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振り向けば魔女がいる


  一つ不満だったのは、知り合いになって何年たっても、

 うちでお茶でも飲んでいく?

 とTさんに誘われることが一度もなかったことだ。


 そんなこんなで、ご近所が付き合いを諦めた一丁目の魔女と、つかず離れず、会ってはにっこり、の関係は、それからも何年か続いた。

 小学校を卒業しても、中学に入って制服を着ても、空き地で遊んでいた子供たちが次々声変わりして背が魔女より高くなっても、彼女は変わらなかった。

 土がむき出しだった道路はもうほとんどがアスファルトで覆われ、家々は建て替わり、モダンな出窓付きの住宅などが見られるようになった。


 そのころにはさすがにわたしの足も自然と、あの家から遠ざかるようになっていた。


 魔女の庭は変わることなく花で満ち、彼女以外の家族を見たものはなく、彼女は最初見た時から変わらぬ「輝くような白髪のお婆さん」姿で、木靴を履いて庭仕事をしていた。

 けれどいつの間にか、黒猫の姿は消えていた。

 たぶん寿命がきたのだろう。

 つまるところ、使い魔ではなく、ただの黒猫だったんだ。わたしは少しがっかりした。


 そのころになって、再び、ご近所の奥様たちが囁き始めた。

「ねえ、あの方ホントにいくつなの」

「いくらなんでもおかしくない?」

「そもそも、お名前が日本名でも、おうちも格好もお顔も、日本人離れしてるわよね。変な靴を履いてるし。いったい、どこから来た方なのかしら」


 そうだ、靴。

 わたしは図書館に行って、世界の木靴を調べてみることにした。


 意外なことに、アジアからヨーロッパまで、多くの国で木靴が使用されていた。

 日本の下駄だって、木の靴の仲間に入っている。

 でも、あのTさんの、鮮やかな模様の付いたカラフルな木靴は…… 先がとがって上を向いているあの形のものは……


 あった。これが一番近い。オランダの、クロンベンという木靴。

 そうだ、風車の描いてある靴を履いていたこともあった。


 次にわたしは、魔女狩りについて調べることにした。

 ただの女性を魔女と決定するためのいろんな道具が並んでいて、見ていて気分が悪くなったけれど、その中に「魔女であることを証明するオランダの計り。つまり体重計」があった。

 魔女は箒に乗って空を飛ぶので、体重が人間よりかなり軽いのだという。

 つまり身長に対して体重が軽すぎると、魔女として処刑されることになる。なんて理不尽な。


 そして、Tさんは……

 間違いなく、やせ細ったお婆さんだった。

 じゃあ。

 処刑を免れるために、箒にまたがって、オランダからこの土地に逃げてきた?


 さすがにそんなことを信じられる年齢でもない。

 わたしは高校生になっていた。


 そのころのわたしの夢は、漫画家になること。ただそれだけだった。

 恋愛や結婚には一切興味がなく、ただ毎晩遅くまで漫画を描いていた。

 午前0時を過ぎると、俄然興が乗ってくる。

 ペンの音だけがカリカリ響く丑三つ時の室内で、そのとき、わたしは聞き覚えのある足音に思わず顔をあげた。


 ぽこ、ぽこ、ぽこ。


 Tさんの木靴の音だ。今は12月、外は凍える寒さ。まさかこんな時間に何をしに?

 念のため室内のあかりを消し、カーテンを開けて外を見下ろしてみた。

 家の前、街路灯の下を、スカーフをかぶったTさんが、うつむいてゆっくり歩いている。

 もうバスも走っていない。電車も終電は過ぎた。どこへいくつもりなのだろう?

 そのときTさんがふとこちらを見上げた。わたしはあわててカーテンを閉じた。

 ぽこ、ぽこ、ぽこ。足音が遠ざかってゆく。

 そういえばここひと月ほど、Tさんの姿を見ていなかった。

 もしかしてついにその時が? と思っていたのだが、どうやら健在なようだ。

 推定年齢、百なん十歳位? 

