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      覚悟

 

 いかにも休日のおじさんという風貌の上崎正かみさきただしは、今や左手は見るも無残な形に変形し、顎の骨も恐らく骨折し、そして歯は最初に殴られた時に折れかけていたのが、地面に叩きつけられた衝撃で、完全に歯が三本はどこかに吹っ飛んで、しかも全身はボロボロで打撲や打ち身や、肋骨のヒビかあるいは骨折は、数え切れないほどのはずなのに、眼だけは疲れや痛みを感じさせなかった。

 上崎は、その鋭い視線を50mほどに立っている青年――浅野薫あさのかおるに向けている。


「あ? なに? もーいっぺん言ってみろよぉ〜」

 浅野は苛立ちを覚えたような表情と口調でそう問いかけた。

 自分の勝利を信じて疑わないが、上崎が投げかけた意味不明の質問「あと何分だ?」という言葉に何か意味ありげなものを感じて腹立たしく感じていた。 

 自分が優位なはずなのに、それにケチを付けられたような気分だった。

 

「お前のその『薬』の効果だ」

 上崎は、歯が折れているせいか、発声が微妙に聞き取りづらいが、何を伝えたいのかが明確に込められている為、その言葉は浅野に届いた。

「は?」

 浅野は馬鹿にしたような顔をした。

「それだけの効果が有る『薬』だ、永遠にその状態が続く訳じゃないだろう、時間が経てば元に戻るか――あるいは反動で何かが起こるかもしれないだろう? 一体、あとどのくらいつのかな、と思ってな」

 上崎は、スラスラとその言葉を言った訳ではない、文章の所々で体の痛みにより言葉が詰まった。

 それは上崎の推測ではあるが、適当に言ったハッタリではなかった。

 少なくとも、そうだとしてもおかしくないと思った事を言っている。

 それは上崎が放った『策』の第一手だった。

 これに浅野が乗るかどうか分からないが、少しでもこの事に想像を働かせてくれれば良いのだ。

 

「それがどうかしたのかよ?」 

 浅野は苛立ちを隠そうともせずに、床に唾を吐き捨てながら、そう言った。


「覚悟を決めるんだ……」

 上崎は、まるで追い詰めているのは自分だと、言わんばかりの迫力を込めた口調でささやくように言った。

 

「覚悟だと?」

「そうだ、覚悟だ」


「意味分からなねぇーな」

「そのまま缶を投げつけたければ続けるんだな、お前の貴重な残り時間をそんな物で費やしてくれるのはこっちにしてはありがたい」

 上崎の言葉に浅野は多少考えた。


(何でわざわざそれを俺に言う? 本当はそれをされたくないからそう言っているのか、あるいは俺がそう裏読みをすると考えて――、いや、キリがねぇな、相手の事は置いておこう、問題なのはあのおっさんの指摘した事だ)

 浅野は冷静に状況分析していた。

 

 上崎の指摘。

 それは的を射ているような気がする。

 どんな薬でもいずれは効果が切れる、それが何分後か何時間後かは個別に差が有るが、永遠に持続する訳ではないはずだ、それはこの超人的な力を授ける薬だって例外じゃないだろう。

 では、あとどのくらい持つのか――、浅野は考えた。

 前回の戦いは、薬を飲んで、二人の人間をぶちのめすのに掛かった時間は、1分? 2分? 3分はかかっていないはずだ、今は薬を飲んでから2分は経っている、もしも薬の効果が3分程度で、あと数秒で効果が切れるとしたらどうなる?

 元の力に戻ったとしても、あのおっさんもボロボロとはいえ同等の力を持っている、それに爆弾も持っている、絶対的有利とはいえない。

 それに、あのおっさんの指摘通りもしも薬の反動とやらが襲ってくるとしたら、そのせいで普通の人間よりも弱くなったら、今のあのボロボロのおっさんに殺されてしまうかもしれない。あの形を変えられる爆弾? を使わなくても、あんなヨロヨロのおっさんに素手で殴り殺されてしまうだろう。

 

 缶で攻撃をし続けるのでは、恐らく致命傷を当てるまでにかなりの時間がかかる。

 相手はもう転がった状態ではないので、さすがに多少は受けたり避けたりも出来るだろう、それにいかに早くても直線的な攻撃では、今のあのおっさんの動体視力をもってすれば見切る事も可能かもしれない、至近距離ならともかく50mも間合いがあるのだから。

 ではどうする?

