初恋〜その背中に憧れていたことに気づいたのはずっと後のことだった〜
今作はカクヨムの公式企画KACのお題「憧れ」用に書いたものです
なぜだかふと、中学時代のことを思い出した。
まだ一人に一台のスマホどころか、携帯電話、今で言うガラケーさえ珍しかった時代のことだ。
気が付くと、一人の女子のまっすぐに伸びた背筋を見ていた。
中一から二年続けて同じクラスだから、もちろん名前は知っている。下駄箱で会えば挨拶くらいはする。
当時、香坂万里にとってその女子、坂木一花はその程度の存在だった。
友達ではない、ただのクラスメイト。
万里たちが教室で馬鹿笑いしていても、一花がその集団に混ざることは一度もなく、ひっそりと気配を消しているような女子。でも嫌な顔を見せるようなことは全然なくて、ほとんどの場合、穏やかに微笑んでいるイメージだ。
誰だったか、一花の髪で遊びながら、「さらさらで綺麗な黒髪なのに、ショートボブなんてもったいない」と言っているのが聞こえたことがある。
(ほんとだよな)
つい心の中で頷き、そんな自分に首を傾げた。
女子のロングヘア――というか、ポニーテールは大好きだ。友達と半分本気で、校則で女子は全員ポニーテールにすればいいなんて言っていたこともあるくらい。
でも心の中に浮かんだロングヘアの一花は、ただまっすぐな髪をおろしている。きっとすごく似合うだろう。
姿勢がよくて物静かなせいか、白いワンピースと日傘なんかが似合いそうな気がした。
特別美人というわけではないけれど、ちょっと可愛い。そんな女の子なのだ。
しかし彼女は髪を肩より長く伸ばしたことがない。
「んー、でも、髪を伸ばすの苦手なんだよね。ドライヤーとか時間がかかるし」
一花の答えに、万里の脳裏にいつもシャンプーがどうのブローがどうのとうるさい姉の顔が浮かぶ。
なるほど、たしかにあれは面倒くさそうだ、と納得だ。
それでもなんとなく、ロングヘアの一花も見てみたいものだと思った。その時は特に意味はなかったから、すぐに忘れてしまったけれど。
そのことをふと思い出したのは、春休みに入ってすぐのことだ。
駅前のベンチに一人で座る一花を偶然見かけた。
膝の上で両手を揃え、相変わらず姿勢がいいのがなんとなく面白くて、万里は自転車から降りて急いで駐輪コーナーに停めた。当時駅横の駐輪場は無料で停められたのだ。
「坂木、どっか行くの?」
「えっ? あ、香坂くん」
驚かさないよう、少し離れたところから声をかけると、少しキョロキョロした一花が万里に気づき、フワッと笑う。
クラスで唯一苗字にくん付けで呼んでくれる一花だが、今日はその呼び方に妙にドキッとした。外で偶然誰かに会えるのは楽しい。私服だとなおさら特別感がある。
このドキドキはそういうことだなんて思いながらニカッと笑い、万里は一花の隣に座った。
電車の時間までかなりあるせいか、駅前に人は少ない。いなかだから本数が少ないのだ。
そんな中途半端な時間にいるということは、だれかの迎えを待っているということかと思い、そう尋ねてみるも、一花は少し困ったように微笑んだ。
「電車の時間、間違えて早くつきすぎちゃった」
「待ち合わせか何か?」
「ううん。一人だから、急いでないんだけどね。思いつきで出てきちゃったから」
「ふーん」
なら予定はないのかと思っていると、一花が不思議そうな顔をした。
「香坂くんは? 何処かに行く予定だったんじゃないの?」
学校では大勢でいるから、万里が一人でいるのが珍しいということらしい。
「いや、暇だからゲーセンか本屋でも覗こうかと思ってただけ。あんまり約束とかしないんだよね」
「そうなの?」
「うん。電話とか苦手だからさ、こういう休みの時だと、明日何処かでみたいな約束しないんだ」
「へえ、意外」
本気で意外だったらしい。
目を丸くする一花に、万里は少し苦笑した。
「顔が見えない状態で話すの苦手なんだよ。ま、そもそもうちの電話は姉貴専用と化してるし?」
ちょっとおどけて見せれば、クスクス笑ってくれる一花が可愛くて、胸のあたりがキューッと痛くなった気がする。
