「リゾート・ラバーズの最終話」第二話 そして、ぼくたちは遭難する。
【毎日昼の12時と夕方の18時の2回更新します】
中級者コースもそろそろ飽きてきたころだった。
麓でリフトに乗ると、ちょうどぼくの前の座席に乗ったのが春菜ちゃんと夏希ちゃんだった。
ふたりは会話に夢中でぼくに気づいていない。
「ちょっと、いたずらしてみよう」
ぼくの中でむくむくとふたりをからかいたい気持ちが起き上がる。
そしてリフトは動き出し、初心者コースを越えて、中級者コースも通り過ぎた。
更にリフトはぐんぐん登っていく。
「……す、すげえ」
素直に感心した。
これまでの中級者コースも景色は悪くなかったけど、ここからだと近くの山を見下ろせる。
下界が一望ってやつだ。
やがてリフトは終点。
つまり上級者コースに到着した。
先に降り立った春菜ちゃん、夏希ちゃんがコース上でなにやら楽しげに話している。
ぼくはリフトを降りると、手にしたストックの柄でふたりの背中を順につついてみた。
「きゃあああああっ」
これは春菜ちゃん。
「うぎゃああああっ」
これは夏希ちゃんの悲鳴だ。
あわてたふたりだが、ここにいるぼくを見て、もっと驚いている。
「あれ、亘くん。間違ってここまで来ちゃったのなら、
下りのリフト乗れば大丈夫よ」
「いや、間違えたんじゃなくて、
いちどこのコース滑ってみようと思ってさ。……ダメかな?」
するとなぜか夏希ちゃんが笑顔を浮かべる。
そしてぼくの肩をばんばんと叩くのだ。
「いい、いいってワタ坊。
男なんだから、それくらいの冒険はいいじゃん」
「ちょ、ちょっと夏希さん? いいのかしら?」
「いいって、いいって、私がいっしょに滑るから大丈夫だって。
……だからハルは先に行ってていいよ」
そういって春菜ちゃんの背を押したのだ。
「ちょ、ちょっと夏希さんっ。……も、もうっ」
そうはいいながらも滑り出した春菜ちゃんは、
見事なフォームでぐんぐん斜面を滑って行ったのである。
「……さて邪魔者は消えたし」
「じゃ、邪魔者?」
意味がわからないので尋ねてみる。
「ううん、こっちの話。
……さ、じゃあさ、あれこれ口で説明しても、頭に入んないと思うから実際に滑ってみよう」
けっこうスパルタである。
見渡す限りの白銀の世界。
左右を見ると標高の低い山々の頂上を見下ろせる。
そしてコースのまっすぐ下っていて、その左右には雪を被った森があった。
「こうして見ると、け、けっこう急斜面だね」
「んー。ま、すぐになれるわよ。
なれるとこれくらいじゃないと刺激がなくなるからさ」
「そういうもんなのかなあ……」
ぼくはちょっと後悔し始めていた。
角度がどれくらいかわからないけど、
初心者に毛の生えたぼくにはほとんど直角に見えてしまうくらい急な斜面なのだ。
「男なら覚悟を決める。
慎重に行けば大丈夫だって。……さあ、行くよ」
夏希ちゃんがすすすっと滑り始める。
それを見てぼくも覚悟を決めた。そして体重を斜面に預けたのだ。
「ひゃあっ」
いきなりすごいスピードが出た。
うわっと思うくらい加速したのだ。
見るとこのスピードにお構いなく夏希ちゃんはぼくを追い越してぐんぐん進んでいく。
それを見てぼくもちょっとムキになり、ゆるめそうになっていたスピードを上げる。
そして斜面をぐんぐん降りる。
だけどほほ直線で滑降する夏希ちゃんと、
ボーゲンで左右にコースを選びながら降りるぼくとは差がどんどん広がってしまって、
もはや夏希ちゃんは米粒くらいの大きさになっている。
「なにくそっ」
ちょっと斜面がゆるくなったとき、ぼくは直滑降を選んだ。
するとスピードがぐんぐん上がる。
するとなぜか夏希ちゃんに追いつき始めたようで、その姿が大きくなる。
「……なんだ止まってるのか」
そうだった。
さすがの夏希ちゃんもいっしょに滑ると宣言した以上、
ぼくを置いてきぼりにはできないようでコースの途中で止まってくれていたのである。
だからぼくもそこを目指して減速を始めた。でも……。
「うわあっ」
転けた。
どうやら急激に減速したからバランスが崩れてしまったようだ。
ぼくは見事にごろんごろんと回転してしまい、
板も外れて、自然に止まるのを待つしかなくなった。
「あはは。見事だねっ」
運が良いというか悪いというか、
一部始終見ていた夏希ちゃんの目の前でぼくは止まった。
「ひどい目に遭ったよ」
「怪我は?」
「ないよ。雪だから」
「そう。ならオールオッケーじゃない?
