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      電話の男        

 たかしが、周囲の異常事態に戸惑いながらも、鳴り続ける携帯に救いを求めるように出たのは、携帯が最初に音を発してから1分も経ってからだった。

 通常、電話の中で着信音を一分間も鳴らし続けていたら、車内の誰もが注意をする者は居なくても侮蔑と非難の視線を浴びせるのだが、今回は誰の視線も敬には注がれない。

 何しろ、敬以外の全てが完全に静止しているという異常事態の真っ最中である。

 敬は携帯に視線を向けた。

 誰から電話がかかってきたか、本来ならば画面に表示されるのだが、その表示は無い。

 恐る恐る電話に出ると、ほとんど習慣で「もしもし……?」と、敬は言っていた。


 「やっと出たか、このまま出なかったらどうしようかと思っていたんだ」

 若い男の声に聞こえる。

 敬には聞き覚えの無い声だった。

 「もしもし?」

 馬鹿の一つ覚えのように、敬はそれを繰り返した。

 「あー、時間が無いから、必要な事だけ言うぜ」

 敬との会話が煩わしいように、電話の男は一方的に言った。

 だが、さすがに温厚で大抵の人の意見に流されやすい従順型の人間である敬も、この異常事態の説明を求める為に、電話の男に声を発していた。

 敬の日常では滅多に使う機会の訪れない、激しい口調だった。

 「何がどうなっているんだよ!? あんた誰だよ!」

 「はぁ〜」 

 電話口の男は、呆れるような面倒臭いようなため息を吐いた。

 まるで、子供嫌いの大人が、子供に何度も々質問をされた時のようなそんな投げやりなため息だった。

 「これから俺が言う事は、あんたの命に関わる事だ、この状況の詳しい説明なんて後で良いだろ? 例えばあんたが眠りながら海に落ちたとするよ、その時あんたに必要なのは状況説明じゃなくて、どうやったら助かるかの説明だろう? そういうモンだよ」

 分かりづらい例えだった。

 だが、男の言葉を信じるならば、この男はこの状況が敬の命に関わる危険性をはらんでいる物で、そしてその助けを与えてくれるという事らしい。

 「分かった、続けてくれ……」

 敬は、普段使わないような重い口調でそう言った。


 「物分りが良くて助かるぜ。わめき散らされたらもう切っちまおうかと思っていたんだ、そうしたらあんたは間違いなく死んでたね、断言出来る」

 どうやら危うい所だったようだ。

 そして、男にとって敬の命はそれほど重要なものではないという感触が言外から伝わってくる。

 「まず、あんたの体のどっか、ポケットの中とか探ってみ? いつも持っている物と違う物がどっかに有るはずなんだ、それを探せ」

 かなり確信を込めた言葉だった。

 敬は素直にそれに従って、ポケットを探った。

 ズボンのポケット、左右ともに変わった物は何も無い。

 尻もポケットも同じだ、もしも何か入っているなら手で探らなくても感触で分かる。

 敬はショルダーバックなどの類は持っていない、手ぶらだ。と言う事は、残されているのは上着のポケットか、その上のコートのポケットという事になる。

 コートの右ポケット内に手を入れた瞬間に違和感を感じた。

 明らかに自分が入れているティッシュ等の物とは違う、硬い感触が指先に触れたからだ。

 (?)

 敬は、いぶかしげに、そのコートの中の物を取り出した。


 それは奇妙な形をしていた。

 だが、それに類する物を、大抵の日本人は手に持った事は無くても、情報としては知っている。

 銃だった。

 銃と言っても、銃把グリップ引金トリガーは有るのだが、それ以外の物がまるで玩具のように奇怪な形をしていた。

 弾を込める場所、弾倉マガジンの部分に有るのは黒い球体だった、両手で掴むと僅かに指が余るほどの大きさの漆黒の球体が乗っかっている、そして銃口マズルの部分には、純白の掌に収まる大きさの筒のような物が付いているだけだ。

 これを銃と呼べるのか?

