プロローグ
ある晩、高梨茉莉は流れ星に祈った。
『どうか、このどうしようも無い日常が変わりますように』と。
そんな彼女の願いが聞き入れられたのかどうか、それは定かではないがーーその夜、ベッドで眠る彼女を起こす何者かが居た。
部屋の中は真っ暗で光源と呼べるものは机の上に置かれたデジタルクロックが示す『AM02:49』という時刻の表示だけだ。
そんな視界の無いなかでも、茉莉の傍らに立つ『何者か』の視線は真っ直ぐに茉莉の顔を捉えている。
その『何者か』は茉莉を数秒ほど眺めた後、満足げに頷き口元に笑みをうかべるとベッドの傍らに膝をつきその態勢のまま茉莉の頬へ手を伸ばし指をそっと沿わせる。
「ねえ、起きて」
その声はあくまで穏やかで、優しい。
これが夜中の、少女と呼んで差し支えない年齢である茉莉の部屋の中で行われているという事実さえ置いてしまえば親しい誰かが、例えば母親なり兄弟が彼女を起こしに来ただけにしか見えない、そんな光景だ。
「ねえ、起きてってば」
まだ起きない茉莉に、声の主は少しだけ指に力を込めながら再び声をかける。
「ーーん、んうぅ……」
安眠を妨げられ、少し苦しそうな、眠りを妨げる者を非難するような声を出しながら茉莉は顔を少し左側へと捩る。
と同時に、茉莉の頬に添えられていた『何者か』の手も茉莉の顔に巻き込まれるようにして下敷きとなり、それが睡眠中であった茉莉にはっきりとした刺激を与え、茉莉を起床へと導いた。
「ん?」
寝起きの、まだモヤのかかったような思考の中、それでも茉莉は疑問を感じた。
誰かに起こされたようだ、という事は分かる。
しかし、誰に起こされたのか、が分からない。
それに加えて周囲はまだ真っ暗で起こしに来たのが母親であったとしても起こされる理由が分からない。
そもそも、母は今夜は夜勤に入っていてこの家の中には自分しかいなかったはずーーと、いう所にまで思考が及んだ時点で茉莉は慌てて上半身を起こした。
飛び起きる、という表現が相応しい勢いで両手はベッドに着いたまま、両足はいわゆる女の子座りの形、上半身は斜め向き、そんな姿勢になった時ーー茉莉は自分を起こした人物をようやく視認した。
「おはよ。起こしちゃって……ごめんね?」
そう言いながら両手を合わせて口の辺りまで上げながら小首を傾げてウィンクをしてみせる『何者か』。
その人物を見て、茉莉はあたかも陸上に打ち揚げられて酸欠に喘ぐ魚のように声も出せず口をパクパクとさせるのが精一杯といった様になってしまった。
茉莉の目の前にはーーもう一人の茉莉が膝立ちで立っていた。