最終話:我が夢が、桜の如く、散る中で、立ち塞がるは、もののふ二人.7
神代は数多くあるパソコンの一つの前に座りながら、腕時計を確認していた。
「流石に遅すぎるな」
約束の時刻である八時はとっくに過ぎたというのに、助手を頼んでいた姪が来ないことに、神代は苛立ちを露にしていた。
父親である社長との仲介役としても助手としても素晴らしい働きをしてきたのだ。この研究の成果は是非とも見たいだろうと思い、せっかく前もって連絡したというのに、何故か一切の音沙汰が無い。
「これ以上は時間が……」
神代の目が向けられた場所では、寝心地の良くなさそうなベッドの上で虚ろな目をしている三春が横になっている。
そんな状態の娘を見て、神代の脳裏に一つの疑問が湧いた。
「……なんで時間が無いんだ?」
今日は会社自体が休みで研究員も研究がほとんど終わったことで全員帰宅している。
施設の使用許可も取っており、時間を気にする必要などまったく無いはずだ。
「そもそもの話、三春だって精神的な重症は負ったものの、こんな人体実験もしたことの無い薬を使う必要は無――」
刹那、不思議と頭が痛くなる感覚に襲われた神代は顔をしかめながら頭を押さえた。
そして、不意に頭の痛みを感じなくなった神代はボソリと呟いた。
「……いや、病気を治すなら早いほうがいいな」
迷いの無くなった神代は立ち上がり、傍に置いておいた希望の詰まった薬に手を伸ばした。
「この薬さえ打てば、三春は元に戻る。……もう静香のように病気で私の傍を離れることもなくなる」
そんな期待を込め、三春の元に近付こうとした時だった。
突然、社員証で開く自動ドアが開いたような音が耳に届き、神代はようやく吉乃が来たのかとそちらへ目を向けた。
だが、そこに優秀な姪の姿は無かった。
◆ ◆ ◆
「おじさん、いますぐその薬をその場に置くんだ!!」
両手で握りしめた拳銃をおじさんに向け、俺は大声で叫ぶ。
おじさんの表情には明らかに驚きが入り混じっていたが、それと同時に怒りのような感情も感じ取れた。
「なんだそれは? モデルガンか何かか? まさかとは思うが、そんなくだらない物を見せつける為にわざわざここまで来たのか?」
拳銃を本物と思っていないのかおじさんは案外冷静だった。まぁ、あの怒り以外の感情を持ち合わせていないかのような様相で冷静と言えるのかは甚だ疑問ではあるが、少なくとも拳銃に対して恐怖を感じているようには到底思えない。
「おじさん、その薬は危険を孕んだ代物だよ。人に打っていいものじゃない」
「君に何がわかる!!! 三春がこんな状態になっているというのに見知らぬ少女を連れてきて私の邪魔をする君に……いったい何がわかると言うんだ!!!」
「……三春が?」
おじさんの薬を持っていない左手が指し示した場所には、虚ろな目の三春が硬そうなベッドに寝かせられていた。
その一目で異常だとわかる三春の状態を目の当たりにした俺は、明らかに動揺していたのだろう。
「三春にいったい何が……」
俺は震える口でそう告げた。
「わからないよわからないさわからないんだよ!!! 私はこの子の父親だというのになんでこうなってしまったのかまったく見当もつかないんだ!!! 普通の治療法では完治しないと言われた。目を離した隙に自殺されるかもしれないとも言われた。情けないと軽蔑するがいいさ!! 無能だと罵るがいい!! だが、私は他人にどうこう言われようともこの子だけは絶対に助けてみせる!! 私はもう!! 家族を失いたくないんだよ!!!」
勢いよく振り上げられていく右手を見た瞬間、本当に時間が無いんだと理解した。
「……すみません」
俺は歯を食いしばりながらおじさんの右腕目掛けて発砲した。
サプレッサーによって最小限に抑えられた銃声が一発分、耳に届く。
だが、銃弾は幸か不幸かおじさんの体に当たることはなく、彼の遥か後方にあったガラスに当たってしまった。
「なっ!!? 本物なのか!!?」
発砲した瞬間、おじさんの腕は幸いにも行動を停止した。その姿を見た俺に、もはや躊躇という考えは存在しなかった。
(本当に運が良かったとしか言いようがないな)
俺はおじさんが窓ガラスに視線を奪われているその隙をついて、一瞬で距離を詰めた。
そして、おじさんがこちらに顔を向けた時には既に、俺は懐に飛び込んでいた。
「痛むよ」
短くそう伝え、おじさんの鳩尾に強烈な掌底打ちを叩き込んだ。
おじさんのやせ細った体は宙に浮き、そのまま色々な機材の並ぶ場所に激突してしまった。
俺はまた加減を誤ったのかと急いで駆け寄り、倒れたまま動けなくなったおじさんの脈を調べた。
だが、おじさんはどうやら気絶しているだけで、出血等もしていないらしく、その心配は杞憂に終わった。
無事を確認した俺はほっと胸を撫で下ろし、気絶状態のおじさんに向かってゆっくりと告げた。
「俺だっておじさんのとる行動で三春を救えるってんなら喜んで黙って見てたさ。……でも、その顛末を知っている身としては、おじさんのやろうとしていることを見過ごす訳にはいかなかったんだ。本当にごめん」
それだけを伝え、俺はベッドに眠る三春の元へと向かった。
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