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      同族嫌悪

 それは、皮肉にも似た光景だった。

 

 逃げる者――山南敬やまなみたかしの顔に浮かぶのは笑み。

 追いつかれたら、肉も骨も関係無く焼かれて、拷問以上の苦痛を味わい絶命を免れないのは容易く想像が付くというのに、それでもなお、どこか楽しげにすら見える表情で、道路上に”停止”している車の間を縫うように走っている。

 速度自体は、バイクでの走行に匹敵するほどの全力疾走なのだが、まだ敬の息は切れていない。

 顔には汗が浮かんでいて、決して少しも余裕は無いのだが、それでも走っている。

 追われているというのに、追い詰められた物特有の、どこか息苦しいような表情はまるで無く、その眼には普段は絶対に浮かべないような、闘志に似た物が浮かんでいる。


 追う者――高梨健吾たかなしけんごは、もはや人とは判断出来ない存在と化している。

 火車かしゃという妖怪がいる、全身を炎に包んだ車の妖怪で、死者の亡骸を墓場から奪い去っていくという、その妖怪にその姿は似ているようだった、先ほどまではただの炎の塊だったのが、道路を疾走している間に、車を巻き込んで、その車が炎の体に幾つか巻き込んだ姿がまさにそれを連想させるに値する姿であった。

 もちろん車は、健吾の周囲の炎に巻き込まれて、少しの間は纏わり付くが、すぐさま燃えてしまう、その際に車のガソリンに引火するのだが、その爆発によるダメージは皆無である。

 その大きさは、片側二車線のその道路の半分を埋め尽くすほどの大きさであり、その存在感はあらゆる生命体とも異質であり、そして圧倒的であった。

 健吾は、客観的に見てどう考えても優位な立場にいる。

 全身に纏っている炎はどんな強固な鎧よりも堅牢で、しかも本人には作用しないが鉄をも溶かす高熱を帯びており、敵は接近戦を行うどころか近づく事さえ出来ないでいる、しかも、その炎を自在に操っての攻撃も可能であり、それにより絶対的な防御とそして多彩な攻撃という攻守共に優れた武器を健吾は手にしている事になる。

 それなのに顔に浮かぶのは、まるで身を切られているような悲壮感である。

 常人が一秒足りとも耐えられない苦痛に絶えず責められているように、まるで吸う空気全てに鋭い針が混じっているような苦痛を感じさせる表情だった。


 敬が望む物は生。

 自分自身の今までの存在に対する怒り、何もしてこなかったという怠慢さに対する怒りが今の敬を支えている、この戦いに生き残り、そして元の世界に戻ったら、自分を磨き上げる為の努力をする、いや、しなければならないという、今までまるで湧いてこなかった感情に突き動かされているのだ。

 その為には、こんな所で死ぬ訳には行かない。

 今まで、楽な方、楽な方へと人生を推し進めてきたツケのような物を今、体感しているのだと敬は思った。だからこの絶体絶命とも思える過酷な試練を乗り越える事は、今までの怠惰な自分の人生に対しての一つの区切りでもある、そう考えているのだ。

 だからこそ諦めない、敬にとって背後から追ってくる健吾自体というよりも、普段の日常に戻って過去の自分と決着をつけなければならないのだから、むしろ健吾に構っている場合ではないと思っているフシも有るほどであった。

 しかし、また同時に、僅かの隙で命を落としてしまう状況である事も分かっている。


 健吾の望む物は死。

 自分を最も愛してくれた存在、それに対する一切の報いも出来なかった自分に対する、激しい罪悪感と絶望に打ちのめされ、生きる事が何より苦痛と感じてしまっているのが、今の健吾の精神状態である。

