真実のお知らせ
リースは肉と芋と人参を抱えてドルマン酒店まで急いでいた。
気を抜くと、兄様と呼ぶ声が聞こえる気がするからだ。
兄は忘れてお前はお前で幸せになれ、リースはそう思う。
「だから!あんたらの言う男はここにはいないよ」
ドルマン酒店の前では女将が腕組みをして、声高に叫んでいる。
憲兵と身なりの良い紳士にも怖気づかない女将の豪胆っぷりにリースはほうと息をつく。
買い出しから帰るリースがどこから来ても聞こえるように大声なのだ、とリースは思った。
ドルマン酒店の前にある箱馬車は質素だが、リースはあれを知っている。
王族がお忍びで出かける時に使う馬車だ。
ということはあの紳士は王族の誰ぞかに仕えてる者だろう。
リースは路地に身を潜めながら店先を覗う。
どうしたものか、女将に迷惑をかけたくはない。
そう考えているとトントンと肩を叩かれた。
「ルナリース様」
振り返れば、濃紺のフードを被った者が立っている。
フードから覗く口元は笑みをたたえている。
「・・・お前、その声」
「お久しぶりでございます」
フードをとり目礼したのは第二王子にぶら下がっていた男であった。
リースはこの男をいじめにいじめ抜いた。
その結果が婚約破棄だ。
この男になんの感情もわかない。
この男が憎くて虐げた訳ではない。
体が勝手に、口が勝手に動いたのだ。
その頃はもうそんなことには慣れっこになっていて、どこか空の上から冷めた目で自分の行いを見ていた。
「まさか、ルナリース様が出奔なさるなんて思いもよりませんでした。これからがルナリース様の舞台でしたのに・・・」
男は困ったように微笑する。
「あの日あの場には賓客として隣国の王族の方々もいらしていたのですよ。あとは、アルデバラン公爵家、マラメルク侯爵家、ハーヴィ伯爵家、錚々たる面子です。あぁ、麗しの黒騎士様も。あの方はずっと貴方様を見守ってらしておりました。いつか、貴方様の目が覚めるのではないかと・・・」
「舞台ってなんだ」
ふふふ、と男は華奢な手を口元にあてて笑う。
「ルナリース様が主役の舞台でございますよ?貴方様が望めば隣国の王子でも、公爵家でも、数多の男が貴方様に恋焦がれ求めるようになります」
「それらは、お前に懸想していたのではないか?」
「えぇ、えぇそうです。ですが、私の舞台は終わりました。彼らも次の身の振り方を考えねばなりません。悪役を下りた貴方様は行いを悔い改めようと奮闘するのでございます。そこに皆惹かれるようになっているのです」
「ふん、まるで定められたような言い草だな」
「ここからは悪役令息から脱却したルナリース様救済ルートです」
「悪役?救済・・・だと?」
「そうです。貴方様に愛される歓びを知ってもらいたいのです。こんな平民街で暮らす必要はないのです。これまでを取り戻すかのような優しさと贅沢な暮らしがルナリース様を待っています」
男は両手を胸の前で絡めうっとりとリースを見つめている。
さも自分が正しく、慈悲の手を伸ばしているのだと言うように。
「お前、気持ち悪いな。私の舞台?お前中心に世界が廻っていたとでも?」
「えぇ、そうなります。ですが、これからはルナリース様の為に世界が廻ります」
その時、リースの胸に内に宿ったのは生まれてこの方感じたことの無い激しい憎悪だった。
愛される歓びと言ったか?
自分の意志とは関係ない傍若無人な振る舞いで、愛されたかった父母には厄介者扱いされた。
嫡男にもかかわらず王家への半ば貢ぎものとしてあてがわれた。
弟には遠巻きにされ、使用人からも誰からも嫌われた。
リースは拳を握りしめ、その硬い拳を目の前の男目掛けて振り上げた。
「私はもうルナリースではない。リースとして生きている。お前の言う気色の悪い愛される歓びなど求めていない。自分の為に世界があると?それ中心に世界が廻ると?ふざけるな!山頂から見る景色は美しいか?お前はその山頂からそうやって見下ろしているがいい」
リースの拳は男の鼻先スレスレでぴたりと止まっている。
男は瞠目しカタカタと震えている。
瞬きもできない瞳からは大粒の涙が流れ落ちる。
「俺はもう山頂へは行かない。この裾野で景色の一部になる。それが俺の望みだ」
何者かに定められた愛など要らぬ、リースはそう吐き捨てて男の前から去った。