7話 アムネジアでも怒られる(当たり前)
オレは今、地面に正座させられてガミガミと怒られていた。
怒っているのはネコ耳と尻尾を生やし、その上に改造セーラー巫女服(?)を着ているという、属性を盛りに盛った少女だ。下着は着けていないのか、激しく身振り、手振りをすると色々と揺れたり見えたりで目のやり場に困る。それで目を伏せると更に怒り出すので悪循環に陥っていた。
実のところ、このコスプレ少女の言葉は全く分からないので、何について怒られているかは正しく伝わって来ない。ただ、先ほど軽トラで撥ねて失神させてしまったり、ここ一月ほど山頂に不法滞在してしまったりで、目の前の少女には大きな負い目がある……というか、それで怒っているんだろうなと思って大人しく正座している。
やがて少女は怒り疲れたのか肩で息をし始めたので、すかさずミネラルウォーター入りのペットボトルを差し出すと、乱暴な仕草で受け取り、口の端から零れるのにも拘わらずにラッパ飲みで中身を飲み干した。
なんというか、見た目と性格が一致していないように感じるのは気のせいだろうか?
黒髪ポニーテールにややつり目がちの瞳、細身ではあるが出るところは立派な肢体。
まるでエロい漫画の中から出てきたような剣術系少女なのだが、そこに大和撫子成分は皆無で暴君を相手しているような感じだ。
水を飲んで少し落ち着いたのか、火山のようだった少女のボルテージはなりを潜めた。ついでバツの悪い表情を向けて来たことを鑑みるに、言葉の通じない相手に怒り続けるという、あまり意味の無い行為を顧みたようである。
ここいらが落とし処かなと思い、オレは立ち上がって脛についた土を払う。
車で撥ねてしまったのだから早く病院へ向かうべきだろう。外傷はないようだが内出血を起こしていたり、内臓を痛めていたりする可能性がある。何もない山頂では彼女の怪我の状態は正確に分らない。
オレは軽トラの助手席側のドアを開けて乗るように促し、山頂の縁へ向かって指を指した。
この仕草はどうにか通じたようだが少女は首を横に振る。
背負っていた背嚢から小さなバケツ、ブラシやら布などを取り出して鳥居と社に視線を向ける。更に背嚢から大きな袋を出して、中身を取り出し――何かの種だろうか? それを持って、水辺に居る白カラス先輩を指差した。
推測するに、やはりこの少女はコスプレイヤーなどではなく、山の関係者で掃除やカラス先輩達に食事を与えるために此処まで登ってきたのだろう。とても登山や掃除をするための格好には見えないのだが、宗教のしきたりへの物言いは御法度だ。役目を果たすまでは山を降りられないということか。
しかし困った。
仕事熱心なのはいいが、それは自身の体調が万全であればこそだ。多少強引にでも車に乗せる――のは、彼女の性格を考えると無理だろう。かといって運動をさせるワケにはいかない……代わりにオレがやるしかないだろうな。
オレは少女が持っている掃除用具と餌袋を取り上げると、抗議のような声をあげた彼女に向かってダンボールの方へ余っている指で差す。幸い、この仕草も通じたようで、少女は少し唸った後に不満そうな表情をしつつも大人しくダンボールの上で横になった。
さて、これからどうするか……
オレは白カラス先輩達の近くに餌袋を下ろした。そして池からバケツで水を汲むと、鳥居や社の汚れをブラシで落としつつ、思考を回転させる。
硫化水素の霧が再び下山を邪魔することは……少女の焦っていない様子からして問題ないように思う。おそらく毒霧が晴れる時期があって少女はそれを把握しているのだろう。
まずは少女を病院に連れて行くのが最優先だ。放っておいて、ある日に脳内出血で倒れたなんて事になったら腹を切るしかない。
ついでにオレも診て貰おう。記憶の回復なんて出来るかどうか分らないし、出来たとしても長期間の診療が必要になるかもしれないが、やらない理由はない。
いまオレが置かれている状況は異常だ。こうなった原因を突き止めるためにも記憶を取り戻さなければならない。そのための費用は……幸い、1日1回、妖怪時計が呼び出すモンスターを倒せば物資が出てくるので、それを質屋に売って治療費に充てればなんとかなるのではないか?
いや、その前に言葉の問題を解決するのが先か? 指を差すなどの極々一般的なジェスチャーは伝わるが、何か大事な事を伝えようとすると途端に難しくなる。
例えば、先ほど彼女が起きてすぐの事だが、なにやら顔を赤らめてせわしなく猫耳やら尻尾を動かしたり(宗教上の問題に発展しそうなのでどうやって動かしているのかは確かめていない)、太股を摺り合わせていたりした。なので、気を利かせてトイレットペーパーとシャベルを渡し、ダンボールで作った衝立を指さしたところ、グーで顔面を殴られた。
そこから正座させられての説教が始まったのが冒頭のシーンである。
この辺りにトイレっぽい施設は全くないし、そこへオレがシモの処理用具を渡したから、滞在中はアレであれしたことを推測して怒ったのだろう。実際、神域での排泄行為は管理者として堪ったものではないと思う。
そんな訳で、彼女に正しく謝罪するにも、今後のコミュニケーションを取るにも、言葉の問題を解決する方法を考えなければならない。ガチャの『R』箱からAI翻訳機でも出たらいいのだけれど、ギャンブルに己の命運を懸けるのは愚かだろう。山を降りたら探してみるか……
――そんなことを考えて掃除をしていたら、鳥居も社も粗方の汚れを落とし終えていた。
時刻は……ちょうど正午といったところか。
この妖怪時計、時刻を気にするとホログラフを起動させてどんな姿勢にあっても目の前に時間を示してくるので凄く便利なのだ。他にも、起きたい時間を推測してアラームを鳴らしてくれたり、血糖値や血圧などの健康状態を教えてくれたり、軽トラの起動キーであったりと便利な機能が盛り沢山だ。これでモンスターを呼び出さなければな、と思うのだけれども、その機能が無ければオレは確実に餓死していた。
正直に言って記憶喪失で何もワケが解らない今のオレにとっての生命線なのだが、偶に表示してくる言葉の暴力に、素直に感謝しようとする気を無くさせられている。
ま、妖怪時計の事は横に置いて食事にしよう。
見れば白カラス先輩達も餌袋に嘴を突っ込んでモリモリ食事をしている。
オレと彼女の食事は必然的にカロリーゼリーということになる。ガチャで出てくるカロリーゼリーに余裕はあるので彼女に渡しても問題ない。山の麓まで降りたらマシな食事が出来るだろうけど――
ゼリーの味は気に入ってくれるだろうか、と思考を巡らせていたその時、彼女が寝ている方向から鋭い悲鳴が聞こえた。