外の世界と能力
第1章 外の世界と能力
ゼンのポートセンターはとても賑やかだった。シャトルステーション行きのリニアカーに乗るための行列ができている。
「惚れ惚れする美形よね。素敵」
「遊びでよいから声かけてくれないかしら」
ミヤコを左右から守るようにリュウとイザラが歩く。三人をやり過ごす女性は必ずリュウとイザラを見つめては見とれていた。その心の中がなぜかミヤコには分かった。
「一度お相手したいわ」
女性とすれ違うたびにリュウとイザラを見上げるミヤコ。その度に表情が険しくなる。
「…ミヤコ。どうかした?」
苛立っているミヤコの肩をぽんと叩くリュウ。
「別に!」
噛みつかれそうなほどの勢いで否定し歩いて行く。
「…どうしたんだ?」
リュウはイザラを見やる。
「さあな。かなり苛ついているな。外の環境が彼女に合わないのかな」
リュウとイザラは肩をすくめ、かなり先をさっさか歩く厳つい肩のミヤコに溜息をつく。ミヤコはポートセンターを出ようとしている。
リュウとイザラは慌てて追いかけた。
建物の外に出たミヤコは眩しさに足を止める。正午の太陽が真上で輝いていた。
「…これが太陽…」
手をかざしドーム越しではあるが太陽を見上げるミヤコ。
人工の光ではない日差しを浴びミヤコは不思議な感覚にとらわれていた。何となく体が暖かくなるような気がする。眩しいが優しい光。ミヤコは両手を広げ伸びをする。
「素敵。こんな光、初めて」
追いかけてきたリュウとイザラは日の光を全身で浴びて微笑んでいるミヤコを見守りながら顔をほころばせた。
「…単純。だけどあの素直さは魔法だ」
イザラが肩をすくめる。
「それがミヤコの宝だよ。何にでも感動出来る綺麗な心を持っている」
リュウは嬉しそうに微笑む。
ミヤコはポートセンターのガラスをまじまじと見つめる。いろいろな角度から覗く。表面が山形にカットされているのでどうやらプリズムの役目をしているようだ。
「凄い。凄い。早速光の波長を観測出来るなんて。これが空に拡がると虹なんでしょ」
すぐ後ろにいるイザラに笑顔を向けるミヤコ。
「そうだよ。虹の場合は大気中に含まれる水の分子がプリズムの役目をする。残念ながら、大気のないロールでは起こらない。それはシフォンまでお預けだな」
ミヤコは頷く。
「シャトルステーションまでは遠いの?」
「歩いて40分くらいかな」
「じゃあ歩く!」
ミヤコはリュウを見つめた。
「はいはい。では、歩きましょう」
リュウが笑う。
ミヤコは少し歩くと足を止めイザラを見上げる。
「…やっぱりリニアカーに乗る」
「…えっ? 何で?」
ミヤコはうつむいてしまう。
「…まともに歩けそうにないの。もう何もかも魅力的で…」
「今は何が知りたいの?」
「…影が動くから気になって…」
「動く?」
「さっきより角度が鋭くなった。長さも伸びてる。これって太陽が動いているからでしょ。でも、本当はこのロールが自転しているから。知識でしかないことが実感出来るなんて楽しすぎる。私このままだと色々なこと考えちゃって歩けない」
イザラはくすくす笑う。
「ミヤコの好きなようにしてごらん。太陽は毎日上がるし影は一緒について回る。誰もそんなことを不思議とは思わない。だけど、ミヤコにはとても不思議なことなんだから、だったら納得出来るまで考えてごらん。時間はいくらでもある。そうだ。上から眺めてみようか」
「…上?」
「ミヤコの影だけじゃなくビルのいやこの町の影も動いて行くよ」
ミヤコの顔がこの上なく輝く。
イザラはビルの最上階にあるレストランへ入る。窓際に席を取りミヤコを座らせた。
「気が済むまで見ててごらん」
「…本当によいの?」
「ああ。その代わり、明日はガトーへ出発だよ」
ミヤコはこくりと頷いた。
コーヒーが運ばれてくるがミヤコは窓の外を見つめるばかり。
「1年間も、よくおまえが先生を飽きずに続けられたものだと感心していたんだけど、なんか、分かった気がする。ミヤコって本当に好奇心旺盛なんだね」
「研究院3年くらいの知識はすでにあるよ」
「そうだな、プリズムから虹、影から自転と分野も違うのに的確に思考してる。先生が良かったんだな」
リュウはイザラを冷やかすように笑う。
「嫌みな奴。俺はちょっと家に連絡入れる。ミヤコの到着をお袋様がえらく楽しみにしているからな。リュウにそそのかされて一日遅れるとな」