 苦しすぎて、じっと待つ事すらもままならない。

 僅かの時間も今の健吾には耐え切れない、だから、望む。

 『早く殺して欲しい』と。

 それなのに目の前の相手はそれに足る力量が無い、そう判断した健吾は、目の前の相手――山南敬を、すぐさま殺してしまい、次の相手が自分を殺してくれる事を願っている。


 対照的な二人であるが。

 似ている部分もある。

 それは、自分自身に対する嫌悪感である。

 敬は、少なくとも過去の自分。

 健吾は、今現在の自分。

 互いに強烈な嫌悪感、むしろ憎悪に似た物すら感じているのだ。

 これは、普通に幸福に生きている人間では理解出来ない感情かもしれない。

 そういう意味では、互いに他人には理解できない気持ちを分かり合える同士ともいえるのかもしれない。

 だが、その部分では共感できるのだろうが、共感できた所でそれがどうだというのだろうか、この二人が例えどこかの居酒屋で酒を酌み交わしても、互いの意見を共感できるかもしれないが、それはまるで救いにはならないのだ。

 同じ部分が欠けたパズルのピースのようなものだ、互いの存在はそれを埋める物足りえない。

 せいぜいが、共感という名の同族嫌悪に似た物を感じるだけだろう。

 どこか、互いに分かり合いながら、お互いの見たくない部分を見せ合うような、そんな感じの対話となるだけに違いない。

 ましてや、その二人が居酒屋ではなく、このような極限空間で出会ってしまったら、もうそこに一切の妥協点は無く、そこに待つのは――


                       ・

 

 敬は車道を走っている。

 映画のように、車の屋根を足場にして走ってみたい欲求も有ったのだが、そうすると明らかに足場を狙われたりして隙が出来るし、何よりも直線的に走るよりも速度が落ちてしまうので敬はそれを諦めた。

 若干、呼吸が荒くなっているが、まだ充分に余力が残っている。

 ジョギングを一週間程度した所で体力がこれほど付く訳が無い、この空間での力の増大と考えて間違いないだろう、身体能力とか持久力が普段とは桁違いに上昇しているのを感じている。

 全力で走れば、背後から迫るあの炎の化物を、振り切る事も可能ではないかと思えるほどに、だ。

 だが、それをあえてしないのは、相手が追ってくるからこその作戦を考えているからだ。

 敬は文字通り死が背中に張り付いている状況でありながら、冷静に相手を分析していた。

 そして分かった事がある。

 あくまで推測ではあり、むしろ直感に近い物で有るのは分かっているが、自分の考えを肯定する材料がある。

 それは今、自分が生きていると言う事だ。

 何を考えているかと言うと、あの背後から迫る炎。

 あれは、普通の炎とはまるで異質の炎であると言う事。

 水中でも、決して消えない炎。

 そして人の意思で操れる炎。

 そういう物なのだ、と思っていしまえばそれまでだが、先ほどの車のガソリンに引火させた不意打ち。

 あれで、自分が死んでいないのが、ある一つの仮説を成立させる。

 つまり、あの炎が可燃物に接した事により発生した炎と、最初から健吾の周りに発生している炎とは、相容れない存在ではないかという仮説だ。

 分かり易く言えば、現実の炎と、あの異常な炎は、高熱を帯びているという部分だけが同じなだけのまったく異なる物体なのではないかと言う事だ。

 もしも、あの炎が、ガソリンに引火した事により、その炎の力も吸収していたなら、自分が飛び退いていてもそれに対する追撃により捕まっていた可能性が強い、しかし、それは無かった。

 そして、今現在も背後から追ってくるあいつは、路上の車を関係なく追って来るが、その際に車を巻き込んでそれが爆発しても、まるで炎の量は変化せずに一定を保っている。

 

 それはどう言う事なのか。

 その部分が敬が生き残る道なのではないかと、今考えている。

 その時、背後から何かが風を切って向かってくる音がした。

 敬は、振り向く動作をせずに、両足に意識を集中させ、その瞬間に普通に腕に力を入れて力瘤ちからこぶを出すようなくらい自然に、両足がまるで獣のような異常な太さに変化し、爆発的な脚力で斜め前に移動していた。

