結衣を助ける
僕は目を覚ますと知らない天井が見えた。
両手は鎖に繋がれてベッドの両端に固定されているらしい。薄っすらぼやけた頭が覚醒する前に、満が口付けをする。
「悠真おはよう」
恍惚な表情で瞳が蕩けている。今すぐにでも襲われそうだ……というか襲われている。えっと、確か僕は満と会う約束をして満の家に来たはずで――結衣だ。僕は体を起こすと確かに結衣が両手両足を地面につけて俺達を見ている。
「結衣……満? 説明してくれないか?」
「結衣? 悠真は何を言ってるの? これはクロだよ? 見ててね」
そう言ってベッドから降りて結衣の元に駆け寄ると手の平を天に向けて差し出した。
「はい、お手」
そう言われた結衣が満の掌に自分の手を乗せる。
「次は、おかわり」
言われるままに逆の手を乗せた。
「最後は、チンチン! 悠真にちゃーんと出来る所を見せてあげてね?」
まるで従順な犬の様に結衣は言われるまま……。
「満? もうやめてくれないか?」
「クロ……可愛くなかった? 最近おしっこも何処でやるか覚えてたんだよ? あたし頑張って教えたんだよ?」
「やめろよもう。さっさとこの手錠を外しやがれ」
「悠真? どうして怒るの? 怒鳴るの? あ、そうだ! クロが上手く出来なかったんだよね? もう……お仕置きしなきゃ」
そう言って手に何か持って結衣に近づくのを僕は見ていた。その手に握っているのを僕は初めて見たけどスタンガンか? 僕の首筋に当てたのか。そしてこのザマだ。最初に見た時、僕は間違えていた。結衣を助けるより先に満をどうにかしないと行けなかった。
「みちる! ちょっと待ってくれ。そのスタンガンをどうするつもりだ?」
「悠真も分かるでしょ? クロが悪い子だから悠真が怒鳴ったんだよね? だからこうするの」
スタンガンを結衣の腕に当ててバチバチと音が響いた。
「おい! ふざけんなやめろよ」
「あー、ほら。また悠真が怒鳴ったよ。クロが良い子じゃないからだよ?」
そう言ってもう片方の腕にスタンガンを当てて嫌な音が鳴り響いた。のた打ち回りながら結衣がうめき声をあげている。
「満。大丈夫。クロは良い子だよ。だから、もうやめてくれ」
「本当? 良かったねクロ。悠真が良い子だってさ、頭を撫でてあげるね」
自分が無力過ぎてイライラしてくる。無暗に怒鳴ると結衣にスタンガンを当てるなんて思いもつかなかった。
「満は何が望み何だ?」
「あたしに望み? そんなの決まってるじゃん」
スタンガンを机の引き出しに戻して僕の隣に寝っ転がった。
「悠真が居ればいいんだよ。本当にあたしには悠真が居ないと駄目だし、悠真もあたしが居ないと駄目だよね? クロは元々野良犬でね。あたしが拾ってから悠真くんの良さを教えてあげてたんだよ。これを見て」
そう言ってプロジェクターを起動させた。ベッドの上にある鏡に白い布が被されると映像を映し出す。
そこには僕が映っていた。満と行った喫茶店でサンドイッチを食べている様子が鮮明に映っている。僕が結衣の保育園に行こうとするのを止める満。サンドイッチを美味しそうに食べている僕。一口どう? って満に差し出す僕。
「クロったらこの映像が好きみたいでね。初めて見せた時は最初の部分をキラキラした目で見てたんだよ? でも、後半は気に入らないのか余所見するんだよね。だから、悠真は私の大切な人だよ。ちゃんと真っすぐ見てねって言うとちゃんと聞いてくれる賢い子なのです」
無邪気に笑いながら次の映像を見せた。二人で映画を見ている姿が映っている。一緒にポテチを食べてコーラを飲んで……そして、満が僕にキスをした。
「こことかクロのお気に入りらしくてさ。最初に悠真とちゅーした時は悲しい顔をするんだけど、私がデコピンされるところで笑ってたんだよ? クロの性格悪くない? ちょっとご飯抜きにしちゃったよ。それでね、私のお気に入りはね」
シーンが切り替わり、僕と二人でカレーを食べている。この時は確か――僕は満を受け入れていた。
「ここ! ここで悠真とキスしてるんだけど、クロが本当に面白いんだよ? 喜んでるのかな? 感動って奴? めちゃくちゃ大泣きするの。本当に感動してるのかな? でも、少しうるさくて困ったんだ」
視界に入る結衣は泣き疲れて目が虚ろで呼吸をするのに全身を使っている。僕と満の日常を結衣は見ていた。見せられていた。
「その……クロは何処で拾ったの?」
「うーん。何処だったかなぁ。悠真くんと歩いている所を見たんだよね。確か、キリンさんの後かな? 悠真が家に帰る時にクロがとぼとぼ歩いててね。捕まえてウチの子にしたの!」
二人で、動物園に行って中華を食べた帰りだよな。そして、先ほどスタンガンを仕舞った机の上には結衣の携帯電話が置いてある。つまり、あのメールは満か……僕は結衣からだと思い込んで一人でショックを受けて満に逃げていた。その間、結衣は一人で耐えてる。
「クロの事はもういいよね? それに、そろそろ良いかな? ずっと我慢してたんだよ?」
そう言って僕に近づいて服を脱ぎ始めた。こいつ……結衣に見せつける様に僕に抱き着く。
「悠真もあたしが居なくて寂しかったよね? あたしは寂しかったよ? 何で別れたんだっけ……もう思い出せないや。最近は幸せでね。えへへ、悠真と一緒にご飯も食べて、キスもして今から寝れるよね?」