「はあ?」
イザラが席を外した。
リュウは外を真剣な瞳で眺めているミヤコを見つめていた。イザラの言葉ではないが、確かに綺麗になった。あまりにも身近すぎたので気づかなかったが、いや、気づかぬようにしていただけなのかもしれない。いや違う。ミヤコが美しい子なのは初めてあった時から分かっていた。内に秘めたる輝きで外見を磨くスピードがちよっと早いのに驚いているだけだ。平凡に見える女の子の計り知れない探求心が全て満たされた時、どんな輝く女性になっているのだろう。リュウは自分の知る絶世の美女だったミヤコの母サシルの面影にミヤコの姿を重ねながら苦笑する。 「…やっぱり、それは…ちょっと、無理があるか…」
刻々と変わる光と影が織りなす景色。ゆっくり眺める機会などあまり無いが、確かに不思議なものがある。この影の、太陽の動きが見た目とは違い自分が回っているからだと理由も原理も分かっているがそうは感じない不思議がある。
日が傾き長い影とあかね色に染まった町を見下ろしミヤコはやっと顔を上げる。
「リュウ。宇宙って誰が考え出したの?」
「え?」
真面目な顔でリュウを見つめるミヤコ。
「理論や法則が発表されている年代順に片っ端から上げようか? でもミヤコの知りたいことは違うよね」
ミヤコはこくりと頷く。
「本当は誰も知らない。神様じゃないかもしれない。だからみんな研究している。なぜこんな星が生まれるのか。ノアールが特別なんじゃないけれどね。この宇宙には人の住めない星なんてそれこそ沢山あるし住んでる星も沢山ある。人と言えるかどうかは分からないけど生命体が住んでる星と概念を広げればそれこそ星の数ほどある。自然が創り出したというならなぜそんなことが起きたのか。考えたらきりがないし、今のところは誰も分かっていない。実のところ、ノアールは自分たちの研究は熱心だったが外に対する興味はなかった。だから隣のロゾフ星系のことも母星を回る5つの惑星から成っている程度の観測データしかない。未知というならこの宇宙ほど魅力的なものはないと思うよ」
「…それって、勉強出来る?」
「ああ。研究院なら教育院よりは遥に大量の資料があるよ」
ミヤコの顔が嬉しそうに輝く。
「ミヤコ。今日はまだ1日目。明日ガトーへ行ってあの鉱物の山を見たら君は何と言うのかなあ。そしてシフォンへ降り立ったら…。ベイズとは比べものにならないほど自然の色々なものがある。ミヤコにはショックかもしれないがベイズが造られた特別な町なんだよ」
ミヤコは首を横に振りにっこり笑った。
「ありがとう。それって幸せなことでしょ」
「え?」
「自分の常識なんて本当は何の役にも立たない。別の世界を見て知ってそしてもう一度常識を組み立てる。特別な世界で育った私にはみんなにない何かが元々あるんだもの。すっごくおもしろい経験よ。大丈夫。私はベイズが大好き。だけどベイズは大嫌いだから」
けたけた笑うミヤコ。リュウはこの子のずば抜けた吸収力にほんの少し驚異と畏怖を感じた。それこそこの未知なる爆弾のような子を帝王に据えたならこのノアールはまるっきり違う国になるのではないだろうか。父シェナは本当のこの子の恐ろしさを知らないのではないか。
ミヤコは席を立つ。どうしたのかと見上げるリュウの隣にまじめくさった顔で座る。驚いているリュウの耳元で囁く。リュウは笑いをこらえてミヤコの肩を抱いた。
「では、お嬢様。ご案内しますから」
ミヤコは化粧室へ駆け込んだ。
ガラス越しに見える暗い外。点々と建物の中に明かりがあるが昼間の喧噪が嘘のような寂しい風景にミヤコは肩をすくめる。
「夜と昼ではこんなに違うのね」
「ゼンにはベイズのような歓楽街はないし金や権力のある奴はみんなシフォンに住んでる。今はこの町は昼間しか活動していないんだよ」
ゼンもガトー星同様、電磁波の影響を受ける。その為頭痛の症状が出るのは当たり前とされている。それがICチップの影響だということは知らされていない。体調の不快感を改善するためにシフォンを安寧の場に選んだのはゼンの人間が最も早かった。7年前にゼンの教育院で帝国への反逆を企てた教授達が大量に摘発され、教育院が閉鎖されてからというものゼンの居住者は激減した。今や夜の人口は機械やコンピュータのシステム管理をする技術者だけとなっている。
