ガトー星へ
第2章 ガトー星へ
軍用服に着替えたミヤコは自分の姿に驚くばかり。
「可愛いね。似合うよ」
イザラが笑う。
淡いモスブルーのつなぎで体にフィットし動きを妨げる締め付け感は一切無い。体を保護するために超合金のコーティングがなされているので見た目は金属なのだが超軽量の通気性を考慮した繊維でできている。
ミヤコはイザラとリュウを見上げ溜息を漏らす。似合うのはふたりの方だ。なんて格好良いのだろうか。こんな姿を目にしたら昨日すれ違った女の人達は卒倒するだろう。
リュウに促され進んだ先は軍の偵察艇。おそらく一般人は決して入れない。リュウは軍人だと言うのだから当たり前だが、どうしてイザラが乗り込めるのか。そして自分も。
中は操縦席とその後ろに椅子が4人分。自由に動き回れるほどの広さはないが圧迫感があるほど小さくもない。物珍しそうに眺めていると椅子に座らされる。
「シートベルトしっかり締めてね」
そういいながらリュウは手際よくベルトを装着してくれる。
操縦席に座ったリュウ。パネルを操作するとモニターが映る。イヤーマイクを付け管制官と話をしている。
「格好良いだろ」
イザラが隣で笑う。
「…本当にリュウは軍人さんなのね」
「それもね、とびきり優秀な。こいつは物心ついた時からあの兄さん達に軍人訓練受けてきたの。あの兄さん達も凄いんだけど、リュウは顔が優しいだろ。だから軍人に見えない。それがかえって恐ろしいんだけどね」
「…ちょっと分かる」
「お喋りは済んだかな。ミヤコ。離脱の時はさっきの回転椅子よりきついよ」
「…頑張る…けど、もし頑張れなかったらどうなるの?」
「吐いて気を失うくらいかな」
ミヤコはくすくす笑った。
「なあんだ。死んじゃうのかと思った」
イザラは爆笑する。
「え? なに? イザラ。私変なこと言った?」
「リュウ! ミヤコに女を捨てさせるな!」
イザラはきょとんとしているミヤコをまじまじと見つめる。男の前で吐き戻しても平気とはさすがにただ者ではない度胸。いや、そんな生理現象は自分の夢のためなら何でもないことなのだろう。だからこそ、素晴らしい女性だと心が揺さぶられる。
イザラはミヤコの手を握る。ミヤコは一瞬驚く。
「辛くなったら俺の手に噛みつけよ。気が紛れて少しは楽になる」
「…そんな…」
驚いているミヤコの頭を撫でるイザラ。その笑顔はとても優しかった。
「発進準備完了!」
リュウの声が響く。機体が動き始めた。暫くすると格納庫のハッチが開きフロントパネルの向こうに空が拡がった。
「発進」
滑るように空へ飛び出すが顔が変形するのではないかと思うほどの負荷がかかる。息をするのが苦しくなる。リュウが言ったように内蔵が飛び出してきそうだ。口が何かに塞がれた。
「ミヤコ。噛みつけ」
言われるがままミヤコは噛みしめた。歯に力を入れることでなぜか気分が楽になった。そしてどれくらいの時間が経ったのか。肩を叩かれ顔を上げた。
「もう大丈夫だ。よく我慢したね」
イザラの顔がすぐ横にあった。あわてて噛みしめている歯を静かに動かした。イザラの左手の親指と人差し指の間にミヤコの歯形がくっきり浮かび鬱血している。
「…イザラ…ごめんなさい」
「こんなのはすぐ治る。心配しないの。それより外見てごらん」
目の前に現れたのは丸い物体。
「…これがガトー星…」
「全星が鉱物資源でできている黒い星。本当は人間など住めない苛酷な環境にある。俺の祖先はシフォンから流れ着いたとされている。遺伝学的にも全く同じ種族だ。人体には害こそあれなにもプラスにならない不気味な星だ。何でこんな星に住もうと思ったのか不思議だけどガトーの人間は自分たちに都合良く環境を創り出すことを考えた。そう考えると凄いなって」
「人間て不思議な生き物ね。なんでも自分たちの思い通りになると思ってる。本当は生かされてるのに」
リュウが声を上げて笑う。
「ミヤコは謙虚でよいね。その通り。利用はするが支配はできない。それが分からないと科学者が暴走する。イザラ。よーく聞いておけよ」
