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Battle 4 郡谷浩一郎

 郡谷浩一郎ぐんやこういちろうは、その異常な状況に置かれても、平然とそれを受け止めていた。

 

 望むべき機会が、遂に来たのだ。

 そのような感触が彼には有った。

 全てが静止ているその異常な空間の中、彼はただ静かにニ尺三寸六分(71,5cm)の日本刀を手に持ち、敵が現れるのを待っている。

 年齢は30の半ばなのだが、同年代の大半の人間がそろそろ下っ腹を気にするのに反して、彼には無駄な皮下脂肪がまるで見当たらない、まるで本人自身が抜き身の刀のように鍛え抜かれている。

 その出で立ちは現代の服を着ているのに、それを感じさせずに武士サムライを連想させる物があった。


                             ・ 


 郡谷浩一郎がいつから剣に興味を持ち始めたのか、それは本人ですら覚えていない幼い頃からだろう。

 実家が道場を経営していたのだ、この道場は曽祖父の代から開かれていたもので敗戦後GHQにより武道全般が禁止されたにも関わらず、こっそりと陰で教えていたという気合の入った道場だった。

 曽祖父が死去してからは、跡目を継いだ祖父が道場主と言う事だったが、その道場自体は浩一郎の父がそれを継がないと決意してから実質は潰れてしまっている、祖父はまだまだ現役だったが現代においてはもう不必要かも知れんなという理由で道場を畳んだが、あくまで金を取って人に教えるのを辞めただけで、一軒家の郡谷家には道場があり、そこで浩一郎は鍛えられた。

 父も道場経営を継ぐ気は無かったが幼い頃から剣道に関わっていて、三段を持っていたが、祖父はそれを凌ぐほどの腕前と、剣道に関する知識も豊富であり範士の称号を得ていた。

 範士とは八段を持っていないと受審する事すら出来ず、現代では九段・十段が廃止されているので最高位と言われている。

 鬼のように強く、そして厳しい祖父だった。

 年齢は六十を超えているというのに、その血色の良さは三十代のそれであり、肉体も若者にまるで劣らない物を維持していた。

 浩一郎はその祖父から徹底的に剣道の基礎を叩き込まれている。

 そのせいで小学生高学年の浩一郎はまだ初段でも無かったが(初段試験を受けられるのは中学二年から)、中学生とも互角以上に渡り合えた、もうすぐ段位に手が届くという実力者でも浩一郎にとってはぬるいと思わざるを得ない相手であった。

 家では浩一郎の相手は常に祖父か、あるいは父である。

 他の相手ではもう満足できないというか、子供に負けては相手が傷つくという配慮からそうなったのかもしれない。

 浩一郎は父と祖父、この二人と稽古をしながら思う所が有った。

 父は強い、中学生の浩一郎では手も足も出ないほどに強い。しかし、強いが甘い、それが浩一郎が稽古をつけてもらっていて感じた事である。

 祖父は違う、強くそして、容赦が無い、強さ自体ならば父と祖父の差は大差無いが、いざという時に相手の命を奪える凄みを祖父は持っており、その分が剣の差となっているのだ、祖父は浩一郎が隙を見せようものならば、実の孫であろうと骨を砕き歯を折るような一撃を平然と放つ、だから一瞬たりとも祖父と対峙した時は気が抜けない。

 剣士たる物、いかなる場合でも気を抜かないのが常識であり、それが試合形式の練習中ならば毛ほども油断するな、油断すれば死、それが祖父の理念であった。

 その理念を浩一郎は脈々と受け継いでいた。


 浩一郎は、剣道の腕を上達させるにつれて、胸の中に渇望を抱くようになっていた、それは現代において決して満たされる事の無い餓えである。

 真剣による勝負。

 それが彼の究極の目標である。

 戦いが終わった後、一方の屍をもう一方が見下ろす、そういう戦いを浩一郎は望んでいた。

 ただ、剣で相手を斬りたいという欲ではない、自分の命も厭わずに、相手と切り結ぶという経験をしてみたかったのだ。

 祖父と竹刀ではなく木刀でやりあった時は、肩を打たれて骨折した、だがそれでもまだ足りないのだ、あれほどの緊張感ですら自分はまだ満たされない、浩一郎は常にそう感じていた。

 鞘に収められている刀、そして抜かれる事の無い刃。

 それが今の浩一郎であった。

 真剣での勝負、そういう闘いならば鬼神のような強さを持つ祖父にも勝てると、中学生の頃の浩一郎はそれこそ大真面目に考えていた。

 もっともそれは思春期特有の誇大妄想だったのかもしれない、真剣で挑めば、相手ももちろん真剣を持ちいり、大怪我どころでは済まない結果になる可能性が高い、それなのに中学生の浩一郎は常にそういう考えを持っていたのだ。

 いずれは――

 真剣をこっそりと用意して、祖父にも持たせ、戦いをしてみたい、そういう欲望がある。

 誰も知られずに二人だけでどこかの草っ原で斬り合いたいのだ、祖父にそう頼めばあるいは祖父ならばその孫の申し出を嬉々として受け入れるかもしれない、そういう確信がある。

