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      桜梅桃杏

 

 桜梅桃杏おうばいとうりって言葉が大嫌いだった。


 その言葉を知っている奴らが、誰もが凄く良い言葉だとか言うのも気に入らなければ、その意味も気に喰わない。

 初めて知ったのは確か中学生くらいの時だったと思う、同級生が「この言葉が好きでさぁ〜」と言うのを聞きながら、妙な違和感を感じていた物だ(もちろん口に出して言ったりしなかったけど)。

 元から素直な性格じゃなかったから、反発しているだけかもしれないってのは分かっている、嫌いな理由もほとんど言いがかりみたいなものだ。

 その言葉の意味は、その桜は桜らしく、梅は梅らしく、桃は桃らしく、杏は杏らしく、自分らしい花を、その花なりに精一杯咲かせなさいとか、そういう意味で、一般的には反感を持つ余地もないはずだが、どうにも気に入らなかった。

 桜は桜って、それは花ならばの話で、それが人ならば結局どれだけ頑張っても桜は梅にはなれないのか? とかいちゃもんを付けたくなるのだ。

 それに桜の樹に梅の花が咲くのが面白いんじゃないか? とかも言いたくなる、そりゃ本当の桜の樹に梅の花が咲いたら異常かもしれないけど、人の意外性とか、あの人も見かけに寄らないなとかそういう物が有るのが人間じゃないのかとか思ってしまうのだ。

 しかも、自分がどんな花なのか分かっていれば良いが、それが分からないから必死で頑張っているというのに、自分が鼻息荒くしている横で「自分らしくで良いじゃないか、無理すんなよ」と言われても困る、こっちはその”自分らしさ”とやらを探そうと、必死で模索しているというのに。

 それに自分らしいってのが分からない。

 結局の所、人間なんて自分自身を「あ〜、俺はこういう奴なんだ」って思う事と、そして周りから「あいつはこういう奴だ」とか思われて、そうやって自己を形成していくもんだと思う。

 そのせめぎ合いの中で、「俺は〜だ」的な事を思うようになるんだろう。

 でも、大抵はそれは過小評価だったり、過大評価だったり、あるいはまったく的外れの思い込みだったりもする。

 自分自身の事は自分が一番分かっているようで、実はまったく分かっていないものだ。

 自分がどうしたいのか、一体何が出来るのか、その全てを把握して、そして行動に移せる奴なんて少数派だ。


 じゃあ、今のこの状況はどうだ?


 山南敬やまなみたかしは、その川の土手の草が生い茂っている場所に背中から叩きつけられていた。

 さっきまでいた場所から、距離にして50mも離れた場所だ。

 いや、爆発の威力でそんなに吹っ飛ばされた訳じゃない。

 爆発に驚いて思いっきり飛び退こうとしたら、足がまた一瞬で丸太のように太くなり、そこから生み出された驚異的な瞬発力から、弾かれるように吹っ飛んだのだ。

 さっき足が変化した際は無事だった靴も、その時の爆発的な勢いのせいで破壊されて、今は素足の状態である。

 敬の右手には銃が、まさしくこの戦いの命綱も同様なので、しっかりと握り締められている。

 敬は勢い良く吹っ飛び、そのまま土手に突っ込んでいた。

 だから、突っ込んだ時に多少体を打ちつけたダメージはあっても、火傷もほとんど負っていない。

 しかし、もしも土手の土の部分じゃなく、板チョコのような形をしているコンクリートが敷き詰められた場所に突っ込んでいたら、それだけでかなりのダメージを負っていたかもしれない、そう考えると幸運に違いなかった。

 意識が僅かに朦朧もうろうとしている。

 こういう状況。

 敵から一時は逃れる事は出来たが、後30秒もしない内に、また敵からの攻撃が始まり、絶望的な逃避行を演じなければならないのを考えると、まるで遠足に来た時のように、この芝生の臭いを嗅ぎながら、土の感触を味わいながら、もう逃げる事なんて止めて、静かに自分の最後の時を迎えても良いとふとそんな事を考えてしまう。

 少なくとも、敬の事を知っている周囲の人間ならば、誰もが敬がここからまた必死に走って逃げ延びて、そこから逆転の一手を決められると思う奴なんてまずいない。

 そして、敬が知っている山南敬じぶんじしんも、こういう状況なら、もう諦めたようにここで敵が近寄ってくるのを待って、そして形だけの反撃をして最後にはやられてしまう道を選ぶだろうと思う、一応抵抗はしたしやるだけの事はやったと、そうやって自分を慰めるんだろう。

 自分は根性の無い奴だ。 

 それは間違い無い、自分らしい行動をするんなら、ここで死ぬ以外の道は有り得ないだろう。

 

 じゃあ、どうする? 


