4.新しい扉を開いた婚約者から逃げ出したい
これにて完結となります。
生徒会室での騒動後、何らかの処罰を受けると思っていたイザベルの元へ処分を言い渡す呼び出しは来なかった。
投げ飛ばされて顔面から壁に激突したミネットは、成績不振と連絡無しで補習を欠席したことを理由に、学園長自ら彼女を呼び出して一週間の謹慎処分を言い渡されていた。
顔面を腫らして包帯でぐるぐる巻きになったミネットと職員室前で出会したイザベルは、またもや奇声を上げた彼女に掴みかかられたが職員によって取り押さえられ、謹慎期間が一週間延長されたらしい。
取り押さえられた時に、「こんなのゲームと違う」「ハッピーエンドになれない」と喚いていて、イザベルはなるほどと納得した。
(今までの言動といい、ミネットも前世の記憶を持っているのかもしれないわね)
前世の記憶を持っていたため、他の生徒とは違い高位貴族子息や王太子に物怖じしなかったのか。うまく行けば彼等に選ばれて、彼女の言うハッピーエンドとやらになったかもしれない。
残念だったのは、ミネットが自己中心的かつ本能の赴くままに行動したこと。
そして騒動の三日後、“発熱”を理由に学園を欠席していたアデルバードが復活し、学園祭前日の放課後イザベルは王族専用執務室へ呼びだされたのだ。
「イザベルから侮蔑の眼差しを向けられると体の奥から沸き立つ悦びで体が震える。これが恋、なのだろう? だから、婚約解消も処罰もしない」
「は、恋?」
衝撃的な台詞を吐き、頬と目元を赤く染めたアデルバードへの生理的な恐怖から、今までの出来事が走馬燈のように駆けめぐっていたイザベルの思考は考えることを拒否し、停止してしまった。
少しでも距離を取ろうと後退るが、無情にも背後の執務机により逃げ道を絶たれる。
背後には執務机、前方には頬を赤らめて瞳を潤ませるアデルバード。
高まる危機感と恐怖で青ざめ固まるイザベルを捕らえるように、アデルバードは執務机へ手をついて彼女を腕の中へ閉じ込めた。
互いの息遣いを感じるほど密着するのは、婚約者の義務としてダンスを踊る時に密着したことがあっても、ここまでアデルバードと距離が近付いたのは初めてで。
年頃の女子なら両手を上げて喜ぶだろう状況なのにイザベルは全く喜べない。
(今のは? ナニを、触っちゃったー!?)
なぜなら、イザベルの手の甲が偶然触れてしまったアデルバードの股間は……回し蹴りの直撃を受けても再起不能にはなっていないと、立派な存在を主張していたからだ。
嫌悪感で上げそうになる悲鳴を必死で堪えた。
「イザベル」
股間に触れてしまった右手の甲をスカートで拭うのに気を取られていると、上擦って掠れた声と熱を帯びた吐息が耳元へ触れてイザベルの全身に鳥肌が立った。
「待って、待ってください」
今にも口付けてきそうな蕩けた表情のアデルバードの胸元へ手を当てて、これ以上彼が密着するのを押し留めた。
「殿下がわたくしを避けていらした理由は分かりました。では何故ミネットさんと一緒に居たのですか? 同じクラスだからといっても、クラスメイトの枠を超えていましたわ」
「それは……教会に推薦されて編入試験を受けて合格した初めての平民出身者ということで、ミネットに一般常識を教えるように頼んだ女子生徒が体調を崩してしまい、学園長に相談された流れで最初はカインが面倒を見ていた。だが、彼女は真面目に勉強をしてくれず、私が一緒にいるなら勉強すると言い出した。だから……」
学園長に相談されたと言いつつ、少し後ろめたい感情があったのかアデルバードは口ごもる。
「は? 勉強を教えていた? 名前を呼ぶのも触れるのも許していましたよね? アクセサリーも強請られるまま贈って、一緒に昼食まで食べていたのに、まさか殿下はミネットさんに勉強させるために、彼女のご機嫌取りをしていたのですか? 王太子の貴方が?」
身を引いて密着していたアデルバードと距離が出来て、少しだけイザベルの気持ちが落ち着いてくる。
矢継ぎ早に問われ、アデルバードの表情はどんどん暗くかげっていく。