 今の敬は、肉体の一部を”強化”するという感覚を完全に掴んでいた。

 敬が移動して一秒もせずに、先ほどまで敬がいた場所に、強烈な爆炎が舞い上がった、アスファルトはどろどろに溶けて、車道脇の街路樹が燃え上がっていた。

 もしも、避けなければ、それだけで確実に命を落としていた攻撃である。

 健吾が、背後から手を伸ばすようにして、炎の一撃を放ったのだ。

 放ったと言っても、銃のように炎を打ち出した訳ではなく、拳を打ち出したのに近い。

 どうやら、あの炎は切り離しは出来ないようだ。

 それも敬は、冷静に読んでいた。

 もし仮に出来るのならば、既に敬の行く手を遮るように、炎の雨が降り注いでいてもおかしくないが、それをせずに先ほどのハンマーのような一撃を放ってくる事がそれを証明している。

 どうするか。

 敬が真剣に考えているのは、今の事だ。

 自分に出来る事を真剣に考え、そしてどうすればそれが実現し、その成功率をいかにして最大限まで高められるか、それが自分の命を救う手段であると確信しているからだ。

 ふと学生時代、友人たちと『今のままの身体能力と頭を持って、幼稚園からやり直したいなぁ〜』とか言っていたのを、敬は思い出した。

 それは一種の現実逃避であり、そして今の敬が言える事は、そのような事をいう人間は何かの間違いで仮に幼稚園の時代に戻れたとしても、大した人生を歩む事など出来ないという確かな実感がある。


 ”今”を見詰め、そして”今”と向き合い、”今”を友にして。

 未来へと戦いを挑む事こそが人生であると、敬はそう思っている。


 敬は走りながらある物を探している。

 それは道路を走行していれば、いずれは目にするはずであろう物なので、見つからなければどうしようと焦ってはいなかったが、それでも背後からの攻撃には決して気を許さずに、僅かな空気の流れすらも敏感に察知して動いている。

 先ほどの攻撃と同等の攻撃を、もう何回か仕掛けられているが、その全てを客観的に見れば紙一重で、本人からすれば確信的に避けている。

 背後から攻撃を仕掛けている健吾からしてみれば、まるで背中に眼があるように避けられるのが不思議で仕方が無い、そのせいで攻撃がまた荒くなり、命中精度を落としているのだが、本人にしてみればこれは戦いではない、害虫を殺虫スプレーをもって追いかける主婦の戦いのような、それだけのものでしかない。 

 だがそれでも、焦りこそ無いが、違う感情を健吾は抱いている。


(う……、ううう……、どうして――。ちくしょう……、ちくしょう……) 


 それは、敬が、時折健吾を振り返ってその存在を確認している時に見せる視線のせいだった。

 あれは……、あの眼は……

 自分とは違う眼だ。

 だが、自分に近しい人がよく見せた眼である、決して泣き言など吐かず、常に前だけを見て、そしてそれでいていつも自分の事を気にかけていた人の眼。

 そう――健吾の母親とまったく同じような目線を自分に向けてくるのだ。

 それが健吾には居た堪れなくて仕方が無い。

 その眼で俺を見るな! と叫びたくなるほどの感情が、健吾には渦巻いている。

 思わず、追いかける足が止まってしまいそうなほどの動揺を健吾は感じているが、それでも今更追いかけるのを止める事は出来ない、しかし苦しさは先ほどの何倍も健吾を苛むようにして、襲い掛かってきている。

 敬は、本人も想像もしていない所で健吾に精神的なダメージを与えていた。


 そうとは知らない敬は、とうとう目的の場所を発見していた。

 この戦いの最終局面。

 ここで決着を付けられなかったら、自分の敗北であると確信できる場所。


 ガソリンスタンドを敬は見つけていた。




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