殺してくれ
山南敬は、もう陽が沈みかけている河川敷で、ブランコに座って呆然とした表情の高梨健吾に銃を突きつけている。
「……聞きたい事がある、質問に答える以外は一切の行動を許可しない」
敬は冷徹な口調でそう言い放った。
普段の彼からは絶対に発せられない感情の篭らない言葉である。
この世界――相手を殺さなければ生き残れない世界において、情だとか遠慮だとかは不要、はっきり言って邪魔なだけだ。
客観的に見て、今現在有利な状況なのは敬である。
玩具のような銃ではあるが、その威力は紛れも無く本物であり、しかも”弾丸”は、弾倉の部分にある黒い球体に、何か適当な物を押し当てたら恐らく無制限に使用できるはずだ。
一方の健吾は、まだ武器らしき物も取り出していない、そして戦う為に必要な体勢もとっていない。
一方が武器を持ち立っている状況で、もう一方が座ったまま武器も持っていない状況、しかも辺りには咄嗟に動いても身を隠せるような場所は無く、動いてもただ的になるだけだろう。
しかも敬と健吾の距離は15mほどは離れている、健吾がどれほどの身体能力を持っていようと、飛びかかろうとしてもその瞬間に反撃を喰らってしまう距離である。
圧倒的なほどの状況的な差があるように思える。
それなのに、どちらも余裕も怯えもその表情には浮かんでいない。
敬には僅かな緊張が感じられるが、それ以外は冷徹な仮面を被っているように見える、一方健吾は精巧な実寸大の人形がそこに置かれているように、どういう感情もその表情から窺えなかった。
いや、健吾に関して言えば何の感情もない訳ではない。
一つの感情、例えば絵の具で黒を混ぜれば、他の色が黒に吸収されてしまうように、健吾の中の一つの感情が他の全ての感情を塗り潰しているだけなのだ。
そう、身を押し潰すほどの、絶望という漆黒。
それが、健吾の中で激しく渦巻いているのだ。
敬は、健吾の内面までは読み取れないので、そのまま言葉を続けている。
「あんたが誰だとかはどうでも良い、仮に耳が聞こえなくても、日本語が通じなくても関係無い、とりあえず動いたら撃つ。それを前提にして質問する……」
敬はそう言い切った、明らかな警告であり、そしてその言葉通りに行動出来る自信が敬にはある。
相手の体の中心に狙いを定めてある。
相手が僅かでも動いたら引金を引けるように、指を引金にかけた状態である。
ぴぃんと張り詰めたような緊張感が漂っているのだが、健吾はそれでもその銃口を恐れていないような素振りがある。
しかし、敬の言葉通りに動きを止めて、敬の声に耳を傾けているようにも見える。
「まず、一つ。あんたが知っている事、つまりこの戦いについて知っている事って意味だが、それを全て話してもらう」
そう問いかけたのだが、健吾は一瞬口を開こうとしたが、それを止めて、口を閉じそのまま沈黙を保った。
「……」
黙している健吾を問い詰めるでもなく、敬は質問を続けた。
「二つめだ、あんたも以前誰かをこの戦いで殺したのか? あんたにとってこの戦いは何回目だ? 一回目じゃないだろう、もしそうならもう少し動揺していてもいいからな」
このような状況に置かれながら、しかも目の前には奇妙な形をした銃を持った男が現れていながらも、平然とブランコに座り続けられているというのは、こういう状況を過去に味わったと言う事だろうという、敬の推測だった。
「……」
それでも健吾は何も語ろうとはしない。
(何でだ……)
敬は自問していた。
相手が何故答えないのか? とかそういう疑問ではない。
何故、自分はこういう質問をしているのかと思っているのだ。
相手に動くなと言ったり、こういう質問をしたり――、躊躇しているのか俺は!?
本来ならば、いきなり攻撃を仕掛けるべきだったのだ。
相手の姿が確認できたら、手に持っているこの銃であればかなり遠くから撃っても威力は発揮するはずだ、それなのにここまで近寄ってくるのは自分自身でも説明がし辛い。
本能に近いものがあるのかもしれない。
この距離まで近寄る必要、声を掛ける必要、それを敬は感じていたのかもしれない。
だが、それは本能とは名ばかりの、人の命を奪う事に対する恐怖ではないのか、話をして殺さなくても済むのならそうしたいと、そんな弱気な事を考えているのではないのか、あるいはまだこっちの姿を相手が確認する前に攻撃する事を卑怯だとでも思っていたのか?
