出会い
俺は、高校生アジア剣道チャンピオンに光り輝いた紅宮蓮。父親の影響で3歳から剣道を習い始めた。きつい鍛錬に日々耐えることで、俺は笑うことが少なくなった。それで仲良い友達を除いて、周りからは「堅物主将」と呼ばれている。
「蓮~。部活終わった後も稽古行くのか?」
「ああ。『日々の鍛錬は怠らぬべし』だ」
「はぁ~ん。己に厳しい奴だな。それより、俺らの親が来週の試合が終わったら家族みんなで旅館に行くプランたててるらしいぞ」
「何だって?」
「勝利祝いだってさ」
「まだ試合やってもないのに」
「アジア王が負けるわけ無いってよ」
「別に王だからといって勝つかどうか何て分からないのに」
油断は禁物。試合が終わるまで気を抜くなと散々言われてきた俺は、そんな話を聞いて余計気合いを引き締めた。試合後にご褒美が待っていると思えばいい。
「父さん。手合わせお願いします」
「良いだろう」
俺たちは、稽古場に着くなりまずは手合わせする。それで改善点を見つけてそこを稽古中に直す。これがルーティーン。今日は中々良い手応えだった。
「まだ、脚裁きと竹刀の連携が安定していない。自分の動きやすいように動くんだ」
「はい。ありがとうございます」
そこから、父の指導の下でひたすら脚裁きを磨いた。元々苦手としていたものだから直すのには時間が掛かった。稽古が終わったのは22時だった。
「蓮、お疲れ」
「やっぱまだまだ父さんには叶わないや」
「そりゃやってきた年数が違いすぎる。これで負けるのは俺の誇りにも関わる。
「でも、絶対に父さんには勝つから」
「いいじゃないか。かかってこい」
家に帰ると、寝支度を済ませてさっさとベッドに入った。
こうして稽古を重ねていくうちに、あっという間に試合当日になった。準備は万端。今までの研鑽の力を発揮するだけだ。
「蓮、気持ちのほどは?」
「良い。アドレナリンが出ている」
「なら良かった」
「それより陽成、自分の心配はしなくて良いのか?相手は全国2位らしいじゃないか」
「連と部活でずっとやってきたんだから大丈夫さ。まあもちろん、」
「「気は抜かない」」
「けどな」
部活中に俺がずっと言っていたから、部員はみなそれを心がけて練習していた。本番もきっと大丈夫だろう。
「お願いします」
試合が始まった。審判員らに囲まれている中で、俺の目には目の前にいる相手しか映っていなかった。向こうはだいぶ強張っている。うまく脱力できていない。やはり、緊張しているらしい。だが、そこで迂闊なミスをしてはいけない。手を抜くことも油断することもない。
俺は、終始集中力が保っていたから、無事試合は勝つことが出来た。負けた相手は、とても悔しそうな顔を見せた。勝つ者がいれば、負ける者もいる。当たり前の光景がここにある。
「流石蓮!」
「まだ一勝だ。あと3試合残っている」
「そうだな」
「陽成もおめでとう。流石俺の空手仲間だ」
「おうよ!次も勝つ!」
「その意気だな。俺もその元気貰うよ」
「あげるあげる!」
その後も勝ち進めることができ、この大会では無事優勝を決めることが出来た。一方、陽成だが、2回戦目で惜しくも負けてしまった。悔し顔を見せていたが、すぐに元気を取り戻した。ここが陽成の強さだと思う。
「2人ともお疲れ様~!見てたわよ」
「みんなすごく強いのね~」
「ありがとうございます」
「それで、もう陽成君から話は聞いているかしら。この後、旅館の『幸』に行くのよ」
「ああ。聞いてる。ていうか、母さんが俺に言ってくれれば良かったじゃないか。わざわざ、陽成に伝えさせて」
「だって、蓮どうせ断るじゃない。外出嫌いなんだから」
「嫌いなわけじゃない。稽古の時間が減るのが嫌なだけだ」
「今日は大会終わりだものね、ゆっくりしましょ!」
そう言って、母さんはさっさと俺の空手の荷物を車にしまうと、みんなを乗せて、その料亭に移動した。俺は着替える暇が無かったので、胴着のまま乗り込む。
「着いたわよ~」
着いた頃にはもう日が傾いていた。橙色の夕焼けを背中に古風な旅館に入っていった。
「いらっしゃいませ。紅宮様でしょうか?」
「はい、そうです~」
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
俺は驚いた。俺だけじゃない、陽成もだ。なぜって、そこには同級生の御幸綾がいたからだ。学年一の美女と周囲から騒がれている人だ。俺はそんなに興味はなくて、ろくに顔を見ていなかったのだが、改めて見ると、目鼻は整っていて、確かに周りが騒ぐのにも納得がいく。
「お茶でございます。ゆっくりなさってください」
明らかに俺たちのことに気づいているはずなのに、御幸綾は決して表情を変えることなく、俺たち『客』にもてなしてくれている。これでは、心の中とはいえ、動揺している俺が馬鹿らしい。客は客なりに、料亭のおもてなしに応えなければ。
