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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

スタレット子爵家のあの子

作者: 阿寒鴨

スタレット子爵家には姉弟の他にもう一人子供がいるのかいないのか。

痩せこけたあの子は誰なのか。




ベンサム子爵家の嫡男マーティンには、スタレット子爵家のポーリーンという婚約者がいる。

幼い頃から家族ぐるみで付き合いがあり、長じても仲が良かったため、互いに13歳の頃に正式に結婚の約束が交わされた。


婚約後も定期的に顔を合わせ、順調に交流を深めていたように見えた2人だが、いつからか、スタレット子爵家を訪ねたマーティンがどこか釈然としない顔で帰宅するようになった。

マーティンの様子を見た使用人の話を聞いた両親が心配して訊ねるも、「ポーリーンとは何もない」と口を噤むのでそれ以上は聞き出せず、マーティンに付けた従者に、出かける際にはそばを離れずよく観察するように指示するに留めた。


やがて2人が16歳を迎え、マーティンとポーリーンをベンサム子爵家の社交に連れ出そうかという頃、マーティンからポーリーンとの婚約を解消したいと切り出された。

驚いたベンサム子爵夫妻が親子3人で談話室に籠もり、話したがらないマーティンから根気強く聞き出した話はこうだ。


スタレット子爵家は下にもう一人娘がいるのに、それを隠して虐げている。

ポーリーンもその弟ジェイミーも、スタレット子爵夫妻でさえその娘の事を居ない者として扱い、痩せて震えているのに見向きもしない。

ザンバラの赤毛に緑の瞳で襤褸布をまとい痩せこけた彼女は、いつも裏庭のどんぐりの木の下で泣いている。

茶会の菓子を持って行ってやると、貪るように食べている。

小さな子供をあんなになるまで放置するのは普通の家ではない。


ベンサム子爵夫妻は顔を見合わせて首をかしげた。

スタレット子爵夫妻とは互いに結婚する前からの付き合いであり、特に夫人同士仲が良いために毎月のように顔を合わせてきたので、子供が生まれたことを知らないはずがないからだ。

まさか奴隷の子供であればそれは分からないが、不便はない程度の使用人を抱え、わざわざ違法に奴隷を買うことがあるとは思えない。


兎にも角にも事実を調べねばならない。ベンサム子爵は「この先は大人の仕事だから」とマーティンを部屋に戻すと、マーティンに付けていた従者を呼び出し、スタレット家での茶会の様子を尋ねた。

毎回「マーティン様は途中ではばかりに立たれ、裏庭の木の下に少しの茶菓子を置いて立ち去りました」「裏庭には時々猫がいます」などと報告を受けていたが、改めて尋ねても同じであった。

人の家で野良猫にエサをやっているようには聞こえるが、ただそれだけである。やはりスタレット姉弟以外の子供の姿は見たこともないと言う。


首を傾げながらもベンサム子爵は家令を呼びつけ、スタレット子爵家に姉弟以外の子供の姿がないか調べるように言いつけたが、2週間経ってもそれらしい報告は上がらなかった。

友人を疑いたくはないが万が一にも違法に奴隷を買うような家と繋がるわけにもいかず、諦めたベンサム子爵はスタレット子爵を訪ねてマーティンの話を打ち明けた。



結論から言えば、スタレット子爵の屋敷には確かにマーティンが言う特徴の子供が()()


スタレット姉弟もその少女と遊んだことがあったと言い、姉弟で茶会ごっこを楽しむ際には一人分余分に用意させ、そこに誰かが居るかのように振る舞って遊んでいるのを夫妻も使用人も見たことがあった。夫妻はそれを「子供によくある想像上の友人」として聞き流していた。事実、姉弟も10歳頃になると少女の話をしなくなったからだ。

しかし姉弟が言うには、当時は痩せこけておらずごく普通の子供に見えたという。


スタレット子爵はマーティンを呼び出して話を聞くと、姉弟も連れてベンサム子爵と共に屋敷の裏の物置小屋に向かった。扉に取り付けられたいくつもの鍵を開けて中に入り、1枚の絵を見せた。