だとしたら大笑いだ。
自分がこの前、殺した松林も、草葉の陰で笑っている事だろう、今ここで相手が無抵抗だからって躊躇うようなら、遠距離から先制攻撃するのが卑怯だと思うようなら、『あの時俺の代わりに死んでくれていたら良いのに』と言われてしまうだろう。
駄目だ……、敬は自分に言い聞かせた
(もっと冷たい物を心に抱かせろ、上辺だけじゃなく、口だけじゃなく、吐く息すらも冷気を感じさせるほど心を凍て付かせるんだ、人間的な温かさはここでは命取りになる、ここはそういう場所なんだ!)
敬の眼に、松林に最後の一撃を撃ち込んだ時のような力強さが宿っていた。
眼に力が溢れるだけで、人相というのはこれほど変化するのかと思えるほど、敬の表情は変貌していた。
これまでは、鋭いと言ってもそれは所詮上辺だけで、ほとんどどこにでもいる平凡な顔付きだったのに、真の意味で視線が鋭くなっただけで、全身から研いだ刃のような気配が漂ってくるように感じるほどだった。
殺る。
申し訳無いとか、躊躇とか、卑怯とか、そういう言葉はどっかのゴミ箱に放り込んでやれば良い。
今まで日常生活で必要な、思いやりだとか、相手に対する気遣いだとか、そう言う物はこの世界ではただの贅肉に過ぎない。
削ぎ落とせ。
徹底的に削ぎ落とさなければ、この過酷な戦いは生き残れない。
そもそも動いたら撃つとか言っているが、もう撃っても良いんじゃないか?
相手は質問に答える気も無さそうだし、相手が何か攻撃やら動きをする前に攻撃した方が話が早いんじゃないか?
そうだ。
もう、探りとか、そういう小細工は一切必要無い。
この戦いが何の為に行われているとか、自分と同じ立場の人間ならば多分知らないだろうし、何か知っていたとしてもそれが本当かどうか確かめる術も無い。
生き残る為には、殺れる時に殺るしかないのだ。
敬は、その眼が徐々に鋭さを増している事を巧妙に隠しながら、指先に力を込めようとしていた。
その時だった。
「……し……れ……」
心の葛藤のせいで気が付くのが遅れたが、ブランコに座っている男――健吾は何やらブツブツと呟くように何か言葉を繰り返していた。
敬は攻撃する手を止めて、その言葉を聞き取ろうとした、本来ならば余程近くにいても聞き取れないほどのか細い声だ、唇すらほとんど動かしていない呼吸音が漏れているような声である、だが今の敬の異常に発達した聴覚ならばその言葉を拾う事が出来る。
だが、それでも本当に僅かな声なので理解するまでに時間が掛かった。
「……してくれ……」
「……殺し……れ……」
「……殺して……くれ……」
その言葉の意味がようやく分かった。
間違い無く「殺してくれ」と、そう言っている。
だが、その言葉を何故この男が何度も何度も何度も繰り返し呟いているのか分からない、何かの策なのだろうか、それとも本心で言っているのだろうか?
何か異様な物を感じた。
その時、敬の眼は信じられない物を見ていた。
「何っ!?」
思わず声が漏れてしまっていた。
ブランコに座っている健吾の右手に、いつの間にかさっきまで持っていなかったはずの物が握られているのだった。
一体いつそれを取り出したのか、まるで見えなかった。
それは携帯電話サイズだが、あきらかにライターのように見える物だ。
巨大とまでは言えないが、通常のライターよりも二周りは大きい代物だった。
これがこいつの”武器”なのだろうか?
敬が驚愕している間も、念仏のように健吾は「……殺してくれ」を呟き続けている。
どういう相手なのだろうか、これは。
敬はこの相手を判断しかねていた。
敵意も殺意も感じない。
松林の時のような恐怖も感じない。
だが、あの時以上の何か異常な気配は感じている。
やはり、先手必勝で攻撃を仕掛けたほうが良いのかもしれない。
だが次の瞬間、敬は予想外過ぎる物を眼にしていた。
健吾が動いたのだ。
動いたと言っても、敬に向かってくる動きでも、敬から逃げる動きでもない。
まったく別の動き。
手に持ったライターで火をつけたのだ、それだけならば普通の動きであるが、健吾のとったそれは普通とはかけ離れている。
健吾はそのライターで火をつけ、それを自分の上着に燃え移らせたのだった。
「何だってぇッ!?」
さすがに敬も予想外の行動に、思わず高い声を発していた。
自殺か?