スキーは転んで覚えるものじゃん」
どうやらノープロブレムらしい。
「待ってて、板取ってきてあげるから」
見事な板さばきで夏希ちゃんは斜面を登り、
ぼくが落とした板を拾ってきてくれた。
「ありがとう」
「どういたしまして。
……でね、ここで待っていたのは理由があるんだ」
「理由?」
「うん。ワタ坊と林間コース行こうと思ってさ」
「林間コース? そんなのあるの?」
「うん。上級者コースのここからしか行けないんだけどね」
夏希ちゃんが指さす先には森の入り口があった。
そこは確かにスキーで行けるように整備されている。
「景色に変化があって楽しいよ。
きっとワタ坊も気に入ると思うんだ」
「へえ」
ぼくが興味津々の表情を見せたからだろう、
夏希ちゃんは身体の向きを変えて林間コースへと滑って行く。
そしてぼくもと思ったとき、ふと辺りが一瞬暗くなる。
「雲……?」
見上げると雲が出ていた。
せっかくの青空を台無しにする感じの黒い雲だった。
そのときぼくの頭には誰かが言ったなにかの言葉がよぎった。
でも夏希ちゃんはお構いなく滑っているので気にしないことにしたのであった。
「わあっ、すごい」
林間コースに入ると本当に景色が一変した。
周り近くに木々があるのでスピード感が違う。
なんだか自分が風にでもなったような気分だ。
そして滑り方も違った。
それまで左右広々としていて、好きなラインを選んで滑れたのに、このコースは違う。
道が右に左にうねりながら下っているので、必然的に滑るラインが限定されるのだ。
そしてその難しさがおもしろい。
「ね、来て良かったでしょ?」
「うん。……ありがとう。
すげー楽しい。
もしかしてここを案内してくれるつもりで春菜ちゃんを先に行かせてくれたのかな?
春菜ちゃん、慎重な性格だから?」
立ち止まって待っていてくれていた夏希ちゃんに言う。
するとなぜか夏希ちゃんは顔を赤くした。そして手にしていたサングラスをかけ直す。
「べ、別にワタ坊とふたりになりたいから、
ハルを先に行かせた訳じゃないんだから。……勘違いはしないでよね」
「は、はあ……」
なんかわからないけど、女心はむずかしそうだ。
そのときだった。いきなり強い風がゴウっと吹いたのだ。
「うわっぷ」
舞った雪が顔を襲ったので、ぼくは両手で塞ぐ。
「……ちょっとまずいかも」
夏希ちゃんの口調がいきなり変わった。
なにか芝居がかった感じで重々しいのだ。
「なにがまずいの?」
「あれ見て」
「雲だね。黒い」
「うん。あれは嵐になる雲だよ。
穂先山に雲がかかっていたから、ちょっと心配だったんだけど、やっぱりまずいかも」
「て、ことは?」
「吹雪になるってこと」
「ええっ」
ぼくは辺りを見回す。
誰の姿もなくて林間コースはしーんとしている。
「降った方が登ってリフトの位置まで行くよりも近いのかな?」
「半々ね。
だけど登る方が時間がかかるから、降った方がいいかも」
ぼくでも状況はわかった。
今は何でもないけど、やがて吹雪が来る。
そしてそれまでに安全な場所へ避難しないとまずいってことだ。
「じゃ、じゃあ行こうよ」
「そうね、そうしよう」
今度はぼくが先頭だった。
下手くそを先に進ませた方が、後ろを滑る夏希ちゃんが見守りやすいからだ。
コースはむずかしい。
ところどころカーブがきつくて曲がりきれなくて、
ぼくはわざと転んで足で樹木を蹴って止まる。
そして立ち上がって滑り直すということを繰り返した。
「暗くなってきた」
ぼくが途中で止まって振り返ると、夏希ちゃんも立ち止まっていた。
そして空を見上げている。
そうしている間にも風がどんどん強くなっていて、辺りは薄暗くなっている。