埃っぽい布を取り払われたその絵は、重厚な額で縁取られ、いかにも年季が入っていてひび割れてはいたが、一人の少女が描かれていた。

ふわふわと柔らかそうな赤毛に、少し気の強そうな緑の瞳、きゅっと引き結んだ小さな唇。古風なドレスをまとった姿は、まさに昔の貴族の娘である。

子供たちはその絵を見るなり「エミー!」と声を上げ、マーティンに至っては青い顔をして震え始めた。


スタレット子爵曰く、この屋敷はスタレット家が5代前に陞爵された際に国から下賜されたもので、この絵は当時からあった物だと伝わっているという。

屋敷の昔の持ち主の絵であるとしてただ物置小屋に押し込まれていたが、姉弟が何かの折に見たことがあり、それを「想像上の友人」に見立てて遊んでいるのだとスタレット子爵夫妻は考えていた。

とは言えマーティンの様子を放っておくことはできないと判断したスタレット子爵は、この絵の少女「エミー」について調べると約束した。


スタレット子爵は下賜された当時の屋敷の権利書から以前の持ち主たちの名を探し出すと、読み書きができる使用人を数人選び、屋敷の書庫の古い資料から過去の持ち主について調べさせ、同時に国にも照会した。

そうして分かったのが、屋敷が国の保有からスタレット家に下賜される以前は短期間ながらある商家が保有していて、それ以前は王朝交代前の王女が所有していたこと。

その王女の名は「エマ」。当時の国王の下級妃の元に生まれ、妃の病没と共にこの屋敷にやってきたが、彼女がいつどこでどうして亡くなったのかは何処にも記録がなかった。


さらに書庫の資料を確認する中で、気になる点が見つかった。

現在物置小屋が設置されている場所に、建築当初は井戸があったのだ。それが、埋め戻した時期の記録も無く、王朝交代後の王家の手に戻る時には消えていた。

またもう一点、通常ある程度の規模の屋敷に手を入れる際には建物だけでなく庭の木の一本でも記録を残すという決まりがあるのに、あの裏庭のどんぐりの木についても記録が無かったのだ。

代替わり毎に残される屋敷の見取図に、突然現れたどんぐりの木。それは王女が18歳の頃に屋敷が商家の手に渡ったその時には、すでに「木」として記載されていた。

それに気付いたスタレット子爵は、「エマ王女」と井戸とどんぐりの木の嫌な繋がりを想像してしまったため、一つ決断した。


妻子をまとめて妻の実家に預けると、国の役人を呼び出して「どんぐりの木の伐採許可」を求めた。仮にも王女様が住まわれていた屋敷であるため、ただの報告ではなく、間違いなく記録が残る形で事を進めることにしたのだ。

やって来た役人はどんぐりの木と屋敷や物置小屋や塀の間の距離等を厳密に書き留めて、翌日には許可が下りたので、スタレット子爵は早速庭師を呼びつけて伐採を依頼した。

立派に育った木を5人掛かりで切り倒し、地面を這う根を数日かけて取り除いている庭師を見て「何も出なくて良かった」と安堵のため息を漏らしたスタレット子爵だったが、もうじき根の処理も終わるだろうという頃に庭師に呼び出された。

「根の行き先が屋敷の下に向かっているのですが、どうも基礎の下に空洞がありそうですよ」と言うのだ。他の庭師も頷いている。確かに根の先に何かが見える。

ここに至るまでに屋敷の見取り図は何度も見たが、食糧庫以外に地下室があるという記載は無かった。

小さな絶望を胸に一旦作業を終わらせるよう指示をして満額の給金を支払うと、庭師たちは裏庭を綺麗に片付け、礼儀正しく去っていった。


翌日再び役人を呼び出し、現場を見せて屋敷の下を掘り返す必要があるかも知れないことを告げると、役人は屋敷の見取り図を確認してから、専門家を呼ぶと言って帰ってしまった。

翌日には役人に依頼された専門家がやって来た。屋敷を舐めるように見て回り、あちこち触って回り、古い物から新しい物まで見取り図を見比べ、現場の土を自ら掘り返して確認すると、最後にこう結論づけた。