 浅野は自問した。

 あのおっさんの言った、覚悟を決めろという意味がようやく分かってきた気がする。

 覚悟とは、すなわち接近戦をすると言う事だ。

 相手に近付き、そして一撃を叩き込むと言う事。

 それはつまり、相手の爆弾に被爆する可能性を抱えると言う事だ、今のように安全な場所から攻撃を仕掛けるだけではなく、リスクを背負う覚悟をする必要があると言う事だ。

 

 浅野はナイフが爆発した場面を見ただけなので正確には分かっていないが、物を爆弾にする力なのか、形を変える爆弾なのか、どちらにしてもあの爆弾の威力の恐ろしさは変わらない。

 迂闊に近付いて、その途中に転がっている石ころが爆弾の可能性だって有り得るのだ。

 そして爆発を直撃でなくても受けたとして、もし足が破壊されて行動不能になったら、今度は相手が遠くから爆弾を放り投げてくるだろう、そうなったら終わりだ。

 どうする?


 そうこう考えている間に、上崎は動いていた。

 動いたと言っても、一歩も足は動いていない。

 ただ、ポケットに手を入れて、そこから小銭を取り出して、それを辺りに撒くようにして散らばらせたのだ。

 財布を持っているが、細かい小銭はそのままポケットに入れる癖をしているおっさんのようだった。

 1円玉、5円玉、10円玉、100円玉が何枚も地面に転がった。

 上崎から2〜3mの位置に放射状に、小銭がばら撒かれた。

 まるで結界のようだった。

 あれのどれかが爆弾だとしたら、接近すると言う事は地雷原に踏み込むのと同じ事だ。

 しかも、自分が散々投げた缶、あれも怖い、自分がどれを投げたのかなんて正確に覚えていない、もしも一つ缶に形を変えた爆弾が転がっていても分かりはしない。


 どうする?

 考えている時間が惜しい。

 考えている間に、薬の効果が切れるかもしれないのだ。

 薬の効果が有る間は有利なのは自分だ、接近戦ならば一瞬で、あのおっさんの視界から消えるほどの速度を有しているのだ、爆弾を爆発させる前に殴り飛ばす事は可能だ、もちろん近づく事が出来ればだが。

 あのおっさんまでの距離は50m、途中転がっているのは小銭、缶、いや、それだけじゃない、他にも当たり前のように置いてある物、それのどれかが爆弾だとしてもおかしくない。

 どうする?

 覚悟を決めるのか?

 迷うな、迷う時間は無い。

 どうする?

 いっその事、突っ込むか。

 いや――

 どうする? 

 相手の挑発に乗らずにこのまま缶を投げつけ続けるか。

 だが、それでは決定的な決着は付かない。

 では、どうする?

 浅野は迷っていた。


 上崎の僅かな言葉で、形勢自体はほとんど変化していないのに、心理的な立場が一変していた。

 奇妙な光景だった。 

 肉体的なダメージは圧倒的に浅野が優位であるはずなのに、嫌な汗をかいているのはどちらかというと浅野の方であった。

 追い込まれているのは浅野、追い込んでいるのは上崎、傍から見るとそのように見える。

   

 上崎にとって、最も恐ろしい事、それはあの薬の持続力がいつかは分からないが、実は浅野が近づいて来ない事だった。

 近付いてこなければ、せっかくの『策』が意味を成さない。

 あのまま缶を投げつけてきても、致命傷は避けられるだろうが、それを1時間も続けられたらおしまいだ、『策』を生かす前に疲弊しきって死んでしまうだろう。

 あの薬だって本当は持続時間が何時間も有るかもしれないのだ、どこにもあと少しで切れるという保障など無い。

 上崎の狙いは相手の動揺、迷い、疑心、それを誘う事。

 苛立ち、焦れば、悠長に事を構えていられなくなる、そのような気の長い性格にはとても見えない。

 いずれは、近づいて来るだろう。

 そうなれば、多分勝てる。

 最後の爆弾は既に形を変えて置いてある、それに近づいた時に起爆させれば決着するはずだ。

 上崎はそう考えている。

 その為には、相手をもっと焦らせる必要が有る。


「私の爆弾は一つじゃないぞ、もちろん何個有るのかは言えないがな!」

 上崎は唐突に、そう言った。

 その言葉に、浅野は過敏に反応していた。

 今までの浅野ならば聞き流しているような事だったが、今の浅野には意味有りげな言葉が奥に詰まっているように思えてならない。


(……一つじゃない? それは予想していたが、じゃあ幾つだ、まさかあそこに転がっている物全てが爆弾じゃねえだろうな――)

 一度浮かんだ妄想は膨らむ、悪い考えほど異様なほど膨らみを見せるものだ。

 浅野には、上崎までの距離の50mが、恐ろしく遠い物のように思えた。

 果てしない道のりだ。

 喉が渇いていた。 

 

 どうする、どうする、どうする、どうする、どうする、どうする、どうする…… 


 その瞬間に閃いていた。

 この状況を打破する活気的な発想アイデアだった。 

 何で、選択肢を2つに限定する必要が有る?