「本当にミヤコには脱帽だ。こんな科学者ばかりだったら戦争の道具なんて考え出さないだろうな。ガトーの古狸達に爪の垢煎じて飲ませるか」
「おまえにも」
リュウがくすくす笑う。
「ミヤコ。頑張ったご褒美にちょっと面白いもの見せてあげようね」
リュウは偵察艇を反転させる。フロントパネルに拡がった景色は輝く太陽を真っ黒なロールが半分隠している神秘的な光景だった。
「…綺麗…」
満面の笑みで見つめるミヤコ。リュウもイザラもこの笑顔が見たかったと言わんばかりに微笑んだ。
ガトーの第3基地に着艦する。後ろから見ていただけだがリュウの慣れた操作にやはり驚かされる。どう見ても優しいただの研究者だ。ゼンのシャトルステーションでの立ち回りもそうだったが自分の知らないリュウの姿がまだまだあるのかもしれない。本当のリュウは一体どんな人物なのだろうか。知りたい気もするが知ってはいけないのかもしれないと思えそれがとても寂しく感じられた。
「疲れた?」
タラップを歩きながらリュウはミヤコの顔を覗き込み心配そうに見つめる。
ミヤコは小さく首を横に振る。
「リュウ。聞いても良い?」
「ん?」
「私やイザラが軍の偵察艇に乗っても良いの?」
「そのことか。本来各豪族の男子第2子までは強制的に半年間の軍事訓練を受けることになっているんだよ。そしてさっきミヤコが受けた体力検査をする。合格すると偵察艇には乗れるようになるのさ。操縦したり実際に戦艦に乗ったりして作業するにはまた別の訓練が必要だけどね」
「リュウは…」
「僕は戦闘機も操縦出来るし戦艦の主砲も発射出来る。こう見えても軍人としてはレベル高いんだけどね」
「イザラは…」
「こいつは教育院卒業した時突然軍の基地にやってきてさっきのテストを受けた。一発で通過した嫌みなガキ。華奢なくせに運動神経だけはずば抜けてる」
「リュウは回転椅子1回失敗してるの。ミヤコの方が優秀」
ミヤコはまたもやがくりと肩を落とす。自分の廻りにはどうしてこうも才能のある人ばかりがいるのだろうか。おまけにすこぶる美形。何をやってもどんな努力をしてもこのふたりには追いつけそうにない。
基地からジェットフライヤーに乗り首都のドームへと向かう。
「それにしても、なんでモリアはミヤコが帝王の血縁だって分かったんだ」
イザラがぽつりと呟いた。
「あ!」
ミヤコは昨日の心の声を思い出した。
「モリアって人、鳴り物入りで極秘情報が回ってきたって。だからわざわざ私を見に来たって」
「カーの狸オヤジめ!」
リュウとイザラは同時に毒づく。
「トーマの命乞いをして一切を胸に納めると約束したはずだろう。食えねえな」
「ってことは豪族の奴らにはミヤコがイサヤ姫だという事が知れてるってことか。ムー一族が動いているのは確認出来た。カーも諦めてはいないってことだろ。へたすりゃサー一族も実力行使するつもりかな。こうなったらいっそのこと全然関係ない…関係なくないか…イザラが帝王に名乗りを上げてみろよ。僕が後押しするから」
「馬鹿じゃないのか。そんなことしてみろ。本当に戦争になっちまうだろうが」
「今度はリー一族とマー一族が手を組むんだぞ。絶対に負けない。豪族の一掃には良いチャンスかも」
リュウは鼻で笑った。
「やっぱおまえ軍人だな。やだやだ。俺は戦いなんて絶対に反対だ。何の得がある。くだらない意地と見栄でものを心を破壊して。好きで戦火に身を投じるおまえ等はどうでも良い。一番泣くのは何の罪もない我々だ。生活の場を奪われ愛する者を失うんだぞ。それがどんな悲惨なことか分かっているのか」
イザラの真剣な表情にリュウは大きく息を吸った。
「阿保豪族等に言ってやれ。今、事を荒立てるということは、そういうことだとな。現時点でマー一族とリー一族はミヤコというかけがえのない宝で結束した。それがどけ程強大な力かカーもムーも分かっていない。父上も伯父上もイサヤ姫のこととなると人が変わる。あの冷静で何事にも動じないふたりが感情的になる。それが一番怖いんだとな」