 浩一郎はそう思っていたのだが、その考えは脆くも崩れ去った。

 

 圧倒的な強さを誇る祖父でも、歳とそして病には勝てなかった。

 あれほどの肉体を維持し続け、健康体だと思っていた祖父は本当にぽっくりという言葉が合うようにちょっと寝込んで、そのまま帰らぬ人となった。

 死ぬ直前に、「俺の刀を持って来い」と言って息を引き取った、凄い人物であった。

 浩一郎は呆然とした。

 目標が突然失われてしまったのだ。

 高校生になった浩一郎には、父ですら三本のうち一本取れるかどうかというほどの実力になっていた。

 中学時代から様々な剣道の大会で優勝を掻っ攫っていた浩一郎は、高校の部活でもその実力を遺憾なく発揮し、高校一年にして全国大会で優勝を成し遂げたのだが、浩一郎は腕の怪我を理由に部活を辞めてしまった。

 嘘である。

 本当は熱が冷めただけの事だ。

 いや、剣自体には燃え滾るような熱をまだ有しているが、竹刀でやりあうのはもう飽きたのだった。

 それから彼が熱中したのは、意外にも殺陣たての世界であった。

 殺陣は主に時代劇、あるいは現代劇でも格闘場面がある場合はその振り付けの指導を行うのが仕事である。

 何故、その道に浩一郎が進んだのか、誰しもが首を傾げた、だが彼は当たり前のように高校卒業と同時にその世界に飛び込んだのだった。

 殺陣の世界は剣道の実力=殺陣の実力ではない、彼は一からその修行を始め、そして現在に至る。


 浩一郎は常に思っている。

 自分は生まれる時代を間違えてしまった、と。

 戦国時代、いや、そこまではいかなくても刀が全盛期だった時代に生まれたかった。

 歴史をちょっと振り返るだけで剣豪と呼ばれる人間はゴロゴロいる。

 それが実際にはどの程度の腕前なのか、今となっては分からない、今日こんにちまで剣道はその技術を高め続けてきたと考えるのならば、昔の剣術よりも今のほうが強いのではないか、そう言う人間もいるが浩一郎は否定的だ。

 真剣での戦いをした事があるのと、そうでないのとでは経験値がまるで違う、今の時代に無敵を誇る剣道家が真剣で斬り合う時代に行ったとしたら、もしかしたらただ人を斬った事があるだけの山賊の類に殺されてしまうかもしれない、浩一郎はそう考えている。

 夜寝る前、浩一郎は寝付けない時がある。

 自分の身に付けた技術、子供の頃から現在に至るまで竹刀や木刀での稽古は怠っていない、若い連中とやり合ってもまるで負ける気がしない、真剣を用いた様々な試し切りもやった。

 しかし、それがどうなるのか、と考えると苛立たしい気持ちが湧き起こるのだ。

 これをどこで使えば良いというのだ。

 剣道三倍段という言葉もある通り、剣を使うだけで徒手空拳のあらゆる格闘技よりも優位に立てる、実際に浩一郎は相手がどういう格闘術を用いようと、それを真剣を用いれば容易く切り捨てられる自信が有る、仮に相手が武器を用いようと重火器以外ならば勝てるという自負がある。

 だが、現代において、刀はあるいは暴力団の抗争などでは使われるかもしれないが、それだって拳銃を使えば話は早い。

 人間がどれだけ肉体を極限まで鍛えようと、放たれた弾丸より素早くは動けない、もちろん拳銃を前にした戦い方も常に浩一郎は考えている、だから実際にその場面に遭遇したら、拳銃の弾より早くは動けなくても、相手の指よりは早く動ける自信がある、だがそれは証明される事の無い自信である。

 

 暗い、誰にも明かせない感情を抱きながら、浩一郎は36歳になった。

 その歳で、殺陣師の世界ではその名は有名で、テレビドラマや舞台の仕事だけではなく、講演やら、試し切り実演の仕事も来るようになった。

 最初は嫌だったのだが、様々な義理もあり、断れないうちにそれが定番となってしまっていた。

 こうやって錆び付いていくのか――

 俺は現代という微温湯ぬるまゆで、徐々に錆び付いていく一本の日本刀でしかない……

 浩一郎はそう考えるようになってしまっていた。

 今日も、とある高校の剣道部がその浩一郎の真剣での試し切りを見たいというので、わざわざ出向いている途中なのだ。

 背負った細長い特注のケースの中に、愛用の日本刀が仕舞われている、もちろん所持の許可は持っている。

 車で行っても良いのだが、浩一郎は乗り物が基本的に嫌いだった、また鍛錬の為にそれほど遠い場所でもなければ自分の足で出向くようにしており、その事は先方も承知しているので、特に迎えも無く、浩一郎は一人で目的地に向かっている。

