エピローグ
目が覚めた時、俺は淡い壁に囲まれた個室の中にある白いベッドで寝ていた。
ここはどこなのか、何故自分はこんなところにいるのか、それが不思議とわからない。
少なくともここが自分の家の私室でないことだけはわかった。
この場所がどこなのかを調べようと思い、体を起こした時だった。
(うぐッッ!?)
突然、体の節々から激痛が走った。
その痛みは思わず涙目になってしまうほどで、俺は体を起こすことができず、そのままベッドに背中をつけた。
すると突然、部屋唯一の出入り口である引き戸が音を立てながら開かれた。
「やっぱりお見舞いなんだしスーツってどうなの、吉姉?」
「お見舞いって言ったって、三春を送ってあげただけじゃない。それに仕事が忙しくて私服なんて全然買ってないから着れるのこれしか無かったのよ」
「……今度一緒に買いに行こっか?」
「余計なお世話よ!! ……ってあれ?」
俺が目を向けた先に立っていたのは、見慣れた私服姿の三春とスーツ姿の吉乃姉だった。
怒鳴った吉乃姉と目があった直後、吉乃姉の様子に不審を抱いたのか、三春が吉乃姉の視線の先にいる俺の方を見た。
「誠!!!!」
こちらが思わず驚いてしまう程の大声を出した三春がベッドの傍らまで駆け寄ってきた。
「やっと……目を覚ましたんだね」
目尻に涙を浮かべせながらも、笑みを浮かべる彼女の姿を見て、俺は彼女の涙を指でそっと拭ってあげた。
すると、彼女は俺の手を優しく持ち、自分の頬に押しあて、満面の笑みを見せてくれた。
その姿に、俺も自然と笑みがこぼれてしまった。
「良かった。誠が目を覚ましてくれて。全然目覚めてくれないからこのまま一生覚ましてくれないんじゃないかって心配だったんだよ」
俺の手を解放してくれた三春はそう告げた。だが、未だに俺が何故意識不明だったのかがどうしてもわからなかった。
だから、俺は三春に聞くことにした。
「そのことなんだけどさ、俺に何があったの?」
その質問をした途端、三春と吉乃姉は二人してキョトンとした顔になり、顔を見合わせた。
「本当に覚えてないの?」
代表して尋ねてきた三春に頷くと、彼女は少し考えこむような仕草を見せてから、不安そうな顔立ちでこう告げた。
「誠はね〜……階段から落ちちゃったんだよ」
◆ ◆ ◆
三春と吉乃姉の話を要訳するとこうだ。
俺は付き合うことになった三春とのデートの待ちあわせに行く最中、駅の階段で足を滑らせ、下まで転落。
体中、特に頭を強く打ったことで俺は意識不明の重体となり、現在地である病院に運ばれたらしい。
「……なるほどね、そんなことがあってたのか。それで俺は全身が痛い訳ね」
「そうそう。一週間も寝たきりで本当に心配したんだからね!!」
「悪かったよ。今度埋め合わせするからさ」
頬を膨らませる三春にそう告げたタイミングで、再び病室の扉が開かれた。
「よ〜っす、誠は起きてるか〜?」
そんなことを言いながら入ってきたのはりんごの入った袋を持った昔からの親友である涼太だった。
そんな涼太に対し、俺は腕を上げて挨拶を返そうとするが、左腕を上げた瞬間、忘れていた痛みがぶり返し、思わず顔を顰めてしまう。
「ほらもうっ! 怪我人はおとなしくしてないと駄目なんだからね」
「おいおい大丈夫かよ」
「全然大丈夫じゃねぇよ。体中痛くて痛くて仕方ないんだからな」
「そいつは災難だったな。ほれ、見舞い品のりんご」
「おっ、涼太にしては気がきくな」
「一言余計だっつーの」
そう言いながらも、涼太は病室にあった丸椅子を持ってきて、俺の近くに座った。
だが、ふとそこで違和感を覚えた。
(あれ、涼太って昔からの仲だったか?)