リュウは一呼吸置いてイザラを見つめる。
「僕は絶対に争いなんか起こさせない。危険分子は事前に全部排除してやる。それがせめてものミヤコへのプレゼントだからな」
「…リュウ…」
イザラはリュウの心内を見せられ息を呑む。リュウは自分の命と引き替えに決して争いの起こらない平和な世の中を帝王に就任しなければならないミヤコへ残すつもりなのだ。隠密工作軍人として裏から反旗を翻す豪族の息の根を止めるつもりだ。リュウは最後の一人まで暴き出す。そして差し違えても自分の意志を貫き通す。ミヤコへの愛の証として。
「早まるなよ」
「ま、僕は命令重視の硬い軍人ですからね。強行突破をするのは最終手段だよ」
あっけらかんと笑うリュウ。イザラは特大の溜息をついた。
ミヤコは二人の会話など耳に届いていなかった。目の前に拡がる信じられない光景に釘付け。鉱物の黒々とした山々を食い入るように見つめていた。ジェットフライヤーがステーションに着いても呆然としている。
「なに。そんなにあの山が気に入ったの?」
振り返り見上げているミヤコにイザラが呆れる。
「リュウが言った通り…自然て凄い。私は何も知らなかったんだと。今まで勉強してきたことがとても小さいことに思える。ねえ。イザラ。外に出たいの」
「はあ?」
「どうしても、どうしてもあの山に立ってみたい。自分の足で」
「あのね。人間の体に害を及ぼすんだよ。ミヤコが手に入れたICチップが悪さをするんだよ。とても危険なところなんだからな」
「でも、昔は人間が掘り出していたんでしょ。だったら出られるはずよ」
「ミヤコ…」
イザラの腕にしがみつきまさに駄々をこねる子供状態。そしてその瞳は一歩も引かない構え。
「…勘弁してくれよ。それだけは俺でも首は振れない」
「じゃ。イザラのお父様に頼む」
急に笑顔になったミヤコに肩をすくめた。リュウは脇で笑うばかり。
リニアカーでマー本家の居城オフィスビルの1階へ滑り込む。ミヤコは総てが楽しいのか凄いと素敵を繰り返していた。入口で認証作業を受けると転送ポートへ向かう。辿り着いたのはイザラの母サラの部屋だった。
「ただ今戻りました」
イザラは微笑む。
「お邪魔します」
リュウが丁寧に頭を下げる。
「初めましてミヤコです」
ミヤコも丁寧にお辞儀をした。
サラはミヤコを見つめ優しく微笑む。
「よく来ましたね。お母様と同じ綺麗な瞳をしている。サシルもさぞ喜ぶことでしょう」
「…母をご存じなのですか」
「ええ。私の唯一心を許した友でした。心優しく慈悲深く…サシルの微笑みは総てのものを温かく包みこむそんな力がありました。誰からも愛され総てを愛した。私の誇れる最愛の友ですよ。ミヤコはよく似ている」
ミヤコは目をぱちくりさせた。絶世の美女と言われた母サシル。似ても似つかない男の子のようなミヤコ。いつも比べられ遺伝とは当てにならないものだと結論づけられている
自分が母に似ているなど有り得ない。ミヤコは自分の意志でサラの心を覗いてみた。
しかしサラの心の言葉は口を突いて出た言葉となにも変わりがなかった。
「…あの…似てないと思いますけど…」
サラはくすくす笑う。
「ミヤコ。顔というものは鏡に映る映像ではないのですよ。あなたの心の中を映すもの。ミヤコは自分に偽り無く真っ直ぐと生きている。違いますか。サシルもまた自分の信じることをどんな苦境にあっても貫き通しました。その信念の輝きが綺麗な瞳です。ミヤコはサシルと同じですよ。とても美しい」
こんな美しい人は今まで見たことがない。そう言えるほどの整った顔が優しく微笑み自分を綺麗だと言ってくれた。その温かい言葉だけでミヤコは幸せになれた。
リュウとイザラは顔を見合わせ、さすがと頷く。
「明日、サシルの墓に詣でましょうね。こんなに大きくなった姿を見せてあげなくては」
「え! お袋様はあの墓のこと知っていたの?」