 よくよく考えると、あの言葉が本当に嫌いな理由が分かってきた気がする。

 あの言葉が嫌いなんじゃない。

 俺は、自分自身が嫌いなんだ。

 少なくとも、一週間ほど前の戦いをする以前の自分。

 怠惰に身を浸し、何の希望も持たずに、ただ日々をのうのうと過ごすだけの自分。

 積み重ねてきた物なんて凡そ何も無く、そしてこれから先も何もしようとしない自分。

 そのうちに、何の努力もしていないのに、自分以外に対する不平不満ばかり言うようになるだろう、テレビを見て政治家とかに「お前ら良い大学出てだから何とかしろよ!」とか言うだけ言って、自分は人事のように振舞うようになる、募金箱を見れば「俺にも募金して欲しいよ」とか平気で言うようになるかもしれない。

 そんな自分が、吐き気を催すほど今は嫌いなんだと断言できる。

 昔から、薄々気が付いていたが、それに気が付かないように必死に隠していた、気が付いてしまったらもう手遅れな感じが本能的にして、隠して隠して隠し通してきた。

 だが――

 気が付いてしまった。

 そんな自分自身を、心の底では自分が一番嫌っているという事に。

 その事に気が付いたら向き合わなければならない。

 どうにかしなければならない。


 生きると言う事は自分の可能性と戦い続ける事と等しい。

 それと同等に、自身の過去と対峙し、それを乗り越える事にこそ価値がある。


 過去を乗り越えるにはどうするのか。

 人はどれだけの事をしても、過去を消し去る事は出来ない、影のように付き纏って離れようとはしないものだ。

 人の歴史は常に過去への挑戦と言っても過言ではない。

 反省すべき過去は修正し、偉大な過去はそれに見習って更にそれを凌駕する物を造り上げるのが使命と言えるのかもしれない。

 人類全体ではなく、人に関して言えば、過去に何か偉業を成し遂げている人間は、自分の過去の成績を目標とするだろう。

 例えば野球選手なら、去年の成績を超える打率や守備率などを残せるように。

 歌手なら、前作を超える売り上げを出せるように。

 役者なら、以前の演技よりも評価されるように。

 

 だが、何もしてこなかった敬は何を乗り越えれば良いのか。

 

 過去を乗り越えるには――


 敬はその身を、よっこらしょという呑気な雰囲気で起こしていた。

 その目の前には、既に殺意が漲るように感じられる健吾が迫っていた。

 皮膚を焼くような温度の塊が襲い掛かっていた。

 敬の視界は真っ赤な炎で埋め尽くされていた。


                      ・

 

 今の攻撃、高梨健吾たかなしけんごは、ん? と思った。

 攻撃して、相手が避けたのを確認して、即座に攻撃目標を背後にあるワゴン車に変えて、いわば奇襲のような形の攻撃をしたのだが、もちろんそれで殺せるとは思っていなかったが、多少の動きは止まるだろう、そしてそれは致命的な隙で、次の瞬間には火達磨ひだるまにしてやるつもりだった。

 だが、予想に反して、敬はそれを避けた。

 しかも、ただ避けるだけではなく、自分から距離を取るように避けた。

 健吾は苛立った。

 弱い癖に逃げるのだけは上手い死神だと思った。

 こういう奴が一番嫌だ、さっさと死んで次の奴を寄越よこして欲しいと健吾は叫びたかった。

 だが、そうしたところで願いが叶う訳ではないのは充分に理解している、健吾は素早く動いて、やや離れた場所の土手で仰向けに転がっている敬に向かって駆け出していた。 

 自分が近寄っているというのに、ふらふらとした足取りで敬はゆっくりと起き上がる途中だった。

 まるで真っ赤な竜が、獲物に向かって骨をも焼き尽くす息吹ブレスを吐きかけるように、健吾は炎の塊を敬に向かって打ち出していた。

 一瞬で、草が生い茂る土手が、まさに焼け野原へと変貌していた。

 焼夷弾が着弾したような、そんな光景がそこに広がった。

 敬の姿は無い。

 今の高熱の地獄で、骨すらも消滅してしまったのだろうか。

 違う。

 健吾はすぐにどこに行ったのか予測し、上空を見上げた。

 そこには、両足が胴体よりも太くなった状態で跳躍している敬の姿があった。

 今の攻撃を避ける為に、真上に跳んだようだった。


(馬鹿か? 上空に跳んだ所で一時凌ぎに過ぎない、その後の真下で待ち受ける俺の炎をどう防ぐつもりだ――)

 健吾は、そう思いながら、まるで容赦せずに自身の炎を、飛び降り自殺を図っている者を保護する為のマットを敷くように、決して敬を取りこぼさないように広げていた。

 もちろん、この状況では意味合いがまるで逆で、そこに飛び込んだら助かる目は一切無いのだが。

 炎が土手を覆い尽くすように展開された。

 まるで炎の華がそこに咲いたようなあでやかさであったが、それに見とれる者はその場には一人もいなかった、それに艶やかであり存在感のある華ではあるが、どこか毒々しさを感じさせずにはいられない大輪の華であった。

 敬がここに迎え入れられるように落ちれば、待つのは純然たる死だけだ。

 食虫植物に捕らえられたハエのような運命しか待っていない。

 炎に飲み込まれてからでは、どのような策も、思考も、意味を成さないだろう、怪物的な身体能力を発揮する前に焼き尽くされてしまうに違いない。

 確かに健吾の考えたとおり、地球上に引力が存在する以上、上空に舞い上がった者は落ちるしかない。

 上空で何らかの方向転換の術を持たない限りは。


 敬は、健吾の上空を舞いながら考えていた。

 この戦い、炎の怪物との戦い以前に、自分自身との葛藤にケリをつけなければならない。

 おかしな話だった。

 命のやり取りをした以前でも、これほどの葛藤が胸には生じなかった。

 あの時は、痛みやら、興奮やらで思考が麻痺していたからだろうか?