「一歩引いて私と接してくる生徒達とは違い、物怖じしないミネットの反応は新鮮だったからだ。頼られるのは、甘えられて嬉しくなかったとは、言えない。親しくしすぎても駄目だと分かっていても無下にも出来ず、どうすればいいのか分からなかった」
「殿下はミネット嬢に好意を抱いていたのではないのですか? わたくしとは目も合わせなかったじゃないですか。側にいるのが苦痛に感じるほどわたくしを嫌っていたのではありませんか?」
「違う!」
目蓋を伏せていたアデルバードは、勢いよく顔を上げて声を荒げた。
「イザベルのことは嫌いではない。初めて会った時は、綺麗で可愛くて物語に出て来る天使かと思った。緊張してろくに話が出来なかったのだ。私のせいで大怪我を負わせてしまったのに、嫌われたのではないかという恐怖で謝罪の言葉も言えずにいた。怪我をさせたことでイザベルを婚約者に出来て嬉しいと喜ぶ自分が許せず、いつからか話しかけることすら出来なくなっていた」
ぐっと下唇を噛んだアデルバードは、スカートに強く擦りつけて赤くなったイザベルの手を握った。
「これからは、もう自分の気持ちから逃げない。今までのことを許してくれとは言わない。許せないのなら今までの恨みを込めて罵ってくれ」
「え、嫌です」
考えるよりも早く、拒否の言葉が口から出ていた。
一瞬固まったアデルバードの瞳が大きく見開かれる。
「だって、今の殿下は気持ち悪いですもの」
他の生徒と違うからという物珍しさから、ミネットへ心動かされたことを素直に認めたのは潔いと思う。だが続く言動は、自分の台詞に酔っているちょっと気持ち悪い青年にしか見えない。
自分の台詞に酔っている証拠に、彼の股間は未だに自己主張したままなのだ。
手を握られた時、偶然下を見てしまったイザベルの気持ちは一気に氷点下まで下がった。
「女性から罵られたり蹴られたいのでしたら、玄人の方にお金を払ってやってもらってください。残念ながら加虐趣味は持ち合わせていません」
その道の玄人ならば、興奮を高めるのに効果的な罵り方やあまり痛くない加虐方法を知っているだろう。
「……駄目だったんだ」
「え?」
まさかの返答に、イザベルの体温が気持ちと同様に下がっていく。
「イザベルでないと、私の体は反応しない。私をこんな体にしたイザベルには、責任を取ってもらわねばならない。だから、王太子を暴行した罰として、婚約を解消せずに卒業後すぐに結婚してもらう」
ポッと音を立てて頬を赤らめたアデルバードへの気持ち悪さが沸騰寸前まで湧き上がり、イザベルの全身に何度目かの鳥肌が立つ。
変態と結婚するだなんて絶対に嫌だと、何度も首を横に振った。
「罵られて悦ぶとか、そんなに気持ち悪い人と結婚したくありませんわ! 性癖を知っても受け入れてくれる素敵な女性に、そのイチモツを踏んでもらってください! とっとと離れて変態!!」
胸を押しても退いてくれないアデルバードに苛立ち、イザベルは彼の左足を力いっぱい踏みつけた。
踏みつけた瞬間、アデルバード痛みとも違う声で「あっ」と呻いた。
「ああ、くっ、そんな目で見られると、もうっ」
細めた目元を赤く染めたアデルバードは、恍惚の表情で前屈みになり息を吐く。
「はぁ、はぁ、イザベルッ」
前屈みの状態から倒れるようにして、イザベルの首に顔を埋めたアデルバードの荒い息が首筋にかかる。
彼がどんな状態になっているのかは、箱入りの貴族令嬢だったらきっと分からない。
しかし、それなりに経験を積んでいた前世の記憶が有るイザベルにはアデルバードがどうなってしまったのか、恍惚の表情や太股に感じる彼の股間の状態から分かりたくも無いのに分かってしまった。
「ひぃ、いやああああ!! 変態ぃー!! 離れてー!! 触らないでぇ!!」
絶叫するイザベルは凭れ掛かるアデルバードの肩を両手で叩く。
「嫌がられていると思うと、うっ」
肩や背中を叩かれているアデルバードは、退くどころか嬉しそうに彼女の首筋に顔を擦り付けた。
バンッ!