「当たり前です。サシルはカザラの許嫁だったのですよ。それをあの阿保王子が権力で横取りしようとした。トラドが身を挺して阻止したからこそサシルはマキト王子に嫁げた。私は今でもラメルが許せない。叶うなら一太刀見舞ってやりたい。ミヤコはこちらの手にあるのだからシェナに言って居城を攻め滅ぼしてくれようか」
優雅に微笑んだそのサラの姿に居合わせた三人はなぜか背筋に冷ややかなものを感じた。
夕方、食堂に集ったイザラの家族。長男クザラの席は空いているが、その空白を埋めるようにふたりの妹はとても華やかで明るかった。カザラは別としても、整った顔ばかりが居並ぶ食堂。ミヤコは異世界を見ているような気分に囚われた。イザラの妹ミーナもカーラも母親のサラをコピーしたように美しい。優雅さも気高さもそっくりだ。見慣れているイザラとリュウの顔まで更に美しく感じる。お伽話の一ページだと思えば笑えると現実逃避したくなる自分に落ち込むしかなかった。
食後、ミヤコはカザラの部屋に呼ばれた。
「ミヤコ。よく来てくれた」
カザラはそういってミヤコを長い間見つめていた。懐かしそうにそして悲しそうに。
「意志の強い瞳だ。頼もしい。私は君の将来を妨げるもの総てから守る。今度こそ」
カザラは窓の外を見上げる。
「シェナ…リー総帥が何を考えているのか知っているな」
「…帝王のことでしょうか」
カザラは頷いた。
「なる気はない。違うか」
「…はい…」
「それはそれで良い。ミヤコの志を貫くことだ。帝王など誰がなっても同じこと。しかし、ミヤコの変わりはいない。自分を大切にするのだぞ」
鉱物の山の後ろに大きなロールが青白く浮き上がっていた。その光を受け山は冷たく輝いている。カザラの威厳あるそれでいてどこかに優しさのある笑顔にミヤコは大きく頷いた。
「…あの…お願いがあります」
「ん」
「明日、母のお墓に参った時、外に出して下さい」
「外だと?」
「はい。どうしても母と同じ空気を吸いたい。母が過ごした同じ場所で私もこの大地の恐ろしさを感じたい。お願いします」
深々と頭を下げるミヤコ。
「聞いてはおらぬのか。人間が生活出来る環境ではないのだぞ」
「ほんの一瞬でいいんです。私達が便利な生活を送るために欠かせない大切な資源。その資源は人間に害を及ぼすという。なぜそんなものを利用しなければならないのかと考えました。そして、利用出来る技術と有害を無害にしてしまう人間の知恵に驚きました。でも、それだけじゃいけない。大切な資源だからこそ本当の恐ろしさを知りたい。無くてはならないものだから真実の姿を見たい。お願いします」
暫く考え込んでいたカザラがおもむろに笑った。
「イザラの言う通り変わった子だ。探求心か。良い心がけだな。良かろう。許可しよう。そのかわり30秒だぞ。この星も星自体の環境が変わってきている。星とはいえ生きているのだから当たり前だがな。今は昔ほど大気がない。恐らく1分もいたら呼吸出来なくなる。探求心大いに結構。しかし命を落とすのは筋違いだ。それは愚か者のすること。良いな。時間は守れるな」
「はい。必ず」
きらきらと輝くエメラルドの瞳。カザラは微笑ましく懐かしくそして繰り返される歴史の妙を思い見つめていた。
鉱物の山を金色に輝かせ登り来る朝日。ミヤコはその美しさに心を奪われた。ゼンで見た太陽とは何かが違う。それは自然の世界を照らしているからなのだろうか。刻々と変わる山の色合い。本当に太陽が山際をかすめて移動して行く。こんな素晴らしい景色をガトーの人は毎日見ていたのか。そう思った時、自分が育ったベイズがなぜ必要なのだろうかと疑問が湧いた。自然というものに何一つ触れることのできないあんな世界がどうしてあるのか。心の中に釈然としないもやもやが残る。
ドアがノックされる。開けるとリュウが立っていた。
「…おはようございます」
リュウはくすくす笑う。
「おはやくないけどね」
「え?」
ミヤコはテーブルの時計に目をやり悲鳴をあげる。9時18分と表示されている。
「この部屋が原因かな」
