お願い
「…………え?」
どうにかこうにか絞り出せたのはその一言だけである。
フェスタの突拍子もないお願いーー提案に対し、茉莉ができたのは思いっきり『こいつ何言ってんだ?』という表情と視線を向けながら一言を呟く事だけ、それが精一杯であった。
え?勇者?
え?変わる?入れ替わって?
そもそもここじゃない場所って?外国?地球じゃない?
そんな断片的な思考は脳内を駆け回るが、何一つとして纏まらず言葉にならない。
茉莉の肯定とも否定とも付かない返答を受け、フェスタが慌てた様子を見せる。
「あっ、そのですね! 勇者と言ってもですね、魔王はすでに討伐してあります、ハイ!」
言い訳なのか、説得なのか、自慢なのか、はたまた交渉に於けるメリットの提示なのか。
フェスタがそう付け加える。心なしか微妙に『ドヤァ』という擬音が聞こえてきそうな顔をしているようにも見える。
いわゆるドヤ顔である。
そんなフェスタのドヤ顔に多少ながらイラっとした感情を覚えつつも茉莉は何も言えない、言える事もない。
いきなりやって来て、いきなり勇者になれと言う。普通に意味が分からない。
意味が分からないところに加えて勇者なのに魔王は既に討伐されていると言う。
ますますもって意味不明である。
今の茉莉は、もしも鏡が目の前にあればハニワよりも無表情をしている、そんな自信があった。
茉莉の表情を受けて、今度はフェスタの顔に焦りの表情が浮かぶ。
どうも交渉が難航している、困った顔に額には冷や汗が浮かんでいる。
「で、ですので! 国の皆さんに勇者としてチヤホヤしてもらえますよっ? お城のご馳走とかスゴいですよ?」
手をブンブンと振りながら、フェスタは自身の考える『勇者になるメリット』を提示してくる。
が、しかし茉莉にはそれがピンと来ない。
最初の提案からして既に意味が分からないのに、そこにきてさらにメリットを積み上げられても何かを返答できるようなものでも無いのだから。
それ故に茉莉は無言で無表情のままなのだが、フェスタにはそれがどういった理由での無言であるかが通じていない。
「あの、私のお小遣いとかも全部お渡ししますから!」
「は、半年……いえ、三ヶ月! い、いいえ一ヶ月、一ヶ月でも良いですから!」
「変わってくれるならピクシーランドの入場券も付けます!」
「あ、あー、あの! デモンズのライブチケットもお付けしますので……プラチナチケットなんですよ?」
「うぅー、分かりました! 天空神殿のロイヤルスイートの宿泊券も! これ以上は無理です……」
茉莉が返答できずにいる間に、次々とフェスタから交渉材料が積み重ねられていく。
まるで新聞の契約を迫る拡張員のようだ、と思いながら茉莉の顔にはもはや苦笑いしか浮かばない。
言葉を出し尽くしたフェスタは涙目になりながら祈るような目付きで茉莉を見つめる。
「ーーふうっ」という茉莉の小さなため息にさえフェスタがビクッと反応する。
フェスタは既に涙目を通り越して泣きそうな顔になっている。
いつの間にやら茉莉はベッドの上で胡座のような体勢で腕を組み、何を言ったものやらという表情でフェスタを見ている。
フェスタも膝立ちから女の子座りの姿勢で俯き、指でフローリングの床に『のの字』を書いている。
そんな空気のまま、部屋の中を静寂が支配する。
茉莉とフェスタ、互いが無言のまま数秒が経過した時、茉莉が再び小さなため息を吐いた。
恐る恐るフェスタが視線を上げるとベッドの上の茉莉と視線が合う。
「とりあえず……」
と、切り出したのは茉莉である。
続くであろう言葉に良い予測が浮かばず、フェスタは悲痛な表情のままゴクリと喉を鳴らす。
「……最初っから事情を説明してもらえないかな?」
半ば諦めの混ざったような顔で、茉莉はフェスタに問いかけるのだった。