 誰も知らない。


 そしてわたしは付属高校からエスカレーター式に女子大に入り、漫画研究部を作り、もう一つ、合唱サークルに入った。日々が突然忙しくなった。バイトは漫画家のアシスタント。一度仕事に入ると三、四日は家に帰れない。大学へは漫画家の先生の家から通う。

 そして家に帰ってさて自分の作品を描き始める。と、あの足音が外から聞こえてくるのだ。


 ぽこ、ぽこ、ぽこ。

 

 わたしはもう、窓の外を見なかった。

 そのころ、父がふっとこんなことを言った。


「あのTさん、ぼけたんじゃないのか。最近うちの周りを周回しとるぞ。それも早朝とか夜中とか」

 すると母が答えた。

「あら、わたしも見たわよ、真昼間に。こちらを見もしないけど。ていうことは、一日中歩き回っているってこと? ボケる年齢なんてとうに通り過ぎてると思うけど、なんか不気味よね。姿かたちも全然変わらないし。なんなのあの人」


 わたしは直感した。

 あの人は、わたしの居場所を中心に、一日中道を歩いているのだ。

 何のためか。わたしが遊びに行かなくなったから寂しくて?

 一体それは何年前のことだろう。だがあの人にとって、親しく庭に遊びに行っていたのは、つい昨日のことのように感じられるのかもしれない。

 だって一体、何年生きているのかわからない「魔女」だから。


 ただの人間であるわたしの人生の時間はさくさくと進んだ。

 大学を卒業して二年ほどはアシスタントしながら漫画家を目指し、念願のプロデビューを果たしたのは三年目だった。

 でもわたしの両親は姉二人と同じ道をわたしに望んでいた。

 一流大学を出てエリートで見てくれのいい男性と結婚して家を出ること。漫画家など「人に言えない恥ずかしい職業」でしかない。

 降るように見合い話を持ってくる母親と、部屋に閉じこもって相手にしないわたし。母は年収一千万を超えない仕事は仕事とは言えないとわたしを罵倒し、お酒を飲んでは荒れるようになり、家の中は針の筵になった。


 時々、気分転換に散歩に出る。


 と、なぜかタイミングを見計らったように、家の右側の十字路を曲がってあの「Tさん」がこちらに向かって歩いてくるようになったのだ。


 それも「たまたま」という頻度ではない。まるでどこかでわたしが家を出るタイミングを計っていたかのように、彼女は現れるのだ。大げさではなく、門を出て三回に二回は鉢合わせする。

 そして、幼いころそうであったように「あら」と言って笑顔を見せ、ぽこぽこと靴を鳴らしながら寄ってくる。まるで口も利かず過ぎた、長い年月などなかったかのように。


「大きくなったわね。最近なかなかお会いできないわね」

「はい、あの、大学も忙しかったし、今はその、家で漫画を描いていて……」

「まあ漫画家さん! まあまあ、素敵ね。頑張ってちょうだいね」

 そして、ペンネームや載っている雑誌のことも聞かないで、そのまま去ってゆくのだった。


 ……やはりこれだけの会話のためにタイミングを図っているなんてありえない。

 あまりに頻繁にぐるぐる回っているから、会う回数が増えただけだ。そうわたしは思いこもうとした。

 でもなぜ、ぐるぐる回り続けているのだろう。早朝から夜中まで?


 やがてわたしは母親の説得に根負けし、結婚すればこの家から出られるならもうなんでもいい、と開き直り、結局二十八歳の時、お見合いで結婚した。

 母が認めるレベルの大学を卒業した、地方公務員。まじめで博識で静かな人。

 わたしが漫画家であることを「素晴らしいことだ」と言ってくれた人。わたしにはそれで十分だった。

 わたしは結婚と同時に家を離れ、一駅離れた駅近のマンションに住むことになった。


 これでまずは、一丁目の魔女との「鉢合わせ」にびくびくすることもない。

 そのときは正直、ほっとしていた。

 そして。

 結婚三年目、わたしは妊娠した。


 正直言ってそのころ、年収は地方公務員の夫よりわたしの方が上になっていた。

 マンションの家賃も当然わたし持ちだ。けれど出産し、仕事も休み、育児に専念するとなると経済的に厳しい。それに子どもは二人は欲しかったので、今のマンションは手狭だった。