リュウが窓の外を見て笑った。
「…朝日を見てて…山も太陽も空もみんな色が刻々と変わるから…とっても綺麗で嬉しくて…」
リュウはミヤコの肩を抱いて窓に並ぶ。
「ミヤコにはこの景色が綺麗に見えるんだね。僕にはそう感じない」
「…そうなの?」
「鉄鉱石、ウラン鉱、マンガンやクロム。銅も金もプラチナもダイヤモンドも飲み込んでいる山々。この黒く光る山肌を見ていると寒気がする。これを利用しなければ生きられない自分が小さく感じるからかも知れない。いつ見ても恐ろしいと思う」
「私は何も知らないから綺麗だと思えるのかなあ」
「それは人それぞれさ。ミヤコにとって綺麗ならそれで良いんだよ。たぶんね、ミヤコはそう言うだろうなと、時間も忘れて見とれているだろうなと、それを試したくてイザラがわざわざこの部屋を用意したんだろうなと思ったの」
リュウはミヤコの頭を優しく撫でた。
「ちょっと見とれすぎたみたいだけど」
ミヤコは飛び跳ねる。
「そうよね。朝ご飯はどうしたの? 皆さん待っているなんてことはないわよね」
「さすがにね。でも、厨房のコックは待っているよ。お昼の用意ができないと」
顔から火が出そうなほど恥ずかしかった。ミヤコは食堂に駆け込み厨房の人々に平身低頭謝った。残しておいてくれた食事を厨房の隅で立ったまま頂く。食器も自分で洗うと譲らない。
「本当に申し訳ありませんでした」
深々と再度頭を下げるミヤコ。そこへサラが入ってくる。
「何をしているのです。厨房で」
ミヤコはサラに平謝りする。
「ミヤコ。あなたはリー本家の姫なのですよ。少しは自覚を持ちなさい。厨房は女の入る場所ではありません。ましてや食事を立って摂るなど許されませんよ」
「…あ…」
ミヤコは言葉がなかった。父にも母にも何度となく怒られたことだ。時間が惜しく立ってものを食べることをよくしていた。
「…申し訳ありません…」
すっかり気落ちしているミヤコにサラは肩をふるわせて笑う。
なんと自分の若い頃と似ているのだろうかと。男勝りで負けず嫌い。サッカーこそやらなかったが体力には自信があり親の考えがどうしても嫌で絶対に家の力が及ばない場所、軍隊に逃げ込んだ。実力主義の軍隊で自分を信じ突き進んだあの頃。立ってものを食べるなど言語道断。自分も何度親に怒られたことか。その度に時間は待ってはくれないと反発したものだ。
「サシルのお墓へ向かう支度をしなさい」
「…はい…」
ジェットフライヤーに乗ること3時間。流れる景色を見入るミヤコには短かすぎたのだろう。機体が止まった時の残念そうな顔にリュウとイザラは苦笑する。
そこにはひっそりと漆黒の輝きを放つオニキスの墓石が立っていた。
見たこともない…記憶にはない自分の母。どんな思いで命を終わらせてしまったのだろうか。
「サシル。あなたの大切な大切なイサヤよ。とても賢くて意志が強くて綺麗な瞳と心を持っている。王子とあなたが恐れた能力も受け継いだ。けれどこの子は大丈夫。私が、カザラがトラドがそしてあなたが最後まで憎んだシェナが必ず守る。だから安心して。今度こそ王子と幸せになって」
サラはミヤコの肩を抱き寄せた。美しい顔の固く結ばれた口元には強い信念が窺える。そして静かに閉じられた瞳から頬を伝う一筋の涙。
「…おばさま…」
ミヤコはサラを見上げた。
「あなたは悲しく辛く苦しい多くの涙の中から希望の光のようにこの世に生を受けた。誰からも愛され祝福されて。そして地の底へ葬られた。それは神様の愛だったのかもしれない。あなたにどれだけの力があるのか、自分の力で地上へ羽ばたく強さと賢さを勝ち取れるのか、それを試すための。イサヤ・ウーは不死鳥。ミヤコ・リーとして甦った。神様はあなたの欲することを欲するままに進むことを許された。自分を信じてサシルとマキト王子の分まで生きて行かなくてはね。及ばずながら応援していますよ」
ミヤコは満面の笑みで頷く。
「はい。ありがとうございます」
