表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
徒花の夢  作者: 九頭原
8/16

 高く高く、聳える壁。石灰と同じくくすんだ白のそれは、文化や人種を育てる悪弊だ。ベルリンの壁と同じものだ。高さは四百メートルにも及ぶ。存命する人外の中に羽の生えた者はいないらしいので、この高さで足りるのだろう。もっとも壁の内部にも対人外局ことリュケイオンの職員や、警備用オートマタが常駐すると聞いたから大丈夫だとは思うが。


「木賊さん、あの」

「うん?」

「これ、何に使うんですか?」


 僕はリュケイオンを出る前に浅葱さんから受け取った、白い狐のハーフマスクをしげしげと眺めた。口から上を覆うだけのこれは、一体被って何になるのだろう?


「壁外の住人を狩る俺たちは、自治領である壁外から懸賞金がかけられているんだ。指名手配ってやつかな。日本では特に、俺や零や隊長にね。だからこうして変装するんだよ」


 入らなければよかったかもしれない。死と隣り合わせなのは覚悟していたが、懸賞金なんて考えもしなかった。人外と戦いそれをたおすということは、他人から忌避されること。浅慮だった。盲目だった。父の仇に囚われすぎていた。


「朔真、お前の固有魔術って何か判るか? 大体でいい。お前次第で作戦の幅が変わる」


 前を歩いていた浅葱さんがこちらを振り向いて問う。

 固有魔術というのは魔術師一人一人が持つ魔術のことで、多くは自分が最も得意とする、または自分で生み出した魔術のことを指す。全ての魔術師は固有魔術(大枠)が決まっていて、その枠の中で知恵を絞り工夫を凝らして用途を多岐に広げる。想像力と応用力が重要な世界なのだ。

 ちなみに僕の固有魔術は何ができるのかわからない。僕が試したことは全部できた。触れているものなら何でも操ることができる、というのが僕のささやかな実験の結果だった。

 そして、この質問は三度目だ。もうバラしていいだろう。


「ええと、多分、「触れているものを操る」んだと思います」


 漠然とした固有魔術だ。触れているものという制限付きだが、あらゆるものを操作できれば、それはもう神に近いのではないか。


「汎用か。ふうん」


 浅葱さんはそれだけ呟くと門の近くにいた職員に声をかけ、門を開けるよう言った。人当たりのよさそうな笑みを浮かべている。笑えるんだと失礼なことを考えていると、横から木賊さんが、愛想笑いだよ、なんてにやにやしながら僕を小突いた。


「何笑ってんだ、お前ら」

「なぁんにも。ほら、早く行こう」彼は浅葱さんの背を押す。

「お、おう」


 疑問符をたくさん頭に浮かべながら押される彼の後を付いて、僕は門が開くのを待った。

 彼らがそれぞれ狐の面を着ける。僕も慌てて真似をした。二人のように頭の後ろで、赤い紐をきつく、蝶々結びで結ぶ。視界が黒く縁取られて狭くなる。

 浅葱さんが髪留めと、先端を結んでいた髪紐を解く。絹のような青みの黒髪と、桎梏の羽織が風になびいた。かと思えば、みるみる髪が短くなっていくではないか。腰の上まであったものが、背中、肩甲骨、肩──と、僕と同じほどのうなじまでの長さになってしまった。やはり、彼はどこか異質だ。面を縛る蝶々結びに目を遣れば、それは輪の大きさがばらばらで、お世辞にも綺麗とは言えなかった。子供のよくやる結び方のような。

 一方で木賊さんは、せっかくセットされた前髪を手でくしゃくしゃにしてしまっていたが、蝶々結びは綺麗だった。手先が器用なんだろう。白い狐面の奥から翡翠が覗く。濡れ羽色をした艶やかな黒髪は、彼の手でぼさぼさにされても、夕日を受け止めて輝いていた。

 轟音と少しの振動と共に門が上がる。何かの欠片がパラパラと地面に落ちる。門の向こうには、見たこともない景色が広がっていた。通りを歩く大勢の人、人、人。駄菓子屋、雑貨屋、よろず屋なんて店もある。それらはみな高い建物で、平均的に四五階はあろうかというほどだ。側面に看板が付いている。まだ夕暮れだのに街頭が点き、目に刺さるほどの鮮烈なネオンが瞬いている。そうかきっと、いや間違いなく、あの壁のせいで日光が射し込まないのだ。

 人の服装ですら壁内と壁外では違う。まだ和装の人が多く、袴を穿いた書生さんや特徴的な髪型のハイカラさんのほか、外国人もちらほらと見受けられる。なんせここは旧横浜なのだ。


「おい、朔」


 肘で僕の左腕を攻撃してくるのは浅葱さんだ。


「僕ですか?」

「お前以外誰がいンだよ。本名だと特定されかねんからな。狐面それあだ名(これ)も、ただの気休めにすぎんが」

「はいはいお二人さん、早いとこ通報のあった廃墟行かないと。減給だよ」

「お前にそんな権限はないだろ」


 吐き捨てるように言う浅葱さんが浅葱さんに見えなくて困る。外見が、というか髪の長さが違うだけなのに、かなり別人に見える。二人は僕の前を歩いて路地へ逸れ、僕を招き入れた。

 青いプラスチック製のゴミ箱から漏れ出る生ゴミの臭いが僕を苦しめる。何かの店の店員用出入り口と、その近くに置かれた新聞紙の束と、猫避けと思しき水の入ったペットボトル。確かこの猫避けは迷信だったな、とぼんやり思い出した。ただ足を進める。


「なあユーリク、本当にこっちだったか? いいのかこれで?」

「そのはずだよラートカ。君は相変わらず不安がりだね」


 はあ、と呆れた様子で溜め息を吐く。彼らは外国の名前で呼び合うことにしているようだった。確かにそれならば、本名と何の関係もないし、リスクは少ない。僕も何か使えそうなものはあっただろうか。

 そうだ。


「あの、僕いま伯父さんの養子なんで、旧姓が樗木ちしゃきって言うんです。使えたりしませんか?」

「樗木?」


 その場の空気が一瞬で凍り付いた。なんだ?