「殿下! 何事ですか!!」
部屋の外で待機していた護衛騎士は扉を開き、室内の光景に目を丸くした。
執務机に押し付けられ涙を流しているイザベルに覆いかぶさるアデルバードの姿は、明らかに同意なしで無理矢理彼女を襲っているようにしか見えない。
しかも、叩かれているのに頬を赤くして悦んでいるのは、彼等が護衛している普段は冷静沈着の王太子。
初めて見るアデルバードの姿に、騎士と侍従は戸惑い近付くのを躊躇する。
「助けてぇ!」
「はっ! 殿下!?」
助けを求めるイザベルの声で我に返った騎士と侍従によってアデルバードは引き剥がされ、彼等に引き摺られて隣室へ連れて行かれたのだった。
✱✱✱
学園祭当日、昨夜のことは無かったかのように振舞うアデルバードに警戒しつつ、イザベルは自分に課せられた仕事を淡々とこなしていた。
そして迎えた後夜祭開始前、一人で会場へ向かう気でいたイザベルを迎えに来たアデルバードから手渡されたのは国王からの書状。
急いで書いたと思われる国王直筆の書状には、「今回のアデルバードの行動は不貞とは認められず、婚約の解消は出来ない」「本人も反省しており、今後不安にさせる行動はしないと国王とアルザス公爵の前で誓いも立てた」「イザベルを安心させるために、結婚を早めたいと考えている」と書かれていた。
婚約は解消されるどころか、結婚の時期まで早められてしまうとは。こうなってしまっては逃げられない。
書状を読み終わったイザベルの体から力が抜けて、その場にへたり込んだ。
学園の創設時、当時の国王が寄贈した豪華シャンデリアが光り輝くホールの壇上には、燕尾服を着たアデルバードと夜会用のドレスで着飾ったイザベルの姿があった。
生徒会長として後夜祭の開始の挨拶とするアデルバードの晴れやかな顔と比べてイザベルの表情は固い。
生徒達の見詰める中、挨拶を終えたアデルバードに手を引かれてイザベルは壇上から下りる。
「では、踊ろうか」
「……はい」
力なく頷いたイザベルの腰を抱き、アデルバードはホール中央へ向かった。
「本当にお似合いのお二人ね」
「おかしな噂もあったけれど、殿下のあのご様子ならただの噂だったんだな」
楽団が奏でる音楽に合わせて踊るアデルバードとイザベルの二人は、御伽噺から出て来た王子様とお姫様のように輝いていた。生徒達は羨望の眼差し送り、曲が終わり一礼をした二人に盛大な拍手が送られた。
踊り終わっても、イザベルの腰を離そうとしないアデルバードの手の甲を軽く叩けば、彼は嬉しそうに笑う。
(罵られて喜ぶなら、ミネットさんを真似して甘えてみれば冷めてくれるかしら? いいえ、無理だわ。変態な面を見てしまったのに甘えるだなんて、気持ちが悪いもの。諦めて受け入れてみる……いいえ、罵られて悦ぶ男を受け入れられるの?)
歩くときに必要以上に密着し、足を踏まれたがるような相手との夫婦生活を想像してみて、背中に冷たいものが走りぬける。
引きつる笑顔を不自然に見えないように気を付けながら、イザベルはどうにかしてアデルバードから逃げられないかと考えを巡らすのだった。
これにてイザベルの誤算もとい、性癖開花編は終話となります。
お付き合いください、ありがとうございました。
短編で考えた話が長くなってしまいました、四話に分けました。恋愛色が薄いので、もしかしたらちょっと特殊な性癖に目覚めた殿下が自己主張する、オマケの話を付け加えるかもしれません。
その時はよろしくお願いします。
えっちゃん