「サシルは本当に誰からも愛される女人だった。美しい笑顔と優しい瞳はシェナ自慢の妹で兄妹とわかっていても周りが嫉妬するくらいにシェナは可愛がった。我々の輪の中にいたことが最終的にはサシルを辛い目に遭わせてしまったのだろうと悔やまれる。私もトラドも彼女を愛したことを忘れることはできない。その美しく悲しい思いがあるからこそ遺されたイサヤには特別な感情がある。今度こそ守ってみせると。たとえどのような事態が起ころうともミヤコの将来だけは必ず守る」
カザラは墓石を見つめた。
ミヤコは静かに瞳を閉じた。母サシルは女神のような人だったのかもしれない。自分の命と引き替えにミヤコいやイサヤを守った。強くそして慈愛に満ちた人だったのだろう。
自分には他人を思いやる大きな心など無い。今は自分のことしか考えられない。それでもいつかは母のように周りの人から愛され誰をも愛せる人間になれるだろうか。もしなれたら…
ミヤコは自分の考えを断ち切った。仮定は絶対にしない。それは後悔につながるから。今自分にやれることやりたいことだけをする。そしてどうなるかは神様が決めることだ。たとえ選んだ道がどんなに険しく辛いものでもやりたいことなら乗り越えられる。今を精一杯生きていれば悔いは決して残らない。今はそれしか考えられない。
ミヤコは墓石を見つめた。
正午を過ぎた強い日差しを受けオニキスが美しく輝く。ミヤコにはやれるだけ頑張ってご覧なさいと母が微笑んでいるように感じた。
大きく頷くとすっくと顔を上げカザラを見つめた。
「おじさま。お願いします」
カザラは暫くミヤコを見下ろす。母親の瞳の色を受け継いでしまう一族にとっては災いを及ぼす異端の子。しかし、その子が世界を変えて行く。300年前と同じように。どのように変わろうともサシルとマキトの子ならば信じても良いのではないか。新しいノアールのためにミヤコに総てを託しても良いのではないか。
輝く瞳を見つめカザラは頷いた。
「イザラ。フライヤーを着陸させろ」
「はあ?」
「着陸だ」
「ちょっと! レーザー砲で打ち抜かれるよ」
「申請はしてある」
「あっそ」
ジェットフライヤーが静かに地表に降り立った。
「ミヤコ。後部ハッチへ行きなさい」
カザラが指し示す方へ頷くとミヤコは進む。
「親父。後部ハッチって。まさかミヤコを外へ出す気か!」
「そうだ」
「なに馬鹿なこと言ってるんだよ。外はとんでもない世界…」
「そんなことはおまえに言われなくともわかっている。30秒という約束だ」
「だけどICチップが引き起こす頭痛をミヤコは経験してない。いきなり外に出したらいくら普通じゃないといっても生命に関わる」
「ミヤコ。どうする。イザラはこう言っているが」
ミヤコは首を横に振った。
「どうしても立ちたい。イザラ。私は14年前死んだはずの人間よ。何かあってもその時に戻るだけでしょ」
「…ミヤコ…」
そのあまりにも純粋で透き通る笑顔にイザラは言葉を無くした。
「俺がついて行く」
ハッチへ歩こうとしたイザラの肩をリュウが捕まえる。
「僕が行こう」
「リュウ!」
「技術者より軍人の方が鍛えられているからな。ま、30秒だろ。あの痛みはかなりきついけど僕ならなんとかなるよ」
うっとりするような微笑み。どこが軍人だと言いたくなる穏やかな笑みを残しリュウはミヤコの肩を抱き後部ハッチの前に立つ。
「開いたら走るよ。信じられないほどの頭痛がするからね。30秒と言わず耐えられなくなったら戻るからね」
ミヤコは頷いた。ハッチが開く。飛び出した瞬間けたたましい騒音を浴びせられる感覚を味わう。そしてキリキリと細い鋼線で頭を絞られる痛みが襲う。息を止めていたはずだったが痛さに耐えきれず外気を吸い込んだ。その希薄な空気に見る見る息が上がり胸も苦しくなる。こんな場所に母はなぜ出たのだろう。意識が遠のいた。くずおれるミヤコをリュウが抱き留める。
「…リュウ…ありがとう」
ふっと微笑みを漏らしミヤコはリュウの胸に倒れ込む。
