4話:叫びだし、その現実は、夢と化す、渇望するも、それは叶わず(後)4
滝井吉乃は、俺がゾンビになると思っている。
その事実に気付いた俺は、急いで彼女を止めようとしたが、突如として来た頭痛でそれどころではなくなってしまう。
(クソッ、なんでこんなタイミングで……)
もはや一刻の猶予も無かった。
彼女が安全装置を外し、こちらに狙いを定めたのが、俺の霞む視界ではっきりと確認出来た。
この距離であれば、素人であろうと外す方が難しいだろう。
だが、いくら俺でもこの体勢からでは攻撃で外させることすら難しかった。
最悪な形で人生が終わってしまうんだなと、俺は震える吉乃さんの手を視界に収め、ゆっくりと目をつぶった。
直後、サイレンサーで最小限にされた銃声が俺の耳に届く。
だが、痛みは一向に訪れなかった。
「やっぱり私には無理だよぉ……」
カランと銃が地面に落ちた音と共に、泣き崩れる声が目の前から聞こえ、俺はそこでようやく目を開いた。
「私に出来るはずが無いじゃない。例え苦しませない為だからって、子どもの頃から実の弟のように思ってきた誠くんを撃つなんて……そんなの、私に出来る訳ないじゃない!!」
涙を流し、人目も憚らず子どものように泣き崩れるその姿に、俺は言いしれぬ安堵感を抱いた。
そこで俺はようやく気付けた。
先程まで俺を蝕んでいたはずの痛みが感じられなくなっていたことに。
そこに気を取られた瞬間、俺は突然吉乃さんに抱きしめられた。
あまりにも突然のことで俺は驚いたが、嗚咽を漏らす吉乃さんからは先程のような意志は一切感じられなかった。
そして、なかなか離してくれない吉乃さんに声をかけようとした時、彼女は機先を制した。
「例え誠くんがゾンビになっても、私は誠くんのお姉ちゃんだからね!! 絶対に一人にしないから。私もゾンビになって、誠くんとずっとずっと一緒にいるから……だから、安心してね」
吉乃さんの腕の力が強くなり、そのせいで少し苦しかったが、不思議とやめてほしいとは思えなかった。
俺に兄弟姉妹なんていない。
そんな俺にとって、吉乃さんは子どもの頃から保護者の代わりとして俺と三春の傍に居てくれた姉的存在だ。
実の姉弟なんかじゃない。
それでも俺にとって吉乃さんは、いつまで経っても吉乃姉に他ならない。
だから、その慈愛に満ちた吉乃姉の腕の中は、とても心地よいものだった。
だが、だからこそ、少し気恥ずかしいという感情もあった。
「吉乃姉……俺、大丈夫だから……ゾンビになったりしないから……」
少し締めが入っていたのもあり、声がうまく出なかったものの、吉乃姉の正気は取り戻せたようだった。
吉乃姉は俺の両肩を掴んで俺を密着から解放し、俺の顔をまじまじと見てきた。
「……でも、感染は?」
「してないしてない。さっきは猛烈な頭痛で動けなかったってだけで、感染なんてそもそもしてないよ。口止めされてて言えなかったけど、屋上で倒れるまでの記憶だってはっきりしてるよ」
実際は発見まで時間がかかっている以上、絶対に安全とまでは言えないが、胡蝶玲奈が俺を代替品と見ている以上、俺を危険な場所に放置するような真似はしない……と願いたい。
「まぁ、とにかく感染の可能性は低いんだ。吉乃姉も安心していいよ」
吉乃姉は俺の目を見続ける。
やがて、吉乃姉は安心したように大きく息を吐き出した。
「良かったー。じゃあ誠くんがゾンビ化することは無いんだね?」
安堵した様子の吉乃姉がそう訊いてきた為、俺は頷いた。
吉乃姉の誤解を解いたとはいえ、現状は安堵出来るようなものでは無かった。
俺は机のインカムを手に取り、スイッチを入れる。
おそらく、先程の頭痛は胡蝶玲奈が俺に対して何らかの接触を試みるべく、対象者に頭痛を発生させる道具を使用したのだろう。
お陰で誤解されて射殺されかけたが、それほど急を要する事態に陥っていると考えた方がいいと思う。