「蓮蓮!この和菓子すんごく美味しい!」
「ん?」
パクッと口にした途端に広がる抹茶のほろ苦くも甘い味が広がった。これはお茶を飲みたくなる。茶と抹茶。同じ茶同士を出すことで、俺たちが日本人だということを思わされる。
「あの女将さん、私たちよりも若いわよね?」
「ええ。あの人みたいな女将を若女将って言うんでしょうねぇ」
俺の同級生なんだとは言えなかった。もし言ってしまったら、恐らく母さんは、俺らの同級生としての接し方になってしまうからだ。それは、仮にも仕事中の御幸綾に悪い。その気持ちは、陽成も同じようでこれと言って母さんたちに言うことはなかった。
「蓮~!庭に行こうぜ!」
「ああ」
庭は小さな池に石の灯籠があり、そこには火が灯されていた。また、滑らかな弧を描く橋もある。夏でも紅い紅葉に、深緑のような爽やかな色をした紅葉まで。水面に浮かぶ散った葉はゆらゆらと揺れている。見事に心安らぐ空間を演出していた。
「和に染まった1日だな」
「そうだな~。風情ってやつ、俺も感じる!」
2人でゆったり庭園の中を歩いていると、向こうから女将がやって来た。近づくにつれ、姿があらわになってくると御幸綾の姿が見えた。どうやら、彼女に俺らの姿は見えてないようだ。
御幸綾は、俺たちから少し離れたところで足を止めると、着物のまま屈んで微かに波打つ池を見つめていた。その瞳は、なんだか寂しそうだった。そして、大きな溜息をついた。俺たちが来たからだろうか。いや、流石に自意識過剰だな。とにかく、客は客なりに御幸綾のおもてなしに感謝すればよいのだ。
「蓮。折角のチャンスだし声掛けてみる?」
「いや、やめておこう。今はそのタイミングじゃない」
「わかった」
部屋に戻ると、母さんたちは何やら忙しそうにしている。
「何かあるの?」
「お夕食の前にお風呂入ってこようと思って。蓮たちも行ったらどう?」
「俺はご飯の後でいいや。陽成は?」
「汗掻いたから入る!」
俺は部屋に一人になった。ぼーっとするのも暇だから竹刀を取り出すと、再び庭に出た。周りに人がいないことを確認すると、試しに一振りしてみた。試合後だからか、普段より動きが鈍い。だが、胴着のままだからか、悪くはない。もうすっかり夜になって褐色にライトアップされた庭園で一人、竹刀を振るっていた。この空間は一言で言うと最高だ。自分が江戸時代にタイムスリップしたかのような心地にさせる。
だから、竹刀とずっと庭にいるといつの間にか1時間経っていたようだ。
「部屋にいないと思ったら、ここにいたのか。もうそろそろ晩飯だってさ。行こうぜ」
「そうだな。湯はどうだった?」
「すんごい気持ちいいぞ!マジで入って来い!」
「わかった」
食事処に行くと、豪勢な食事が用意されていた。海の幸や山の幸をふんだんに取り入れているご飯は、俺の食欲をかき立てる。
「どうぞ、お召し上がりください」
「「「「いただきます」」」」
「美味しいぃ~!」
「蟹、美味しい」
「山菜汁だって負けてねえ!」
「お茶も美味しいわ」
みんなが食事を楽しんだ。やはり試合後に来て良かったと思う。今日の頑張りが一気に報われたような気がする。
「美味かった~!」
「この後、蓮はお風呂入ってくるの?」
「うん」
「私たちはその間卓球してるわね」
「やっぱり旅館と言えば、温泉卓球よね~」
「俺強いぞ!」
「レディーたちには手加減するのよ」
「わかってる!」
そんなこんなで、俺は1人部屋に戻って風呂支度をする。広い廊下を通り抜けて男湯の暖簾をくぐる。中に入って一通りのお湯やサウナを堪能した後、露天風呂に繋がっている扉を開けると、その先に広がっていたのは、群青色の蒼空と盆栽のような、小さな木々とゴツゴツしつつもどこか丸みを帯びた岩に竹の仕切りだった。そして、どこからともなく香る檜の鼻をつつくような、脳にふわっと広がっていくような香りがあった。やはり、この旅館は心を癒やせる素敵なところだと思わせられる。
「ふぅ~」
今日1日の疲れを風呂ですべて消し去ると、男湯を後にした。部屋に戻るまでの廊下の曲がり角で、偶然他の部屋に行っていた御幸綾がいた。俺は肩に懸けているタオルで後頭部を拭いている最中だったので、危うく肘を御幸綾の顔にぶつけてしまうところだった。
「すみません」
「こちらこそ、失礼しました」
客人として見られているようだ。敬語で丁寧にお辞儀までされてから、そそくさと歩いて行ってしまった。俺は心のどこかで同級生として接して欲しいと願っているのだろうか。
「全く、しっかりしろ」
両手で頬をバシッと叩くと、気持ちを引き締めて、部屋に戻った。陽成たちはすっかり卓球で疲れ切ってしまったのか、みんな布団で寝てしまっていた。俺は歯磨きをして布団に潜った。目を瞑っていると頭の中は御幸綾の姿でいっぱいだった。普段の学校生活からは想像できないような、着物姿の人がいる。それも女将として。不思議な気持ちこの上なかった。