「確かに基礎の下に空洞があるようですね。屋敷の中から入る地下室ではないようだが、間違いなく何かがあり、長年の間に水を溜め込んで建物そのものを傷めています。一度取り壊した方が良いでしょう」と。

そうして国から取り壊しの許可が出てしまった。


問題は古井戸かどんぐりの木かのつもりだったスタレット子爵は、思ったより大ごとになってしまったことに頭を抱えたが、気を取り直して妻子を訪ねると、屋敷の取り壊しを伝えた。

姉弟はエミーの正体が分からないまま取り壊すことに心を痛めていたが、専門家の目で危険と判定された屋敷に戻ることも恐ろしいため、父の判断に従った。


別の場所に屋敷を借りて数日の間に家財を全て移し終えると、家族揃って最後の見納めに訪れた。

ポーリーンはマーティンも呼ぼうかと思ったが、あの青い顔を思い出してやめておいた。

中がすっかり(から)になりカーテンも取り払われた屋敷は、太陽の光を取り込んで明るいが、ポーリーンには少し物悲しく見えた。

スタレット子爵夫妻が屋敷を眺めて物思いに浸っている隙に、ポーリーンは弟を誘って裏庭に回った。ポケットから小さな瓶を取り出し、今はすっかり(なら)された、あのどんぐりの木が生えていた場所にそっと置いた。それを見た弟もまた、上着の内ポケットから小さな包みを取り出して、その隣に並べて置いた。小さな瓶には大人の仲間入りをする子供たちが初めて飲む甘いワインが、包みには子供の頃に茶会ごっこでよく食べた菓子が入っていた。



翌日から屋敷の取り壊しが始まった。

古い石造りの建物は丁寧に解体され、多くの石材が再利用のために取り分けられたが、問題の空洞に近い部分は傷みが激しいために建物の建築には使えないと判断された。

そうして数カ月に及ぶ解体工事がついにあの空洞にさしかかろうとするある日、スタレット姉弟は不思議な夢を見た。


気付くと姉弟2人で澄んだ湖の(ほとり)に立っていて、お互いの瞳には幼い頃の顔が映っている。少し離れた水面にはテーブルと椅子3脚が置かれていて、その一脚にはこちらに背を向けて赤毛の子供が座っている。

