最終話:我が夢が、桜の如く、散る中で、立ち塞がるは、もののふ二人.15
薄墨直哉は、死の淵に立っていた。
身体のあちこちに風穴を空けられ、もはや目を開けているのもやっとの状態だった。
今、意識を保てているのも、相手の少年がわざと急所を外し、死までの時間を長引かせているからに過ぎない。
だが、その意識もやがては儚く燃える蝋燭の火のように、呆気なく消えてしまうだろう。
か細くなった息が、重たくなっていく瞼が、薄墨にじわじわと死の実感を味わわせる。
(……このまま、私は死ぬというのか……まだ何も成し遂げてはいないというのに……このまま、無惨に死ぬというのか……)
薄墨の目から一筋の涙が滴り落ちていく。
(……もはやこれに頼るしか……)
薄墨の注射器を握りしめた手に力がこもる。
出来ることなら、実験を見届けてから奪うつもりだったが、計算外の出来事が立て続けに起こってしまったせいで、そんな悠長なことを考えている場合ではなくなってしまっていた。
もはや一刻の猶予も無く、人生初の大博打に賭けるしかなかった。
薄墨の震える腕がゆっくりと上に上がっていく。
そして、彼は目をつぶり、自分の胸めがけて勢いよく注射器を刺したのだった。
◆ ◆ ◆
その異変に俺と涼太はほぼ同時といっていいタイミングで気付いた。
本物の銃弾を四発撃ち込み、止血すらせずに放置した。
いくら魔術とかいう意味不明な力が使えると言ったって、既に意識を保つことすら難しい状態だったはずだ。
ましてや彼から意識を外したのは、三春の涙に驚いた一瞬と言っていい程の短い間だけだ。
それがどういうことだ?
先程空けたはずの弾痕が綺麗さっぱり無くなり、赤黒く染まっていたはずの警備員用の制服には穴が空いているというのに赤黒い血だけが綺麗さっぱり無くなっていた。
どこからどうみても普通の状態であるはずなのに、俺は猛烈に嫌な予感がした。
そして、その予感はすぐに正しかったと証明された。
「な……なんだこれは!? 助けてくれ!!」
薄墨は目に見えて苦しそうにもがき、こちらに手を伸ばしてくるが、その腕はみるみるうちに太くなっていき、青白く変色していく。
人間サイズの服は膨れ上がっていく体に耐えきれずはちきれ、床に散乱していく。
そして、おおよそ三メートル程の大きさまで膨らむと、彼は肥大化を終えたのか、その醜い醜態でこちらを見た。
それは間違いなく、三年後の世界で戦ったあの怪物だったが、その顔には薄墨の面影が残っていた。
「くそっ……やはりすぐにでもトドメを刺すべきだったか」
薄墨が薬を使用したのは答えを聞くまでもなくわかったが、問題はそこじゃなかった。
俺は怯える三春に怪物を見せないよう強く抱きしめ、部屋全体に響かせる程の声を上げた。
「おい胡蝶玲奈!! お前いつまでも寝てないでいい加減働けよ!!」
その声に反応したのか、玲奈がゆっくりと起き上がったのが横目で見えた。
「まったく……薬を使わせるのを止める予定だったはずではないのか? 何故元凶と思しき人物に使わせているのだ?」
「てめぇのせいだろうが!!」
ゆっくりと起き上がりながらそんなことを真顔で告げる玲奈に、イライラが溜まっていく。
頼れる助っ人かと思えば、あっさりと敵にボコられ、あまつさえ人質に取られるという体たらく。しかも相手の裏をかいたかと思えばあっさりとやられ、今の今までダウン。そんな奴にとやかく言われる筋合いは無いと思う。
「おいこら、そんなところでボサっとしてる暇があるなら早くこっちに来やがれ」
言葉使いが荒くなっているのを自覚はしているが、それを考える程の余裕は無かった。
「涼太」
「わかってる。ちょうど準備運動がしたいと思ってたところなんだ」
玲奈がこっちに来るのと同時に、涼太が怪物めがけて走り出す。
あの怪物のスピードは厄介だからな。涼太は三年後の世界でも俺を庇いながら戦っていたし、三年前の体でどこまで出来るかはわからないが、見た感じ足止め程度なら問題なく行えるだろう。
「玲奈、お前は三春におじさん、それから廊下に居るっていう吉乃姉を回収してこっから避難してろ。こっちはいい。三人を守ることに全力を尽くせ」
俺は傍まで近付いてきた玲奈の状態を見て、その指示を出した。
「それは構わないが、それだと援護はできないぞ?」
「必要ない。ただ、こっちの弾数は一発しか入ってないんだ。弾だけ寄越せ。ちなみに電撃銃はいらん」
「いらないのか? まぁいい、わかった。先程、滝井吉乃の白衣を探ったところ、もう一丁の拳銃と二つ分の予備マガジンを見つけた」
「いやいや持たせすぎだろ!! 俺達二人を殺すのにそんな装備絶対いらないだろ! まぁいいや。……もしもの時はわかってるよな?」
「我々が躊躇うように見えるのか?」
「わかってるならいい」
そう言うと、玲奈は気をきかせてか、おじさんの方へと向かっていった。
それを見て、俺は三春と向き合う覚悟を決めた。
「三春」
彼女の肩を掴んだ状態で向かい合うと、彼女は俺が何を言うのか察したのか首を振った。
「嫌だよ。私だけが握るなんて嫌!! ねっ、誠も一緒に逃げよ?」
三春の目には涙が浮かんでいた。
昔から彼女の涙には勝てた試しが無い。でも、今日だけは、俺の中にある確かな強い意志がその涙に抗う力をくれた。
「三春、小学生の頃だから三春は覚えてないかもしれないけどさ。俺がこの赤い髪と青い瞳のせいで外国人だとからかわれて孤立していた時、三春だけは俺のコンプレックスだったこの髪と瞳を綺麗だって言ってくれたよね」
「えっ……う……うん。確かおじいちゃんの血が強いせいだったんだよね? それが……」
「その時から俺は君のことが好きになったんだ」
彼女の表情が驚きで支配されているにもかかわらず、俺は続けた。
「ずっとずっと好きだった。子どもの頃からずっと……だから、俺は三春を死んでも守りたい。三春が死ぬあの未来……それに繋がる全ての可能性を全て排除して、俺は絶対に君の元に戻ってくる。だから……ちゃんと戻ったら、返事を聞かせてはくれませんか?」
そう問うと、彼女は目元を腕で拭った。
「……絶対戻ってくるんだよね?」
「うん」
彼女の問いに、俺は迷いなく頷いた。
すると、彼女は俺から離れ、おじさんに肩を貸した状態の玲奈が立っている入口の方に向かっていった。
そして、少しして立ち止まると、こちらに振り向くことなく叫ぶように声を上げた。
「明日のデート、全部誠持ちだから!! 怪我して行けないとか言ったら絶対許さないから!!」
その言葉に一瞬硬直するが、思わず口元がにやけてしまった。
「……ありがとな」
目元を腕で拭うような仕草を見せた三春は、そのまま玲奈達の元に走っていき、入口から外へと出た。
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