第57話 パーチンとの会見
第57話 パーチンとの会見
ドアは入って来たパーチンによって閉じられた。
パーチンは数歩進んでからその場に立ち止まった。
「うん、誰か居るのか」
パーチンはスパイ上がりだ。カンが利くというか気配に敏感らしい。
俺は不可視の状態でじっとしている。
俺の向かい側にいる沙織も全く動かない。
しのぶだけが、不可視モードのまま一旦仕切り壁の裏に入った。
何をするつもりなのかと訝っていると…
不可視モードを切ったしのぶが、仕切り壁の向こう側からゆっくりと姿を現した。
さっきまでうっすらと見えていた、しのぶのバリアが今は見えない。
こんな段取りは聞いてない。
俺は焦ったが我慢して様子を見る。
特製スーツは、身体の線をそのままトレースする、黒いレオタードみたいな作りでかなりセクシーだ。
ここに来るまでに俺は二人のレオタード姿に見慣れていたので、特にそそられないつもりだが老害パーチンには目の毒かも知れない。
「ふむ、君は誰の貢物かね。東洋の可愛らしいお嬢さん」
パーチンは舌なめずりする感じでそう言った。
そしてしのぶの答えを待たずに小走りに数区画を見て回る。
誰も居ないことを確認すると、おそらく室内監視カメラの指紋認証付きスイッチと思われるものに触れた。
しのぶのことを、側近の誰かが気を利かして捧げた貢物と思い込んでいるようだが、元スパイ故に慎重に安全確認したようだ。
この秘密の地下施設内に、パーチンを裏切る可能性のある者などおそらく一人も居ないだろう。
それでもこの用心に用心を重ねる小心者、隙はないが好き者だ。
「君、ラシア語は分かるかね」
おだやかな目でパーチンはしのぶに声をかける。
「少しだけなら」
そう答えた声はラシア語だが、音質とトーンはしのぶのままだった。
特製スーツの同時翻訳機能。
高度な先読みを駆使して、10ミリセコンドで同時翻訳、口の動きとのズレは殆ど感じられない。
パーチンの声も当然ながら同時翻訳で聞こえてくる。すげえなビズリーチ、もとい特製スーツ。
「触れても良いかね」
パーチンはしのぶにそう問いかけ一歩近づいた。
「まだ私、オジサマが怖いので、少しお話してからにしてください」
しのぶにこんな度胸があったとは。ちゃんと演技してるよ。
沙織も目を見張っている。
「そうか、そうか、皆が私を恐れるからそう思うのも無理はない。
何も恐れることはない。私はおまえをやさしく愛撫することができる。安心しなさい」
このスケベジジイ!
「はい、大統領閣下」
「堅苦しい呼び方はやめてパーチンと呼んでおくれ。
お前の名前を訊いても良いかね」
「しのぶです」
「日本人か。年は幾つだね」
「14になりました。
パーチンさんに訊きたいことがあるんだけど、良いかしら」
しのぶは落ち着いている。この状況でよくもそんなに。
向かいの沙織もじっと様子を観察している。
落ち着かないのは俺だけか…
「パーチンで良いよ。
私に訊きたいこととはどんなことかね。
せがれのサイズか、それなら心配せずとも、さほど大きくはないから、お前を痛がらせることもないぞ」
ひどいセクハラだ。しのぶ、大丈夫か?
