3話:恋文を、彼へと出した、その者は、世の理を、壊す者なり(後)2
「そういやさ、お前って空手やってたって言ってたけど……もうしないのか?」
部屋までの道中、いきなりそんなことを訊いてきた涼太に視線を向ける。
「基本なら朝からやってるが……さすがにゾンビ相手だと危険過ぎるからな……」
「それもそっか……」
「それに空手は高校に入る前に一度辞めたんだ」
「へ~……なんで?」
眠たいのかいつもよりがっついてこない涼太を一瞥して、俺は理由を話そうとしたが、やめることにした。
理由が言えない訳ではなく、急に廊下の奥の方に見知った人影を見つけたからだ。
「いたぁああああああ!!!」
いきなり大声を上げた吉乃さんはこちらを指差していた。
廊下をドタドタと走り、ようやくこちらに着いたかと思うと、彼女は立ち止まった俺達の前で膝に手をついて荒い息を吐き始めた。
「はひ……はひ……はひへんなの……」
いつも研究室にこもってばかりのせいか、彼女はかなり疲労しているようで、まともに舌も回っていなかった。
「とりあえず落ち着こ? 今度はちゃんと聞くから」
そう言うと、吉乃さんはゆっくりと息を整え始めた。
よく見ると、彼女の髪は研究室に居るときと同じく整えられていなかった。化粧品に興味が無いのを知っている為、すっぴんなのはいつものことだが、それでも部屋を出る時はそれなりに身なりを整えている。
緊急事態が起こったのだとすぐにわかった。
「大変! 大変なの! 誠くん!」
彼女は俺の肩を掴みながらその切羽詰まった表情を近付けてくる。
「な……なんです?」
そう聞くと、彼女は焦ったように続きの言葉を告げた。
「あの女の子が居なくなったの!!!」
その言葉に、俺は事の重大性を認識した。
◆ ◆ ◆
俺は廊下を駆け回っていた。理由は当然、一昨日助けた少女を探すためだ。
吉乃さんの話によると、深夜二時までは、取り付けたカメラで彼女が居たことを確認していたらしい。
だが、いつものように机の上で寝落ちし、朝六時半に目を覚ましたら、彼女の姿はなくなっていたとのこと。
正確には、取り付けたカメラが壊されており、慌てて確認に行ったところ、扉が壊されており、中には誰も居なかったそうだ。
ゾンビ変化対策でしてあった軽い拘束も引きちぎられ、部屋の中にも手掛かりらしきものはない。
その為、いつもこの時間帯に鍛練している俺の元に来たらしいのだ。
すぐにこの事は全体に伝えられ、外に一晩中居た涼太が少なくとも玄関から誰かが出た様子は感じられなかったと証言したこともあり、大事をとって眠らせた涼太と伸びているメンバー以外の二十人で学校中を探索。エリアを決め、それぞれのチームの隊長が指揮を執り捜索、だが、四時間が経過した今でも、彼女の手掛かりは見つからなかった。
誰かに連れていかれたなら、絶対に男子が犯人だと告げられるものの、潔白を証明できたのはずっと監視カメラに映っていた涼太のみ。
だが、俺は二十一時から六時まで絶対に寝ていたといううちの大島隊長の証言もあり、すぐに解放された。
普通ならアリバイ無しと取られるのだろうが、俺はこの一年間、一度もその時間に起きていられたことはない。
それを他のチームのメンバーの幾人かは知っていた為、誰からも文句を言われることはなかった。とはいえ、男メンバーは俺以外が全員拘束され、女子メンバーも改めて男メンバーが探したところを探すと張り切る。
その結果、時間がいたずらに過ぎるだけで、未だに手掛かりは見つからない。
遂には、彼女の失踪という理由で捜索は打ちきり、植物状態というのも、ドクターが一刻も早く大学に戻りたいが為に吐いた嘘なんじゃないかという話になった。
それだけは絶対に無い。
あの人がそんなくだらない理由で嘘を吐くはずが無い。
そう証明する為には、彼女を見つけなくてはならない。
腕に巻いたアナログ時計は既に十六時を経過しており、俺は上の階に移動するべく階段を昇ろうとして、足を止めた。
(あれって屋上の扉か? ってことは、もう全部見たのか……)
一つ一つ教室を確認して次のエリアに行くという作業を続けて何時間が経ったのかは定かではない。
だが、体育館は男メンバーを監禁している以上入れない。
他の施設も女子メンバーがくまなく探しており、残るは校舎のみ。だが、その校舎にも少女は居なかった。
屋上への階段に座り、俺は大きな溜め息を吐くことしか出来なかった。
そんな俺の髪を一陣の風が優しく撫でた。
すぐに立ち上がり、背後を見ると、先程までは確かに閉まっていた筈の扉が開いていた。
ここを一度探索した際、ここの鍵は閉まっており、鍵も何処にあるかわからない状態だったはずだ。
それが何故開いているのか、俺にはよくわからなかった。
だが、俺の足は、俺の意思に関係なく、そこに向かっていた。
扉の先で、茜色の空がそこにいた少女の顔を照らす。
こちらを向いていた少女は、髪を耳にかけ、その小さな唇を動かす。
「ようやく来たね。特異点君」
その時見せた彼女の微笑みは、俺の頭に異様な痛みをもたらした。
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