ゼンの町はその昔、ガトー星の町が防御壁で覆われていた時代、小規模でも良いからと透明なドームで覆う実験で造られた町だった。成功を収めたにもかかわらずガトーの人々が移り住むことはなかった。その代わり、太陽光を利用した実験が繰り返され24時間稼働させるシステムをゼンへ移動していった。その結果、ゼンにはガトー星の金融システム財産管理システムのセンターが設けられた。ノアール帝国として統一された時にも、ゼンの機能は存続され未だに金融経済の町とされている。ゼンには資産を管理し運用する才の長けたものが事務所を構え委託された財産を効率よく確実に保全する事が行われている。この、財産管理運用に新しいシステムを導入し莫大な富を得たものがノアールの経済省を司るムー一族である。他人の金を右や左へ動かすことでさらなる金を生み出す錬金術師といわれる人々。人間の射幸性を巧みに利用し金が金を生むシステムを今も生み出している。
リュウとミヤコが席に戻ってくるとテーブルにはイザラと話をする男がいた。
面長の色の浅黒い顔。知的というよりは狡賢いといった細い瞳がやけに光っている。顔の造作は決して悪いとは言わないが好感を抱ける雰囲気がなかった。
モリアはリュウがこんな不細工な女を連れ歩くなんてと不思議な面持ちでまじまじとミヤコを見つめる。抱く目的もない女を大切に連れ歩くなど今まで見たことがない。やはりこの女には相当の価値がありそうだ。
ミヤコを見つめているその男の心の声を耳にし、ミヤコは隣に立っているリュウを睨み見上げる。リュウはそら恐ろしい顔をしているミヤコを不思議そうに見下ろした。
「なに?」
そう言って首を傾げるリュウの何とも優しく温かいそして美しい笑顔にミヤコは首を横に振ることしかできなかった。
「ミヤコ。夕飯ぐらいは食べてくれるよね」
これまた静かに知的にそして美しく微笑むイザラ。
ミヤコは美形のダブルパンチを喰らいがっくりと肩を落とす。
「お腹すいた」
ミヤコの肩を促し椅子に座るリュウ。
「モリアがこの時間までゼンにいるなんて珍しいな」
リュウが男に問いかける。ミヤコは目を見張る。知り合いなのか。モリアと呼ばれた男は席をすっと立ちミヤコに深々と頭を下げた。
「モリア・ムーと申します。ただ今、経済省の財産管理局で次長を拝命しております。どうぞお見知りおきを」
意味ありげに言葉を発するモリア。帝王になった時にはどこかで一度でも合っているというコネはそれなりに利用出来る。顔見知りというものは将来的には大切なことだとモリアは心の中で笑った。
ミヤコはそっぽを向く。その態度にリュウもイザラも驚く。ミヤコは決して不作法な子ではない。どちらかというと、いつも先手を打って謝ったり率先して行動したりする。とても心遣いのできる子だ。初対面の人間に挨拶をしないなど有り得ない。
モリアはノアール帝国の経済を牛耳るムー一族の由緒ある血筋の人間だ。
目の前の女は帝王の姪という噂だが、王家の香りは微塵もしない。ベイズなどという敗者の幽閉された地下都市にいたのだから品を求める方が馬鹿かもしれない。そんなどこの馬の骨とも分からない女にこんな失礼な態度をとられたのは初めてだ。見た目以上に態度も可愛くない。鳴り物入りで極秘情報が回ってくるからどんな子かと思ってわざわざ見に来たが損をした。ここは体よく退散するに限るとモリアはミヤコを冷ややかに見つめた。
ミヤコはテーブルを叩いて立ち上がる。
「私は可愛くない子です! 気遣いはいりませんからそのままここから立ち去って!」
攻撃的なミヤコの表情にリュウもイザラも驚くばかり。隣に座っていたリュウが息を荒げてモリアを睨んでいるミヤコの腕を捕まえる。
「どうしたのさ。落ち着いて」
ミヤコに睨まれているモリアを窺ったイザラが言葉を失う。
モリアは放心状態でミヤコを見つめている。その瞳はとてつもなく恐ろしいものを見た時の恐怖の色を映していた。
「…モリア…おまえもさ…どうしたんだよ」
「…な…なんなんだこの子…」
モリアはすでに席を立って一歩退いていた。俺の心が読めるとでも言うのか? そう思いながらミヤコを見つめる。
「そうよ!」
これ以上不機嫌な顔はないというほど投げやりにミヤコはモリアを見つめ言い放つ。
次の瞬間、モリアはレストランを走り去っていた。
重苦しい沈黙が続く。
「…ミヤコ…そうよって何?」