涼太という知人がいたことは覚えている。
唯一無二と断言していい程の親友で、時には遊び、時には喧嘩し、長くを共にしてきたような記憶はある。
だが、ふとそれが本当にそうだったのかという疑問に変わる。
(俺が涼太と出会ったのって……)
ふと、そこで全ての疑問がどうでもよくなってしまった。
(きっとまだ頭が混乱してるんだな)
自分を納得させ、俺は四人で談笑することになった。
俺が寝ている間、色々な出来事があったらしい。
吉乃姉の親父さんが所有している会社の建物が炎上し全壊、多くの資金を投じた研究のデータも内容も全てが無くなったことでそこに勤めていた吉乃姉と神代さんはかなり堪えているそうだ。
吉乃姉の方は手伝い程度で本格的には参加させてもらっていなかったからダメージは少なかったが、責任者である神代さんはというと、自分の全てをかけた研究がオジャンとなったことがショックで未だに寝込んでいるんだそうだ。
涼太のくだらない話や、三春のいつも通りの日常で起こった話を聞き、更には吉乃姉の愚痴まで聞かされ、気付いた頃には夕方の五時になっており、自分の腕時計を見ていた吉乃姉が丸椅子から立ち上がった。
「それじゃあ私はそろそろ帰るわね。三春ちゃんはどうする?」
「私はまだ残ってるよ」
「あらそう?」
「そんじゃあ俺も帰るとするわ」
「お前も?」
「そりゃあね。俺だって読まなきゃいけない空気があるってことくらいわかるっての」
そう言って立ち上がった涼太は、吉乃姉と共に部屋から去っていった。
二人が帰ると同時に、部屋全体に沈黙が広がっていく。
なにか話を振った方がいいのかもしれなかったのだが、ふと自分がまだ三春に一言も謝っていないことに気付いた。
デートで待たせてしまった挙げ句、こんな状態になってしまったんだ。
相当な心配をさせてしまったことは目に見えていた。
「ごめんな、三春」
「何が?」
「何がって……そりゃあ三春に心配をかけたことについてだが――」
「そうだな。君は滝井三春にもっと誠心誠意謝罪をする必要があるだろうな。だが――」
「三春?」
突然、三春がなにか別の存在になったかのような感覚を覚えた。
だが、その直後、動けない俺の眼前に彼女の手が翳され、彼女の手が紫色の光を発し始めた。
「それは今じゃない」
その言葉が聞こえるのと同時に、俺の意識は闇の世界へと誘われた。
◆ ◆ ◆
滝井三春は自分の内に語りかける。
「協力感謝する。彼の記憶がしっかりと封印出来ているか見ておきたかったからな。やはり記憶の封印は完璧では無かったようだ」
(本当にこれで良かったんだよね?)
「あぁ、彼は今回、この世界に存在する裏の住人と接触してしまった。魔術や呪いといったものは元来、裏の世界でのみ交わされるべき存在、今回の件で深く干渉してしまった彼らが、今度はその闇に惹かれてしまうかもしれない。いや、惹かれないにしても巻き込まれてしまう可能性は充分にある。記憶の封印が成されなければ、彼らの命は短い時間しか生きられなくなってしまうだろう」
(理由はわかってるよ。ビルの前で聞いたし。それよりなんでまだ残ってる訳? 誠の状態をチェックしたら私の記憶も改変して帰る予定でしょ?)
「まだやり残したことがあってな。すまないが、もう少しだけ君の体を貸して欲しい」
(五分だけだからね)
「そんなにいらないさ」
そう告げた三春は眠ってしまった誠の顔を見て、頭を深々と下げた。
「君には本当に申し訳ないことをした。私が至らないばかりに君は何度も何度もその命を散らしてしまった。今回だって、本来であれば我々で対処せねばならないというのに、君にばかり負担をかけてしまった。だが、これだけは言わせてほしい。私は君に感謝している。例え世界が君に救われたと知らなくても、例え君自身がそれを知らなくても、我々だけは、君とその仲間達が命をかけて未来を守ってくれたことを知っている。……私には、こんなことしかできないが、これは感謝の気持ちだ」
そう告げた三春は一切躊躇うことなく、誠の無防備な唇に自分の唇を重ね合わせた。
その時間は一瞬のようにも感じられたし、とても長い時間のようにも感じられた。
そして、三春は勢いよく顔を起こした。
その表情は熟れたトマトのように真っ赤だった。
「あ……あの未来人っ、今度会ったら覚えとけよぉおおお!!!」
そんな羞恥の叫び声が病室の中から響き渡り、今日もまた、日常は平和に過ぎていくのでした。
これにて『幸せな高校生活を送ろうと、日夜ゾンビと戦う過酷な世界で生きようと、今日も俺は夢を見る』を完結とさせていただきます。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。




