LSD
山南敬……、彼は以前電車の中で、松林信弘という売れないプロレスラーと予期せぬ戦いを強いられ、そしてその戦いを生き抜いた、つまり相手の息の根を自らの手で止めたのだった。
それからの敬の人生は一変した。
ごく当たり前に過ごしてきた日々、それの全てがまるで輝く黄金のように感じられるようになった。
憂鬱で退屈に過ぎなかった通勤も、周りの人の観察やら、通り道に咲いている花や、道端の猫、そういう景色を見るようになると、毎日毎日違う顔を見せている事に気が付いた。
それが堪らなく面白い。
人との会話、それも普段は出来るだけ避けるというか、あまり敬は人と話をするのが好きなタイプの人間ではなかったのだが、今では比較的積極的に会話に参加するようになった、楽しいからだ。
何でこれまで休憩室でも黙って漫画を読んでばかりいたのかと思ってしまう、随分と無駄な事をしてきたような気がする。
会社で仕事を適当に(上司に怒られない程度に)こなし、残業を命じられなければ終業時刻と共にすぐに帰宅し、そしてテレビの前に寝転がる。
やりかけのゲームのどれかを進めるか、パソコンを立ち上げていつも見ているサイトをチェックするか、録画したテレビ番組か映画を見るか、週刊の漫画雑誌を見るか、バラエティ番組が始まりそうならテレビをつけてそれを食い入るように見るか、その合間に食事を摂り、それを就寝時間まで続ける毎日。
くだらない。
今の敬にとって、以前の生活を思い起こすと、何故だか腸が煮えくり返りそうになる。
自堕落とまではいえない、だがそれと大差の無い生活だ。
同僚でギャンブルに金を注ぎ込んで、給料日の次の週でも「金が無いんだよ〜」とか言う人と違うのは金がかかっているか否かの違いだけだ、向こうは時に勝つ事もあるから、そういう日々の変化があるかもしれないが、基本的に以前の敬の毎日には変化が無い。
だが、これからは違う。
何事にも積極的に挑戦して、自分の力を高めるように努力する。
これまでの敬の日々では考えられない選択肢が頭に浮かんでいる。
まるで、あの松林という男の意思が養分となって自分を高めてくれているようにすら感じる。
苦労や苦痛は避けられたら避けられたほうが良い、ずっとそう思っていた。
高校の体育の授業や、中学校でやったマラソン大会など、敬は基本的には嫌々参加していた、サボると後々面倒臭い事も有るし、それを言い出すほどの積極性も当時の敬には無かった、だが少しでも、平熱よりちょっと熱が出ていれば、それこそ平熱が36度2分だとして、36度5分あったら敬はマラソンをしなかった。
正当な理由という盾で自分を護り、そして堂々と休む。
人間の熱は、それほどではないが多少は上下する、だから37度を超えるくらいになると過度な運動は控えるべきだが、敬のその『熱が出た』状態では、まだまだ平熱の部類にあるのだが、敬はマラソンを休んでいた。
”基本的に根性が無い”
これが中学の時、部活の顧問が敬に言った言葉だった。
まったくその通りだと思う。
当時の敬は、顧問にそう言われても、へらへらと笑うだけで、憤慨も何もしなかった。 もしかしたら、顧問の先生は、あえて辛辣な言葉をかけることで、敬の発奮を促したかったのかもしれないが、その目論見は見事に外れてしまったようだ。
それからも特に根性を見せる気も無く、またそれが必要な場面にも出会わず、高校は受験勉強がそれほど難しくなく、そして家から近いというだけで受け、もう勉強はしたくないという理由で適当に就職面接を受けて、どういう仕事内容なのか詳しく知らないまま受かったからそこで働いていた。
また、仕事が退屈で、辞めたくて辞めたくて仕方が無いと思っていながらも、辞める為のあれやこれやの手続きが面倒臭くて、それに何かをする力も湧いてこないからただそのまま現状を維持してきた、それだけの毎日だ。
現状維持と言っても、人は何もしていなければ、それは筋力だけでなく知能も他の全ても緩やかな下り坂を進んでいるのと同じ事だ、いずれは何も出来ない人間に成り下がってしまうだろう。
だが、これからは違う。
苦労も苦痛も確かに避け続けられたらそれに越した事は無いだろう、だがそれは無理だ。