会話として成り立っていないやりとりに気付きイザラが不思議そうに尋ねた。
「今の人が心が読めるのかって聞くから」
「え!」
イザラとリュウはお互いを見つめた。顔色を読むのが得意と言っているミヤコ。それは心が読める…テレパシー能力があるということだったのか。
そこへメニューを持ってきたメイド。リュウとイザラを見やり「素敵。抱かれてみたいわね」と微笑む。
「きっと無理ね。このふたりは相当美人じゃないと相手にしないから」
ミヤコはむっとしてメイドを見返す。
メイドは慌てて引っ込んだ。
「…ミヤコ。もしかして昼間から機嫌が悪かったのはそのせい?」
ミヤコはテーブルのコップを見つめて大きな溜息をついた。
「ごめんなさい。だって、すれ違う女の人みんな、リュウとイザラを見て抱かれたいって言ってる…思っているから…一緒に歩いていて良い気分しない」
ふたりは絶句する。こればかりは自分たちにもどうすることもできない。
「お面でもかぶって歩くか」
「それもまた注目されるだろ」
ミヤコはくすくす笑う。
「大丈夫。慣れたから」
「え?」
「ここの場所って人が沢山出入りしてたでしょ。下を歩く人も沢山見えた。で、色々と試してみたの。だいぶコントロール出来るようになったから」
屈託なく笑うミヤコ。歩けないと昼間言った言葉は何が原因だったのだろうか。自分の能力を分析しその対処法をいとも簡単に見つけ出し実行する。この適応能力の素晴らしさ。やはりこの子は普通じゃない。野心があったらとんでもなく怖いことだと思ってリュウとイザラは顔を見合わせ同時にミヤコを見つめた。
「…俺たちの心の中もお見通しって事だよな…」
ミヤコは肩をすくめる。
「それがね…よく分からないんだけど、リュウとイザラの心の中は読めないの。顔色は分かるわ。それはベイズの時と同じだから」
「…ちょっと待った。ベイズにいた時は心の中読めた訳じゃないのか?」
「そんなことできていたら院長先生に怒鳴られたりしてないでしょ。ここに来てから。だから、戸惑ったの」
リュウが笑い出す。
「こりゃますます怪しいね。ベイズに何か埋まっているというのはどうやら本当のようだね。マー一族はウー一族の本当の能力テレパシーを封じたかった。これってマー一族だけじゃなく誰でも封じたいと思うけど。マキト王子は何かを知っていたんだろうな」
「何?」
「現帝王家はいままでリー本家との婚姻関係がない。勿論、帝王の座をすり替えたわけだから、その辺の負い目もあったのかもしれない。だけど、本当の理由はウー一族が持っている能力を復活させないための策だった。リーにもマーにもウー家との婚姻は災いを招くと言われているだろ。300年前に生き残ったのはウー家の血を引くリー本家の子だ。ガトーがベイズ出身者を特別嫌うのもその辺なんじゃないのかなあ」
「心が読めるって考えようによっては利用価値あるぞ」
「そこだよ。恐れる人間と利用する人間に分かれる。でも、利用方法を間違えるととんでもないことができる。帝王の座を覆すことも」
「そうか、300年前にウー家の血を引く子がテレパシーを利用して帝王の座をものにしたんだったな。ま、話しなんかしなくても心の中が読める。敵か味方かなんてすぐ分かるわけだから、味方になるものだけを残しあとは排除すれば良い。結構簡単か」
「そんな古い話はどうでも良いけど、ミヤコの能力をムー一族に知られてしまった。モリアはああ見えて強かだよ。油断出来ない」
「何で?」
リュウは肩をすくめる。
「やだなイザラ。いくら科学の分野じゃないからって、相場とか投資とかを知らない訳じゃないだろ。商取引の相手の心の中事前に覗けたらどれだけ有利か。金があり、そういう駆け引きに長けているムー一族にとってミヤコの能力垂涎だよ」
「カーの次はムーか。ミヤコにはノアールは危険な場所でしか…まさか…」
リュウは頷く。
「異端の子が生まれる危険性を感じていた。10年もの間床を共にしなったのもその辺があったのかも。マキト王子が帝王を次ぐことは明らかだった。次の世代はウー家とリー本家の血を受け継ぐ子だ。災いをもたらすからと避けられてきた血の組み合わせ。それを敢えて実行すれば異端の子が生まれる確率は高くなる。テレパスは、本人が悪用しなくともそれを利用しようとする輩が必ず現れる。そしてラメルが動いた。女の子なら余計弱い立場だ。何が何でも生き延びて欲しいと願ってベイズへ送ったのかもしれない」
