フェスタの冒険 神と悪魔
「か、神……!?」
ジバには珍しい、裏返った素っ頓狂な声が出る。
質問の答えに対し、ジバの裡にも幾つかの予想はあった。
しかし、アレプトから返って来たのは、全く予想から離れたものであったのだ。
(悪魔がーー神?)
ジバはアレプトに『悪魔族とは何なのか』と問うた。
アレプトはそれに対し『神とその眷属』と答えたのだ。
神と悪魔、それが如何に相反するものなのかは、この世界に於いても子供ですら知っている。
様々な信仰の対象があり、八百万の神々が存在するというこの世界ですら、悪魔というのは神と敵対するものなのだ。
それなのに、アレプトの答えーー悪魔の中の悪魔と呼ばれるべき悪魔公の答えが、まさか悪魔の正体は神であるという。
驚くなという方が無理な話だろう。
その答えを返したアレプトは、何事も無かったように紅茶を口に運んでいる。
表情はジバの反応を楽しんでいるように見えなくもないが、アレプトの赤い瞳からはその真意は窺い知れない。
ジバが何の言葉も出せない内に、アレプトが口に含んだ紅茶を飲み下し、さらに一呼吸を置いてから言葉を継ぎ足す。
「そう、神なのですよ。
正確には、元神であり、現在もまた神なのです。
それが、貴方がた人間が呼ぶ悪魔の正体ーーといったところですかねえ、ええ」
アレプトは相変わらず平坦な様子で語る。
そこには、歓喜も嫌悪も、悔恨も慕情も執着も諦念も、存在していない。
事実を事実のままに語った、そんな淡々としたもにだけが言葉の響きに宿っていた。
少しだけ時間が流れてーージバも少しだけ落ち着きを取り戻す。
その落ち着きは、停滞してしまっていたジバの思考回路も僅かに動かし始める。
言葉を選ぶように、口をようやく、といった感じで開く。
「それでは、アレプトーー貴方は……神なのですか?」
目の前の、悪魔と思っていた者に、神かと問う。
神を目の当たりにするのも、その神と差し向かいで語るのも、その神に問いを投げ掛けるのも。
ジバにとっては想定外にも過ぎる出来事である。
質問する声が震えていたのは、余りにも仕方のないことであろう。
「そうですねえ、そのように呼ばれていたことも、ありましたとも、ええ」
そう答えるアレプトの貌には、明らかな慈愛が溢れていたのであった。
その後、アレプトはジバに神は何か、それが何故に悪魔と呼ばれるに至るかを簡単に言って聞かせた。
「人が何かを信仰するとそこには魂が宿る。
その魂にさらなる信仰が捧げられると、いずれそれが神と呼ばれるようになる。
信仰が永い時を経て失われても、神は神のままである。
神が悪魔となる時、それは神が何れかの神と相反する存在となった時。
人はそれを悪魔と呼び、禁忌の存在とするのである」
これが、アレプトがジバに聞かせた神と悪魔の関係を簡単に言い換えたものである。
それ故か、アレプトはジバに「貴方がたが私を悪魔と呼ぶのも、それは自由ですねえ」と愉しそうに笑いながら付け足した。
アレプトは、この『試練の迷宮』の成り立ちもジバに教えてくれた。
この土地、神聖国エフィネスに国も、村すら無かった時代の話。
アレプトは何かの要請に応えるように意思を持った。
意思を持った瞬間には既に自身が神だという感覚があったという。
アレプトは神として、土地を、そこに住む人々を守り始めた。
いつしか、その土地には国ができ、アレプトは大きな神殿に祀られていた。
しかし、ある日その国を大きな災害が襲った。
神であるアレプトよりも、さらに大きな力を持った神が、世界を滅ぼすが如く、大津波を起こした。
山脈をも覆う大津波はアレプトの居た国も一瞬にして呑み尽くす。
しかし、アレプトも手をこまねいていた訳ではない。
土地が津波に呑み込まれる直前に、アレプトは人々が逃げ込めるような大きな穴を作った。
全ての人は救えなかったが、それでも多くの民はその穴に逃げ込んだ。
しかし、その後に待っていたのは苛酷な暮らしであった。
いつまで経っても地上の水は引かず、人々は地中での暮らしを余儀なくされた。
