【2-3】魔王候補と恋人(仮)
俺がアンナを伴って城に戻ったのは日が傾き始めた頃だった。
宿屋を出る際、女将や常連に「よかったね~。このままどんどん押していきな!」と言われた。
今まで色々な出来事を見ていた彼らにとっても、嬉しい事なのだろう。
「おかえりなさいませ、ヴェルハーノ様。
ボルトから聞いております。
そちらの方がアンナ様で宜しいでしょうか?」
城で俺を出迎えたのは昔から俺に付いているハインツ。
ほとんど城にいるハインツはアンナの顔を見た事がなかった。
「そうだ。
アンナ、こいつはハインツだ。昔から俺に付いている」
「初めまして、ハインツ様。アンナと申します」
アンナはハインツに一礼した。その作法は文句のつけ所がないくらい完璧だった。
アンナは貴族の礼儀を知る者だろう。礼儀について教えなくても、今宵の謁見も何とかなりそうだ。
「初めまして、アンナ様。
ヴェルハーノ様が惚れた方はどんな方と思ったら、とても綺麗で礼儀を知る方ですね。
私の事は様をつけなくて、宜しいですよ」
「ありがとうございます。
私はただ宿屋で働く娘です。
ヴェルハーノ様に仕えているハインツ様を呼び捨てになど出来ません」
アンナはハインツの申し出を的確に断る。俺の誘いを断る様に。
彼女に口で勝てる気がしない……。
このまま、2人が会話を続けては準備の時間がなくなってしまう。
「ハインツ、準備はできているか?」
「はい、出来ております。
アンナ様のドレスもアンナ様の希望される物をご用意致しました」
「分かった。ハインツ、アンナを案内してくれ」
「畏まいりました。
アンナ様、こちらへどうぞ」
アンナはハインツの後をついていく。最初は湯浴みの為の部屋に行くだろう。
俺も早く準備を済ませよう……。
俺は準備を終え、俺用の応接間に入ると、すでにアンナがいた。その背後にはハインツが立っている。
アンナは黒い髪を結え、赤き華の髪飾りで留めている。
ドレスは彼女が希望した通りのものであった。漆黒のドレスは彼女の白い肌を際立たせ、存在感を示している。
女性の方が準備に時間がかかると聞いていたが……。
「遅くなった」
「いえ、私が早いだけですから」
早いとはどれぐらい早いのだろうか――。
「ヴェルハーノ様、少々お話があります」
アンナの後ろに立っていたハインツが俺の元に来て、耳打ちした。どうやら、彼女には聞かれたくない話であろう。
「分かった。
アンナ、少し待っていてくれ」
「はい」
俺はハインツと共に応接間の隣にある俺の執務室に行った。
「で、話とはなんだ」
「……ヴェルハーノ様、彼女は一体、何者なのですか?」
「なぜ、今頃そんな事を聞く?」
何者なのかなど、数ヶ月前に調べたではないか。
一体、ハインツは彼女を疑っているんだ。
「申し訳ありません。
実はアンナ様は湯浴みも着替えも全て御一人で行ったのです」
「……全部だと?」
「はい、アンナ様から『自分でやるので、侍女はいりません。全てお下がりください』と言われたのです」
普通、準備する時には侍女に湯浴みや着替えを手伝わせる。いくら貴族の礼儀を知る者でも、湯浴みや着替えは1人では出来るものではない。
1人でやったとしても、かなりの時間がかかるはずだ。
なのに、アンナは俺よりも早く支度し、俺を待っていた。
「ヴェルハーノ様、彼女は危険です。普通の娘ではありません」
普通ではない――だが、それは彼女の身辺を調べている時に分かっていた事だ。
「そんな事、既に知っている。それでも、俺には彼女しかいないんだ。
これ以上アンナの事に関して、意見を言うな」
「……畏まいりました」
ハインツにとって、俺は大事な人だと知っている。俺も同じようにアンナが大事なのだ。
「アンナ、待たせてすまない」
「いえ、そろそろ行かれるのですか?」
「あぁ」
俺は剣を携える。
その様子が不思議そうな表情でアンナが見ていた。
「ここでは剣を持って出るのが普通だ。
周りにいるのは敵だけだからな。
人は違うのか?」
「……平の国カーロックでは貴族は剣を持たず、代わりに騎士たちが剣を持ち、貴族を護っております」
人は上の者が下の者を動かすと言われているが、その通りの様だな。
「そうか。ここでは自分の命は自分で守らなくてはならない。
アンナは俺が守る。ここでは人は最弱だからな」
魔族しかいないこの城の中で人であるアンナは格好の獲物である。
俺が守らないと、誰かの手によって、喰われてしまう。
「分かりました。
では、ヴェルハーノ様に護られるように努力致します」
「俺の傍にいればいいだけだ。アンナが努力する事等ない」
「分かりました。
……護られる側だと気づいていないのか」
「何か言ったか?」
「いえ、何も言っておりません」
彼女の口から何か聞こえたような気がするが、言っていないのなら、気にしない方がいいだろう。
「では、行こうか」
「はい、ヴェルハーノ様」
アンナは俺が差し伸べた手に彼女の手を添えた。
俺が初めて彼女に触った瞬間でもあった。
彼女の手は黒いレースのドレスグローブをしていたが、彼女の暖かな体温が伝わってくる。
この体温共々彼女を俺のものにしたい――
謁見室に向かう俺は彼女を連れながら、そう思った。
謁見室には既に他の『魔王候補』達がいた。
『魔王候補』は俺を含めて7人――俺はその中でも最下位の『魔王候補』である。
他の『魔王候補』は歴代の魔王の血族である為、優遇されている。
俺は力があるだけで他の『魔王候補』の様に有力な後見人はいない。
「おやおや、陛下との謁見に一番遅くに来るとはさすが最下位のヴェルハーノですね」
「しかも、人間の女を連れてくるとは馬鹿げているな」
『魔王候補』達の中で有力視されている2人が俺に向かって、毒を吐く。
彼らの隣には美しい魔族の女性がいる。2人とも有力な魔族の令嬢である事は顔を見ただけで分かった。
彼女達は美しくあるが、俺の隣にいるアンナの方が美しい。
現に伴っていない『魔王候補』達はアンナに釘付けである。
「見た目はそこらの女よりはいいが、中身はただの人の娘であろう」
「我ら魔族には似合わないな」
俺はこの場で殴りかかりたかったが、そんな事をしては俺も奴らと同じ存在となる。
俺はそう思い、なんとかその場に止まっていた。
「ヴェルハーノ様が気に病む事ではないですよ。
彼らには勝手に言わせておけば、いいのです
後、舞踏会ではなく、謁見だったのは後で理由を聞きますから」
アンナが俺にのみ聞こえるような小声で言った。
彼女のこんな一言に俺の心は救われる。
アンナは自分の事を言われているのに、表情を一つも変えない。そんな彼女の態度もあってか、俺の心にあった怒りは収まっていく。
「『魔王』様がお見えになりました」
俺の心に怒りがなくなったと同時に『魔王』の訪れを知らされた。