「マキト王子か…相当先見の明があるなあ。ラメルよりよほど良い時代になっていただろうに」
イザラが苦笑する。
「マーの技術力をもってしてもミヤコの好奇心とテレパシー能力を押さえ込めなかった。ミヤコはそれだけ特殊ってことだ」
静かにふたりの話を聞いていたミヤコは真っ暗になった外を眺める。
「私は生まれてくるべきじゃなかったのね」
ガラスが鏡となってミヤコの顔を映している。その後ろに怖いリュウの顔があった。ミヤコは振り返る。
「馬鹿なことを言わない。今までの君は大勢の人に守られ本当に幸せだったと思う。でも、自分の足で歩くと決めたんだよ。両親の庇護を飛び出しベイズでの生活を捨て外の世界へ足を踏み入れた。世の中を知ると言うことはとても辛いことだ。容易く進める道ではない。みんな心に傷を抱えそれでも乗り越える強さを学ぶ。血筋や生い立ちや能力に呑まれることなく自分の信じることをやり通す。それが自分の足で歩くと言うことだ。何があっても自分を大切にできなければこれから先、やっては行けない。自信がないなら明日、ベイズへ帰ることだ」
リュウの厳しい言葉が拡がった。
ミヤコは何も答えずに外を見つめていた。
食事を済ませるとイザラが手配したホテルの部屋へ入った。ミヤコは外を見つめる。天井のない本当の外の暗さ。漆黒の闇は飲み込まれそうな恐怖があった。
去年一年間、生い立ちも自分がベイズにいる経緯も教わった。そんな血筋など関係ない。自分のやりたいことをやるだけだと、勉強する機会と引き替えにリー家の養子の件も受け入れた。やりたいことは沢山ある。自分にできることも沢山あると信じている。そして、帝王になる気は一切ないしこの国の将来を考える気にもならない。自分さえよければそれでよい。それなのに、変な能力があり他人の心が覗けてしまう。忌み嫌われた能力などなくて良い。なのになぜ。どうして自分には平凡な明日がないのだろうか。ベイズにていも特別視され外へ出てきても…。
イザラは厳めしい顔でリュウを見つめていた。
「彼女は不安を抱えているんだぞ。あんな言い方しなくても」
「わりと甘いんだな。危険を抱えているからこそ自分をしっかり見つめられなければこの先潰される。シフォンの研究院だってそうだ。リー本家の養子ってことだけで特別視される。ミヤコにはいたたまれない環境かもしれない。それでもやりたいことを続けられるかって事だよ。自分を信じてやれなかったら彼女の将来はない」
イザラは大きな溜息をつく。
「リー一族のさすがに本家直系。軍の精神受け継いでるな。おまえにかかっちゃお姫様も歩兵訓練からか。相変わらず厳しいことで」
「何ちゃかしてるんだよ。僕はミヤコの才能を潰したくないのさ。あの子の計り知れない能力に期待しているのはおまえも同じだろ」
「そりゃそうだけど…潰されたらその時は娶ろうかななんて考えてるんじゃないかと思ってたからさ」
リュウはイザラの言葉に驚いた。その真の驚きにイザラは苦笑する。
「ベイズに1年も居たから本当の聖人になったのか? おまえは気づいてないのかもしれないがミヤコはおまえが好きなんだぞ」
リュウは肩をすくめる。
「僕が本気でもどうにもならない。そう言ったのはイザラだ」
「阿保! 本当に欲しいものなら死ぬ気で手に入れろ。おまえが中途半端にミヤコをもてあそぶなら俺が頂く」
冗談ではないイザラの顔にリュウは息を呑む。
「…イザラ…まさか本気か…帝王の女性と豪族は婚姻出来ないぞ」
「そんな決まりは変えれば良いだけだ」
さらりと言い切り微笑むイザラ。リュウはその眼光にマー一族の王としての強さを垣間見た。
「剣術では敵わないからな。決闘はサッカーで受けて立つ。じゃあおやすみ」
イザラは静かに部屋を出て行く。
リュウは外を見つめた。イザラは本気だ。自分はどうなのか。ミヤコの笑顔は誰にも渡したくない。それは偽りのない真実だ。ミヤコが大切な存在であることも確かだ。それが愛情かと問われたら今は守るべき者として接してきたためか肯定出来ない。悔しいがイザラには負けている。
部屋のドアがノックされた。
「まだ何か言い足りないのか…」
そこにはミヤコが立っていた。
「…リュウ。私…」
いつもの元気も明るさもないミヤコ。
「入りなさい」
リュウはミヤコの肩を促し部屋に入れた。
