3話:恋文を、彼へと出した、その者は、世の理を、壊す者なり(後)1
俺は、与えられた教室でいつも通りの感覚で、目を覚ました。
今日は不思議と夢の内容がいつもより鮮明だった。いや、なんとなくだが、少し感覚が変だったかもしれない。
おかしいとは思いつつも、不思議なこともあるもんだと一笑に伏す。
「……それにしても、あの少女はいったい……」
自分が助けた少女が夢の中にも登場する。あり得なくはないのだろうが、夢の中の自分も随分気にかけているように思えた。
「まぁ、考えても仕方ない。今日も鍛練に行くか……ってあれ? 涼太は?」
ふと横を見ると、寝袋の中にもその周辺にも彼の姿は見当たらなかった。
「まさか朝まで麻雀してたとか言わねぇだろうな……」
今日は植物状態の少女を大学まで運ぶという重大な任務があるということは彼自身知っているはずだ。そんな日に徹夜なんて流石のあいつでもしないとは思っているが、前科持ちのあいつならやりかねないというのも事実。貴重な戦力である以上、あいつにはいつ如何なる時も万全を喫してもらいたいものだ。
とにもかくにも、こうして貴重な時間を考えても無駄なことに費やすのはもったいないというもの。
俺はいつものように鍛練するべく、教室を出た。
外に出て、いつものように校庭へと入った瞬間、目の前の光景に、つい口元がにやけてしまった。
息も絶え絶えになりながら剣を振りかざす長谷川と、そんな彼と対峙する涼太。
涼太の方は呼吸の乱れを一切感じさせず、逆に長谷川の周りには彼のチームメンバーや、他チームの男共が伸びている。
その雰囲気からは険悪なものは見受けられない。
これが鍛練であることはすぐにわかった。
真剣を持った長谷川が構えをとる涼太に向かって力一杯に打ち込む。だが、涼太はそれを軽々とかわしてみせた。
そして、その隙だらけな脇腹に強烈な峰打ちを叩き込む。
よろめく長谷川は呻くのと同時に持っていた剣を落とし、他の者達同様地面に倒れ伏した。
その姿を見て、涼太は刀を鞘に収めた。
涼太は移動し、全員が見える位置に立つと、彼らに向かって礼をし、こちらに向かって歩き始めた。そこでようやく俺の存在に気付いたようだ。
「……見てたのか?」
「最後の方だけだよ」
近くに来て言葉を交わした涼太に対して、俺は持ってきていた予備のタオルを彼に投げ渡した。
「悪いな」
それを受け取った涼太は短く感謝の言葉を告げ、首にかけた。
「いったいいつからやってたんだ?」
首にかけたままタオルで汗を拭う涼太はその質問になんと答えるか決めあぐねているように見えた。
「お前が寝た後くらいかな? あの人達は今朝の五時くらいに来て、稽古をつけてくれって言ってきたから死なない程度に相手してきた」
「俺が寝た後って……じゃあお前、一晩中ここでトレーニングしてたってことか!?」
「そういうことになるな」
呆気なく認めた彼の表情には、確かに疲労の色が見えた。おまけにいつもの元気はなく、彼の目の下にはくまが出来ていた。
「お前……今日は護送の任務があるの聞いてたよな?」
流石の俺でも彼の行動には怒りを感じざるを得ない。
俺達の居る世界は戦争をしなくなった平和な日本なんかじゃない。ゾンビの蔓延る死と隣り合わせになった世界だ。
ましてや、ここは安全な大学とは違う。
簡易的なバリケードで守られただけの危険な廃校。
いつゾンビ達が入ってきても可笑しくない状況だというのに、徹夜なうえに疲労困憊だと!?
そんなの蟻を蟻地獄の中に投げ込むようなものだろ!
「……眠れなかったんだよ……」
「はぁ?」
「……長らく見ることがなかったあの夢を久しぶりに見ちまったからな……」
怯えるように語った彼の表情を見た瞬間、俺は彼に対する怒りを忘れてしまっていた。
同じチームメンバーになった二年程前のこと、彼は夜な夜な魘されていた。最初は理由を聞いても悪夢を見るだけだと答えるだけで、何も教えてはくれなかった。
それからは夢を見た時は、夢を見なくてもすむようにもっと運動すると部屋を出ていくようになってしまった。
それから、彼はみるみるうちにやつれていった。
大学に避難していた精神科医の診断では不眠症と判断された。涼太は動くだけ動いた挙げ句、結局一睡も出来ていなかったのだ。
神童と期待されていた腕前は見る影もない。
その為、俺は彼にどんな夢を見るのか聞いてみた。
すると彼は、以前とは違い、あっさりと答えた。
涼太の母親は、涼太と食卓を囲んでいる最中に、突然ゾンビへと変貌した。
母親がどこで感染させられたのかは不明だったが、とにかく涼太はかなりの衝撃を受けたそうだ。必死に家の中を逃げ惑い、そして、最終的に涼太は家に飾ってあった名刀で母親の首を斬った。
興奮状態だったこともあり、斬った時に戸惑いのようなものはなかったらしい。
殺らねば殺られる。
剣士としての精神が、彼の背中を後押ししたのだ。
だが、落ち着いた時、彼は自分の行動を後悔した。
ゾンビになったとはいえ、彼は実の母親を殺してしまったのだ。
「お前に話してからはあの夢を見る機会も減ったんだけどな……まぁ、なんであの夢を見たのかは予想ついてるんだけどな……」
「というと?」
「昨日あいつらが子どもを役立たずのように言った時、俺さ、思っちゃったんだ。もし、あの子達が助けなきゃ死ぬって状況に直面した時、俺はあの子達を助けることができるのかなって……役に立たないとかそんな理由で見捨てるんじゃないかって……多分それに怒った母さんが俺をしかりに来たんだろうな……」
「そりゃさすがにこじつけじゃないか?」
自分の行動を後悔したかのように語る彼の表情はどこか儚げで、俺はそんな彼に率直な意見を言うが、彼は首を横に振った。
「そんなことないさ。……だって母さんの口癖だったんだ。己を律し、我欲の為ではなく弱者の為に剣を振るえって……」
そう言うと彼は立ち上がり、俺の方を見た。
「お前が相棒で良かったよ。上でも下でもなく、競い合える良きライバルであり、共に戦地を駆ける戦友であり、共に笑い合える親友でもある。そんなお前が、俺の相棒になってくれて俺は本当に幸せもんだな」
いつものような冗談とかではないように思えた。
涼太のその言葉が、俺にはとても印象的で、なんだか気恥ずかしくなって俺は彼から顔を逸らしながら頬をかいた。
「ったく……やっぱ一時間でも多く寝た方がいいんじゃないのか? そんなことを平然と言えるって……もしかしたら熱でもあるんじゃないのか?」
「……俺は言える時にちゃんと言っておきたかっただけさ……」
俺にも聞こえない声でなにかを呟いた涼太は、身を翻して玄関の方へと歩いていく。俺はその姿を見て小さな溜め息を吐くと、その場から立ち上がって彼の隣まで行き、共に部屋まで戻ることにした。
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