こんな風に二人で喋るなんて初めてだけど、なんだか自然な感じがして嬉しくなった。
「香坂くんのお姉ちゃん、可愛いよね」
「げっ、本気で言ってる?」
「え? うん」
一花のほうが千倍は可愛いと言いたくなったけれど、さすがにキモいと思われそうなので飲み込んでおく。万里の姉は、たしかに見た目だけなら可愛いのだ。
しかし、次いで一花に、
「香坂くんと、よく似てるなって思ってた」
なんて言われてしまうと撃沈する。
これが他の女子相手ならわざと品でも作って、「俺も可愛い?」なんて言って笑うところだけれど、彼女相手にそれはしたくなかった。
中一までの万里は小さくて、姉とも双子みたいに似てると言われることが多かったが、中二からはどんどん背が伸びて男っぽくなったし、これでもけっこうモテるのだ。
(まあ、付き合っても一ヶ月くらいしか持たないけど)
原因は、まあ、いい彼氏じゃないからだろう。電話は嫌いだし、ベルも持たないし、彼女より男友達と遊ぶ方を優先するし。
(だいたい姉貴が、あの子のどこが好き? とかなんとか、いちいち首突っ込んでくるから面倒くさい)
そんなことを一瞬で考え、げっそりした顔になった万里に、一花はにっこりと笑った。
「香坂姉弟は、二人ともすごいモテるよね」
「モテない!」
「えっ?」
「えっ?」
なんでもないように言われたのがなぜか不快でとっさに強く否定してしまい、二人で戸惑う。
「あ、ごめん。なんか言い方きつくなった」
「そんなことはないけど……なんか、ごめん」
「いや、俺の方が」
そんな感じでごめんね合戦をした後笑い合い、しばらく何でもない話をした。
一時間近く話をしただろうか。
予定は急ぎじゃないと言う一花を誘い、二人で町をぶらついた。たしか、彼女がゲーセンに行ったことがないというから、今から遊ぼうと誘ったのだったように思う。
やってみたことがないことをしてみたい。
その言葉に勇気づけられ、ゲーセン行って、ラーメン屋で昼食をとり、クレープも食べた。
いちいち驚いたり喜んだりしてくれるのが楽しくて嬉しくて、今日ばかりは他の知り合いに会いたくないと願い、実際会わずに過ごせて楽しかった。
秘密を共有してるみたいだったし、本音を言えば、生まれて初めてデートをしている気持ちだったのだ。
結局夕方まで遊んで、
「また新学期に」
と言って別れた。本当は一花相手なら電話をしてみたいとも思ったけれど、急に恥ずかしくなって言えなかった。
そのことを、長い事後悔した。
あの凛とした背中に憧れていたことに気づいたのは、新学期が始まってからだ。
クラスは持ち上がりなのに、そこに一花はいなかった。
父親の仕事で海外に引っ越したのだそうだ。ショックだった。
当時は、今みたいにメールのやり取りなんてこともできない。それも海外なんて、二度と会えないと思った。
まだ恋にはなっていなかった。
ただ特別だった。
その後何度か恋をしたけれど、やたら英語の成績を上げたのは、ひそかな下心があったせいかもしれない。
でもその下心は、十二年後に浮かばれる。
会社で再会した一花は、想像よりも綺麗になっていた。憧れていた背中はそのままで、恋に落ちるなんてあっという間だったから、必死で捕まえに行った。
「お父さんて、ほんと、お母さんのこと大好きだよね」
今日も娘たちが呆れたようにそんなことを言う。
「内緒だぞ」
そう嘯く万里に、娘たちが「はいはい、バレバレだけどね」と頷くのもいつものことだ。
妻はそんな娘たちに、
「お父さんみたいな人を見つけなさい」
と言ってくれる。
「お父さんはね、お母さんの初恋なのよ」
リビングでうたた寝をしているとき、妻子の楽しそうな女同士の内緒話というやつが聞こえてしまったけれど、万里は今日も寝たふりをしておことにした。
裏テーマは「それが今の嫁です」。いかがでしたでしょうか。
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