イメージとしては自分自身を飛行機と例えるならば、苦労や苦痛は敵が撃って来る機関銃の弾の様な物、ひらひらと華麗に避け続けられるのは理想だが、大抵の人間はいつかは直撃を食らってしまう、その時にどれだけ耐えられるかはそれまでの経験によるものだ、だから凡人である自分はあえて逆境に臨む。
それが今の敬の正直な心境である。
そうでなければ申し訳ないという気持ちの僅かだがある。
あのプロレスラーの松林信弘に。
敬は少し気になってネットでその名前を検索したのだが、かなり探さないとそれを見つける事が出来なかった、本当にマイナーな選手だったのだろう、それでもプロレスラーには違いない、またマニアックなサイトもあり、その中ではかなりの人気者だったようだが、皮肉も込められているように感じた。
どういう人間にせよ、自分はあの人の命を奪った。
だから、という訳ではないが、あの人に恥じない生き方をしよう、敬はそう思うようになったのだ。
だから会社でも、上司に対して意見を言うようになったし、同僚や先輩に気軽に声を掛けるようになった、始めこそ戸惑っていたようだが、今では以前のそれほど仲良くも無いけど、嫌われてもいない関係から、会えばそれなりに会話が発生する程度の関係にはなった、まだ職場全員と親しいとは言えないが、あせらずにじっくりとやっていくつもりが敬にはある。
敬は、会社から帰ると、いつもはパソコンの電源を上げるか、あるいはゲームの電源を入れるかどちらかしかしなかったが、今はちょっと違う。
まず始めるのは準備体操。
中学時代は部活で毎日やっていたが、高校時代からはほとんどそれらしい事はした事が無い。
だから、恐ろしいほどに体が硬い。
ちょっと開脚をするだけで、涙が滲むほどの激痛が走る、アキレス腱を伸ばすくらいならば普通に出来るが、前屈になると、もう悲鳴が出てしまうほど硬くなっている。
焦る事は無い、これまで何もやってこなかったツケだ。
人は何かを始める時に、それがあまりにも徹底しすぎると逆に失敗する、例えばダイエット。
今までの食生活から急激に減少させると、それは大抵失敗する、我慢しているというストレスが逆に悪影響を与えて、目標体重まで到達すると気が緩んでその反動で過食してしまい、リバウンドしてしまうケースは多々ある。
それと同じ事だ。
急に何かをやろうとすると失敗する、必要なのはちょっとした改善を毎日続ける事、煙草を止めたければ急に吸うのを止めるのではなく、週に一本ずつでもその数を減らしていく事が肝心なのだ。
だから、敬は運動を始めようと思った時から、少しずつその準備を始めている。
最初は柔軟運動だけ、だがこれも徹底して、やる。
まず体中の筋を伸ばす、ゆっくりと時間をかけて。
だが柔軟体操もやりすぎると逆効果になる場合もあるので、慎重に、それでいてしっかりと行う、寝る前と起きた直後、そして仕事場でもちょっと手の空いた時に体のあちこちを意識して伸ばす、これを三日ほど続ける。
最初はたかが柔軟体操で、体が痛くなった、伸ばしすぎて筋を痛めたのではなく、筋肉痛だ。
それから、ランニングを始めることにした。
仕事が終わるのが午後五時、そこから電車に乗って家に着くのが六時、多少空腹を感じているが、そのままジャージの上下に身を包み、きちんと運動用に買ったシューズを履いて、タオルを持って、そしてそのまま家の近くの河川敷に向かう。
そこのランニングコースを走る。
走る時に持っている物は、念の為の千円札と、ペットボトルの水、スポーツタオルと、携帯電話。
正直言って色々と持ちすぎだとは思うのだが、どれも必要だと思える物ばかりだ。
千円札は、例えば足を捻ったりしたら、それを使って家までタクシーでも拾って帰るのに使う、それに困った時と言っても些事程度ならば千円もあれば対応できる。
ペットボトルの水は、不要かとも思ったが、運動をして水分を摂らないのは良くないとテレビか何かで見たので必要だと思った。
タオルは汗を掻いてそのまま汗ダラダラで走るのが嫌だったからだ。
携帯電話は、何か有れば連絡に必要だ、それに今自分が何分走ったのかを知る為に時計の機能が付いているので役に立つ。