 だが、確かに、一つの考えが明確に浮かんだはずだ、あの戦いが無ければ恐らく一生思いつくことさえ出来なかった考えが。 

 一人の命を奪って、隠しようの無い高揚と、そして恐怖を味わったあの日、自分は今までの自分との決別を胸に誓ったはずだ。

 そう――

 過去を乗り越える為には、自分自身を殺す事に他ならない。

 乗り越えるべき、自分自身との決闘なのだ。

 新しい自分を生み出す為には、これまでの自分が決してしなかった事をして行くしかない、だからランニングを始めたりとか、色々しているが、それだけではまだ足りない。

 では、どうすれば良いのか?

 とりあえず笑おう。

 こんな危険極まりない状況で、客観的に見たら笑う余地の無い絶望的な状況で、以前の自分ならば間違いなく引き攣ったような表情しか浮かべられなかっただろうが、今は違う、逆に笑ってしまおう。

 こういう状況を楽しめる人間、逆境を自分を鍛える為の試練の場と考えて、そして心底楽しむ人間になるのだ、どういう道でも笑って歩む。

 何故なら、今の自分は、これまでの自分とは違う自分なのだから。

 敬の唇には、緊張感溢れるこの状況とは対照的に、まるで新しい玩具を与えられた子供のように、無邪気な笑みが浮かんでいた。

 

 健吾はそれをしっかりと眼にしていた。

 焼き殺されるしか道が残されていないというのに、そこには虚勢の作り笑いではなく、真の笑みが浮かんでいるのだ。

 敬が、とうとう気がおかしくなったのかと思った。

 だが、次の瞬間、まだ敬がまるで諦めていないという事を健吾は悟った。

 空中の敬の右手に構えられた銃から、先ほどのような水の塊が撃ち出されたのだ。

 先ほどの川での一撃だけではなく、何発分かの水の弾丸を補充していたのだろう、当然と言えば当然の考えだ、炎に対する武器として真っ先に思いつくのは『水』、それをあれだけ潤沢に補充できる場所は他にはそう無い、そう考えると何発分も補充して置きたいと考えるのが人と言う物だろう。

 敬は一切の迷いも無く、また本当にしっかりと狙いを定めたのか分からないほど、構えたらすぐに撃っていた。

 もちろん、そんな攻撃は健吾には通じない、毛ほどのダメージも無く、その水の”弾丸”自体はあっさりと炎の壁が防いでくれる、水が一瞬で気化し、水蒸気が撒き散らされるがその高温の水蒸気すらも、壁自体がしっかりと防いでいる。

 しかし、敬の狙いは攻撃ではなかった。

 その銃を使用する事によりその反動で、真下に広がる健吾の炎の包囲網から逃れる為の攻撃であった。

 敬は、土手の反対側の道路へと、空中で方向転換し、そして健吾の視界から消えた、また、先ほどの水蒸気が上手く健吾の視界を遮る目隠しの役割を果たし、追撃も難しかった。

 健吾は、土手をすぐさま乗り越えて、敬の後を猛然と追う。

 ここで、見失って隠れられたら――自分の周りの炎が不意打ちをされて困るような脆弱な物ではない事は認識しているが――敵の姿を見つけるまでに時間が掛かる、それが健吾には鬱陶しかった。

 

 だが、予想に反して、土手を乗り越えた健吾は、敬をすぐに見つけていた。

 探すまでも無かった。

 土手沿いの道路の先。

 車が渋滞というほどではないが、視界には10台以上は”走行中”だが全て”停止”している車の一つの上に立ち、何と敬は健吾に向かって手を振っているのであった。

 距離にして100mほどは離れているとはいえ、そんな余裕を本来は見せていられない距離である。

 それでも、敬は「こっちだよ」と言わんばかりに、まるで友達に振るように気軽に手を振っていた、そしてその口元にはまだ不敵な笑みが浮かんでいる。 

 そして――

「楽しもうぜ……、なぁ?」

 敬が普段とはまるで違う口振りで、そう言うのを健吾の聴覚は捉えていた。 

 健吾は、その今までと違う敬の様子に構う事無く、猪突猛進に敬に向かって動いていた。

 健吾が動くのと同時に、敬も動いていた。

 健吾に向かうのではなく、背中を向けて道路を走り始めたのだった。


 二人の戦いはいよいよ最終局面へと向かおうとしていた。






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