 木賊さんは今にも泣き出しそうなほど悲しい顔を、浅葱さんは眉尻を下げ口を引き結び、罪悪感か何かに押し潰されそうな顔をしている。僕の旧姓ごときで、何故こんなにも彼らの感情がマイナスの方へ、動くのだろうか。


「そうか、樗木さん。息子いたのか……娘だけかと、思ってたんだが、なあ」


 浅葱さんが丁度いいかと呟く。何が、何の話なんだろう。


「お前の父親、なんで死んだ?」


 彼は何故、僕の父親が、死んだと知っているのだろう。父さんが死ぬ前からリュケイオンにいたのだろうか? けれど、それらしき話は伯父さんから一度も聞いていないはずだ。それに「娘だけかと」と言った。僕にきょうだいがいるという話も聞いたことはない。


「殉職でした。……でも、伯父によれば殺された、って」


 一層二人の表情は沈んだものになった。

 父は殉職だったはずなのだ。正義感も責任感も強い父のことだ、仲間を庇って死んでしまったのだろう。それなら僕も父さんを誇れる。仇は討つけど。


「その通り、殺されたんだ。俺に」


 静寂。

 声も出ず、動けもしなかった。

 彼がころした。ああ、ああ、そんな。彼が。彼がうばったのか、僕の父さんを。

 ──()()

 次の瞬間、僕は浅葱さんの右腕を掴んでいた。彼が独りでに、あくまで独りでに、弾かれたように勢いよく倒れ、ゴミ箱を薙ぎ倒す。中身が散らばった。呻く。

 何も考えず馬乗りになった。頭の中が真っ白になっていた。あたまの中で、誰かがぼくを嗤っている。

 浅葱さんが殺した。なんで? どうして殺す必要があった? 理由は? 状況は? 違う、仇は目の前にいるのだ、殺せ、殺せ、殺せ! 僕が渇望していたことだ、復讐! しかし殺してもいいのだろうか? 僕は間違っても人を殺したりしたくない。矛盾している! それでは父さんに顔向けができないではないか! いや、でも、だって木賊さんが見ている。僕がその場で捕まって、死刑になりかねない。嫌だ。それだけは嫌だ! 僕は父さんを死に追いやった輩を真っ当に捕らえ、真っ当な裁判で罪を償わせるために、ここに入りたがっていたのだから!


「殺せよ、樗木朔真。君にはその資格がある。首を絞めてもいい。俺が持ってる短剣で刺し殺してもいい。殴って、殴って、撲って殺してもいい。お前の好きな方法で、ぼくを殺してくれ!」


 息が荒くなる。酸素が足りない。視線がかち合う。彼は、笑っていた。外れかけた面の奥で人を食ったような笑みを浮かべ、下から僕を見下している。

 僕は、そっと彼の首に手をかけた。力を込める。彼は笑ったまま小さく、痛そうに、「う゛」と唸った。父さんとの思い出ばかりが蘇る。僕を産んで死んでしまった母と違い、父さんとはわずかにでも思い出がある。それが僕の枷となり、くびきとなり、今も首を絞めている。彼の首を絞めながら僕も、首を絞められているのだ。


(本当にこれで、合っているのだろうか)


 ふとそんな疑問が頭をよぎった。もっと激昂するかと思っていたが、案外冷静だ。自分でも驚くほどに。

 もう一人の僕が僕を見つめていた。語りかけた。


(命は一つ。冤罪で人を殺したら? その人はもう生きられないんだよ)


 その通りだ。言い聞かせるように心中で反芻する。相手を間違えた感情で、殺したくない。殺されたからといって殺し返す理由にはならない。負の連鎖になるだけだ。僕が彼を殺せば、誰かが仇の僕を殺し、僕を大事に思ってくれている人がまた、罪を犯す。故に、誰かの仇を討つときは、より慎重に考えねばならない。

 そうだ。

 なら僕はもっと知るべきだ。彼がどうして父さんを殺すに至ったか。そして、殺した時にどう感じたか。彼の命を絶つのはそれからでも、決して遅くない。力を緩めた。


「なんでやめる」けほ、と軽く咳き込みながら僕を見上げた。

「……僕は」


 地面に膝をついて浅葱さんにまたがったまま、彼の胸倉を掴んで引き寄せる。


「あんたのことを何も知らない。なんで父さんを殺したのかさえ」

「ああ、うん」


 困惑した風に相槌を打つ浅葱さんは、僕から目を逸らした。


「ちゃんと僕を見てください。父さんを殺した理由を知るまでは殺さないし、納得できたその時は見逃してあげます」

「そ、んな、殺し屋みたいなこと」

「だから、浅葱さん。ちゃんと向き合ってくださいね。僕と、僕の殺意に」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