それらの装備を整えて、走りに行くのだが、最初は哀れなほどの距離しか走れなかった。
ちゃんと柔軟体操をしてからランニングを始めたのだが、時間にして二十分も経たずに、強烈な脇腹の痛みに苦しみ、足が止まってしまった。
情けなかった。
我ながら本当に情けない、中学時代は一応運動部だったので、毎日走らされた、運動が出来る方じゃなかったので運動部の中でも常に最後尾をキープしていた身分だが、それでも今の自分よりは動けていた気がする。
しかも、次の日にはしっかりと足に筋肉痛が走り、階段の上り下りだけでなく、ただの歩行にすら苦痛が生じた。
これまでの敬ならば、何かのきっかけでランニングを始めることにしても、その痛みに挫折していたかもしれない、「まだ足が痛いから……」という理由で、次の日は休み、そうしてズルズルと休み続けて、いつの間にかもう走るのは面倒臭いという風になっていただろう。
だが、今の敬は違う。
次の日も、痛む足を堪えて走った。
走る、と言ってもその速度はゆったりとした物だ。
LSDというトレーニング法がある、LSDとはロングスローディスタンスの略で、簡単に言えば長時間をスローペースで走る事により、毛細血管に刺激を与えて運動能力を高めるトレーニング方法だ、マラソン選手だけでなく、自転車の選手も行うし、基礎体力があがるので格闘家でもやっている人間はいる。
敬はそれを知ってやろうとしているのだ。
ゆっくりと、という部分が自分には合うような気がした。
だが、想像以上にキツかった、あの闘いからもう一週間は経つが、未だに早歩きに毛が生えた程度の速度で四十分も走ると、足がガクガクしてしまうのだ。
本来このトレーニング法では、最低一時間は続けないと効果が出ないと言われているそうで、中には二〜三時間もやり続ける人がいるというが、敬にはまだまだ先の話のように思えた。
それでも、ランニングの効果は顕著に現れ始めていた。
まず、朝。
あれほど起きるのが辛かったのに、時間が来て目覚ましが鳴ったら、驚くほどパッと眼が覚める。
日々体に何か憑りついているのではないかと思えるほど気だるかった体が、軽やかに動く。
基本的な体力、人としての生命力、それが向上しているのが実感できた。
今日も敬は仕事が終わって、即座に帰宅し、ランニングする為の準備を整えて家を出た。
柔軟体操をじっくりとやり、そして、いつものコースを走る。
とりあえず雨さえ降らなければ毎日続けるつもりだった。
これが中々、最近では楽しくなってきている。
今まで、中学の部活やら、高校の体育の授業などで走るのは辛かったのだが、自分のペースで好きに走るというのは、気分が良かった。
風も気持ち良いし、風景も見ていて飽きない。
体を動かす爽快さをこの歳になってようやく理解したような気がした。
その時だった。
風が止まっていた。
あらゆる音が止まっていた。
そして、敬の足も即座に止まった。
辺りを見回すが、近くには人の気配が無い。
遂に来たのだ――
その実感がある。
前の闘い、あれが一回で終わるとはとても思えなかった。
だから、常に電車に乗っている時にも気を張っていたのだが、そろそろ緊張が解けそうな、嫌なタイミングでまた訪れたのだ。
闘いの時が。
ポケットを探ると、そこには当たり前のように銃が入っていた。
馴染みのある手触りだった。
一見すると玩具屋で見かけるような物だが、それの威力を敬はもう知っている。
だが、若干以前と形が違うように見える。
銃の形は、銃把と引金は普通の銃と変わらないのだが、自動式拳銃ではなく回転式拳銃の弾を込める部分に当る場所、つまり回転式弾倉の部分に黒い球体が浮かんでいるのだ、そしてその先の銃口は本物の銃とは異質な筒のような物が付けられている。
そこまでは、以前と同じだが、弾倉の部分の球体がやや大きくなっている気がする。
しかし重さは変わらない。
この部分、黒い球体は何か物を近づけるとそれを”弾丸”として認識して、それが何であれ撃ち出せるという特性を持っている。
実際、以前は”鉄柱”やら”手首”やら本来はありえないものを”弾丸”として相手に撃ち込んだのだ。
この部分の大きさが変わったと言う事は、弾を込める数が増えたと言う事なのだろうか?