 俺は、馬鹿か。

 相手の口車に乗って、覚悟がどうとか、そんな戯言わたごと

 遠くから攻撃するか、あるいは危険を冒して近付くか。

 どちらも俺は選ばない、浅野はそう思った。

 策が有る。

 それは危険性が少なく、そして確実にやれる方法だ。


 浅野の眼が、餓えた獣のようにギラついた。

 浅野は尻ポケットに手を突っ込み、そこからナイフを取り出した。

 先ほど上崎が取り出したサバイバルナイフから比べると安っぽく見えるが、充分に人を殺傷できるバタフライナイフである、浅野が護身用にいつも持ち歩いている物だった。

 これを、一瞬であのおっさんの心臓に突き刺す。

 それだけをする。

 もう迷いが無い。

 あのおっさんは強敵だ。

 もう舐めない、全力で殺す。


 浅野は走った。

 その速度は、人のそれではなかった。

 陸上最速動物チーターの物でもなかった。

 F1のマシンか、それに類する人類の英知の生み出した速度の怪物の物だった。

 全力で地面を駆けた時、一歩踏み込むごとに固い地面がまるで発泡スチロールのように脆く崩れていく、それほどの脚力で大地を蹴っているのだ。

 50mをほとんど一息ひといきで走りぬけ、そして――


 跳躍し、小銭が散らばっている地帯を飛び越えていた。

 

 地雷原を飛び越えるという発想、浅野の今の跳躍力ならば充分可能な芸当だ。

 上崎の周囲に有る程度の距離を持って、結界のように張り巡らされた小銭、それは何を意味するのか。

 あまりにも爆弾を近くに置けば、その威力で上崎自身もダメージを負う。

 つまり、上崎の近くには逆に爆弾を設置できない、そのような死角があるのだ。

 そこに飛び込めば良い。

 それが浅野の考えだった。

 リスクを背負わず、実のみを取りに行く作戦。

 覚悟を決める必要も無く、ただ相手を殺す作戦。 


 凄まじい跳躍力で、小銭と缶の群れを飛び越え、浅野は一気に上崎に迫っていた。

 そして――

 上崎の胸にナイフを突き刺していた。

った!)

 確実にナイフの刃は、上崎の胸に突き刺さった。

 ナイフで人を刺したのは浅野にとって初めての経験だったが、奇妙な感覚が刃先から脳天まで伝わった。

 本当ならば弾丸のような勢いで飛び掛ったその勢いのまま、階段に落下してもおかしくないのだが、奇妙な事に浅野の体は上崎に止められていた。

 まるで何かに引っかかっているように、上崎の体は動かなかった。

 浅野が何かおかしいと感じた瞬間。


 それとほぼ同時に、浅野は掴まれていた。

 掴むと言っても、上崎は左腕が動かせないほどのダメージなので、右手だけだが、それでもしっかりと浅野の服というよりも浅野の腕をしっかりと掴んでいた。

 それは、ナイフを心臓に突き刺されているはずの人間にしては、信じられないほど力強かった。 

 だが、いかに力強く掴んでも、今の超人的腕力の浅野ならば、その腕ごともぎ取る事も可能だ、実際に浅野がそれをしようとした時、上崎の唇が動いた。


「か……、覚悟を……、決めた、か?」


 上崎のその掠れた言葉が、耳に届いたと同時に、爆裂音が響いていた。

 大地を揺るがすような音だった。

 それと同時に強烈な熱が下から吹き上げてきた。

 猛烈な熱さとも冷気とも判断が付かない物が真下から浅野を襲っていた。

 突き上げるような衝撃だった。

 そして、浅野は自分の肉体の重さが消失したのを感じた。

 

 次の瞬間、浅野は重力の鎖を断ち切り、宙を舞っていた。

 上崎と共に。



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