そうとなれば、俺もこんなところでチンタラしている場合じゃない。
「こちら誠です。大島隊長、聞こえますか?」
大学の技術班によって作られたこの無線マイク内蔵型のインカムは、大型トラックに搭載されている中継機から半径五キロ以内であればインカムを所持している者全員に連絡を取ることができる。
ただし、個数が限られているせいで正規チームにしか配られておらず、このインカムを所持しているのは俺達桜チームだけだ。
俺が連絡を入れると、すぐに反応があった。
『誠か。今忙しいんだが……すまんが後にしてくれないか!!』
奥の方で鳴り止まぬ程の銃声音が鳴り響き、それに負けないくらいの声で言ってきているようだが、正直な感想を言うと、耳の鼓膜が破れるかと思ってしまった。
だが、今ので向こうの情報も少しわかった。
銃声音の中には複数の音があり、爆弾ナイフと小型ナイフを巧みに扱う近接技巧型の嵐山先輩とその巨漢と言うに相応しき肉体を使ったゴリッゴリの近接格闘術を得意とする大島隊長が銃を使わない以上、そこには他チームの人間が何人かいるようだ。
インカムが無い現状での連携は厳しいだろうに、そんなものに頼らずともメンバーをまとめ上げている大島隊長のカリスマ性には尊敬の念を禁じえない。
だが、今はそんなことに感心している場合じゃない。
「隊長、俺は倒れる直前まで例の少女と接触していました。ゾンビとの接触はしていません」
『それは本当か!?』
俺の報告に驚いた様子の大島隊長は、考えこんでいるのか言葉を発さなくなってしまった。
『それを何故襲撃が起こる前に報告しない』
低くなった声が、俺の背筋を震わせる。
「はっ、多くの者が感染を疑っている現状で、たった一人で気を失っていた自分の言い分など聞き入れてもらえないと思ったからであります!!」
刻みこまれた恐怖のせいか体が強張り、無意識の内に敬礼をしてしまう。
本当であれば誤魔化そうとも思っていた考えまでもが、勝手に口から漏れていくのを自覚しながらも、言ってはならなそうな言葉は言わないように気をつけた。
『まぁ、確かにお前が気を失っていた以上、その言葉には信憑性が無いと言わざるを得ないな。現状、私がそれを支持したところで全体の士気は下がる一方だろう。もしかしたらお前の背中を撃つ人間が現れるやもしれん』
そんなことを冷静な口ぶりで言いながらも、風切り音や拳が肉片を作り出す音が背後から聞こえてきている。
(……この人、まさかゾンビを屠りながら俺と話してんの?)
常人離れしたその動きに驚いている間にも、隊長からの言葉は続いた。
『すまんが、やはりお前を前線に出す訳にはいかん。今の我々に背後まで警戒している余裕は無いからな』
「わかっています。ですから、自分は子ども達の保護に向かいたいと思います」
『子ども達の元にか?』
「はい。現状、自分の傍には滝井先生がいらっしゃいます。非戦闘員である彼女を連れて前線に行く訳にも参りませんし、この状況で置いて行く訳にも参りません。で、あるならば、現在状況のわからない子ども達の傍に連絡が通じる人間がいるべきだと思うのです。……駄目でしょうか?」
『いや、それでいこう。お前のような戦力を遊ばせておくのはもったいないからな。子ども達の避難している場所は家庭科室だそうだ。位置は滝井先生が把握しているはずだ。すぐに向かってくれ』
「了解」
再び虚空に向かって敬礼し、俺は吉乃さんの方に振り返った。
「そういう訳でこれより家庭科室に避難しているであろう子ども達の保護に向かいます。銃弾の弾数が心許ないですが、銃弾は必要最低限に抑えるつもりなので、まずは一刻も早く向かいましょう」
「ええ……ただちょっと申し訳無いことがあるんだけど……」
そう告げた吉乃姉は、何故かもじもじとしながら人差し指同士をくっつけていた。
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