 子供の玩具にしても出来というか、趣味というかそのどちらかが悪い。

 それにしても、いつこれを入れられたのか、敬にはまるで思い当たる記憶が無い。

 敬の動きが止まった音に感づいたのか、電話の男は。

 「見つけたか?」

 と言った。

 「あ……、ああ。見つけたよ、何だコレ? 銃……なのか?」

 戸惑いながらも敬は言った。

 「銃? そうか銃か、強そうだなそりゃ」

 どうやらこの男、『何か』を敬が持っているというのは知っていたが、それがどういう形状なのかは知らなかったようだ。

 

 「それで……?」

 この先はどうすれば良いのか、その指示を敬は仰いだ。

 「試しに撃ってみろよ、まだほんの少しだが時間が有る、時間は有効に使わなきゃなぁ、タイムイズマネーだぜ?」

 男の言葉に従おうとするが、敬にはいまいちこの銃の使い方が分からない。

 本当の銃と同じならば引金を引けば良いのだろうが、それほど単純なものなのだろうか? と敬は思っている。

 とりあえず、敬は近くの扉に目掛けて狙いを定めた。

 一瞬、自分が物凄く馬鹿らしい事をしているような気がした。

 突然電話がかかってきて、そしていつの間にかコートのポケットに入っていた玩具のような銃を持って、真剣に狙いを定めて撃とうとしている。

 もし、周りの風景がこのように静止している状況で無いならば、絶対にやらないだろうと敬は思った。

 仕方無しに騙されたと思って、敬は引金を引いた。

 

 カチリ


 (……)

 何も起きない。

 弾丸は出ない、普通ならば当たり前だ、こんな玩具から弾が出る訳が無い。

 「撃ったのか?」

 電話の向こうから声が届いた。

 「撃ったけど……何も起きない、やっぱり玩具だろう?」

 「いや――、それは無い」

 妙に断定的な口調だった。

 自信と確信が混ざった声に聞こえた。

 「何かその銃に変わった所は無いか?」

 その言葉通りに敬は銃を調べた、すると確かに撃つ前と変わった所が有った。

 黒い球体の部分に文字が浮かび上がっていた。


 『充填中』


 それだけが、黒い球体に白い文字ででかでかと浮かび上がっていたのだ。

 「充填中って書いてあるけど……?」

 敬が戸惑いながらそう言うと、電話口の相手から笑い声が聞こえた。

 「ははッ! その銃は、あんたの性格を表しているんだよ、あんたは何かするにしても時間をかける腰の重いタイプの人間だろう? だから発動までに時間が掛かるんだ、良かったな俺が親切な奴で、いきなりそれだったらあんた何もしない内に死んでただろうぜ」

 男のあざけりを聞きながら、敬は腹が立つよりも、核心を突かれた気分だった。

 確かにそうだ。

 自分は、何をするにしても時間が掛かる。

 初めて携帯を買う時も、友達には学生時代に半年前から携帯電話を買うと言って宣言しておきながら全然買わなかった、待ち合わせに不便だからという理由で友達に半ば強制的に大手の電気店に連れて行かれて、そこで選んだ。その友達がいなければ恐らく後1年以上は買わずにそのままだったかもしれない。

 小学生の時の夏休みの宿題もそうだ。

 最後の最後に慌てるタイプだった、と敬は思い出していた。


 「ま、話はそれだけだ」

 唐突に絶望的な言葉を相手は吐いた。

 慌てて敬は食い下がった。

 「ちょ、ちょっと待ってくれよ! これからどうしろって!?」 

 「あんたの前に一人、誰か分からないが出てくる、まぁこの電車の中の奴だろうな、そいつと闘うんだあんたは、その銃で」

 とんでもない話だった。

 ごく普通の日本人の若者が、街中の喧嘩でさえも経験が無いというのに銃を持って闘えと?

 そんな事を言われて、はいそうですかと出来る物ではない。

 闘えと言う事は、相手も同じように銃を持っていると言う事か? 自分の銃は未だに充填中とやらで一体いつ撃てるか分からないというのに?