「分からなくなったの。自分がどうしたいのか。なんだかもうどうでも良くなってしまって」
さっきとは全く違う優しい顔のリュウが目の前にいた。
「君が背負うものはとても大きい。その荷を下ろすことはこの先できるとは思えない。ベイズにいても誰かが必ず君を引きずり出す。嫌な思いをして外の世界へ連れ出されるよりは、出たいという君の夢で飛び立って欲しいと思ってた。そして、僕の出来る限りのことをして守ろうとね。勿論、リー屋敷へ君を連れて行かなければならないのは僕の任務だから命に代えても守ると言った。軍人としてね」
「…あ…」
リュウはミヤコを見つめる。
「だから一度はリー屋敷へ連れて行くよ。でもね、父上が何を考えていようとミヤコはやりたいことをやって欲しいと思っている。君の人生だよ。誰のものでもない。誰がなんと言おうとどんな能力がありどんな環境で育とうと誰が親であろうとミヤコはミヤコだ。違うかな」
「…リュウ…」
「そして僕はミヤコが好きだ。好奇心旺盛で探求心のためにはどんな危険もどんな努力も顧みず突き進む。いつも瞳を輝かせ真っ直ぐ前を見て歩く。そんな自分が大好きなミヤコが好きだ」
「リュウ…私…怖くなって…」
リュウは不安げな瞳で見上げるミヤコを抱きしめる。
「ホームシックかな」
「え?」
「初めてだろ。外泊なんて。今まではみんな知ってる人と一緒だったからね」
リュウはミヤコを胸から話すと顔を覗く。
「違うよね」
リュウはミヤコの肩を抱きベッドの縁に並んで座る。
「僕にも詳しくは分からないが、心が読めるのはとても凄い才能だがとても辛いことだと聞いている。知りたくもないことが分かってしまうんだからね」
ミヤコは頷いた。
「昼間試したって言ってたね。それもあってモリアに食って掛かったのかな」
ミヤコは小さく頷くと肩をふるわせ泣き出した。
「悲しすぎる。辛すぎる。誰かを憎んで恨んで愚痴こぼして…そんな声ばかり聞こえてくるから」
「おまけに女共は僕とイザラを寝取る妄想ばかりか」
ミヤコは頷く。リュウはミヤコの肩を抱き寄せた。
「今日自殺したいと願っていた人が明日人生を謳歌しているかもしれないんだよ。それくらい人間の心って気まぐれだ。真剣に受け止めちゃダメだ。聞こうとしちゃいけない。それこそミヤコの心が耐えられなくなる」
ミヤコは涙を拭いながら頷いた。
「僕に話してごらん」
「…え?」
「聞こえてしまった心の声を僕にぶちまけてごらん。そうしたら少しは楽になる。いつでも聞き役になるから」
ミヤコはすぐ側にあるリュウの顔を見つめた。なぜこの人はこうも優しく温かいのだろうか。
「…リュウが優しいのは任務だから…」
「残念だよな。僕の心を読んでもらえないのは」
「…そんな…」
リュウはミヤコをベッドに押し倒す。戸惑うミヤコの髪を静かに撫でる。
「僕は紳士なんかじゃないよ」
その言葉はいつもと変わらないとても優しい響きだ。リュウの手が首筋を静かに這う。指が唇を這う。
ミヤコの心臓が破裂しそうに高鳴っていた。リュウのことは大好きだ。だが、いざこういう状況に直面するとこのまま体を預けることが本当に自分の望んでいることなのか分からない。
リュウはくすりと笑う。
「女心を読むのは僕の能力かな」
ミヤコを抱き起こすとそのまま抱きしめた。
「僕はミヤコを無理矢理自分のものにしようなどとは思わないよ」
「…あ…」
「本当に君が大切だから」
「…リュウ…」
「ミヤコの心を全部僕に向けてくれるまではね。それまではお姫様を守るナイト兼カウンセラーに徹するよ。だから遠慮はいらない。僕には何でも話して欲しい」
「…ありがとう…私…守ってくれる腕がこんなに温かいものだったなんて…知らなくて…」
ミヤコはリュウを見つめた。
「元気になれた。もう大丈夫。明日ガトーへ行く」
自分の強い意志を映し光り輝くエメラルドグリーンの美しい瞳。
リュウは再びミヤコを抱きしめる。
「ちょっとだけ見返りは欲しいね」
「…え?」
問いかけるまもなくミヤコはリュウに唇を奪われていた。熱い口付けにミヤコは驚いたがもがこうとはしなかった。リュウの優しさに触れこの居心地の良い大きな胸がとても嬉しかった。
リュウはミヤコを部屋まで送り届ける。
「じゃあ。明日はガトーだよ。ゆっくりおやすみ。朝食は7時。下のレストランだからね」