 今、歩いている場所は住宅地だ。

 昼過ぎ辺りの時間帯は、照りつける日差しが肌を焼く。

 冬場であるのに、この異常な熱気は何なのだろうかと思えるほど暑い。

 後10分も歩けば着くか……

 浩一郎がそう考えた時、異変が襲ってきた。

 いや、襲うも何も無い、ただ日常の全てがその時を刻むのを突然止めたのだ。

 道行くサラリーマン、自転車に乗り買い物袋を前のかごに入れているおばさん、腰の曲がった老人。

 そのどれもが、動きを停止させていた。

 そして――

 浩一郎のポケットで携帯電話が鳴った。

 異様な着信音を響かせながら。


                             ・


「敵……だと? それを斬れば良いのか?」

 浩一郎は電話の相手にそう問うた、日常では決して口から出ない言葉である。

「はい、そうなんですぅ。あなたはぁ、用意された武器で、目の前の敵をぶっ殺しちゃってくださいぃ」

 電話の相手、浩一郎の聞き覚えの無い、そして性別が特定できないほど若い声である、語尾を伸ばす独特の口調は、妙に人の神経を苛立たせるのだが、浩一郎はまるで気にしていない。

 普通ならば、この状況の説明とか、他にも色々と聞きたい事が有るだろうに、浩一郎はそれらを一切質問せずにその事だけを聞いた。

 周囲の全てが、この異常な現象が、人の常識などはしょせんは偏見の集合体であるといわざるを得ない現象なのだから、自分のこれまで生きてきた概念全てを捨て去って考えなければならない。

 だから、浩一郎は面倒臭い思考を捨てた。

 この空間は、自分がこの刀を用いて”人を斬っても許される空間”、そう判断した。

 普段は寡黙で笑顔など浮かべない浩一郎のその唇に、今まで散々耐えてきた重圧から解放されたようなそんな笑みが浮かんでいた。

 そして背中のケースを下ろして、その中から日本刀を一振り取り出した。

 武器と言われたらこれ以外には無い。

 辺りには通行人もいるが、その視線はまるで気にならない、というか瞬きもしない相手に気を使う必要がどこに有ると言うのか。

 浩一郎はその刀を手に持って、通行中のサラリーマン風の男二人の前に立った。

 そして―― 


 ふっ


 何の躊躇いも無く、一息で浩一郎はその剣を振っていた。

 たった一呼吸でその二人の体を日本刀が通過していた。

 間違い無く、普通の状態ならば絶命は避けられない位置を日本刀が通ったのだが、血は一滴も流れない、だが着ているスーツだけは刀がそこを通った事を明確に誇示していた。

 浩一郎はその手応えに不満な顔つきをした。

 これではまるで人の形をした人形を斬るのと大差無い。

 面白みがまるで無い。

 だが、そこで思い出していた。

 自分はただ人を斬りたいのではなく、自分が斬り殺されても、相手を斬り殺してもそれが当たり前の戦い、それをしたいと願っていたのではないのか。

 ならば、その望みはあの電話を信じるのならば叶う事となる。

 ”敵”というのが、人間なのか、それとも見た事も無いような怪物なのか、それは浩一郎には想像も付かない、だがきっと自分が望むような文字通りの真剣勝負が楽しめるのは間違い無いはずだ。

 その時だった。

 全てが静止しているこの空間で、誰かが近づいて来る足音が聞こえた。

 浩一郎はその方向に視線を向け、そこにいる人物に視線を送った。

 何だったら、いきなり襲い掛かっても良い、浩一郎はそのつもりで身構えていたのだが、その動きが止まった。


 浩一郎の眉がやや寄った。 

 そこに立っている人物を見れば、大抵の人間が同じような反応をするだろうという反応であった。

 人自体には問題は無い。

 だが、問題なのは格好だった。

 何といえば良いのだろうか、いや、その物の名前自体は知っている。 

 だが、それを目の前にすると、言葉を失ってしまう。


 それは、正義の味方だった。


 そう、まるで戦隊物のヒーローのような格好をしているのだ。

 そのヒーローの名前を浩一郎は意外にも知っていた、殺陣を教える相手でそういう特撮物に出る役者もいるので、その関係で眼にした事があるのだ。

 確か……『特色戦隊イロレンジャー』とか言ったか? その中のリーダーの『クリムゾン・ジョー』という役の格好をその男はしていた。

 だが、その体は、鍛え抜かれ引き締まった体ではなく、不摂生極まるような三段腹をその戦闘服に無理に押し込んでいるような、そんなテレビでは有り得ないようなヒーローがそこに立っていた。

 赤を基調とした色の格好なので、赤という膨張色で余計に太って見えるが、そうでなくても浩一郎の三倍以上の体重があるのではないかという肥満体だった。

 昼下がりの住宅街ではなく、秋葉原などの場所ならばそれほど違和感が無いのかもしれないが、今のこの状況では違和感の塊でしかない。

 これと戦うのか――?

 浩一郎は正直戸惑っていた。


 だが、そのヒーローは、浩一郎の戸惑いを知ってか知らずか、高らかな笑い声を発していた。

 



 

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