それならば何も手を下さずに終わる事になる、それならばこれ以上楽な事はない。
いや、だが――
相手が何をして来ようと関係ない、自滅を待つだけという消極的な行動は、今回は切り抜けられても、いずれまた同じような戦いが訪れた時に致命的になるのではないだろうか。
ここで、相手の行動を待つだけでは、所詮は命がけの戦いに生き残る事なんて出来やしない。
敬の眼が驚愕の視線から、一転して細くそして鋭い物へと変わった。
「言ったはずだ――”動くな”と、それは例え自分の体に火をつけるっていうイカれた行動でも”動いた”事には変わり無い……」
敬の内部で強烈な殺気が膨れ上がった。
その言葉を発した瞬間、敬は引金を二回引いていた、そして敬の手に持った銃から物凄い勢いで拳ほどの大きさの”弾丸”が二発放たれた。
その”弾丸”は、さっき敬が拾って込めておいた”石”である。
そしてその弾丸は、二発とも見事に既に上半身が異常な火力で燃え盛っている健吾の胸に命中していた。
健吾は弾丸の勢いで、ブランコから吹っ飛び、地面に仰向けになって倒れていた。
健吾はまるで動かない。
それでも炎は容赦なく体を包み込み、まるで目の前で火葬が行われているようだった、いや、それは意味合いとしては実際の所間違ってはいないのかもしれないが。
勢い良く炎は健吾を包んでいる。
何かのテレビか本で見たが、人の体は焼かれるとイカか何かを焼いた時のように体が曲がるとか、一瞬起き上がる様に見えるらしいが、そういう気配は一切なくただ炎が物凄い勢いであがっている。
この時、敬は気づいていなかった。
その異常な事に。
戦うはずの相手が、自らの体に火をつけるという異常のせいで、もう一つの本来ならば気付いているはずの異常に気が付いていなかったのだ。
今の敬は五感の全てが常人とはかけ離れたほど鋭くなっている。
それなのに、その嗅覚を刺激するはずの、人の肉が焼けるという嫌な臭いがまったくその鼻に届かないのは何故なのか、本当ならば僅かでも疑問に思うべきだったのだ。
敬は迂闊だった。
無用心にも、その燃えている健吾に歩み寄っていたのだから。
敬を救ったのは、幸運なのだろうか、それとも勘?
一瞬、皮膚がザワつくような感触を味わって、敬は咄嗟に後方に飛び退いていた、それが敬の命を紙一重で救っていた。
もしも飛び退いていなかったらどうなっていたか、それはさっきまで敬が立っていた場所に立ち上る火柱が明確に説明していた。
いつの間にか、健吾は立ち上がっていた。
弾丸が胸に命中したはずだが、ダメージが見られない。
その全身は炎に包まれているが、その炎の下から着ている衣服が見える、つまり炎は健吾の衣服はもちろん肉体も一切を焼いていないのだ。
どう言う事なのか、敬は一瞬で頭を働かせた。
間違いなくあの”武器”である、ライターの特性というか特殊能力による作用で有るのは分かる。
そして、その炎はそれに全身包まれている健吾には無害でも、それを敬が喰らえばただでは済まない事も分かる。
しかも、さっきの弾丸が間違いなく的中していながら、それでも立ち上がっている事から、あの炎が想像以上の防御力も秘めており、道端に転がっている石程度を何発いや何十発と撃ち込んでもダメージにはならないという事だけは分かる。
今までの全て、ずっと「殺してくれ」と呟いて、攻撃らしい攻撃をしてこなかった事などが、敵の策なのかどうなのか、敬には判断できない事だった。
少なくとも、この前の松林の倍以上の恐怖を敬は味わっていた。
健吾は今では、体だけではなくその周りの空間も焼き尽くすような強烈な炎の塊と化していた。
真上に立ち上る炎の高さは、マンションの四階分に匹敵するほどであった。
擬人化した太陽と思えるほどの熱気、熱風が敬に浴びせられている、健吾の足元の草木がその炎で燃え上がっている、つまり近寄ったら敬も同じ運命を辿るという事になる。
一体どういう攻撃をすれば、効果的なのか咄嗟にはまるで思いつかない、それほどの存在となっている。
(こ……、こいつと……、こんな奴と戦えってのかよ!?)
そんな敬の耳に、健吾の声が届いていた。
通常ならば、声というのは空気を振動させるもので、酸素を消費して燃焼し続ける炎に包まれている人間の声は聞こえないはずだが、それでも
微かな声ではあるが明確に敬に聞き取れていた。
「俺を……殺してくれ……」
圧倒的な熱量の怪物となった健吾は、近寄る事も困難なほどの暴虐的な炎の鎧に身を包み、絶望的なほどの炎の壁とすら思えるほどの質量を誇りながら。
まるで、倒れた兎に牙を打ち込む寸前の獅子ほどの、優位な立場に立っているように見える状況でありながら。
それでもなお、自らの命を絶つ事を敬に懇願していた。




