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幸せだけど剣道もしないと

気持ちが落ち着いてから離れた。外にいるから衝動を抑えられたが、もし部屋やどこかの中にいたらどうなっていたか。俺は御幸の瞳を真っ直ぐ見つめる。澄んだ目は瞳孔が開かれていた。


「俺、他の人に目が行くほど余裕無いんだ。毎日御幸のこと考えてるだけで精一杯なんだよ」

「バカ」

顔を茹でダコのように真っ赤にさせながら小さく呟く。その光景に微笑んでしまいそうになるが、冷静になって急に触ってしまったことに申し訳なさがこみ上げてくる。


「あ、ごめん。急に触れてびっくりしたよな」

「…………別にそれはいい」


目玉が飛び出しそうになった。


「だけど、」

「良いのっ」


そう言うと、また胸元に飛び込んできた。目玉は飛ばなくて良かった。


「俺今ヤバいよ。御幸、御幸がちょっと何かするだけで俺壊れちゃうんだ」

「どういうこと?大丈夫?」

「つまり、御幸は俺にとって唯一無二の大事な大事な存在だってこと」


また赤らめる。そのまま俺の体に顔をぐいっと押しつけてきた。普段、あんまり喋らないし、表情も豊かとは言えないのに、急にこんなに甘えてきてくれるのだ。俺はどういう態度を取るのが良いのか分からなかった。そして何よりも、嬉しくて堪らなかった。


「俺もうバイト行く気持ち無くなったよ…」


だが、そんな愛しい御幸のために働いているんだ。気持ちを奮い立たせてバイトに行く。その直前まで、御幸を愛でた。


綺麗、美しい、可愛い、雅やか、しなやか、女性に当てはまるすべての良い特徴を兼ね備えている御幸は、俺には勿体ないんじゃないかと思うほど、甘えん坊で埋め尽くされていた。


「なんか、心ないしか嬉しそうに見えるんだけど、何かあったのか?」


伊達さんに聞かれた。俺は即答で「はい」と頷いた。間を開けるのすら勿体なく感じるほど充実した時間を過ごせたのだから。


「俺やっぱり幸せ者です」

「良かったな。あれだろ?彼女ちゃんに好きとでも言われたんだろう?」

「好き、とは言われてないです。でも、それ相応のものはもらえました」

「おぉ~。俺にもそうゆう人いてくれればよかったのになぁ〜」

「伊達さんなら出来ますよ」


伊達さんの目はとろとろと溶けてしまいそうになっていた。


こんな副店長がいるレフォンは最高だ。


「いらっしゃいませ~」


入ってきたのは、まさかの陽成と紺野さんだった。そういえば、まだ勤め先を言ってない気がする。今のシフト状況だと、手慣れている伊達さんがキッチン担当になり、俺がカウンターを担当することになるので、非常に気まずい。


「いらっしゃいませ。ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」


俺は普通に接した。陽成は紺野さんに夢中で俺の顔を見ていない。唯一、紺野さんにはバレてしまったが。恋は盲目というが、いくらなんでも陽成は盲目すぎて話にならない。

俺は紺野さんに指でシーっとやると、目力が強くなり、陽成に目を移した。


「パスタでいい?」

「ん?いいよん。このバジルパスタ美味しそうだからそれにする」

「おっけー。私はカルボナーラでお願いします」

「かしこまりました。ごゆっくりどうぞ~」


何とかこの場を切り抜けられた。少しばかり速足でキッチンへ向かうと、伊達さんに注文を言う。すると、手際よくパッパと作っていった。


伊達さんが作っている間、ずっと胸がドキドキしている。冷静に考えてみれば、陽成にバレたところでどうにもならないのだが、どこか避ける自分がいる。もしかして、恥ずかしいのか?


