【2-2】魔王候補と恋人(仮)
「アンナ、今日のお薦めはなんだ」
「……今日はボッシュです」
あの日以降、俺は毎日彼女が働いている宿屋に毎日訪れている。
今日でちょうど3ヶ月だ。
飽きっぽい俺がここまで頑張れるのは彼女への愛なのだろう。
俺の部下達は最初の頃、必死に止めていたが、今では止めるのを諦め、自分の仕事をしている。
「じゃあ、それで」
俺は笑顔を彼女に向けて、言った。
今まで笑顔というものをした事がなく、最初の頃はよく彼女に「悪人の笑みなのでしないで下さい」と言われ、猛特訓の末、宿屋の女将に「いい笑顔だね~」と言われるまでになった。
ちなみに頼んだ料理、ボッシュは肉と様々な野菜を煮込んだ料理でディオーラの家庭料理だ。味付けが家によって変わる。
俺はこの宿屋で出されるボッシュは好きだ。城で出されるボッシュとは違い、濃厚でありながら、舌触りがよく、美味だ。
「どうぞ、グロリアス様」
「ヴェルと呼べ」
「いやです」
彼女が料理を持ってきた時にいつも行われる会話。
彼女が他人行儀でファミリーネームの方を呼ぶので、いつも愛称で呼ぶように言っている。
だが、いつも拒否される。
「アンナ、そろそろ呼んであげなさいよ」
「そうだぜ、アンナちゃん。こんないい人が彼氏なんてそうそうないぜ」
3ヶ月間毎日来ているせいか、女将以外に店の常連にも顔を覚えられ、応援してくれる。
応援してくれるのは嬉しいのだが……
「女将さん、皆さん、これは私の問題なので、口出さないで下さい」
彼女にとってはマイナス要素にしかならないようだ。
「すいませんねぇ、ヴェルハーノ様。
この子、頑固で」
「女将が謝る事ではない。
それに頑固な方が落とし甲斐がある」
「さすが、ヴェルハーノ様だねぇ!」
これもここではよく行われる会話だ。些細な会話ではあるが、俺の心は嬉しい気持ちになる。
城では絶対に味わえない気持ちだ。
「ヴェルハーノ様!」
突然、宿屋の扉が開いた。そこに立っていたのは俺の部下の1人、ボルトだった。
急いで来たのか、肩で息をしている。
「ボルト、どうした?」
「星見から今宵は月のでない夜との言付がありました」
月の出ない夜――つまり『魔王』が王城に来ると言う事だ。
「そうか。それだけを伝える為にここに来たのか?」
「いえ、それ以外にもありますが、ここでは……」
民衆の前では言えない事か。王城でも知る者が少ない情報だろう。
「女将、部屋を一部屋貸してくれないか?」
「あぁ、ちょうど奥の部屋が空いているから、そこを使ってくれ。
アンナ、案内してあげてくれ」
「はい」
「すまない。行くぞ」
俺はボルトを伴って、彼女の後についていく。
彼女が歩く度に縛っている髪の毛が揺れる。
今まで何度も触ってみたいと思っているが、彼女が俺の事を認めるまでは触らないと、彼女に宣言した為、いまだに触れないでいる。
「こちらを使って下さい。後程、飲み物を持ってきます」
「あぁ、頼む」
彼女は部屋の扉を開き、俺を見て行った。
彼女は時折、こちらが思うよりも先に行動してくれる。
身のこなし方を見る限り、先見ではなく、彼女の経験上だろう。
彼女は俺に一礼をし、去っていった。
俺はボルトが部屋に入り、扉を閉めると同時に遮音の魔術を部屋に施した。
即興ではあるが、大声でない限り、外に漏れる事はないだろう。
「で、話とはなんだ」
「……陛下が今宵、全ての『魔王候補』の方々と謁見すると、陛下のお付きの者が知らせに来ました」
「『魔王』が?」
陛下とは現魔王『闇魔王』の事を指す。
今まで姿を現さなかったのに、今頃になって、どうしたんだ……。
「もしかしたら、『魔王選定』の儀式を執り行うのではと、一部の者は思っています」
『魔王選定』――選定と言っておきながら、それはただの殺し合いである。
その場にいる者が1人になるまで戦い続ける。
まだアンナを自分のものにしていないのに……。
「ただ……」
「ただ?」
「陛下からの言付には続きがありまして……」
「なんだ」
「『魔王候補』は生を共にする者を伴えと……」
生を共にする者……つまり、妻などの恋人を指すのだろう。
それと一緒に謁見しろとは……『魔王』は一体何を考えているんだ?