山の天気は変わりやすいって聞いたことがあるけど、
さっきまでの晴天がまるで嘘のようだ。
「……ワタ坊、ちょっと相談」
近づいて来てサングラスを取った夏希ちゃんの顔は真剣だった。
そのきれいな顔の額にしわを寄せている。
「たぶんこのままだと麓まで行く前に吹雪に巻き込まれると思う」
「ええっ。……じゃ、じゃあ、どうしようか?」
ぼくたちはスキーウェアしか着てなくて、
食料やシュラフなんて持っていないのだ。そしてスマホも持って来ていない。
だから、……このまま吹雪に出くわしたら、
……きっと、……死ぬ。
すると考え顔だった夏希ちゃんが、
ああ、そういえば、と口にする。
「そういえばだけど、……避難小屋があるじゃん」
「避難小屋?」
「うん、こういうときに避難できるように小屋があるんだよ」
「うーん。小屋か……。でも、麓に行くよりも安全だよね?」
「うん、そうそう。
避難小屋に入って吹雪をやり過ごそうよ。それがいい」
夏希ちゃんは急に元気になった。
そして案内役として先に滑り出したのだ。そしてぼくはそれを追う。
十分も滑っただろうか、やがて小屋が見えてきた。
壁の下半分まで雪に埋もれているけど、別にボロじゃないし、あれならなんとかなりそうだ。
「ラッキー。だれもいない」
先に到着した夏希ちゃんがドアを開けて、そう言った。
「電気はないんだね」
天井を見ると、手の届く高さにランプが吊してあった。
ぼくはそれを手に取り、フタを開ける。すると灯油の臭いがした。
「マッチとかあるのかな?」
「あるよ」
真下のテーブルの上にカゴがあって、そこにあるマッチで夏希ちゃんがランプに火を灯す。
すると暗かった小屋の中があかるくなって見渡せた。
小屋にはテーブルと椅子と古ぼけたストーブと毛布と簡素なベッドがあった。
「避難小屋だもんね。贅沢は言えないか」
夏希ちゃんはそう言ってストーブに近づいた。
そしてマッチを手にして燃料のメーターを見た。そして唸る。
「灯油がちょっとしかないじゃん。四分の一もないよ」
「ええっ。じゃあ節約しないとダメだね」
今のところ寒さは感じない。
野外から室内に入ったのであったかいくらいだ。だけど吹雪いてきたらわからない。
ぼくは窓から外を見る。
すると舞う雪が多くなり、風も強くなってきた。
「吹雪いてきたね」
ぼくが言うと夏希ちゃんがうなずく。
だけどその反応は遅かった。
「……ワタ坊。
まずウェアを脱いで。乾かさなくちゃ」
「そうだった」
今はまだ身体があったかいから冷たい感覚がないけど、
スキーウェアもシューズも濡れている。
脱いで乾かさないと風邪を引いてしまうだろう。
「あ、そうか。……あっち向いてるね」
上着とはいえ女の子の着替えなのだ。
ぼくでもそのくらいの気配りはできる。
「そ、そうね。
……でも裸になるわけじゃないから」
夏希ちゃんはなんとなく上の空に見えた。
そしてしきりに窓の外を見ていた。
だけどぼくは裸という言葉に反応してしまっている。
だから余計にそっぽを向いて服を脱ぐ。
……もしかしたら、先日の春菜ちゃんとのお風呂場を思いだしていたのかも知れない。
やがてスキーウェアやスキーパンツを脱いで、
アンダーウェアになったぼくたちは毛布にくるまってストーブを囲んだ。
外はどんどんひどいことになっていた。
まだ昼間だというのに薄暗く、風がごうごうとなって雪が吹き飛んで視界がほとんど、ない。
吹雪はいつまで続くんだろうか?
そんな不安が胸一杯に広がる。
「あったかいね」
ぼくがいうと夏希ちゃんはうなずく。
でもどこか元気がない。
「どうしたの?」
「……うん。ちょっと自己嫌悪」
意味がわからない。
「なんで?
