決意
バイクを降りてヘルメットを彼に返し、帝都で有名な建物の正面に立った。ドーナツ型のそれは鈍色に輝き、地上9階、地下2階の高さを誇るようにそびえている。
「流石に、大きいですね」
「まあな。中はそんなでもないぞ、上は見栄っ張りだから」
上司のことをそんな風に言っていてよくクビにならないな、と思う。
建物に出入り口は一つだけ。不法侵入を防ぐためだという。その一つしかない出入り口の両脇には警備用自律人形──オートマタが優しげに佇んでいて、職員はもちろん、人外の情報を伝えに来た一般人も通す。外部だけでなくセキュリティは万全だ。
なぜ僕がそんなことを知っているかは簡単で、伯父の職場がここだからである。彼は自分の仕事に誇りを持っており、帰って来た時はよく話をしてくれる。
「おい、突っ立ってんなよ。行くぞ」
「え、行くって、この中ですか」
「それ以外どこがあるンだよ。お前の話を聞いて、どこに入れるか決める」
それから、と浅葱さんは続けた。
「お前自身の話と、ちょっとした筆記試験もな」
就職するのにも筆記試験や面接があるから、それと同類なのだろう。
僕は浅葱さんに付いて出入り口をくぐった。オートマタの隣をすり抜ける時、浅葱さんが何か言っていたが、僕の耳には入らなかった。
暑くもなく寒くもなく、心地いい空気が僕たちを包む。10月も下旬に差し掛かり、このところ肌寒い日が続いていた。空調機は稼働しているらしい。
「お帰りなさい、副長」
「ああ」
受付のお姉さんが彼にそう声をかける。浅葱さんは彼女に応接室を使う旨を伝え、僕を振り返った。そして歩いていく。僕は付いていきながら、この後の試験を考えた。筆記試験と面接。やはりリュケイオンのような特殊な職業にも就職という概念はあるのだろう。
ソファが置かれたロビーを抜け、長くくねった廊下を少し進めば、白い扉に辿り着いた。応接室、と書かれたプレートが上方に見える。ここで僕は試験を受けるのだろう。浅葱さんが横開きの扉を開く。白い衝立で遮られたスペースがあった。壁も床も白くて病室みたいで、僕の目線の先に佇む黒いひとが、とても異質なものに思えた。
衝立を追い越し、彼はそれまで衝立で隠されていた革張りのソファに腰掛けた。机を挟んだ向かいに座るよう促され、大人しくそれに従う。
「遅れてごめん、もう始まってる?」
そんな呑気な声と共に部屋に入って来た木賊さんを、浅葱さんは「遅い」とひと睨みした。
「本当に馬鹿だね君。君がバスで来いって言うから、バス待ってたんだけど」
「魔術使えばいいだろ。馬鹿トク」
「トクって呼ばないでくれる? あと壁内での魔術の私用は禁止されてるから、俺がチクれば君クビだからね」
「俺がクビなんてなるわけないでしょ。なんたって僕は有能だしな」
「その自信どこから来るわけ?」
顔を合わせればぎゃあぎゃあと騒ぐこの人たち、本当は中学生とかじゃないんだろうか。
僕の冷ややかな視線が功を奏したのか、木賊さんが「ごめん、始めよう」と僕に微笑みかけ、浅葱さんの隣に座った。とても嫌そうに一番距離を取って、端と端に。といっても二人掛けの椅子の端と端なんて、たかが知れているけれど。
浅葱さんが机の引き出しから紙とペンを取り出し、木賊さんに渡す。そして僕に質問を始めた。
「名前は神無木朔真、高校2年の17歳、男。人外。間違いないな?」
「はい」
「親の名前は?」
親の名前。伯父の名でもいいのか、それとも生みの親の名か。親の名なら、僕は母の名を覚えていない。父の名は伯父からよく聞かされていたから覚えているが、母の名は聞かされることはなかった。ただ一度、伯父に「母親に似ている」と言われた時に、その名を聞いたきりだ。
「神無木遠真です」
「母親は?」
「……あんまり、わからないです」
二人は苦虫を噛み潰したように顔を歪め、あの浅葱さんが「すまん」と謝った。何やら重く受け止められているらしかったが、自分からしてみればそう大した問題ではなかった。何せ母の顔も名前も覚えていないのだから、悲しみようがない。
「固有魔術は?」
「あんまり、わかりません」
固有魔術というのは、自分が使える魔術のことである。そもそも魔術というものは一人につき一つ与えられる超能力のようなもので、大雑把に決まっている。それは発症した時からだ。大雑把に決められた枠の中からはみ出さないように、応用力を使って、様々な技を作る。その大枠が僕の場合“操作”だっただけだが、これは言わないことにする。
何度も訊かれてからで構わないだろう。
「発症は何歳だ?」
「確か、4歳でした」
「早いな」
発症。構成式が何らかの原因によって書き換えられ、人外、もしくは式者になることだ。原因不明、治療法は無い。
僕はメモをとっている木賊さんと、何か考えているらしく遠くを見ている浅葱さんとを、交互に見つめた。彼らはどんな魔術を持ち、どんな人生を送ってきたのだろう。家族はいるのだろうか。などと、不躾なことを考えてしまう。こちらのことを相手に知られるばかりではなく、自分も、相手のことを知りたかった。
「よし、そろそろいいかな。質問は以上だ」
浅葱さんが合図を送れば、木賊さんは紙とペンを僕の目の前に置く。
「後は名前を書いて、終わり」
そう笑った木賊さんを見て、僕は、その真っ白な紙に名前を書いた。
僕は脅されていることを、忘れてはいけない。