リュウは自分の首に掛かっているエメラルドの椎の実が熱を帯びているように感じた。次の瞬間。ミヤコの胸にかかっているダイヤモンドの椎の実が振動しているのに気づいた。自分の椎の実も振動している。その波動がどんどん大きくなる。
「…え?」
リュウは自分が平然とものを考えているのに気づいた。さっきまでの頭の痛みはほとんど無い。空気が薄いのは仕方がないが呼吸さえ整えられれば息苦しくはない。ミヤコを揺り動かす。
「…リュウ…」
「ゆっくり、ゆっくり深呼吸をして。そう。慌てずに息をすれば苦しくないよ」
「…頭痛いのが…消えてる…」
リュウは照れ笑いをするばかり。
「ミヤコの椎の実があれば、僕らはこの山を何時間でも歩ける。さあ、ミヤコが知りたい大地。自分の手でしっかり触って確かめてごらん」
「…でも。どうして?」
「カザラ伯父上にあとで聞いてごらん。今は目的を果たさなきゃ。みんな待っている」
「30秒の約束…」
「大丈夫。伯父上は分かっているから」
ジェットフライヤーの中で外の成り行きを見守っていた三人はお互いに顔を見合わせた。「言い伝えなど端から信じていなかったが、こんなことが起こるとはな。科学では解明できぬことがまだあるのだな」
「一体どちらが?」
サラの戸惑いを含む顔にカザラは苦笑する。
「私にもよく分からんがダイヤモンドの椎の実を持つのはミヤコだ。ひとりならミヤコ。だがあのふたりなのかもしれん」
「こりゃ。ますます遠い存在になったかなミヤコは」
イザラの言葉にカザラとサラが驚く。
「なんだ。おまえ。ミヤコを好いているのか」
「ま。可愛い出来の良い教え子だけど、ちょっとだけその境界線を越えてるかな。親父もあの瞳を見たでしょ。吸い込まれそうなほど美しい。あれは男を狂わせる輝きだよ。俺もリュウもそれなりに遊んでいたのが幸いした。戸惑ったくらいで済んだから。女を知らない男だったら掟も戒律も…恐らく自分に降りかかる災いも顧みずにのめり込む。だから異端といわれるのかな。瞳の色って不思議だよ。銀眼の人間から見たら黒眼のウーの少女の瞳は本当に魅力的だっただろうね」
「…おまえ知っていたのか」
イザラはくすりと笑う。
「クザラはどう考えているか知らないけど、俺はここを離れる気はない。マー一族であることに誇りを持っている。だから自分のご先祖様のことぐらい調べたよ。これでも名うてのハッカーだよ」
「シェナも認める腕だったな」
カザラは傷の残る左手を見つめた後、サラの肩を抱き小さく微笑んだ。
カザラがサラを抱きしめ涙したのはもう20年以上も前のことだ。
厳しくも温かいサラの心に触れ、心の奥底に押しとどめてきた愛する者を奪われた憎しみと悲しみを解放してしまったカザラは自分の感情をコントロールできなくなってしまった。リー屋敷にある離宮に引き籠もり酒をあおる毎日。暴れまくる状態で誰も手が付けられなかった。監禁状態となっているカザラを毎日サラが見舞った。いや、毎日同じ時間にカザラの部屋に入り、酔いつぶれている、くだを巻いている、時には奇声を発し暴れているカザラを睨みつけ無言で張り倒して出てくる。それを一日たりとも欠かすことなく続けた。そして1年半。カザラはサラの繰り出した右手を受け止める。
「…今日で550日。なぜそこまでして私に構う」
「情けない。あなたはそれでも男か。550日前に私はなんと言った」
サラはカザラの腕を振り払い部屋を出る。
翌日。同じ時間に部屋に入ったサラは一瞬度肝を抜かれる。床に転がるカザラは自分の左手に噛みつき血まみれだった。
「何をして…」
「…く…来るな! 耐えねば前に進めん」
サラは苦笑すると部屋を出た。
カザラがアルコール依存を断ち切るために酒を止めたのだとすぐに分かった。禁断症状は想像を絶する苦しみであることは書物で知っていた。しかし、薬を投与すればすぐに楽になる。それをあえて自力で乗り切ろうと決めたらしい。それは取りも直さず己の弱さとサシルへの思いを断ち切るためだ。サラはそれからも毎日同じ時間にカザラの部屋へ顔を出した。