 結局、わたしたちはわたしの実家に引っ越すことになる。

 父が敷地内に新しい家を建ててそっちに移り住んだので、一家で住んでいた古い家がちょうど空いたのだ。

「渡りに船とはこのことだね。お母さんにも近くだから孫を見てもらえるし」と夫は言った。

「わたし孫を見てもらうつもりはないのよ。子どもが生まれたらもう漫画はやめて、子育てに専念する。魂を削るレベルで妥協なく描いてこそ自分の作品なの。

 両立させようなんて思ったら、わたしは仕事の精度を選んで、この子を恨んでしまう。だから、きっぱり筆を折る」

「えー……」

 夫は残念そうに声をあげた。

 実はわたしには、漫画家生活でこれさえかけたらもういい、という一つのストーリーがあった。

 テーマは一つ。

 この世に神などいない。絶対にいない。

 ストーリーはこうだ。

 舞台はアメリカの田舎町。病的なほど信心深い厳格なシングルマザーに育てられた双子の男子。

 一人は素直な性格で母の教える通り神を信じ、もう一人は反抗的で無神論者。それは自分たちが、なぜ生まれてきたのかを知っているから。

 彼が愛するのはただ一人、母に洗脳された、自分と同じ顔を持つ双子の弟だけ。彼は愛する弟を母親の洗脳から解放しようとする。

 そして物語は悲劇的な結末を迎える。


 どこの出版社でも描かせてもらえなそうなそのテーマで、「描きおろしで一冊、本を出しましょう。ハードカバーで丁寧に作りますよ」そう申し出てくれる出版社が現れた。

 わたしは喜び勇んで、それこそ精魂込めて、昼も夜もその作品制作に没頭した。

 この作品が思い通りに描けたなら、もうこれでいつ漫画家をやめてもいい、と思ったのだ。

 残念そうな顔はしたものの、夫は無類の子供好きなので、わたしが子供を第一に選んだことに不満はないようだった。


「きみがそう決めたなら、いい。育児も、ぼくができるだけ手伝うよ」


 母は若い頃結核で片肺がほぼ機能しなくなっていたので肺活量が通常の半分しかない。最初から頼ろうなどとは思っていなかった。

 だが、わたしが妊娠したことを聞き、両親は涙ぐんで喜んでくれた。

「あの家に住んでくれるなら、わざわざお出かけしなくても、近くで孫のお顔が見られるわ」


 さて引っ越しも終わり、描きたかった作品も本になった。自分としても納得のいく出来だった。

 あとは心穏やかにおなかの赤ちゃんを順調に成長させるだけ……


 ではすまなかった。

 

 過ぎた年月など関係なく、あの「魔女」は変わらず洋館に住んでいて、わたしが帰ってきたのをあっという間にかぎつけたのだ。

 そうとしか思えないほど、わたしは彼女に頻繁に遭遇することになる。


 夫と連れだって新宿に買い物に出かけようとした土曜の朝、家を出ると、「彼女」は現れたのだ。


 ぽこ、ぽこ、ぽこ。

 わたしは瞬間総毛立った。


 いつものように、右の角を曲がって、体を曲げて、Tさんがこちらに歩いてくる。

 そして、いつもの笑顔を見せて、にこにこと寄ってきた。


「しばらくお顔を見なかったわね。ご結婚なさったのね」

「はい…… お久しぶりです」

「お優しそうなご主人で、お幸せそうねえ」

「どうも……」

 そして視線を落とすと、まだほとんど目立たないわたしのおなかを見て、言った。

「可愛い宝物さんが見えるわ」

 

 わたしは気味が悪くなって、挨拶もそこそこにその場を離れた。

 Tさんはそのままぽこぽこと大通りの方に去って行った。

 夫はその後姿を見送りながら

「よく妊娠してるってわかるね、まだお腹小さいのに。なんか、現実離れしたというか、北欧の世界の絵本から出てきたみたいなお婆さんだね」と言った。

「それにさ、あれ、木靴じゃない? どこに売ってるんだろう」

「わたしが小さいころからいるご近所のお婆さんよ。あのままの姿で」わたしはぼそりと言った。

「あのまま? きみが小さいころから?」

「家、見てみる?」


 わたしは夫をあの「魔女の家」に誘った。

 

 七人の小人も芝生も花々に覆われた庭も、風見鶏のある洋館もモビールも、時が止まったようにあの 頃のままだった。

「すごい。ターシャ何とかさんの家みたいだね」

「ターシャ・テューダー」

「なんかここだけ異世界みたいだ」

「そうよ」わたしはつぶやくように答えた。


「周りはどんどん変わっていくのに、ここだけが変わらないの。家も、住人も。何年たっても」

 そして付け加えた。

「多分、これからも」


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 第1話に感想を書きながら、1ヶ月以上も放りっぱなしで申し訳ないっス(-λ-)  ……何と言いましょうか、おそらくは"世の常識"というものを知ってしまった故の行動でしょうねぇ(- -;a  別にこれ…
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