それでも人々は、苛酷な暮らしの中でも希望を捨てずに活動の場を広げようとした。
地中の掘りやすい場所を掘り進み、複雑な形ながらも街を形成していった。
地中の街で、人々は世代を繋いでいったのだ。
しかし、それから永い永い時が過ぎても、地上から水は引かなかった。
地中の街は未だに海の底よりもさらに深い水の下に閉じ込められたままだった。
最初に津波の被害に遭った世代は既に死に絶え、それからさらに世代を経ても水は消えなかった。
それでも人々の試練は終わらなかったのである。
永い永い時の中で、アレプトはいつしか民からの信仰を失っていた。
誰もアレプトを神と崇めず、それでもアレプトは人々を見守った。
見守ったが、貸せる力にも限界があった。
アレプトが神として起こせる奇跡には限界があった。
地上を覆う水を引かせることは出来ないし、無限の食糧を人々に与えることもできなかった。
いつしか、乏しい地下の資源は底を尽き、人々は大部分が死んでしまっていた。
それでもアレプトは人々を見守った。
しかし、アレプトは人々を救う手段を持ってはいなかった。
この時、アレプトは自分は神だが神ではない、と自身を嘲った。
地下の民は、遂に一人の少年を残し死に絶えた。
少年の母親は、最後に残った僅かな食糧を少年に全て渡し、力尽きた。
見守るしか出来なかったアレプトは、自身の無力さに血の涙を流した。
この時、アレプトの眼は真っ赤になった。
血の気は全て涙として流れ、肌は常に蒼白くなった。
一人だけになった少年は言い伝えに逆らって地上を目指した。
言い伝えは至って単純なもにである。
「地下都市に滅びを齎す地上への扉を開けてはならぬ」
地上は水で満ちている、穴を開ければその水で地下都市は埋め尽くされて人々は溺れ死ぬ。
当たり前と言えば当たり前過ぎる話だ。
しかし、少年は地上目指した。
自分の他にも、誰か人が地上にはいるかもしれないーーそんな希望を抱いて。
アレプトは少年を手助けしてやることにした。
地上にはまだ水が満ちていることをアレプトは知っていた。
それでも、少年の願いを、ささやかな希望を、アレプトは叶えてやりたかった。
少年は頑張った。
いつしか地下都市の最上層へたどり着き、そこからさらに上へと掘り進む。
それをアレプトは見えぬところで手伝った。
少年が掘れぬ大きな岩を砕き、硬い土を墾く。
この時に、アレプトの手には鋭い爪が生えた。
もはや、アレプトの姿は神とはほど遠いものとなっていたが、アレプトにはどうでも良いことだった。
アレプトはただ、少年を手助けしてやりたかった、ただそれだけだったのだ。
地上へと掘り進む間に、少年の持つ僅かな食糧は底を尽いた。
土を掘っていた粗末な道具も使い物にならなくなっても、少年は素手で土を掘り続ける。
いつしか、少年は水が満ちた地上まであとひと掘りという場所へたどり着いた。
だが、少年の命は既に燃え尽きる直前だった。
それでも、最期の力を振り絞って、少年は地上に届く最後の土を掘り除けた。
アレプトはその姿を、ただただーー見守った。
果たして、当然のように水は少年の掘り進めた穴になだれ込む。
その様子を見ながら、少年の命の炎も燃え尽きる。
しかし、少年は最期の最期にこう呟いたーー「この、悪魔め……」と。
アレプトが悪魔となった瞬間であった。
それからさらに永い時が経ち、地上から水が引いた。
さらに永い時の後、地下都市からも水が無くなり、誰も住まぬ迷宮となった。
アレプトはそのまま迷宮の最下層に留まり続けた。
いつの頃からか、地上では何処からかやって来た人々が国を作り始めた。
国は瞬く間に大きくなり、そこに暮らす人々がこの迷宮を発見した。
そして、誰ともなくこの場所をこう呼び始めたのだーー『試練の迷宮』と。
「ふう、何やら今日は疲れてしまいましたねえ、ええ。
お話はここまでと致しましょうか、よろしいですか?」
いつの間にか、アレプトもジバも、カップの中の紅茶が空になっていた。
アレプトの言葉にジバが頷き、この夜の長いお話は終了したのだった。