3話:恋文を、彼へと出した、その者は、世の理を、壊す者なり(前)2
湿った風が読んでいた本のページを勝手に捲ろうとするが、俺はそれを指で制す。そんな俺を茜色の空を飛ぶ鳥達が翼をはためかせながら見下ろしている。
本を閉じて鞄にしまった俺は俯きながら大きな溜め息を吐いた。
「……来ないじゃねぇか……」
俺は屋上のフェンスに背中を預けながら携帯を確認する。携帯の画面には、既に呼び出された時間を一時間以上過ぎていることを示している。
「……直前になって恥ずかしくなったか……それとも外せない用事が出来たのか……どちらにせよ、これ以上待つのは無駄か……」
そう自分を納得させようとするが、いたずらの可能性が一番高いと言わざるを得ないだろう。正直いたずらにしては悪質過ぎる。せめて時間になったらドッキリ大成功の看板でも持って現れてほしかった。
そう思っていると、急に携帯の着信音が鳴り響く。
正直出るのもしんどいが、出てもらえない辛さは現在進行形で身に染みてわかっているので携帯を開く。
それは、俺の冷めきった心を暖めてくれる唯一の良心からだった。
「もしもし、三春か?」
「やっほー誠ー! 今どこー?」
電話からは楽しそうな声が聞こえてきた。彼女は今日もいつも通りらしい。
「俺か? 俺は今、高校の屋上でたそがれてる最中だ……」
「うっわ、声から元気無いの伝わってくるんだけど……なんかあったの?」
優しく声をかけてくる彼女の気遣いになんだか涙が出そうだ。
「いやな……放課後に来てくれって屋上に呼び出されたから来てみたんだけど相手が全然来なくてさ……」
「ええっ!!? ばっくれたってこと!? 酷すぎじゃん!!」
「まぁ、そういう訳で今から帰るとこ……」
「そっか……じゃあ一緒に帰らない?」
「日直の日は遅くなるんじゃないの?」
「……今何時だと思ってるの?」
その言葉を聞いて、なるほどと納得する。
よくよく考えれば一時間もすっぽかされたんだからちょうどいい時間なのか。
「今駅近くだし、せっかくだから私がそっちに行くよ!」
「こっち来るって……こっちは家と反対方向だぞ?」
その言葉の通り、俺と三春の通う学校は隣の駅ではあるが、距離的には三春の通う学校の方が家に近い。その為、いつも帰りに待ち合わせする時は、俺が彼女の学校にまで迎えに行っている。
「いいのいいの、誠の心の傷を治してあげられるのは私しかいないし……それに……」
「……それに?」
その言葉の後に述べられた言葉は、今にも消え入りそうな程の小さな声だった。
「誠と少しでも長く一緒に居たいし……」
恥ずかしそうに告げられたその言葉は、こっちが赤面してしまうような内容で、俺はつい携帯を落としてしまった。
そして、両手で顔を隠しながら、空を仰ぐ。
(……マジ無理……三春と平常心で会える気が微塵もしないんだけど……)
その後、誠は三春が来る直前まで屋上から動けなかった。
◆ ◆ ◆
「もう! いきなり繋がらなくなるんだもん! まじで心配したんだからね!!」
「まじですまん……」
少し暗くなってきた空の下、俺は少し不機嫌な三春と共に帰っていた。
彼女が不機嫌な理由は言うまでもなく、なんとか正気を取り戻した俺を校門で待っていたからだ。その原因が彼女にあるということだけは恥ずかしいので言えないが、心配してくれていたのは正直嬉しい。とはいえ、彼女が怒っているのも事実で、非があるのは明らかにこちら。
(……傷ついてた俺の為にわざわざこっちまで来てくれたんだもんな……)
虚空を見つめながらそう覚悟を決め、俺は少し前を歩いている彼女の方に目を戻す。
「なぁ三春……俺に出来ることならなんだってするからさ……そろそろ機嫌治してくれないか?」
その言葉を告げた瞬間、彼女はいきなり立ち止まった。
「本当に何でもいいの?」
彼女は首だけ振り返り、上目遣いで訊いてきた。
自分の発言に一瞬後悔しかけるが、男である以上、訂正するつもりはさらさらない。
「犯罪にならない程度なら……」
目をゆっくりと逸らしながらそう答えると、彼女は口元を手で隠しながら笑みを見せた。
「ふふっ、なにそれ。そんなことさせる訳ないじゃん」
そう言うと彼女は、再び前に向き直り、後ろ手のまま歩き始める。口から漏れ出る「そうだなー」という言葉から、彼女が楽しそうなのだということが伝わってくる。
「一緒に映画行くのもいいしー友達みたいにゲームセンターで写真撮るやつもやってみたいなー! あっ! 一緒にどこかご飯食べに行くのもいいしー! のどかな昼下がりに二人で公園を歩くってのも捨てがたい……」
彼女の口から漏れ出る楽しそうな提案の数々に、俺もつい、口元が緩んでしまう。
「あっ、そうだ!」
指を鳴らしてそう言った彼女は、後ろ手のまま振り返り、こちらに名案を思い付いた時に彼女がよく見せる楽しそうな表情を見せてきた。
「今週の日曜日にデートしようよ! そんで! デートコースは全部誠が決めるの!」
「俺が?」
そう聞くと、彼女は笑顔で頷いた。
「誠が私の為に選んでくれたデートコースを誠と一緒に楽しんでみたいな!」
あらゆる無理難題よりも難しそうに見えたそのお題は、難しいながらも、やりがいはありそうに見えた。
「しょうがない。本気で考えてみるか」
「楽しみにしてるからね」
俺の言葉を聞いた瞬間、彼女は俺の隣に立って嬉しそうに微笑んだ。
そんな彼女と共に、俺はいつものように学校であった出来事を話しながら、家路に着くのであった。
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