フェスタ 六
深夜、ほとんどの者が寝静まっったような空気が漂う王城の内、フェスティアの部屋のドアがノックされた。
最初は二回、それから……ためらうようにコン、コン……コンと三回。
それが、フェスティアの旅立ちの合図であった。
フェスティアが返事をしないまま静かにドアを開けると、侍女のメリーがそこに立っていた。
フェスティアが五歳の頃から側仕えとしてずっと一緒にいた、見慣れた顔である。
メリーがフェスティアの侍女として仕え始めたのはメリーが八歳の時、フェスティアの側仕えと共に歳の近い話し相手も必要であろうという国王の配慮を基準として選ばれたのがワイズラット国都近郊の領主貴族の三女であったメリーだった。
八歳という年齢で家族の元を離れるのは寂しく怖いという気持ちもあったが、それでも王族の侍女として仕えることができるという名誉と家族の祝福という後押しもありメリーはフェスティアに仕える為に幼くも登城したのだった。
幸い、メリーとフェスティアの相性は良好で、細かいところに良く気が付くメリーは優秀な侍女として、また歳の近い歳上のお姉さんとしてフェスティアの良き友人、相談相手として長い時を過ごしてきた。
そんなメリーの顔は、無表情だった。
フェスティアは知っている、この歳上の姉のような少女は『仕事』の時はこういった表情から感情を隠すような無表情をわざと見せることを。
メリーなりのけじめ、仕事のオンオフなのだろう。
普段からずっと無表情なわけでは無い、侍女としての仕事ではない時、フェスティアの話し相手をしたりお忍びで一緒に町へ出掛けるときなどには彼女はよく笑うし、フェスティアがからかったりした時などは拗ねた顔を見せたりもする。
だが、侍女として仕事をする時、朝夕の着替えの手伝いや入浴の介添え、食事の配膳などをする際には必ずメリーはこういった無表情を作るのだ。
そんなメリーが、ドアの前に無表情で立っている。
心なしかその無表情がいつも以上に感情を押し殺しているように見えるのはフェスティアの気のせいだろうか?
「姫様、準備が整ってございます」
小声で、フェスティアにメリーが告げる。
メリーは仕事の時にはフェスティアのことを『姫様』と呼ぶ。
そして、彼女の中で仕事ではないと認識している時にはフェスティアを『フェス様』か『フェスティア様』と名前で呼んでくるのだ。
つまり、現在のフェスティアを城から抜け出す手助けをするこの行動は、彼女にとっての『仕事』なのだろうと推察される。
フェスティアは、そんなメリーの様子に僅かな寂しさを感じつつも、メリーに向かって一つ頷き、先を歩き出したメリーの後ろに付いて歩き出した。
夜の暗い城内、静寂の中を他の者に見付からないように城門までの道を少し遠回りに進む二人。
隠密での行動が必須であるため、当然のように互いに言葉は無い。
黙って歩くフェスティアの脳裏には、昔こうやってメリーと一緒に『肝試し』と称して夜の城内を歩いたな、という懐かしい記憶が浮かぶ。
こうして、家出のような形で城を飛び出してしまうことに対して一抹の寂しさに似たような感情がフェスティアの中にまるで無いわけではない。
だが、フェスティアの中にある使命感や正義感といった感情がその寂しさをどうにかして振り切らせる。
今生の別れではないのだ、生きて残れればいつかはここに戻って来れるのだから。
そんな思いで、旅立ちへの道を一歩、また一歩と進める。
そうして無言のまま城内を歩き続けること十数分、あと一つ曲がり角を曲がれば城門にたどり着くーーというところでメリーは歩みを止めた。
フェスティアが、何事かあったのかとメリーに声を掛けようかとしたところで、メリーがフェスティアの向かって振り返った。
無表情であったはずのメリーの瞳にはーー大粒の涙が浮かんでいた。
驚くフェスティアが動けないままに、メリーは二歩フェスティアの元に歩み寄り、フェスティアを力一杯に抱き締めてきた。
「フェス様………フェスティア様………どうか、どうかご無事で……!」
その声は悲しみに震え、最後には嗚咽に近い音が混じっていた。
仕事としてフェスティアの脱出を手伝っていたつもりだったが、最後の最後に感情の砦が決壊してしまったーーそういった姿であった。
フェスティアはそんなメリーの背中をポンポンと叩きつつ「大丈夫、大丈夫だよ」と優しく応える。
二分ほど抱き合った体勢のまま、メリーの方から身体を離す。
離してから一歩後ろに下がり、メリーは深々と頭を下げた。
「ご武運を……お帰りをお待ちしております」
そう言ってから頭を上げ、曲がり角の方へ目配せをする。
その仕草をフェスティアはメリーの『私はここで』という意思と受け取った。
「ありがとう、メリー」
一言を残しフェスティアは歩き出す。