4話:叫びだし、その現実は、夢と化す、渇望するも、それは叶わず(後)18
「涼太!!」
ゾンビの流す血とは明らかに別の血が周囲に広がっていく。急いで近寄ろうとするが、その瞬間、呻いてしまう程の激痛が身体を駆け巡る。
だが、それでも俺はかろうじて使える右手を駆使し、涼太の傍に近寄る。
「早く止血しないと……」
激痛が走る身体を這いつくばらせ、痛みを我慢して膝を使って涼太の身体の傍らで正座に近い体勢で座った。
「……まことぉ……」
今にも消え入りそうな弱々しい声で俺を呼んだ涼太を見て、彼がまだ生きていることに安堵すると同時に、別の不安が脳裏を過った。
だが、俺はその不安を頭から追い出し、痺れる右手を用いて少し乱雑に涼太の身体を俺の膝に乗せた。
痛みはあったが、そんなものよりも目の前の凄惨な光景に俺の目は奪われた。
涼太の身体は右肩の辺りから左腰までざっくりと引っかかれたような一直線の傷があり、とても片手で止血できるような傷では無かった。
左腕は並々ならぬ痛みのせいでまともに動かすことすら出来ない。
隊長達を呼ぼうにも、唯一手元にあったインカムはあの怪物に壊されたせいで使い物にならない。
(俺はいったい……どうすればいいんだよ!!)
目の前で俺を死の危険から救ってくれた親友が死にかけているというのに、まともな止血すら出来ない今の自分がただただ憎かった。
だが、後悔したところで涼太が助かる訳じゃない。
俺は持っていたバッグをなんとか開けてから、中に入れていた筒状の包帯を乱雑にばらまき、血の流れる箇所に急いで乗せた。
こんなことが無意味だというのはわかっている。
適切な使用方法に則っていないこんな使い方では、涼太を助けるのが無理だというのはわかっている。
それでも、今の俺にはこれ以上が出来ない。
せめて、皆が来るまでの時間を稼げれば、それでいいと思った。
だが、涼太は何故か青ざめた表情で俺の右手に手を置き、こう告げた。
「もういい」
弱々しく、聞き取り辛い声ではあったものの、俺にはそう聞こえてしまった。
「なっ……何がいいだよ!! てめぇ、勝手に生きるのを諦めるんじゃ――」
「俺を殺せ」
「………………は?」
涼太の口から飛び出た言葉で、俺の頭は一瞬真っ白になり、思わず聞き直してしまった。
「俺を殺せ……そう言ったんだ」
聞き間違いでは無かったのだと、俺は涼太の言葉で思い知らされた。
「なんでだよ!! なんで俺がお前を――」
「感染した」
涼太の口から出たその短い言葉で、俺は息を詰まらせてしまった。そんな俺を見てか、涼太は更に言葉を述べる。
「さっきの奴……特別な個体だったのか、やけに感染が早い。……なんかさ、徐々に自分の身体が違うものになっていってる気がするんだ。だから誠、お前の手で俺を殺してくれ。俺に、お前やここにいる皆を……殺させないでくれ」
涼太の頬を、涙が伝う。
それを見た瞬間、もうそんなに時間が残されていないことを思い知らされた。
この二年間で数え切れない程の戦場を共にした。
いつも傍にいて、いつも喧嘩して、いつも愚痴を言い合って、いつも最後には隣で笑いあった。
何度も模擬戦をし、その度に互いの成長を実感できる良き親友だった。
こいつになら、背中を任せられる。
そう思えるたった一人の相棒だった。
「……そんなこと……出来る訳ないじゃないかっ!!」
自分がわがままを言っていることはわかっていた。
客観的に見れば、涼太の言っていることは至極当然で、他の人に被害を出す前に殺してあげるのが、優しさだとも大学で教えられてきた。
だから、吉乃姉が感染の可能性がある俺に銃を向けた時だって、責める気持ちにはなれなかった。
でも、今回ばかりは感情がそれを理解しようとしない。
それが正しいのだと、何度も何度も言い聞かせようとするが、俺の心が銃を握ろうとしない。
わかってはいるんだ。
今この瞬間も、涼太はゾンビ化に抵抗し、痛みで苦しんでいる。
もしかしたら次の瞬間にはゾンビ化して俺を殺すかもしれない。
その結果、俺も涼太と同じようにゾンビと化してしまうかもしれない。
(殺すしか……無いのか?)
ホルスターから引き抜いた銃は、俺の涙で汚れていた。
最初はゾンビに襲われそていた吉乃姉を守る為に必死で落ちていた銃を撃った。
恐怖で震えた手に握られた銃は、相手をなかなかに捉えなかった。
心の底から当たれと願って撃った弾がようやくゾンビに当たり、ゾンビがその場に倒れた瞬間、俺はその罪悪感に耐えられなかった。
生前は初老のおじさんだったのだろう。
まだ成り立てだったのか見てくれは生きた人間と大差は無かった。
吉乃姉を守る為とはいえ、人を撃ったあの時の感触を未だに忘れない。
本当はゾンビだろうと、銃を人に向けて撃つのは嫌いだ。
でも、守るべき人を守る為なら、俺はそれを甘んじて受け入れよう。
それが、この世界で生きていくと決めた俺の信念だ。
俺は右腕で涙を拭い、大きく深呼吸をした。
「なぁ涼太。大学での訓練、辛かったな……」
「そうだな」
俺の言葉に、何故か涼太は小さく笑い、弱々しい声でそう答えた。
「最初の頃のお前は訓練だというのに独断で動いてばかりで……その度に大島隊長から拳骨をもらってたな……」
「そうだな」
「……でも、お前は変わったよ。例えどんなに危険な状況に陥っても独断専行をせず、常に俺が援護しやすいように立ち回ってくれた。まぁ、今日は独断で動いて嵐山先輩に移動中こづかれてみたいだけど」
「……そうだな」
「…………なんか皆に言い残すことはないか?」
涙を絶え間なく流す涼太を、俺は見なかったことにし、声が震えそうになるのを耐えて、そう訊いた。
「最後まで……手のかかる馬鹿でごめんなさいとだけ……伝えてくれッ!」
「……わかった。絶対伝えとく」
そう言いながら、俺は銃の安全装置を外した。
「なぁ誠……」
「何?」
涼太の顔ヘ目を向ければ、涼太は涙を流しながら、俺に向かって笑顔を浮かべていた。
「ありがとう。たったの二年間ぽっちだけど、お前と戦えて良かった。いつも守ってくれて、ありがとな」
「…………ッッ!! 俺も、お前が相棒で良かった」
そして、サイレンサーによって極限にまで押さえられた銃声が一発分、俺の握った銃から放たれた。
俺の手から、涼太の胸に突きつけていた拳銃が転がり落ちた。
涼太の胸には焼け焦げた小さな穴が出来ており、それが俺の胸を更に締め付けた。
涼太はもう喋らない。
涼太はもう動かない。
涼太の生命機関はやがて、完全に静止することになるだろう。
涙を流すことを我慢するなんて、俺には出来なかった。
心を許していた親友の命を奪ったその事実に耐えきれなくなった俺は、ただただ嗚咽を漏らすことしか出来なかった。
二発目を撃つ余力も、彼の生死を確認することも無ければ、ゾンビが集まってくる可能性をも考えず、ただひたすらに俺は泣きわめいた。
そんな無防備な俺の首筋に、何かが刺さったような感覚が迸り、俺の意識は闇へと誘われた。
ここまでお読みいただき誠にありがとうございます。