夏希ちゃんは悪くないでしょ? 吹雪の原因と関係ないんだし」
「ううん。……私は悪い子だよ」
そういって夏希ちゃんは毛布の中に顔を埋める。
外はますますひどくなっている。
窓の外はもう真っ白で舞う雪すら見えない。
風はいよいよ強くて、この小さなふたりきりの小屋をがたがたと揺らす。
「私、嘘つきなんだ」
「嘘つき? なんで?」
尋ねると夏希ちゃんはそのままの姿勢で嗚咽を上げた。
泣いているのだ。
「うぇーん、ひっくひっく……。うう……」
「な、夏希ちゃん?」
なにが原因かわからないけど、ぼくは素直に驚いていた。
あんなに元気で勝ち気な夏希ちゃんが泣くことがあるなんて想像もしなかったからだ。
「ど、どうしよう……。
こんな地吹雪になるなんて思わなかった。ちょっと吹雪くくらいかと思ってた」
ぽつりといった。
「……私ね、今日、吹雪が来るの知ってた。
穂先山に雲があったから」
「う、うん」
「なのに、ここに来たかったから、
スキーに行こうっていっちゃったんだ」
「でも、それは悪くないよ。
ぼくだって、みんなだって行きたかったんだから」
「ち、違うのっ!」
突然、夏希ちゃんが叫ぶ。
そして顔を上げた。きれいな顔はそのままだったけど、目には涙がいっぱいたまっている。
「わ、私、嘘ついたの。
……ハルにもアキにもフユにも、そしてワタ坊にも……」
「え? ぼくにも? ……なんのこと?」
「お、お父さんに電話で許可もらったってのは嘘なの」
「……ってことは?」
「そうなの。
スキーに小学生だけで行きたいって言ったら、絶対にお父さんはダメって言うから……」
「……」
そうだったのか。
……ぼくは夏希ちゃんがいう『悪い子』とか『嘘つき』の意味がわかった。
夏希ちゃんは天気が悪くなりそうなのもわかっていて、
父親に許可がもらえないのもわかっていて、
それでも嘘をついてまでしてスキーに行きたかったのだ。
……でもなぜ?
雪国のスキー場のそばに住んでいるのに、こんな危ない橋を渡ってまで今日来たかったのか?
「……ね、ねえ、寒くない?」
「うん。そういえば……。
あ、大変だ。灯油が切れる」
メーターはすでに空になっている。
切れるのは時間の問題だろう。
「ね、……ねえ、そっち行っていい?」
「あ、うん」
夏希ちゃんは腰を上げるとぼくの横に座った。
そしてゆっくりと身体をもたれかけてきた。
「ふふふ。……ワタ坊、あったかい」
「そ、そう?」
ぼくはと言えば、鼻先にある夏希ちゃんの髪の毛の匂いにどきどきしていた。
そっと匂いを嗅ぐとやっぱいい香りがする。
女の子の髪の毛ってシャンプーなんだな。
そんな馬鹿げたことを考えている。
「ねえ、ワタ坊。
……ワタ坊のこと初恋ってハルだけじゃないんだよっ。
……わ、……ううん、他の姉妹だって同じ想いをしてるんだからっ」
「……ふ、ふえっ? な、なんのこと?」
「鈍感っ!
……べ、別に私って訳じゃないからねっ。
で、でも、私もワタ坊とふたりきりになりたかったのっ。それが悪い子と嘘つきの理由なのっ」
「え、えっ、……あ、あ、うん。……えっ?」
「も、もうっ。……寒い。灯油切れちゃった?」
「うん。切れた」
ストーブの芯が赤から元の黒へと戻っていく。
すると途端に辺りが冷たくなってきた。
「寒い。……ね、ねえ、もっとくっついてもいい?」
「へ? ……い、いいけど」
すると夏希ちゃんはぼくにぎゅっと抱きついてきた。
「うわっ。……ちょ、ちょっと夏希ちゃんっ」
「寒いんだもん。……ねえ、なんか話して」
「話? 物語のこと?」
「うん。なんでもいい。気が紛れればいいからさ」
ぼくは少し考える。
だけどこの場には似つかわしいけど、縁起が悪い話しか思いつかない。
「ホントになんでもいいから」
ぼくの耳に夏希ちゃんの甘い息がかかる。
「……じゃ、じゃあ、雪女の話でいいかな?」
「ぴったりだけどサイアク。
……でもいいよ。それにして」
「わかった。じゃあ、話すね。
……あれってみんなここみたいな雪国が舞台だと思ってるけど、実は東京が舞台なんだよ」
「ええっ! 新宿とか渋谷とか?」
「さすがにそうじゃないよ。
青梅っていってもっともっと西の方なんだ……」
ぼくは小泉八雲の雪女の話をする。
木こりの茂吉と巳之吉が大雪の中、
多摩川の渡し船の小屋で一晩を過ごすことになったこと、
そこへ雪女が現れて、老いた茂吉を凍死させたこと、
そして巳之吉が若くて美男だったことから助けられたことをだ。
「ふふふ。その後はさすがに知ってるよ。
助けた巳之吉にこのことを言うなっていったんでしょ?
