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異世界恋愛短編

この婚約破棄、ちょっと待った!

掲載日:2025/08/29


「アーシェ! 突然だが、この婚約は破棄させてもらう!」


 バンッとテーブルを強く叩きつける音と、低くけたたましい声が二人きりの書斎に響き渡る。

 音の反響がしんと静まり返ったころ、アーシェがおもむろに口を開いた。

 

「……わかりました」


 アーシェは淡々とそう答えると、ほのかに甘い香りのする紅茶を一口飲んだ。

 さらりと垂れるエクルベージュ色の長い髪。

 空を映したような蒼い瞳。

 シルクのようにきめ細かい肌。  


 そのすべてが取り乱すこともせず、『婚約破棄』を受け入れていた。


「なっ……! なんでそんなに落ち着いていられるんだ!?」

「なぜって……ウォルター様が望むから、でしょう?」


 かすかな笑みも見せず、やはりただ淡々と返す。


「いや……間違えた! この婚約破棄、ちょっと待ってくれ! これは練習だ! また次回……うん、次回にしよう!」

「あら、そうなのですね」


 にこりと微笑んだ彼女は、また上品に紅茶に口をつけた。

 

 ──おっ、おかしい……!

 

 こんなはずではない。

 もっと慌てるアーシェが見れると思ったのに。


 こうして俺の初めての“婚約破棄宣言”は失敗に終わり、そして、これが俺の初めての“婚約破棄ごっこ”となったのだった。


 ◆


「別れる別れる詐欺」という言葉を、巷で聞いたことがある。

 その気がないのに恋人に「別れる」と言って、相手の反応をうかがうもの、だそうだが。

 

 まったく。

 そんなもので愛情を推し量ろうなど、度し難いとしか言いようがない。


 そう思っていたのに、だ──。


 


 婚約破棄宣言をしてから、数日経ったある日。


「アーシェ! 今日こそ、婚約は破棄させてもらう!」


 俺はまた、温室の真ん中で宣言した。

 

 太陽の日差しを受けて咲き誇る花々の中、彼女は白いドレスの裾を優雅に広げ座っている。

 その可憐さときたら。

 この世に咲くすべての花が、彼女を中心に咲き誇っているかのようにしか見えないではないか。


 ──美しい……! が、今日こそ……!


 こんな華々しい舞台での婚約破棄。

 普通なら、ためらうに決まっている。

 少しくらいは、「そんなことおっしゃらないで」と引き留めてくるはずだ。

 むしろそうしてほしくて、俺はわざわざこの温室を選んだ──のに。


「はい、かしこまりました」


 なんということだ。

 今回も即答で了承されてしまった。


「いや……今日はシチュエーションが悪い! こんな美しい花々に囲まれた場所で婚約破棄なんて、婚約破棄らしくない!」

「そうですか。たしかに、ウォルター様は雰囲気を大切になさる方ですもんね」


 そう言って、アーシェは静かに花を愛でた。

 

 ──ああ、なんだその余裕は……!


 こっちは今、全身全霊でやってるというのに。

 だけど、その姿、気品な笑顔。

 

 ──すべてが可憐すぎる……!


 ついさっき婚約破棄を申し出たことも忘れて、俺は彼女の隣にそっと腰を下ろした。

 

「アーシェは、花が好きなんだな」

「ええ。とても」

「……俺のことは?」


 わずかに沈黙が落ちる。

 その瞬間、俺はたまらず息を呑んだ。

 婚約破棄を告げたときよりも、ずっとずっと緊張しているのがわかる。

 

 アーシェはゆっくりと顔を上げ、蒼い瞳を俺に向けた。


「お花と同じくらい、眺めていて飽きません」


 そして、にこりと笑った。


 ──いや、それって……どういう意味だ!?


 花と同列なのか、それとも俺は観賞用の置物扱いなのか。

 嬉しいような、モヤっとするような。

 だが、そんな綺麗な瞳で見られている花と同じなら──別にまあ、悪くはないのかもしれない。


 ◆


 こうして俺は、婚約破棄ごっこを続けた。


 パターンその一。

 庭園のガゼボでお茶をしている最中。

 

「アーシェ! やっぱり婚約破棄だ!」

「はい、承知しました」

「やっぱり違う! 今日の焼き菓子が美味すぎた! 天気もいい! 婚約破棄の日は雨嵐に限る!」



 パターンそのニ。

 食後のデザートを食べ切ったあとの食堂で宣言。

 

「もう本当に破棄!」

「はい」

「腹が満たされた状態での婚約破棄なんて……」


 その他、多数。

 細かいシチュエーションは違えど、結局はいつも同じ答えが速攻で返ってくる。


 廊下、中庭、広間、どこでも──。


 婚約破棄宣言は、茶番のように繰り返されたのだった。


 ◆


 そうして一ヶ月後。

“婚約破棄ごっこ”を続けるうちに、俺はあることに気づき始めていた。


 アーシェがあまりにもあっさりと婚約破棄を受け入れることに、引っかかりを感じていたのだ。


 もしかしたら、本当に彼女は婚約を破棄したいのかもしれない。

 だとしたら、俺との婚約が彼女の自由を奪っているのかもしれない。


 ──“ごっこ”は、もう終わりにしなければ……。


 彼女を縛るのはやめて、解放してあげよう。

 それが、本当にアーシェを愛するということなんだろう。


 ──この婚約破棄宣言を、最後にする。


 手には一枚の紙。

 この紙に署名をすれば、俺たちはもう他人になる。


 そうだ、それがアーシェのため──そう思っても、苦しさで胸が締めつけられた。


 