「それは後で良いです。
パーチンさん、いえ、パーチンの髪の毛は本物なの」
「もちろん本物さ、引っ張ってみるかい」
「今は良いです。
では、あのハゲは偽物だったの」
やはりエロジジイの髪の毛なんて触れたくないよな。
「そうさ、本物には本物の髪の毛が、ほれ、この通り、少ないながらちゃんとある。
あとでこの頭を、その小さな手で撫でておくれ」
「パーチンには、影武者さんがあと何人いるの」
遂に影武者の話題に触れたか。これでパーチンが影武者のことを考えれば、情報を読み取れるだろう。
「世間では全部で三人居ると言われてるようだな」
「二人は誰かに捕まっちゃいましたね。
三人目はどこに居るの。
あなたは、もしかしたらその影武者さんじゃないの」
核心に触れたぞ。パーチンの心を読み取っているのか。
沙織も真剣な目で見守っている。
「やけに影武者にこだわるの、君は」
「会って見比べて、どの位そっくりなのか、興味があるんです」
パーチンはまだしのぶを疑っている感じではないな、俺が見るに。
「なるほどの、まあ良いわ。
そろそろ私にも慣れてきただろう。どれ」
ぱーちんはすっと近づいて、しのぶの手を取ろうとする。
しのぶはささっと後方に退いた。
素早すぎる反応。完璧なすり足。
これがスーツの運動補助機能なのか。
パーチンの顔色が変わった。
「おまえ、何者だ!
日本の忍者は忍びと呼ばれている。
しのぶ、しのび、名前もウソか。
まあ良いわ。それもおもしろい。せいぜい私に抵抗してみせるのだ。
先程、熱源感知器でこの部屋にはお前一人しか居ないのは確認済みだ。
おまえをこの場で手籠めにしてくれるわ」
パーチンはドアの側まで下がった。
何をするつもりかと思ったら、ドアを開けるのではなく、横に設置されている大きな防火ドアみたいなものを、ぐいんと回して普通のドアに被せてロックした。
しのぶが大きな声をあげても、ばたばたと騒いでも外部に響かせないつもりらしい。
パーチンは忍びを警戒するような言葉を先程吐いていたが、この小娘なら自分の力で制圧できると思い込んでいるらしい。
パーチンが、再びしのぶに接近する。
もう少し我慢する。
向かいの沙織は今にも動きそうな気配。もう少し待てと首を少し捻って合図を送る。
影武者の隠し場所を読み取ればすぐにでも転移装置で脱出すれば良い。後はフライたちに任せて任務完了だ。
「一つだけ、訊かせて」
しのぶが震える声を出した。
多分、油断させるための演技だろう。
「何だね。冥土の土産に答えてやっても良いが」
こいつ、しのぶを手篭めにしたらすぐ殺す気か。
沙織の目に殺気が走る。多分俺の目にも。
「第3の影武者をどこに隠したの。
彼はまだ元気なの」
まだ読み取れないのか…
「やはりあいつをそそのかせたのは、お前の仲間か。
あいつはまだ生きているさ。
心はもう死んでるかもしれんが。
隠した場所は誰にも教えるつもりはない。
仮に教えたとしても、そこに救いに行っても無駄だ。
向こうへ行った者は二度とこちらには戻れないのだから」
早く読み取って仕事を終わらせようぜ。ジリジリする。
とは言え、パーチンが口にした「向こう」が気になる。向こうとは何のことだろう。戻れない所とは?
「それはどういう意味ですか」
「さあな、そこまで言うつもりはない」
余裕を見せるパーチンは、椅子を引き寄せ、腰を掛け、しのぶに向かって手招きする。
「大人しく、私を楽しませておくれ。
そうすれば悪いようにはしない。
命も保証するし、お前に専用の屋敷を与えても良いぞ」
この時、隠密通信が入った。
『影武者の隠し場所は、この部屋にある隠し部屋みたいな所です。
パーチンが言った、向こうというのは、こちらの世界とは違うものらしいですが、概念がよく理解できません』
俺はフライが答えるよりも早く、しのぶに質問を投げかけた。
『しのぶ、向こうへ行った者は、二度と戻れないというのは本当か』
『うそは言ってないようですね』
『フライ、これから何が起こっても、お前だけはバックアップでこっちに残ってくれ。
それが最上だと思う。
クモミンだけ、俺たちに付いて来てくれれば十分だ』
『コウタ、訓練の成果が出ているようだな。
お前の予感を信じよう』
フライは、いつも通り落ち着いた男児声でそう答えた。
第1章はこれで終わり、次話から第2章 異世界編 へ突入します。ご期待下さい。
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