第二章 沈黙は罪になる
聖貨が消えた神殿は、すぐに扉を閉ざした。
白い石の扉が軋む音は、まるで町そのものが口を噤んだようだった。
中に残されたのは司祭と、疑われた者だけ。
外には、人々のざわめきが、波のように広がっていく。
グラディスは、神殿の中央に立たされていた。
縄はない。
だが、その足元には、見えない円が引かれている。
「あなたは、昨夜ここにいた」
「否定は?」
司祭の問いは、形式だけ整えられたものだった。
答えが欲しいのではない。
決着が欲しいのだ。
グラディスは、何も言わない。
石の民にとって、言葉は契約だ。
事実を軽々しく口にすることは、自らの魂に傷をつける行為だった。
沈黙は、誓い。
それ以上でも、それ以下でもない。
だが司祭は眉をひそめた。
「……では、弁明の意思はないと」
その一言で、空気が変わった。
「やはり盗んだのでは」
「異種族だ。価値観が違う」
「聖貨の意味を、理解していないのだろう」
囁きが、刃物のように鋭くなる。
リナは、耐えきれず声を上げた。
「違います! この人は――」
言いかけて、言葉が詰まる。
何を言えばいいのか、分からなかった。
潔白?
誇り?
沈黙の意味?
そんなものを、この場所で説明できる気がしなかった。
「子どもは下がりなさい」
司祭の声は、優しい調子だった。
だからこそ、拒絶はより明確だった。
「今は秩序の話をしている」
秩序。
その言葉が、重くのしかかる。
聖貨が戻らなければ、町は混乱する。
交易は止まり、人は疑い合い、暴力が生まれる。
――だから、犯人が必要なのだ。
真実よりも先に。
その日のうちに、噂は町を一周した。
宿屋の主人は、視線を逸らしたまま言った。
「部屋は、もう空いてない」
市場では、売り子が値札を裏返す。
水場では、誰かが桶を引き寄せた。
直接の罵声は、ほとんどなかった。
それでも、町全体が背を向けているのは、はっきりと分かった。
夜、宿の裏手。
焚き火の火は小さく、風に揺れていた。
リナは、膝を抱えて座り込む。
昼間の光景が、何度も脳裏に蘇る。
――知っている。
聖貨を盗んだのが誰か。
神殿の裏で、帳簿を抱え、周囲を気にしながら走っていた下級司祭。
懐に消えた、銀色の光。
言えばいい。
それだけで、終わる話だ。
けれど――
リナは、以前の町を思い出す。
孤児だったころ、理不尽に殴られたとき。
助けを求めても、「証拠は?」と聞かれたこと。
証拠がなければ、正しさは存在しない。
声が小さければ、真実は聞こえない。
そして今、
彼女は「異種族の連れ」だ。
誰が信じる?
誰が、神殿より彼女の言葉を重く扱う?
焚き火の向こうで、グラディスは剣の手入れをしていた。
静かな所作。
刃に映る火が、揺れる。
「……言わないんですか」
思わず、口に出た。
彼は顔を上げない。
「言う必要がない」
「でも、信じてもらえません」
「信じられなくても、構わない」
その言葉は、あまりにも静かだった。
リナは、拳を握りしめる。
この人は強い。
だから、耐えられる。
でも――
強くない者は、どうすればいい?
焚き火が、ぱちりと音を立てた。
影が、ひとつ、余計に揺れた気がした。
夜が、深くなる。
町は眠り、神殿は沈黙する。
その静けさの中で、
リナの胸に、ひとつの考えが、ゆっくりと形を取っていった。
――力がなければ、生きていけない。
正しくあるための力。
言葉が届くための力。
そして、
それを与えると囁く“何か”が、
この闇のどこかにいる気がしてならなかった。