「クロが見てるでしょ? 恥ずかしいからダメだよ」
「えー、クロが見てるから?」
「そうだね、あとこの手じゃ満を抱きしめ切れないってのが一番かな?」
「あ、そっか! 悠真も満を抱きしめたいよね? えへへ、あたしばっかり堪能してたね」
満はそう言って机の引き出しから鍵を取り出した。僕の片腕を開放する。
「あれ? こっちは?」
「悠真は器用だから片手で十分抱けるよね? ぎゅーってして?」
僕の隣にきて密着する。それを仕方なく、僕は片腕で抱きしめる。片腕で満の首を絞める? でも、全身の力を使われると逃げられてしまうだろう。僕は結衣を助けてここから逃げるにはどうしたらいいんだ。
「片腕だと難しいかな? でも、あたしは嬉しいよ。悠真が近くにいるんだもん」
「クロは良い子なんだよね?」
「うん。あたしの言う事は何でも聞くよ。だから、安心してね?」
「そう……僕もクロを撫でて見たいんだけどさ。こっちに連れてきてくれない?」
首輪と固定されている鎖をどうにか出来れば彼女一人でも逃げれるチャンスが生まれるはずだ。その為にはどうにかしないと行けない。
「うーん。クロはどうしようかな。悠真の事を噛んだりしないかな?」
「僕がクロに好かれているのは知ってるだろう? だから、大丈夫だよ」
「そうだよね。悠真もクロを撫でてみたいよね」
満は結衣に近づくと、固定――南京錠を外して鎖を自身で持った。そして、ベッドに誘導する。
「クロちゃん。悠真が撫でたいってさ。だから上まで行ける? うんうん。偉いね、悠真は優しいから撫でられると気持ちいいと思うよ」
結衣が言われるままに僕に近づく。そして、隣に眠った。僕は解放されている腕で結衣を撫でる。明るい栗色の長髪は乱雑に切られてぼさぼさだ。僕が触ると怯えていた目が少し安らいでいる気がする。これは錯覚かもしれないけど。満と二人っきりの空間に僕が現れたんだ。少しは変化があってもおかしくはないと思う。
「クロの触り心地はいい? もう満足したよね? じゃぁ、そろそろしよっか?」
その言葉に結衣は反応して僕に馬乗りになった。抱き着いて離れない様に――満の邪魔をする様に僕に密着する。
「クロ? 悠真から離れなさい」
満の目が怖い。これ以上刺激すると何をするか分からない。
「僕からもお願いするよ。離れてくれないかな?」
その顔は何かを訴えるように力強く左右に振っていた。泣きながらも僕に託す様に。
「クーローちゃーんー? あたし怒るよ? 悠真の事が気に入ったのは分かったんだけどさ、そろそろ離れなさい。お風呂にも居れてあげて無いんだから悠真が汚れちゃうよ?」
僕は小声で満に聞こえない様に結衣に告げる。
「結衣、言う事を聞いて隙を見て逃げるんだ」
僕の声を聞いた結衣と目が合った。僕の言いたい事は伝わったはずだった。なのに、彼女は言う事を聞かなかった。僕に抱き着いたまま離れない。それを見ていた満の顔から少し残っていた笑顔が消えて結衣を睨みつけていた。
「はぁ……言う事を聞かないクロは嫌いだなぁ」
そう言って机から何かを取り出し、結衣に飛びついた。また、スタンガンで結衣が苦しむ……と思ったのだが、高圧電流特有の音が聞こえない。それより、何か液体が……温かい液体が結衣と僕の間に流れている事に気付いた。
「結衣?」
ただでさえ消耗していた結衣がゆっくりと……静かに呼吸が弱くなり意識が遠のく様に目が閉じていく。
「もう要らない」
そう言って満は結衣からナイフを抜いた。液体の正体は血で……えっと、つまり。結衣は。
「クロが言う事を聞かないのがダメなんだよ? もぅ、あたしの悠真に迷惑かけちゃうんだから」
そう言って僕の隣にいた結衣を足蹴りにしてベッドから落とした。
「悠真……これで本当に二人っきりだね?」
僕は何も考えられなかった。自由になった拳を握りしめて気が付いたら満をぶん殴っていた。顔面目掛けて殴ったはずだけど直撃はしない。身動きが取れないと難しい。
「悠真があたしに暴力……どうして?」
「ふっざけんなおい。満てめぇは何をしてるか分かってんのか?」
「あたしは、悠真と一緒に過ごしたいだけだよ?」
もうだめだ。耐えられそうにない。
「早く、お願いだからこっちの手も外せ」
「はぁ……悠真ウザいね」
満は机からスタンガンを取り出して僕に向けた。一度その痛みを知っているからこそ、体が強張るのを感じる。でも、それよりも。
「脅しのつもりか? それで何でも言う事を聞くと思ってんのか?」
「脅し? 脅しって何かな? あたしは悠真と一緒に居るの。例えばこうやって」
接近する満に向かって蹴りを入れるとナイフが足に刺さった。僕の体制が崩れている隙にお腹に激痛が走る。痛みに悶えている間に僕の足からナイフを抜き取った。そして、馬乗りになり僕の首元にナイフを突き立てる。
「悠真はスタンガン知ってる? ここをね、こう押すとびりびりってするんだよ?」
「僕はお前を殺す。絶対に殺す。よくも結衣を……」
「結衣先生? 結衣先生は随分前に死んだよね? うーん。悠真も分かんないなぁ。まぁ、いいや」
僕の喉にナイフが突き立てられた。
「あたしは悠真と一緒に居れれば良いんだから」
声が出ない。喉から笛の様な音が聞こえる。息が出来ない……苦しい。
最後に見たのは僕に迫る満の満面の笑顔だった。