「どうされました、ウォルター様。なんだか顔色が優れませんね」


 静かな書斎で、アーシェの声だけが凛と響く。

 その声に少しだけ救われた気がした。

 目の前のソファに座っている彼女はいつも通り、冷静で落ち着いている。


 俺は小さく息を吸い込んで、膝の上でぐっと拳を握った。

 

「アーシェ。今までありがとう。君に、婚約破棄を言い渡す」


 紙を差し出す。

 俺の名前は、すでに記入済みだった。


 ──自由になってくれ。


 そう願いながらアーシェの顔を見たとき。

 彼女の蒼い瞳に、一筋の光が走ったように見えた。

 

 おかしい。

 いつもと違う。

 

 いつも二つ返事で返ってくる「はい」という言葉が、今日はない。


「アーシェ?」


 不思議に思いながら名を呼ぶ。

 すると。


「……本気、なのですか?」


 アーシェの瞳が大きく揺らめいてる。

 そして、その声はいつも以上に静かだった。

 

「ああ、今日は本気だ。婚約破棄、ずっと出来なくてごめんな。アーシェには自由に、幸せになってほしい。長い間ここに縛りつけてしまって、本当に申し訳なかった」


 深く頭を下げた。

 贖罪と、後悔と──もう他人になるという事実に心が激しく動く。

 顔を上げられなかった。

 そんな俺に、優しい声が落ちる。

 

「私の幸せは……あなたの隣にいることですよ」


 アーシェは震える声で、しかし、確かにそう言った。


 瞬時に言葉を返せなかった。

 それは、想像以上の真実だったからだ。


「あなたの婚約破棄が本気じゃないなんて、そんなのわかっていましたから」


 彼女は一瞬だけ目を伏せて、続けた。

 

「それに、私だって……本当に婚約破棄したかったら、もうとっくに赤の他人になってますよ」


 なんて儚くて、尊い微笑みなのだろう。

 天使か女神のような──いや、それ以上に美しい。

 

「アーシェの気持ちを試すようなことをして、申し訳なかった」


 俺はソファから立ち上がり、彼女のすぐ横で(ひざまず)いた。


「俺は不安だったのかもしれない。アーシェの愛情がこちらに向いていないような気がしていて。俺ばかりが好きなのかと思っていて。だが、もう試すようなことはしないと誓おう」

「私こそ。感情を言葉にするのは苦手だからと、ウォルター様からいただく愛情に、素直に気持ちを返せていませんでした」


 アーシェは恥じらうように視線を落とし、それでも澄んだ声で続けた。

 

「いつも、愛してくれてありがとうございます」


 蒼い瞳が宝石のように煌めいている。

 わずかに紅潮している真白な肌は、可憐さを際立せていた。


 ──なんて……愛おしい。

 

 そのまま彼女の手をすくい取って、小さな手の甲に口づけを落とした。

 

「アーシェ、愛している。これまでも、これからも、一生愛すと誓おう」

「はい。私も、一生あなたを愛します」


 心も体も、甘く満たされていく。

 婚約破棄ごっこなんてせずに、最初からこうしていたらよかったんだ。


 アーシェはそっとまつ毛を伏せ、微笑みを含んだ表情で俺を見上げた。

 

「ひとつ、約束してください」

「ああ、なんでも約束する」


 彼女は呼吸を整えるように息を吸い込んでから、小さく首をかしげて言った。

 

「もう……婚約破棄だなんて言わないでくださいね。言われるほうは、けっこう辛いんですよ?」


 その微笑みを見てしまったからには──二度とそんな言葉は口にできるはずがなかった。

 

 ◆


 それから幾日かが過ぎた、穏やかな午後。

 俺たちは温室の中で花の世話をしていた。


「なんだか、ここで婚約破棄宣言されたのが遠い昔のように思ますね」

 

 ふいに、アーシェがくすっと笑った。


「あのときは、俺も必死だった気がするな」


 思い出したように、つられて笑う。

 

「実は……私も、ウォルター様のことを試したみたいなものなんですよ」

「俺を?」

「ええ。『はい』と頷いて婚約破棄を受け入れるフリをして……内心では、様子を見ていました」


 アーシェは小さく肩をすくめる。

 そして、イタズラが成功した子どもみたいな無邪気な笑顔を見せた。

 その仕草が、なんだかずるいほど可愛くて、思わず笑みがこぼれてしまう。


 俺たちは、きっと最初から、お互いを手放すつもりなんてなかったんだ。


「ありがとう、アーシェ」

「ウォルター様も、ありがとうございます」


 重ねた手から彼女の体温が伝わってくる。

 呼吸も鼓動も、ゆっくりとひとつに溶けていく。


 やっと、本当の意味で──俺たちは隣に並べた気がした。


お読みいただきありがとうございました!

こんな婚約破棄もあるかもしれないよな、なんて思った作品です。

おもしろかった、サクッと読めた、などお気持ちを★に変えてくだるととても励みになります

(っ´∀`)╮ =͟͟͞͞ ★★★★★


また何かの作品でお会いできたら幸いです

ありがとうございました

 

葉南子


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