2人は弾かれたように駆け出すと、その赤毛の少女に抱きついた。

いつものようにテーブルを囲み、いつもの甘いミルクティーに香ばしい焼き菓子を頬張り、いつものように取り留めもない話に花を咲かせる。

ふと2人が少女の緑の瞳を懐かしく感じたその時、少女がはにかむような笑みを見せたと思うと、少し自慢げに胸を張り、小さな瓶を取り出して見せた。あのワインの瓶だ。

姉弟2人で顔を見合わせるといつの間にか今の顔になっていて、少女はそんな2人の前で瓶を開けると、ラッパを吹くように勇ましく飲み干した。

「エミー、そんな飲み方したら大変よ!」

ポーリーンが慌てて言うも、エミーは2人に笑顔を向けた。それは2人が見たことのない、大人になったエミーの顔だった。

ぱっと弟の方を見たポーリーンは、ぽかんと口を開けて頬を染めるその様子に呆れたが、エミーもまた苦笑いを浮かべて気まずげにポーリーンに目を向けた。


ふと気が付くと、3人の足元は水面ではなく真っ白い霧のような何かになっていた。

ポーリーンはなんだか心細くなり隣に座る弟の手を取ると、空いている手をエミーにも差し出した。

エミーはその手を優しい目で見やると、小さく首を振った。そして

「楽しかった」

聞いたことのない柔らかい声が耳に届いた瞬間、ポーリーンは弟と共に湖の畔に立っていた。水面にはテーブルも椅子もない。エミーの姿も見えなかった。


そしてスタレット姉弟が不思議な夢を見た日、マーティンもまた不思議な夢を見ていた。

スタレット家の屋敷の裏庭で、赤毛の少女と2人でお茶会を楽しんでいた。

彼女はふっくらとした頬で、綺麗で可愛らしいドレスをまとい、緑の瞳を輝かせてスタレット姉弟とどんなことをして遊んだのか語りながら菓子を摘んでいる。

機嫌良さそうに足をゆらゆらさせながら、皿にいっぱい盛られた菓子を全て平らげた少女は、甘いミルクティーを飲み干してマーティンを見上げた。

「ありがとう」

少し大人っぽい声で告げられたその一言に瞬き一つ返す間もなく、気付くと澄んだ湖の畔に立っていた。

隣には幼い頃のスタレット姉弟が立っていた。


翌日の解体工事では地下の空洞から水が抜かれた。そこには通気口のような穴があるだけで入り口のない、石で組まれた地下室があった。

底に溜まった泥を1日がかりで掘り出すと、中から子供の骨が見つかった。

工事は1週間ほど止まったが、泥から取り出された骨の様子から、身元は判らないが相当昔に亡くなった者であると判断され、王城の教会から派遣された聖職者が祈りを捧げた後に作業は再開された。

そしてスタレット家に理由は知らされないまま、屋敷があった土地は国に買い上げられた。



全ての解体工事が終わる頃には、みな一つずつ年を重ねていた。

マーティンとポーリーンの婚約はそのまま継続されたが、マーティンは少しどんぐりの木が苦手になっていたし、ポーリーンはマーティンがエミーの大人の姿に陥落していないか心配になっていた。

スタレット子爵とベンサム子爵は若い頃に酒を酌み交わしたお気に入りの談話室の下が例の地下室だったので、しばらくはあの時のマーティンより顔色が悪かったし、夫人たちは小さな骨の持ち主に思いを馳せて夫を連れて教会で祈りを捧げた。

ジェイミーは少し大人っぽいお嬢さんと交流を始めていた。


春が来て、仮住まいの屋敷からあの絵を持ち出したスタレット子爵は、子供たち3人を連れて前王朝の縁者を訪ねた。そこにはどことなくエミーに似た赤毛の青年と老婦人が待っていて、4人を温かく迎えてくれた。

そして子供たちの話を時折微笑みながら静かに聞いてくれ、スタレット家が屋敷を失った話では気の毒そうな目を子爵に向けた。

話の終わりに老婦人にあの絵を手渡すと、それを優しく撫でてから、奥の部屋に案内してくれた。そこには何枚もの老若男女の赤毛の貴人の肖像画が並べられていて、ふわふわと柔らかそうな赤毛に少し気の強そうな緑の瞳、きゅっと引き結んだ唇、周りと同じ素敵なドレスのエミーは、その中に違和感なく溶け込んだ。


土地屋敷を失ったスタレット子爵家は新しい土地を探し、念入りに土を掘り返させてから基礎を整え、数年後には以前より少し小ぢんまりとした屋敷を建てた。建築にかかった費用のほとんどは、あの土地を売った金で賄われた。


仮住まいのまま嫁ぐことになったポーリーンが結婚式の前にマーティンから聞いたのは、あの日マーティンが夢の中で会ったのが、裏庭で見かけた幼い顔のまま健康的な姿になったエミーだったということと、あの時に早まらなくてよかったということ。

ポーリーンは安堵を胸に空を見上げた。

そこには懐かしい気持ちを思い起こす、触れたくなるほど柔らかそうな夕焼け雲が浮かんでいた。





虐げられている子供が存在しないパターンを思い付いて書き上げました。

頭の中で映像が浮かんでる間はもっとホラーテイストになるかと思ったのですが、ホラーはあんまり読まないので出力時の解像度が足りませんでした。怖くならなくてよかったです。


謎の地下室は王城からの秘密の通路が繋がっているから見取図に書かれていないだけで、たまたま向こうから迷い込んだ(?)子供が辿り着いてそのまま…なのかもしれないし、そもそもエマ王女が屋敷の中で暮らした事実がない(エマ王女を閉じ込めるための地下室だった)のかもしれないし、エマ王女かその後の商家かはたまたスタレット子爵家の歴代当主が何らかの目的で作ったのかもしれないし…と考えてみましたが、今となっては事実を知ることはできない…けど、国がそのまま買い上げたので、地下室自体は秘密の通路説が有力かなーと思いながら書いていました。

ということで、骨の身元は不明です。


(9/8 一部表現をちょっと修正しました)

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