しかし、恋人か……俺はアンナを連れていきたいが、アンナ自身が行くと言わない限り、無理だろう。
代わりの者をたてる等、俺はやりたくない。だからといって、連れて行かないのも問題である。
『魔王』の命令は絶対である。
「ところで、ヴェルハーノ様、アンナ様は……」
「……」
「……落とせていないのですね」
分かっている事をいちいち言うな、ボルト。
俺だって、頑張ってはいるのだぞ。
だが、アンナはそこら辺にいる女どもとは違って、何も見向きしてくれないんだ。
百戦錬磨だった俺でも落胆する程にだ。
コンコン
「飲み物を持ってきました。
入っても大丈夫ですか?」
「あぁ」
俺が返事をすると、扉が開き、アンナが入ってくる。
片手は飲み物の入った盃が2つを乗せた盆を持っている。
「どうぞ」
「ありがとう」
「ありがとうございます」
「では、失礼しま……」
「あ、アンナ様、お待ち下さい!」
突然、ボルトがアンナを呼びとめた。アンナはボルトの方を振りむいた。
その表情は無表情であるが、それなりに期間、アンナを見れいた俺には不愉快である事が分かった。
「……なんですか」
「……実は城で舞踏会がありまして、ヴェルハーノ様のパートナーにアンナ様をと思いまして……」
ボルト、よく嘘を言えたな。俺でさえ、この不機嫌な雰囲気を出しているアンナに嘘をつけないと言うのに……。
まぁ、半分は真実ではあるが。
「グロリアス様程の方なら、引く手数多だと思いますが?」
「そうですが、ヴェルハーノ様は他の方に興味が御座いません。
それに……私も様々な女性を見てきましたが、アンナ様程、ヴェルハーノ様にあう方はおりません」
ボルト、きっぱり言ったな。確かに俺はアンナ以外の女なんて、どうでもいい。
アンナはボルトを見ている。ボルトばかり見るな。俺を見ろ。
しばらくして、アンナは小さくため息をついた。
「……分かりました。
ただし、今回だけですよ」
俺とボルトは驚いた。それもそうだ。この3ヶ月間、俺は色々と理由をつけては出かけようと誘ったが、全部断った。
部下を使ってまでやった事もある。それもアンナは断った。
なのに、今回は了承したのだ。
俺は喜びを通り過ぎて、驚いた。
「……なんですか?」
「あ、いや、何でもない」
「……では、後程、ヴェルハーノ様と城にお越し下さい。
ドレスはこちらで準備致します。
何かご希望等があれば、それに沿うように致しますが」
「レースは袖口のみのシンプルなもので。色は黒でお願いします」
「承知致しました。
では、私は失礼致します」
ボルトは事務的な事を聞き、部屋から去っていった。俺とアンナを2人っきりにしようという魂胆が分かる。
だが、それを彼女が良しとするわけがない。
「では、私は女将に城に行く事を言いに行きます」
「待て」
「なんですか?」
「その、すまないな。私事に巻き込んでしまって……」
謝る等、俺らしくない。
「謝らないで下さい。
貴方らしくない。
貴方は堂々としていればいいのですよ」
「堂々とか……。確かにそうかもな」
たった数ヶ月なのにアンナは俺の事をよく見ている。俺がアンナの事を見ていても、分からない事がまだ多いのに……。
もしかして、アンナも俺の事が好きなのか……?
「言っておきますが、私は貴方の事を好いてはいませんよ」
俺の心を読んだのか、アンナは俺に釘を刺す。
「そうか……」
「城では好いている様には致しますので、安心して下さい。
ヴェルハーノ様」
「え?」
「さすがにグロリアス様では疑われますからね。今回だけですよ」
そう言って、アンナは部屋から去った。
彼女の口から『ヴェルハーノ様』と呼ばれ、俺は有頂天になりそうであった。
今宵の謁見が『魔王選定』の儀式が行われるかもしれないと言う事を忘れるぐらいに――。