ミヤコはこくりと頷いてドアが閉まる。
朝日。この素晴らしい輝きをミヤコは全身に浴びていた。どうしても見上げたくてホテルの外へ飛び出す。両手を広げて天を仰ぐ。
「こんな光を浴びたら嫌なことでも全部忘れられるわ!」
7時を過ぎてもレストランに姿を見せないミヤコ。
「本当にベイズへ帰ったとか?」
「有り得ない。探して…」
リュウが視線を動かした先は外。
「なんて綺麗なんだか。あんな姿見せられたら女たらしのおまえでも組み伏せないよな」
イザラの言葉に一瞬鋭い視線を飛ばしたリュウはミヤコを連れてくるためにレストランを出て行く。
「…嘘…図星だったのか…」
イザラはくすりと笑う。夕べの牽制がどうやら功を奏したようだ。しかし、惜しい気もする。イザラの廻りにも女は沢山いるので不自由をしているわけではない。リュウの言葉ではないが、感情のはけ口として使い捨てるようなつきあい方ばかりしてきた。相手も本当の愛情など求めていないであろうしと、そこはきっぱり割り切っている。そんな見目麗しい女よりミヤコははるかに興味を引かれる。自分を師として仰ぎ見ているのは分かっているが時折見せる素直な笑顔はやはり嬉しい。自分の胸にミヤコを何度引き寄せようと思ったことか。ミヤコがリュウを慕っていることは知っている。しかしその思いはまだ幼いものだ。大人の愛情を教えることも師としてできないわけではない。ミヤコが手に入るならばどんな苦労をしてでも良いとさえ思える。自分が一人の女に執着するのは初めてだ。ミヤコにはそれだけの魅力がある。
しかしできない。あのどうしようもない遊び人。いや、廻りが遊び人に仕立ててしまったのだが。リュウが本気で好いた相手だ。
「俺も甘いな。愛情より友情ってか」
イザラはリュウに肩を促され席に着いたミヤコの清々しい笑顔を見つめ苦笑する。
「ごめんなさい。どうしても太陽見たくて」
屈託なく微笑む女神のような笑顔。イザラは静かに微笑んだ。
「朝日はね、人間に活力を与えてくれる。そして体内時計のリセットをするんだよ。本当は30分ぐらい両手を広げて太陽に当たると良いんだけどね。医学的に証明されてることだよ。リュウに聞いてごらん」
「…本当! じゃあ明日から毎日早起きする」
「でも、朝食の遅刻はなしだよ。お腹すいた」
イザラのいささか不機嫌な表情にミヤコは深々と頭を下げた。
食事を済ませると三人はシャトルステーションへミヤコの希望で歩いて向かう。
ノアール帝国の惑星間の移動手段は100年ほど前から運行されている高速シャトル。光速の4分の1のスピードで飛行出来るものでシフォン星とガトー星間を運行している。移動時間は3時間強。母星を左に眺めながら右手には無限に拡がる宇宙を楽しめる。機内は個室が4個。ラウンジにはドリンクバーがありちょっとした快適な時間が過ごせるようになっている。ゼンにはこの高速シャトルは運行されておらず、ガトー星へは旧式のシャトルで連絡艇と呼ばれるものになる。連絡艇は長いシートが対称に壁際にあるだけのとても簡素なもの。一列に30人が座れる。ゼンのステーションを発進してガトーまでは30分。10分おきに24時間運行されている本当に足のような乗り物だ。それでも利用するには手続きが必要。勿論、ICチップの認証作業が行われる。イザラが連絡艇の搭乗口で手続きをした時である。
「許可出来ません」
コンピュータが受付を拒否した。
「なに馬鹿なこと」
三回繰り返したが許可が下りない。
「何なんだよ!」
イザラはリュウを振り返る。
「リュウ。おまえ手続きしてみろ」
「なに?」
「おれがやっても受け付けない」
「…なんだそれ…」
「…な、なにするの!」
リュウとイザラの後ろでミヤコの叫び声があがる。
屈強なガードマンふたりにミヤコは両脇から腕をしっかりと抱え込まれ宙刷り状態で連れて行かれる。そしてリュウとイザラの目の前にはモリアがやあと片手を上げていた。同時にレーザーガンがふたりの背中に押し当てられる。
「…何の真似だ」
リュウがモリアを睨む。
「ゆっくり話をしようと思ってね。彼女と」
イザラが特大の溜息をつく。
「おまえさあ…それは拉致という犯罪だぞ」
次の瞬間。リュウは自分たちの後ろでガンを構えているふたりの手にあるレーザーガンを蹴り飛ばし男を叩きのめす。
「ミヤコ目つぶれ!」