「よし、頼む」

「はい」


ドキドキしながら、パスタの入ったお皿2枚を持ってテーブルへ向かった。


「お待たせしました。バジルパスタとカルボナーラになります。ご注文は以上でよろしいですか?」

「蓮!?」

「あぁ」


バレてしまったか……。なんか悔しいな。ここまでくれば最後まで隠し通したかった。


「なんだその気の抜けた返事!てか、さっきもいた?」

「ああ、いたよ」

「うわっ、気づかなかった。藍月は気づいてた?」

「うん」

「言ってくれよぉ〜」

「気づかない陽成君面白かったよ」

「いや、笑わないでもろて!」


また2人の世界が生まれていたので、そっとその場をあとにした。

キッチンに戻ると、伊達さんがゆったりしながら休んでいた。


「もしかして、あのお客さんってお友達?」

「はい。俺の親友とその彼女です」

「えぇぇ!」

「ちょっ、」

「ああ。すまない。蓮君の頑張りを見に来てくれたのか?」

「違いますよ。バイト先教えていなかったので」

「偶然の産物というわけか」


産物かはさておき、放課後にもデートをしている姿に、俺は心の中で嫉妬した。俺たちもすぐに会える距離でいれば、そんな忙しくなければ。


「俺も頑張らなきゃですわ」

「おう、応援してるぞ!ところで、彼女さんはどんな人なんだ?」

「冷たくて真っ直ぐで綺麗な人です」

「夢中になっちゃう気持ちわかるかもしれないな」

「写真は撮ってないので、スマホの中にはいないんです」

「そうなのかぁ。なら、今度招待したらどう?夕食食べにくるとかさ、そういうことなら彼女も来れるんじゃない?」

「名案ですね。ただ、旅館で働いているのでそっちで食べちゃうかもしれないです。ここから結構距離あるんで」


そう。俺たちには物理的な距離があるのだ。だからこそ、簡単に会えない。


「誘うだけ誘ってみたらどう?もしかしたらここに来てくれるかもよ」

「やってみます」


俺はバイトが終わると、稽古に行く。おそらく9時頃までは働いているだろう。俺の用事全てが終わってから、じっくり話そう。



稽古場に行くと、師匠が真剣を扱っていた。真剣は滅多に使わない代物で、大事な時にしか鞘から外さない。俺は美しい太刀筋に見惚れていた。やはり、ここの師匠ということもあり、実力は段違いにある。


「来ていたか。入っていいぞ」

「お願いします」


いつもより気合が入っているのがわかる。さあ、他に剣士らがいないということは、一対一のものになるだろう。さっきのやつを観たあとだから興奮する。


「では、模擬といこう」

「はい」


竹刀を構える。両者ともに膝を折ってから立ち上がり、試合が始まる。いくら稽古場だろうと、本番と同じくらい緊張感を持っている。一本一本が肝になるからだ。

まずは互いに相手の様子を伺って、どう出るかをみている。中々一手が始まらないので、ずっと緊張状態だ。俺の師匠を相手にしているわけだから、安易に隙など見つけられない。しかし、そういうときは自分で作れと教わってきた。


手首で巧みに竹刀を操る。一瞬でも気の迷いが起きたらおしまいだ。氣と身体を1つにしてはじめて、良い剣使いができる。


「はぁ!」


俺は気づかなかった。いつの間にか面を取られていた。対策など何もせずに呆気なく終わった。


「ありがとうございました」


礼を済ませると、師匠にどうやったのかと聞いてみる。なぜだと思う?とだけ返事をもらい、それで終わってしまった。つまり、自分で分析しろということだ。師匠の太刀筋は俺には見えなかった。となると、動体視力が足りないのか。でも、それだけじゃない気がする。何かに気を取られていた。そう、自分の体と心のことを考えていた。常に相手の動向を意識しておかなければならないのに、自分のことだけを考えていた。


「師匠、俺自分のことしか考えてませんでした」

「うむ。そうだな。剣道は少し気を別のところへ持っていくと、すぐにやられる。それは痛いほど感じてきたことだろう。最近何か悩みでもあるのか」

「悩み、はありません。ですが、今までずっと続けてきた剣道で、こんな初歩的なミスを犯したことにショックを受けてます」

「つまり、心のどこかで何か別のことを考えていたんじゃないのか。考えていたことが自分だろうと他のことだろうと、精神統一のためであろうと、目の前のことから目を逸らした。蓮とやってやりがいを感じない模擬は初めてだ。今一度、しっかり剣道と向き合いなさい」

「はい」


叱られて稽古は終わった。改善点は明確だ。ならば、それを直すために努力するしかない。今の俺には、剣道だけでなく、御幸もバイトもある。だから、気が取られやすくなってしまっていたのかもしれない。明日は朝練に行こう。


自己反省が終わると、俺はスマホを取り出して電話をかける。


「もしもし?」

「紅宮君」

「お仕事終わってる?」

「ちょうど今終わったところ」

「お疲れ様。これから帰り?」

「うん」

「気をつけて帰ってね」

「どうしたの?」

「声聞きたかっただけ。電話越しの声ってすごく可愛いんだ。囁かれてるような感じがしてむず痒くて、そこがまた良いの」

「いつもそんな台詞吐いて恥ずかしくないの?」

「恥ずかしくないよ。むしろ、ずっと言いたいくらいさ」


声が聞こえなくなった。あっ、そういえば、夕飯のこと聞くんだった。


「ねえ、そういえばさ。俺が働いてるところってカフェなんだけどさ、もし良ければ空いてる日一緒に晩ご飯食べない?」

「…………予定がいつ空くのか今分からないの」

「そっか」

「でも、行こう」

「ほんと!?」

「っ、うん」


体温が熱くなってるのが分かる。一緒にいられる約束ができるってこんなにも嬉しいんだ。しばらく御幸と話した後、陽成にテキストでご飯に行けることを報告した。するとスタンプを連打されて通知がものすごいことになっていた。





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