そしてその後現れてお嫁さんになって、子供ができだんだけど、
つい、雪の晩に、巳之吉が雪女の話をしちゃうんだよね?
それで本当なら巳之吉は殺されるんだけど、子供のことがあるから見逃すって言って、
雪女は去って行っちゃうだよね?」
「そうだね、合ってる」
「でもさ、雪女って自分勝手だよね?
単に若くてイケメンな巳之吉が好きなだけで殺さなくてさ、
それで巳之吉がむかしをつい口にしちゃったら、子供押しつけるなんて、
……ホントに自分勝手だよ」
「ま、まあ、妖怪だからね。
人間の物差しで善悪は決められないんじゃない?」
外の吹雪はますますひどくなっているみたいだ。
もう夜と思うくらい暗い。
そして小屋ががたがた揺れて、ドアの隙間から粉雪が入ってきて中で舞っている。
「なんかさ、
世界はもう私とワタ坊しかいないみたいって思っちゃうくらい」
「そうだね。
きっと茂吉も巳之吉もこんな気持ちで渡し船の小屋にいたんだろうね?」
いやらしい気持ちなんか、ぜんぜんなかった。
だけどとってもとっても寒いから、ぼくと夏希ちゃんはお互いをぎゅっと抱きしめていた。
……そしてどれくらい時間がたったんだろう?
気がつくと吹雪は止んでいた。
「あ、夏希ちゃん。起きてっ」
ぼくは抱きしめていた夏希ちゃんを揺する。
すると夏希ちゃんは目を覚ます。
「……あ、雪、止んだ」
「これなら自力で麓まで行けるかな?」
夏希ちゃんが起き上がってドアに行く。
「……ダメ。雪が多くてドアが中から開かない」
「ええっ!」
「内側から壊して外に出ても……。どうかな?
コースの上の雪はふんわりの新雪がそうとう積もったからスキーでは行けないかも。
丁寧に木の下を滑れば堅めの雪だからスキーでも行けるかも知れないけど、
……私は……ともかく……」
ぼくには無理だろう。
「じゃ、じゃあ。どうすれば?」
「ドアを壊して徒歩で行くしか……、ないよ」
結構難易度が高いミッションだ。
だけど、やるしかないよな?
――そのときだった。
ガガンっと大きな音がして、ドアノブの近くに亀裂が走る。
そして割れ目ができて、ぬっと差し出されたのは手だった。
「うわっ!」
「うぎゃあああああっ」
ふたりして悲鳴を上げてしまった。
それくらいホラーだ。
そしてその手は、ぼくたちのことなどお構いなくさらに差し込まれて、
ドアノブを掴むとゴリッともぎ取ってしまった。
そして開かれるドア。
冷気と舞う粉雪の中に純白の長髪と純白の着物姿の女性が立っていた。
「「ひっ……」」
――雪女っ……。
ぼくは直感した。
そして夏希ちゃんもそうだったんだろう。ぼくにしがみつく腕に力が入った。
「……っ」
ぼくも夏希ちゃんも声が出ない。
しかもそれどころか夏希ちゃんは全身震えてガクガクしている。
雪女は小屋の中をじろりと見て、ぼくたちと視線が合う。
冷たい目だ。きれいだけど、氷のように冷ややかな視線だった。
そして音もなく雪女は小屋に入ってきた。裾がはためくのがわかる。
「……まだ子供。でも男と女だから」
冷たい、本当に冷たい手がぼくの額に乗せられた。
そして雪女は口をすぼめた。
……あ、殺される。
直感した。このまま口から極寒冷気を浴びせられて、ぼくは死ぬんだろう。
そう思った。
そのときだった。
「ダメっ。この人殺しちゃダメ。
殺すなら私だけにしてーっ!」
「ちょ、ちょっと、夏希ちゃんっ!」
夏希ちゃんはぼくを振りほどく。
「お願い、殺すなら私にしてっ!」
雪女は動きを止めたまま夏希ちゃんを見た。
「……なぜ?」
「ワタ坊が大好きだからっ! 初恋の人なのっ!」
「な、夏希ちゃんっ!」