携帯電話が鳴るのを敬は僅かに待ったが、その気配は無い、仕方ないので電話の相手に質問するのは諦めて(というよりも前回のあの調子だと聞いてもちゃん答えてくれるか分からないが)周囲に敵の気配が無いかを探りながら、慎重にしゃがみ込み、足元の石を幾つが拾った。
そしてその拾った石を、右手で握っている銃の弾倉の位置にある黒い球体の真上からポロポロと落とした。
すると、石を三つほど吸い込んだと思ったら、他の石は全て黒い球体を素通りした。
どう言う事なのか。
試しに、敬は適当な場所に狙いを定めて、撃つ事にした。
これまでランニングだけではなく、エアガンを買ってきて、射撃練習も多少してきた、もちろんまだ一ヶ月も経っていないので射撃が名人クラスとはいえないが、多少は物に狙いを定めるのが上達したような気がする。
引金を引くと、銃口から先ほど落とした石が勢いよく撃ち出された。
続けて引金を二回引くと、後二つの石も撃ち出された。
つまり――
”弾丸”の許容量が、三つまでになったと言う事だろう。
この銃はこの全てが静止した空間ではないと使えない(というよりも日常空間では出現もしない)ので、敵が現れる前にこういう事が分かったというのは大きな利点だった。
この他にも幾つか試したい事が有り敬は試した。
そして弾倉に”弾丸”を三つ込めた状態で、ようやく敵を探し始めた。
相手が自分の様子を窺っているならば、不用意に動くのは危険だったが、妙な事にどういう行動も周りから感じられない。
だが、音がかすかに聞こえた。
全ての音が消え去っているから、その小さな音だけが耳に届く。
敬は耳を澄ませた。
聴覚が今までよりも遥かにクリアに聞こえるようだ、ある程度の距離があるのに、まるで耳元で鳴っているようにすら聞こえる、五感の全てが今までとは格段に向上しているようだった。
そしてその音の方に近付いて、ようやく動いている人の姿を見つけた。
自分と歳がそれほど離れていない男に見えた。
そいつは、余裕なのか何なのか、虚ろな視線でただ静かに何もせずにブランコに座わり、体を揺らしている、その音が敬の耳に届いたのだろう。
そこに辿り着くまでに、犬の散歩中のおばさんやら、ジョギングしているおじさん、自転車で缶を山のように積んで運んでいるおじさんも見かけたが、どれも全て止まっている、動いているのはそのブランコに座っている男ただ一人だ。
こいつが敵に間違いない。
敬は臨戦態勢のままそいつに近寄って行った。
いつ、そいつがこっちに攻撃を仕掛けてきても対応できる心の準備はしている。
そして敬は近寄りながら言い放った。
「……動くな」
その声に反応したのか、ブランコに座っている男は漕ぐのを止めて、敬の方向に視線を向けた。
まるで穴が開いたような視線だった。
真っ暗などこにも道が繋がっていないトンネルの穴のような、そういう視線だった。
山南敬と高梨健吾、この二人の異常な戦いが今、幕を開けようとしていた。