 その時、電話の男が最後の言葉を言い放った。

 「ああ、すまん。闘うんじゃない、言い間違えた」

 敬は少しだけホッとした。

 それにしてもそういう言葉を言い間違えるか? とも思った。

 「闘うんじゃない」

 男は一旦言葉を切って。


 「殺し合うんだ」


 その言葉と同時に電話が切れていた。


 慌てて敬はその電話口に叫ぶように言葉を浴びせたのだが、もう何の反応も無い。

 リダイヤルしようにも、相手の着信履歴すらも残っていない。

 普段掻く機会の無い、嫌な汗を敬は流していた。

 下痢でトイレの中で必死に苦しんでいる時に似た汗だった。

 マラソンなどの運動で掻く汗とは種類の違う、爽快さがまるで伴わない嫌な汗である。

 途方に暮れるとはまさにこの事だった。

 これは夢なのか。

 夢にしては酷い、まさしく悪夢だ。

 あるいは自分が狂ってしまったのだろうかと疑うが、疑った所でどうしようもない、せめてもの救いは自分の事を狂っているかもと思う人間に本当に狂ってしまっている人は少ないという事くらいの物だ。

 それははかない命綱のように敬には思えた。

 

 その時だった。

 車両内に動きが有った。

 これまで完全に静止していた風景から、まるでぬぅっと羆が後肢うしろあしで立ち上がるように、一人の男が長椅子から立ち上がったのだった。

 それは、ちゃんと電車が動いていた時に敬がほんの少しだけ視線を送った体のでかい男だった。

 男が席を立ったというそれだけの動作で、無風だった車両内に風とまでは言わないが、大気の動きをはっきりと敬は感じていた。

 激しい動きをした訳ではないのに、これほどの質量の肉体が動けば、それが何気ない動作でも普通の肉体が動くのとはこれほど違う物なのかと敬は思った。

 まさか。

 この人と闘えと、いや――殺し合えというのか?

 精神的な部分。

 人が人を殺すと言う事は本能的に抑止ストッパーが作動する、近親相姦にも似たような物が働くが、どちらも生命の根源的な本能の抑止だ。

 そういう精神的な部分を別にして、この相手を殺す事が出来るのだろうか、と敬は思った。

 出来る訳が無い。

 ちゃんとした銃でも、ちっぽけな口径の銃では頭か心臓に弾が命中しないととても動きを止められそうにない、もしかしたら筋肉が弾を止めてしまうかもという想像すらも敬は抱いていた。

 仮に木刀の類を持っていても、自分ではまるで歯が立たないだろう。

 昔テレビで、プロレスラーが体にバットを叩きつけられてケロリとしていた光景を見た事がある、この体の大きな男も、そのプロレスラーに負けず劣らずの肉体をしている。

 あるいは日本刀などの刃物ならば――

 敬はハッとしたように、そういう発想をしている自分に驚いていた。

 自分が人を殺すという事を、何の躊躇いも無しに思考しているという事実にである。


 そういう考えをしている間にも、体のでかい男は、敬の前に近寄ってきている。

 もし、本当に殺し合いをするのならば、近寄ってくる前に攻撃を仕掛けなければならない、これほどの体格差が有れば、接近戦になると圧倒的不利は子供でも分かる。 

 だが、攻撃を仕掛けてきていない相手に対して、攻撃できるような精神構造を敬は持っていない。

 それに攻撃手段も持っていない。

 右手に握られているのは、玩具のような不発の銃であり。

 他に武器と呼べるものは何一つ身に帯びていないのだから。

 男が立ち上がった時、敬は反射的に手に持った銃をポケットの中に隠していた。

 この銃を見咎められて、相手に攻撃をする口実を与えてしまうのが怖かったのかもしれない。


 体のでかい男は、敬から眼と鼻の位置に立ち止まった。

 「あ……、あの――」

 敬は勇気を振り絞って声をかけた。

 まるで、本当にヒグマに話しかけているような気分になっていた。

 生物的弱者は明らかに敬である、敬が出方を間違えたら、それだけで命を落としてしまいそうな状況だった。

 

 何で、こんな目に合っているのか。

 敬は、自分の不運をか、あるいは世界をか、神をか、何を恨めば良いのか分からなかった。

  

 敬は二十歳を超えた歳で初めて泣き出しそうになっていた。







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