「言えなかったのっ! ハルもそうだからっ!」
いきなりだった。
雪女の身体が崩れ始めた。
そしてそれがぜんぶ粉雪になって、部屋中にゴウゴウと舞った。
「「うわあっ」」
ぼくと夏希ちゃんは互いをしっかり抱きしめた。
なにが起こるのかわからない。
もしかしたらふたりとも殺されるかもしれない。
……そう覚悟した。
――そして気を失っていたらしい。
ダンダンッとした音で我に返る。
ドアが外から強くノックされているのだ。
「助けだっ」
ぼくと夏希ちゃんはドアまで走った。
だけど互いを見合わせ一瞬躊躇する。
……もし雪女だったら。
「無事なら開ける」
「えっ! アキ?」
「そう」
千秋ちゃんだった。
ドアをあけると全身雪まみれで立っていたのだ。
「ふたりの無事を確認」
そう言って千秋ちゃんは手にした無線機で報告をする。
「アキ、ありがとう。
……アキならここに来られるもんね」
「なんで?」
「アキのスキーはプロ級よ。
国体にだって出られるくらいに」
「ええっ!」
驚いた。
ソリで遊ぶなんていうから、てっきりスキーは苦手かと思った。
ましてふだんの千秋ちゃんの言動からしてスポーツができるなんて思わないし。
「ふたりとも並んで立つ」
千秋ちゃんが妙なことをいう。
ぼくは疑問に思いながらも夏希ちゃんと並んだ。
ぱちんっ。ぱちんっ。
平手が飛んで来た。
ぼくも夏希ちゃんも頬を強く叩かれた。
「心配した。すごく心配した」
淡々といってるけど、気持ちがこもった言葉だった。
「うわああああああああんっ。うわああああああああんっ」
夏希ちゃんがいきなり号泣した。
激しい嗚咽だった。
「……ご、ごめんなさい。ごめんなさい。
嘘ついてごめんなさいっ。抜け駆けしてごめんなさいっ」
夏希ちゃんはいつまでもいつまでも泣いていた。
それからぼくたちはスキー板をかついで徒歩で下山することにした。
ぼくの腕では絶対にスキーでは無理だし、やっぱり夏希ちゃんでも難しいらしい。
そう考えるとここまでスキーで滑ってきた千秋ちゃんの腕前は、
相当なものだと実感できる。
「あのさ、あのさ、ワタ坊」
「なに?」
「……ゆ、雪女のこと憶えてる?」
「あ、うん」
すると夏希ちゃんは真っ赤になった。
「忘れてっ!」
「は……?」
「だから忘れてっていってるでしょっ!」
「わ、わかったよ」
剣幕に押されてぼくは同意した。
「……で、でもさ、ワタ坊、あれって夢?」
「うーん。集団幻覚ってヤツだと思う。
極限状態だと集団で同じ幻覚を体験するって聞いたことがあるよ」
「そ、そっか。
……そうだよね、幻だよね。だって雪女なんてさ」
あはは、と夏希ちゃんの乾いた笑いが木々にこだまする。
だけどぼくは気づいていた。
千秋ちゃんを迎え入れるためにドアを開けたとき、
ドアノブ近くに雪女の手を差し込まれた穴が空いていたことを……。
「……やっぱりなにかいるんだろうな」
ぼくはぼそっとつぶやいたのだった。
よろしければなのですが、評価などしてくださると嬉しいです。
私の別作品
「生忌物倶楽部」連載中
「固茹卵は南洋でもマヨネーズによく似合う」完結済み
「甚だ不本意ながら女人と暮らすことに相成りました」完結済み
「墓場でdabada」完結済み
「甚だ遺憾ながら、ぼくたちは彼の地へ飛ばされることに相成りました」完結済み
「使命ある異形たちには深い森が相応しい」完結済み
「空から来たりて杖を振る」完結済み
「その身にまとうは鬼子姫神」完結済み
「こころのこりエンドレス」完結済み
「沈黙のシスターとその戒律」完結済み
も、よろしくお願いいたします。