リュウは叫ぶと携帯用のレーザーガンをミヤコの右側にいるガードマンの足を狙って発射する。倒れるガードマンの脇腹に蹴りを入れ、おののくもうひとりにアッパーカットをお見舞いしてミヤコを抱き留める。
「…リュウ!」
リュウはミヤコの頭を優しく撫でた。
「ごめん。ちゃんと僕が手を捕まえていれば良かった」
一体何秒の出来事だったのだろうか。
モリアは呆然と立ちつくすだけ。ほおけた顔をしているモリアの目の前で手を動かしイザラが失笑する。
「ほれ。起きてるか? おまえ金勘定はできても世の中知らないのな。リュウは軍人だぞ。こんな事態を想定してミヤコの護衛をしている。単なる女たらしじゃないの」
「イザラ。一言多い」
「あら、聞こえてたか」
リュウはモリアの胸ぐらを鷲掴みにした。
「今日のところは音便にすませてやる。さっさと搭乗許可をしろ」
「…それはできないね」
「なんだと!」
「パパがこの女を連れてこいと言ったから出向いたまでだ。文句ならパパに言え」
リュウは手を離すと仏頂面でイザラを見やる。
「どうする?」
「…お会いしたくないね。モナシ・ムーになど」
「同感。ということでモリア。僕らは失礼する」
リュウはミヤコの肩をしっかりと抱き歩き出す。イザラはモリアに片手を上げて優雅に微笑んだ。
「…リュウ…どうするの?」
不安そうに見上げるミヤコにくすりと笑うリュウ。
「ちょっとミヤコにはきついかもしれないけど、楽しい体験出来るよ」
リニアカーに乗り向かった先は軍の基地。
リュウは衛兵に敬礼をする。認証作業を済ませると三人は軍の建物へ入った。
「カンナ将軍にお会いしたい」
「なんだと」
「リュウ・リーが来ているとお伝え頂ければおわかりになる」
怪訝な表情の下っ端兵士は伝言を伝えるよう指示し睨みをきかせて三人を見張っていた。暫くするとカンナ将軍が駆け込んでくる。
「何かございましたか」
リュウは丁寧に頭を下げるとカンナ将軍は最敬礼をする。
「戦闘機…はさすがに無理なので小型の偵察艇をお借り出来ますか」
「…はあ…」
リュウはモナシ・ムーの嫌がらせでゼンから出られないことを告げた。
「…そうでしたか。しかし…」
カンナ将軍はミヤコを見つめる。
「…お嬢様は大丈夫でしょうか…」
「体力は大丈夫だと思うんです。並の女の子じゃありませんから。ガトーの第3基地へ向かいますので連絡をお願いいたします」
カンナ将軍の渋い表情を見てミヤコはとても不安になる。イザラがけたけた笑っているのはなぜなのだろうか。
「では、手配をいたしますのでボディーチェックを…本当によろしいので?」
相変わらずミヤコを心配そうに見つめる将軍。ミヤコはますます不安になった。
通されたところは体力測定をする機材が並んでいるところだった。胸に小さなモニターを付け、心拍数、脈拍数、呼吸数、肺活量など身体的数値の計測をする。次は、瞬発力や持久力、握力、柔軟性、機敏性、動体視力など運動能力の測定をする。最後に回転椅子に座り平衡感覚と耐負荷重力の測定をする。
計測に立ち会ったカンナ将軍は目を丸くしていた。計測をしている検査官も数値を何度も確かめていた。
「ただ者じゃないなミヤコは」
イザラが苦笑する。
「当然。1年間僕がサッカーで鍛えてきたんだよ。どんなメニューもこなした。これくらいの数値出ても驚かない…でも、あの回転椅子を一発で通過出来るとは思わなかったけど」
「…リュウ…なんだか足が浮いてるみたい…」
椅子から降りてきたミヤコは苦笑していた。
イザラが肩をすくめる。
「ミヤコ。リュウの命令に従ってなんでもやっちゃうのは良いけど、そのうち女の子だって事を忘れちゃうかもしれないぞ。それは俺としてはとても残念なことだからなぁ」
リュウがイザラの肩をポンポンと叩く。
「君の母上だって同じだろうが」
「…えっ…また、そこへ行くか…確かにな」
妹たちを抱き穏やかに微笑む母の姿からは、戦闘機にも乗っていた軍人であったことは想像できない。今はとても優しい人だ。自分の母親ながらその美しさは惚れ惚れする。帝国一の美貌と謳われる現王妃ララの双子の妹なのだから当然なのだが、剛毅故にノアールの三大美人には入っていないというのが本当に不思議だ。
「さて、どうやらミヤコは戦闘隊員の飛行テストにパス出来たみたいだから、着替えて出発としますかな」
リュウがこの上なく優しい微笑みでミヤコを見つめた。