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第四章 正しさの暴走

挿絵(By みてみん)

 朝の鐘が鳴る前から、神殿はざわついていた。


 祭壇の前に立つ司祭たちは、誰ひとり声を上げない。

 ただ、そこにあるものを見つめている。


 ――聖貨。


 昨夜まで、確かになかったはずの銀色の貨幣が、

 祭壇の中央に、正しく置かれていた。


 傷はない。

 汚れもない。

 封印も、祈祷の痕も破られていない。


 それが、かえって不気味だった。


「……戻った、ということだな」


 年嵩の司祭が、沈黙を破る。


「神の裁きは、揺らがなかった」


 その言葉に、若い司祭が安堵の息を漏らした。


「では……騒ぎは、これで終わりですね」


 誰もが、それを望んでいた。

 真実がどうであれ、聖貨が戻ったのなら、

 町の秩序は保たれる。


 ――そのはずだった。


「では、盗んだ者は?」


 ひとりが、恐る恐る尋ねる。


 年嵩の司祭は、ゆっくりと視線を動かした。

 神殿の柱の影に立つ、異邦人へ。


「決まっているだろう」


 グラディスは、動かない。


 縄も、鎖もない。

 それでも、彼は裁かれる側に立たされていた。


「聖貨を盗み、

 混乱を恐れて、密かに戻した」


 言葉は、整っていた。

 誰もが納得できる形に、整えられていた。


 リナの胸が、強く締めつけられる。


「……違う」


 声が、震えた。


「盗んだのは、この人じゃない」


 司祭たちの視線が、一斉に彼女へ向く。


「子どもは黙っていなさい」


「秩序の話をしていると言ったはずだ」


 秩序。

 その言葉が、刃のように落ちてくる。


「誰が盗んだかは、重要ではない」

「重要なのは、聖貨が戻り、

 町が再び正しく在ることだ」


 正しさが、形を持って迫ってくる。

 逃げ場はなかった。


 そのとき。


 神殿の床に、ひびが走った。


 最初は、錯覚のような細い線だった。

 だが次の瞬間、石の床が低く軋み、

 柱の影が、不自然に伸びる。


「……何だ?」


 祈祷具が、ひとりでに震え出す。

 天井の秤の紋章が、左右に揺れ、

 均衡を失ったように傾いた。


 影が、剥がれ落ちる。


 人の形を取りながら、

 決して人ではない“何か”が、

 神殿の中央に立っていた。


「静かだね」


 声は、夜と同じだった。


「正しさが戻った朝は、

 もっと祝福に満ちているものだと思っていた」


 悲鳴が上がる。

 司祭たちが後ずさる。


「悪魔……!」

「神殿に、悪魔が現れたぞ!」


 悪魔は、肩をすくめた。


「失礼だな。

 私は、呼ばれただけだ」


 その視線が、リナに向く。

 彼女は、息を呑んだ。


「約束は守った。

 真実は、語られる場所に運ばれた」


「違う……!」


 リナは叫ぶ。


「こんなの、望んでない!」


「そうだろうね」


 悪魔は、あっさり認めた。


「でも、君は“正しさが届く力”を望んだ。

 そしてここは、正しさを語る場所だ」


 司祭のひとりが、突然、口を押さえた。


「や、やめろ……!」


 言葉が、溢れ出す。


「聖貨を盗んだのは……私だ……!」

「借りただけだ、すぐ戻すつもりだった……!」

「神殿のためだった……!」


 告白は止まらない。

 意志とは無関係に、

 真実が、引きずり出されていく。


 神殿は、完全な混乱に陥った。


 信仰は悲鳴に変わり、

 秩序は責任のなすりつけ合いへと崩れる。


 その中心で、グラディスは静かに立っていた。


 悪魔を見ても、驚かない。

 恐れもしない。


 ただ、祭壇を見つめている。


 割れることのないはずの象徴。

 正しさを宿すと信じられた、銀の円。


「……これは」


 低い声が、初めて響いた。


 問いは、リナに向けられている。

 だが答えは、求めていない。


 彼は理解していた。


 この混乱を生んだのが、

 悪意ではなく――

 正しさそのものであることを。


 悪魔が、楽しげに言った。


「さあ。

 秩序は暴れ出した。

 次に壊れるのは、何かな?」


 神殿の光が、歪む。


 その中で、グラディスの手が、

 静かに剣の柄にかかった。

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