るのはすぐ分かった。

 それも、大人の女の声ではなく、自分と同年代の子供の声だ。

 声を聞いた瞬間に、その声の方角に正義は駆け出していた。 

 そして、曲がり角で、遭遇してしまったのだ。

 その話題の露出狂と。


 醜い三段腹と、その下に更に醜い物を晒している男だった。

 どう考えても、この男が犯罪を犯していると言い逃れが出来ない状況だった。

 顔は花粉症の人のようにマスクで隠している、それに眼鏡をかけているのだが、そのフレームがかなり太い為、顔のほとんどの部分が隠されていた。

 その腹からして、年齢は30歳を超えているかもしれない。

 正義を見ると、男は顔がほとんど見えないながらも、動揺しているように見えた。

 だが、それも突然目の前に現れた人がいたというだけの動揺で、相手が子供であると認識したら、ほとんど消えてしまったようだった。

「どっか行け! ガキ!」 

 マスクの中からくぐもった声がした。

 その声を聞いた瞬間、正義の中で何かが燃えていた。

 それは正義感なのだろう、これまで感じた事の無いほどの強い怒りを伴った正義感だった。

 男の声は、普段の大人が子供に向けて発するような言葉ではなく、相手を威嚇する為だけに使うような声だった、普通の小学生なら身を竦めていしまうほどの剣幕だ。

 だが、正義はそんな物には慣れていた。

 道場の鬼のような師範代と比べたら、小鳥のさえずりに等しい、それにその格好で何を言われても滑稽なだけだ。

 すぐに構えを取った。

 それでも、僅かにこのような事態に巻き込まれた緊張感は感じている、試合前の緊張感とは異質なものだ、それにあまりにも唐突過ぎる。

 普通――、大人と子供が戦う状況になって、両者が素手の場合、子供の方がいくら格闘技を学んでいても、大抵大人が勝つ。

 大人の中でも小柄な人がいるので何とも言えないが、身長差と体重差が勝敗を決めてしまうのだ。

 いくら空手を学んでいても、いくら中学生に見間違われる事が有っても、まだ発展途上の未熟な肉体である正義にもそれが当てはまる。

 相手は体重だけなら正義の3倍、身長は少なく見積もっても20cm差は有るだろうか。

 だが、それでも勝ちの目がまるで無い訳じゃない。

 勝算は充分にあった。


「どけえぇっ!」 

 男は、正義が退かない事を悟って、力づくで突破しようと突っ込んできた。

 動き自体は肥満体の割りに悪くない、学生時代に何かの運動をしていたのかもしれない、並みの小学生ならば吹っ飛ばされてそれでおしまいだろう。

 だが、正義は冷静に相手の動きをよく見た、そして動いた。

 いくら多少は動きが良くても、単調な動きだ、それに――急所が文字通り丸見えだった。

 正義は右拳で相手の顔面を狙う動きを見せた、だが、それはフェイントだった。

 男は見事にそれに引っかかり、意識を上半身にのみ集中させた。

 その瞬間に勝敗は決していた。

 右拳と同時に動いていた、右足が相手の股間に吸い込まれるように動いていた。

 暗がりだった為と、その拳のフェイントに気を取られ過ぎた為、男は正義の蹴りにまるで反応できなかった。

 子供の蹴りだろうと、それが空手を何年も学んでいている者の蹴りで、それも股間急所に綺麗に入れば、それはもう悶絶するしかない。

 鋭い蹴りが命中していた。

 何かが潰れる音と、嫌な感触が正義の右足に響いていた。

「――あぎぃ!」

 男は、恥も外聞も無い悲鳴を上げて、そこで倒れこんだ、そしてそのまま失神してしまったようだった、男の下半身の部分から色こそ暗がりで分からないが、水溜りが広がっていた。

 恐らく失禁したのだろう。

 正義は、汗こそ掻いていないが、興奮と緊張の為僅かに紅潮こうちょうしていた、息もほんの少し荒くなっていた。

 達成感が正義を貫いていた。

 自分はこの時の為に、空手を学んでいたのだとすら思った。

 程度こそ軽いが、間違いなく相手は悪だ、それを倒したという事に対する強烈な快感が浮かんでいた。

 

 しばらくして、警官が集まり、正義は倒れている男についての事情を説明した。

 正義は警察から表彰された。

 学校でも、校長先生が朝のスピーチで正義の事を我が小学校の誇りとまで言った。

 お手柄小学生と言う事で、テレビまでが来た。

 もちろん、学校でもこれまで以上のヒーロー扱いだった。

 正義が名前も知らない相手から、挨拶をされるのが当たり前のような日常、それも事務的な挨拶ではなく好感を含んだ挨拶である。

 商店街を歩けば、気軽に声を掛けられる、そして時には何かをくれた、大抵それを正義は断るのだが、相手はそれでも引き下がらないので、正義もありがたく頂く事にしていた。

 一種のバブルに似た熱狂が学校全体を包んでいた。

 そういう人気者は妬まれる事があるのだが、それすらも正義には皆無だった。

 全てが味方であり、そしてその誰からも好感を持たれる生活、理想的とも言える環境がそこに有った。

 正義は、照れながらもその状況に幸福感を感じた。

 この時、まさに人生の絶頂と、そう呼んでも良かった。


 ――だが。


 それも長くは続かなかった。

 絶頂と言う事は、そこから下ると言う事なのだ。

 正義は、親の都合により、転校する事が決定したのだ。

 惜しまれた。

 クラスでも、お別れ会が開かれ、また親しい友達の間でも何回かお別れ会が開かれ、空手の道場でも開かれた。

 計10回に迫るほどの回数のお別れ会を開かれて、正義はその土地を後にする事となる。

 だが、正義は知らなかった。

 小山田正義の人生はそこから大きくズレる、いや狂う事となるという事を。


 



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