タバコ、コインケース、腕時計
「1分遅刻。罰金100万円」
不機嫌な顔を隠す様子もなく、彼女は右手を差し出した。
左手にはタバコが煙を燻らせている。
「……身体に悪いよ」
どうにか絞り出した一言が、妙に掠れて乾いた笑いになった。
「アタシに文句言う訳?」
続いた高圧的な言葉に口を噤む。
僕に出来たのは、彼女に買ってくるように頼まれたパンを渡すことだけだった。
不機嫌な態度はそのままに、差し出したままだった右手で彼女はパンを受け取った。
僕は彼女に弱みを握られている。
だからこうして言われるままに使われている。
「ん」
パンを頬張りながら、彼女は再度右手を差し出す。
「え」
言われたものは買ってきたし、まさか本当に100万円払えなんて思ってないよな、なんて考えながら後ずさる。
「飲み物は?」
すっかり失念していた。
彼女はいつも、一緒にコーヒー牛乳を飲んでいたのを思い出す。
「すぐ行ってきます!」
見る間に眉間に皺を寄せていく彼女に、僕が慌てて踵を返す。
「いい。自分で行く」
ぽかんと間の抜けた顔で見つめ返すと、彼女はフイッと視線を曝した。
呆然と立ちすくみながら見送る姿勢だった僕は、キッと睨む視線にまた身がすくむ。
「なにボサッとしてんの?アンタも行くの」
僕は再び慌てて彼女の後を追った。
生徒指導の先生の目を掻い潜りながら到達した購買は、お目当ての飲み物が品切れだった。
仕方なくピロティにある自販機まで歩き、僕は自然とポケットに手を入れる。
「いいよ。アタシが自分で出す」
こちらを見ずに言い渡された言葉に心臓が跳ねる。
無言のままお金を投入し、彼女は取り出し口からコーラを取り出す。
力が入り、握ったコインケースが僅かに歪む。
可愛らしい刺繍が入った、でも年季の入ったコインケース。
「あ……」
つい、声が漏れ出る。
「なんだよ、アタシが可愛いの好きなの、文句あるのかよ」
「いや、そうじゃなくて……ううん、なんでもない」
チッと舌打ちし、彼女は僅かに頬を染めて乱暴に、でも大切そうにコインケースをポケットにしまった。
「……大事にしてるんだね」
もう一度大きく舌打ちをした後彼女は僅かに逡巡した。
「なんか、無くしちゃいけないモンな気がすんだよ」
これが、僕の弱み。
彼女の記憶が戻るまで、絶対に手放すことのない、ただひとつの、弱み。
「なんでアタシなんかに優しくすんだよ、バカ」
少女が小さく呟いた声は、少年の耳には入らずに風が攫っていった。
少女には記憶が無い。
半年前、事故によって両親を亡くし、引き取り手もなく今となっては広いだけの実家で一人暮らしをしている。
かつて優等生だった少女は。
幼馴染だと自称する少年に優しく接されることに苛立ちながら、自らの記憶が戻らないことにやきもきとした思いを抱いている。
なぜ、この少年はこんなにも自分に優しくするのか。
幼馴染といっても他人だというのに。
かつて優等生だったという少女が、今では自分すらも信じることができない。
自分の知らない人間関係、成績、自分の人格。
戸惑う少女は、少年が彼女に恋をしていることに気づかない。
腕時計は間もなくお昼休みが終わることを指していた。
友人から募ったお題で三題噺を書かせていただきました。
最初はハードボイルドな刑事モノにしようかと思っていた時期が僕にもありました。
どうしても青春恋愛モノになってしまうのは何かの呪いでしょうか。
お題をいただいたのは随分前なのですが、半年近くかかってしまいました。
遅筆ながら、活動を再開させていただきたく……書きたい物語が着々と浮かんでおりますので、また、いずれ。