「あなたもよほど阿保だな」
10分ほどのたうち回るカザラを見つめたあと同じ言葉を言うために。
そして半年。サラが開けたドアの向こうには椅子に座るカザラがいた。無言のまま入り口に立つサラ。カザラは杯を掲げる。
「飲めたな。一杯飲まぬか」
真面目くさったカザラの瞳には凛とした輝きがある。どうやら正気を取り戻したようだ。
サラはこくりと頷くと向かいに座った。カザラはサラと自分の杯に酒を注ぐ。
「礼は言わない。結婚してくれ」
サラは迷うことなく頷いた。
驚いたのはカザラだった。馬鹿かと張り手を喰らう覚悟だったのだが。
「…サラ…冗談ではないぞ」
「分かっている」
「良いのか?」
サラはカザラが自ら傷つけた左手を両手で包む。
「断った方が良いのか?」
そう言ってカザラに向けた微笑みは帝国一の美しさだった。
カザラの妻となる時にサラは軍服を脱ぐ。
「ガトーは特殊な場所だ。大丈夫か」
心配するカザラにサラは微笑む。
「私は軍人だ。鍛え方があなたとは違う。心配には及ばない」
しかし、妊娠は想像以上に辛いものだった。青い顔をして頭痛と闘うサラを温かく見守ったカザラ。イザラがお腹にいると分かった時にはシフォンで生ませようと考えたカザラだが、サラは拒否した。
「マーの子はここで産まなければ意味がない。私は大丈夫だから」
サラの言葉とは裏腹に体調は見る見る悪くなりついに寝たきりとなってしまう。母子共に危ない状態だと医者に何度も言われその度に覚悟を決めた。
イザラの産声とサラの笑顔がカザラにとってどんなに大切なものなのかをベッドサイドで噛みしめた。
イザラは生まれてすぐの高熱に生死を彷徨い、この時も医者は匙を投げた。サラの懸命な看病の末、奇跡的に助かったイザラ。子供の頃は本当に手のかかる子だった。サッカーが大好きで遊びほうけていたかと思えば、突然基地に乗り込み戦闘隊員テストをパスしてきたり。研究院へ入れば入ったで屋敷を研究室に変え家人や使用人を被験者にしては何やら実験をする有様。
何を考えているのやらと強運の元に生を受けたイザラの成長を見守ってきたふたりは、いつの間にか大人になったイザラに過去の苦労が報われた思いだった。
ミヤコはすぐ側にある岩を触った。冷たく硬い。
「これが鉱物」
何十億年という時間をかけて出来上がった大地の姿。この硬い岩を掘り出し利用する人間の英知はやはり凄いものだ。そしてこの山々によって生かされていることをやはり忘れてはいけない。
ミヤコとリュウはジェットフライヤーの後部ハッチまで戻ってきた。
「リュウ。30秒だけ」
そう言ってミヤコは自分の首に掛かるダイヤモンドをリュウに手渡す。
「ミヤコ!」
激しい頭痛が襲う。痛みで足下がよろめいたがかろうじて気を失わずに済んでいる。この悪条件が本当のこの星の姿なのだ。人間を拒み近寄らせない。それが本来の自然な姿だ。恐ろしいのはその自然の摂理に反する人間の方だ。そう感じたところで意識が途切れた。
リュウはミヤコを抱き留めジェットフライヤーに乗り込む。待っていたイザラが肩をすくめた。
「全く。どこまでも驚かされる子だな」
「だから、飽きっぽいおまえなのに惚れたんだろ」
リュウはイザラを見つめ笑う。
「お互い様じゃないのか」
「僕は飽きっぽくないよ」
「女たらしなだけか」
「…あのね…」
「否定するのか」
「…いいえ…」
ふたりは見合って吹き出した。その笑い声にリュウの腕の中のミヤコが気がついた。
「…ここは…」
「ジェットフライヤーの中だよ」
優しい微笑みのリュウとイザラがミヤコを見下ろす。ミヤコは立ち上がるとカザラに深々と頭を下げた。
「ありがとうございました」
「さて、それでは引き返すか」
頷いたミヤコは母の墓石に悩みや迷いが生まれたらまた来ますと話しかけ黙祷を捧げた。
機体は静かに上昇すると来た道を戻る。
「…あの…」
ミヤコはカザラに声をかけた。
「これは子供に聞かせるようなむかしむかしのお伽話だ」
そう言ってカザラは笑った。